来年の今日まで……解散!
「カイル……」
しばらく経ち、サクがカイルの肩に手を置いた。 まだ震えている体をシリウから離そうとしたが、カイルは激しく抵抗した。
「カイル、シリウをここに眠らせてあげるんだ……」
ラディンもカイルの両肩をつかんで優しく引き離そうとしたが、カイルはかぶりを振った。
「いやだっ! 俺はシリウと――」
その時、カイルの頬に平手が飛んだ。
「! サク!」
驚くラディンと、目を丸くして無言で見つめるカイル。
ヤツハも思わず立ち上がり、サクを仰視した。 サクはカイルを睨みながら唇を噛んでいた。
「シリウはもう動かねえ! でもオレたちは、進まなきゃならねえんだ! ここで終わりなんかじゃねえ! ここが始まりなんだ!」
するとカイルはシリウをそっと寝かせて立ち上がると、慌てて制止するラディンの手を振り切ってサクへと殴りかかった。
「サク! カイル! やめて!」
ヤツハの悲痛な叫びも、二人には届かなかった。 カイルは涙をこぼしながらサクを殴り、サクもまた、カイルに容赦なく拳を叩きつけた。
「お前に俺の気持ちなんて分かるか!」
カイルが叫ぶと
「分かるわけねーだろ! お前みたいな弱虫のくだらない気持ちなんか、知る気にもならねーよ!」
とサクはカイルの体を地面に押し付け、馬乗りになると睨んで見下ろした。
「仲間なら……愛しているなら、シリウを追おうと思うな! その胸に背負え!」
その途端、もがいていたカイルはハッと我に返ったように目を見開いて動きを止めた。
「お前の心にも、オレの心にも、シリウは生きてる! 勝手に…………殺すんじゃねーよぉぉ……」
そう言いながらサクの顔は歪み、瞳からは大粒の涙がこぼれ、生温かい雫がカイルの頬へと落ちた。
「サク……」
カイルの体から力が抜けた。 サクはカイルに馬乗りになったまま空を仰いで泣きはじめた。 今まで見たことのないような、この世の終わりを思わせる泣きっ振りに、カイルはサクをどける気にもなれなかった。 寝転がったまま、カイルも再び泣きはじめた。 ヤツハがサクを後ろから抱き締め、一緒に涙をこぼし、ラディンもカイルに寄り添うように膝をついて空を仰いだ。
風は相変わらず潮の薫りを乗せて丘の上を流れていく。 四人は涙が枯れるまで泣き続けた。
「これから、どうする?」
カイルがゆっくりと目を開けて言った。
すっかり落ち着きを取り戻してはいるが、サクに殴られた顔は赤く腫れ、泣き腫らした目にはまだ赤みが残っていた。
目の前には小高い盛り土があって、サク、ヤツハ、ラディンもそれに向かって立っている。
盛り土の向こう側には、十字に形づくられた木の枝。 その向こう側には、見渡すかぎりの海原が広がっていた。
シリウの墓は、海と生れ故郷が見渡せる丘の上に作られた。 サクは、カイルと同じように腫れて傷だらけの顔で、シリウの墓を見つめながら言った。
「オレは、サツフゥル村に戻る。 もう一度、オレが進む道を探しなおす!」
サク自身、シリウを失った上にヴァンドル・バードに対する失意も加わって、深く落ち込んでいた。 だが新しい道へと確実に前に進むために、シリウに向かって心の中で強く誓っていた。
「俺はラタクをゴロナゴに送り届けて、キトさんにこのことを報告する。 その後は、それから考えるさ」
ラディンは遠く水平線を見つめていた。
ヤツハは、シリウの墓の前でひざまづくカイルの背中に言った。
「あたしは、カイルと一緒に居る」
「?」
カイルが驚いたように振り向くと
「いや、ヤツハはオレと来てくれ!」
とサクが慌てて言った。
「サク?」
不思議そうにしているヤツハに、サクは鼻をこすりながら視線を外した。
「お前と、一緒に探したいからな……これからの道……」
「サク……でも――」
「その方がいい」
何か言おうとしたヤツハの言葉に被せて、カイルが立ち上がった。
「カイル、でもあなたは……」
ヤツハの切なそうに揺れる瞳を優しく見返しながら、カイルは微笑んでみせた。
「ヤツハ、俺は大丈夫だ」
そして穏やかな表情で周りを見回した。
「俺はもう、一人じゃないって分かったしな」
カイルはヤツハの肩を軽く叩いて、少し明るく言った。
「それに、ヤツハはサクに付いてなきゃ。 そっちの方が心配だ」
「なんだとっ!」
カチンときたサクが拳を握った。 だが、ヤツハの視線に気付いたサクは、思わずその拳をおさめた。
「別に、ヤツハがイヤだって言うんなら、無理にとは言わねー!」
そっぽを向いて頬を膨らませるサクに、ヤツハは思わず吹き出した。
「……分かったわ。 でもカイル、あたしの心はいつもあなたと一緒よ」
カイルは頷いた。
「ああ。 俺もだ。 皆のこと忘れない。 俺はこれからザックに帰って、俺を待ってる奴らとの約束を果たそうと思う」
