ヴァンドル・バードが居る意味
「シリウ! シリウ!」
名前を呼ぶカイルの腕のなかで、シリウは血だらけの顔をしかめていた。 必死に痛みをこらえているシリウは、カイルに体重をゆだねていた。
「ヤツハ! 早く手当てを!」
切迫したカイルの声に急いで駆け寄ったヤツハは、シリウの背中を見ると途端に膝を付き、思わず目を背けた。
「ヤツハ! 何やってんだ! 早く!」
カイルの焦った声に、ヤツハは涙を溜めた瞳で言った。
「カイル……もう……」
声にならないヤツハに異変を感じたカイルは、シリウの顔を見た。 シリウは痛みに顔をしかめながら、懸命に笑顔を見せた。
「カイ……ル、っ! ゴホッ!」
再び吐血したシリウの血に、カイルの身体が染まった。 それでも構わずに、カイルはシリウを見つめているしかなかった。
「ヴァンドル・バード!」
たまらずにサクが叫ぶように言った。
「お前の力でなんとかならないのか? なんでも願いを叶えてくれるんだろ?」
懇願と言うよりも半ば強制するように言うサクに、ヴァンドル・バードは目を伏せてゆっくりと首を横に振った。
「……無理じゃ……」
サクは驚いて目を丸くした。
「何でだよ! ヴァンドル・バードに会えば、何でも願いを叶えてくれるって聞いたぞ! オレの願いは、シリウを助けて欲しい! それだけだ!」
納得できなくて地団太を踏むサクをじっと見つめていたヤツハが、かすれた声を出した。
「あたしからも、お願いします!」
「俺からも頼む! 俺たちじゃシリウを助けられないのなら、もうあんたに頼むしかないんだ! お願いだ! シリウを助けてやってくれ!」
ラディンもヴァンドル・バードに懇願した。
カイルも懇願する瞳でじっとヴァンドル・バードを見つめていた。 言いたいことは同じだった。 だがヴァンドル・バードは、もう一度
「無理じゃ」
と首を横に振った。
「わしは生前、重い罪を背負ったのじゃ。 その罰として、こんな体にさせられた。 永久の命と引き替えに、人の世を見続ける使命を持たされた。 次第にわしは人と交わることを恐れ、あの村に姿をかえて生き長らえることにした。 そんな弱者のわしに人を救えなどと……そのような力があるわけが無いであろう……」
驚愕の事実だった。
サクがまだ見ぬその姿に夢と希望を持ち、追いかけ続けてきたヴァンドル・バードが、実は何の力も持たないただの大きな鳥だったとは……
「そんな……」
ヤツハの力ない声が震えた。
「ヴァンドル・バード……あなたはあたしたちに、とても良くしてくれた。 サクとラタクを救い、シリウの居場所も教えてくれた。 どんな罪かは知らないけれど、もう許されてもいいじゃない…… それだけ、優しくて思いやれる心があるのに……」
そう言って、ヤツハは絶望をあらわに俯いた。 その肩をそっと抱いて、ラディンがヴァンドル・バードを睨みつけた。
「サクはずっとあんたを思ってきたんだぞ! きっとこいつの胸ん中には強い願いがあって、あんたに会ったら叶えてほしい思いをずっと温めてきたんだ。 それを……あんたは『無理』の一言で済まそうって気なのか?」
「行けよ……」
サクが小さく呟いた。
「サク?」
ヤツハがサクを見ると、彼は小さく震えながら俯いていた。 サクは唇を震わせて
「オレはずっと信じてきたんだ……ヴァンドル・バードに会ったらきっと、もっといい世界になるんだって……願いを叶えて貰えるんだって……ラーニャだって、お前の事を話すときはホントに楽しそうで、嬉しそうで……その分までオレは、必ず思いを伝えようと思って今まで頑張ってきたんだ!」
「サク……」
ヤツハは切ない目でサクを見つめた。 サクがヴァンドル・バードを思う強い気持ちをずっと間近で感じてきたヤツハには、彼の深い悲しみが痛いほど伝わっていた。 サクは唇を噛んで拳を握った。
「だけどもう要らねえ! オレはこの手で未来を掴む! だからヴァンドル・バード! オレの前から消えろ!」
叫ぶように言うサクをじっと見つめていたヴァンドル・バードは、切なそうに目を伏せて翼を広げた。 真っ白な羽根が青空に映えた。 小さく鳴き声をあげると、ヴァンドル・バードは風を生んで大きく羽ばたき、空へと浮かんだ。 そして一度サクたちの頭上を旋回した後、空の彼方へと飛び去っていった。
カイルはシリウを見つめたまま、ゆっくりと首を横に振った。
「嘘だろ……」
カイルにもシリウの状態は分かった。 だが、それを受けとめる余裕など、カイルには無かった。
「嘘だよな? ほら、まだシリウの体、温かいよ。 ぬくもりが伝わってくる。 シリウ、またビックリさせようとして……」
シリウは静かに微笑みながら、カイルの瞳を見つめた。 最後までその目に焼き付けようとじっと見つめながら、かすれた声を出した。
「カイル……に……謝らなくちゃ……」
「何……を?」
「約束……二人で、デート出来なくて……」
カイルの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「約束、守れよ……前俺に言っただろ? 男が一度口にしたことを破るなって」
シリウは苦しそうに笑った。
「ラディン……」
シリウはラディンへと視線を移した。 少し離れたところで呆然と立ち尽くしていたラディンは、シリウの声にやっと我に返った。 シリウは
「後のことは……頼みます……」
と、申し訳なさそうに苦笑いをした。
「……ずるいぜ、そんな逃げ方……俺との勝負はどうなったんだよ……」
そう悪態をつくラディンの声は、明らかに震えていた。 シリウは小さく頷いた。
「すみません……」
シリウは再びカイルへと視線を向け、震える自分の手をその頬に当てて
「また……一人にさせてしまう……」
と切なそうに目を細めた。 カイルはもう何も言えないまま、涙をこぼし続けている。
「大丈夫だ、シリウ!」
突然、サクがシリウの視界に入って明るく言った。 その顔には、サクの最大の魅力である満面の笑みが浮かんでいた。 サクはカイルの肩を抱いて言った。
「カイルにはオレたちがいる! 寂しくなんかないぜ! 安心しろ!」
「サク……」
シリウは少し驚いたように瞳を揺らしたが、すぐに微笑んだ。
「そう……ですね……サクが居れば安心です……」
そして今度は、ヤツハを見た。
「ヤツハ……サクをよろしくお願いします」
その弱々しい声に、ヤツハは大粒の涙をこぼしながら頷いた。
「分かってるよ、シリウ……」
再びカイルを見つめたシリウはふうっと息を吐き、安心したように目を閉じた。 カイルは慌てて名を叫んだ。
「シリウっ!」
その腕が力なく落ち、カイルには彼の重みがずっしりと伝わった。
「シリウ! 目を開けろ! まだ……眠るには……」
カイルの声が小さくかすれた。
「早すぎるよ……」
泣き崩れるようにシリウに被さるカイル。 その膝元には、シリウの血だまりが広がっていた。
緩く潮風が吹く丘の上を、血生臭い匂いと、カイルとヤツハの引きつるような泣き声が響いた。