「そうか! 約束があるなら、それを果たさないとな!」
サクはにっこりと頷いて拳を差し出した。 他の三人も自身の拳を差し出し、軽く合わせた。
「しばらくの別れだ! 来年の今日、ここで!」
サクの声に、拳を合わせ、見つめ合い微笑んだ。
シリウの墓にもう一度手を合わせ、サクとヤツハがまずサツフゥル村へと向かうために、カイルとラディンと別れた。
しばらくして、サクの後ろを歩いていたヤツハが突然思い出したように、シリウの墓の前で見送っていたカイルの元へ駆け戻るとそっと耳打ちした。
「ね、あの事……」
カイルはそうだったね、と笑い
「いいよ!」
と言うと、ヤツハはとびきりの笑顔を残して、先に待つサクの元へと駆けていった。 そしてサクに何か言ったかと思うと、サクは途端に飛び上がってカイルを見、ひどく慌てた仕草をした。
カイルはそれを見て吹き出し、大きく手を振った。 動揺しているらしいサクの横で、ヤツハは笑いながら大きく手を振った。
仲むつまじく去っていく二人を見送りながら、カイルは、いつかシリウが言っていた事を思い出していた。
「カイル、【ヴァンドル】とはある国の言葉で【彷徨う】という意味なんです」
「えっ? それって……」
驚くカイルに、シリウは苦笑した。
「僕は、真実を知った後のサクの事が心配なんです。 あんなに純粋にヴァンドル・バードの事を思っている彼を見ていたら、言うに言えなくなってしまって……」
「もしその訳が本当の意味だとしたら、【ヴァンドル・バード】はただの鳥ってことになる……」
「そこまで単純なものではないとは思いたいですけどね。 僕は、サクの夢を壊したくない」
「うん……」
その時の、心配そうに眉をしかめる顔のシリウを思い出し、カイルはシリウが眠る墓に向かって少し笑ってみせた。
「シリウ、サクは大丈夫だ。 あの頃のようにもう弱くはない。 新しい道は自分で切り開いていくさ」
そんなカイルを、ラディンがきょとんとした顔で覗き込んだ。
「何?」
「ん、なんでもない」
微笑んでみせたカイルは、すっかり落ち着いた表情をしていた。
サクとヤツハの姿が見えなくなった頃、カイルはラディンに振り返った。
「ラディンにも言わなくちゃな。 俺、実は――」
「知ってたよ」
そう被せるラディンの顔は、カイルを優しく見つめていた。 一瞬驚いた表情のカイルだったが、すぐに微笑んだ。
「そうか! バレてたんだ?」
「俺も変態扱いされなくて良かったぜ。 結構悩んだんだぜ!」
苦笑いをするラディンとしばらく笑い合った後、ラディンは自分の荷物を肩に掛けた。
「カイル……」
「?」
堅い口調になったラディン。
「あの……俺の母ちゃんのことなんだけどさ……」
と言いにくそうに話すラディンに
「ラディンに会いたがってた」
とカイルは微笑んだ。
「ソラール兵士養成学校の保健医をしてる。 ミラン先生は、口は悪いけど凄く優しい人だ」
「そうか……」
ラディンは頬を赤らめて頷いた。
「ラディンが来るのを、待ってるよ」
カイルは、ラディンがやっと素直になってくれたことに安心した。 色々あったが、ラディンもまた母親に会いたかったのだ。 ラディンは再びカイルの名を呼んだ。
「?」
他に何か?と首を傾げるカイルに、ラディンは真面目な顔で
「今はまだ全然強くなくて頼りないけど、必ず、あんたを迎えに行くから!」
と真っすぐに見つめた。 カイルはふっと息をついて
「分かった」
と微笑んだ。
ラディンはすっきりした顔で頷くと、シリウの墓を見た。
「シリウ、悪いけど、俺はこれからだ。 あんたに負けないほど、男になるからな! 天国で指くわえてみとけ! ……カイルは俺が守るから、安心しろ」
拳を突き出すと、微笑んでみせた。
それからしばらくして、カイルは誰もいなくなったシリウの墓の前で、自分の荷物を肩に引っ掛けてじっと十字架を見つめていた。 藍色の瞳が、新たに輝きを取り戻していた。
「シリウ。 俺はもう寂しくないよ。 俺は、俺の道を行く。 今よりも成長して、賢いシリウに笑われないように頑張るよ」
それから、とカイルは続けた。
「愛してるよ、シリウ」
そして、誰も居なくなったシリウの墓に清々しい潮風が吹いた。
それぞれの旅が始まった。
遠くでヴァンドル・バードの鳴き声が響いた。 かつてそこに希望を託していた少年は、新しい道を進み始めている。 もう彷徨うことはない。 自分で自分の生きる道を探す旅は、決して流浪の旅ではないだろう。
そしてその仲間達も然り。
それぞれが己を信じて新しい道を作っていく。
来年の今日、ここに再び賑わいが戻るまで、静かな眠りを見守るように潮騒が包んでいた。