せっかく出会えたのに……
ヤツハは、小屋の外から聞こえた木がきしむ音に目を覚ました。
上半身を起こして周りを見ると、サクと自分以外の姿が無い。
「?」
隣で眠るサクを起こさないようにそっと小屋を出ると、月明かりの中で立っているラディンの姿があった。
「ラディン? そこで何をしてるの?」
周りには誰もいなく、ラディンの傍にはひびの入った木が一本斜めに立っていた。
「くそっ!」
ラディンは苛ついた感じで再びその木を殴ると、それは遂に折れ、音を立てて倒れた。
「一体どうしたのよ? カイルとシリウが居ないのは分かるけど…… あなたは一人で何をやってるの?」
「それだよ!」
「?」
突然振り返ったラディンに指を差され、ヤツハはたじろいだ。
「あんたはなんとも思わないのかよ? あの二人を見て!」
「なんともって……二人は愛し合ってるんだし、何もおかしいことなんて無いわよ」
「なんでだよ? 男同士で気持ち悪いっ!」
「……もしかして二人の事、覗いたの?」
軽蔑の眼差しで言ったヤツハには、すでにラディンの心が分かっていた。 カイルのファーストキスを奪った男だ。 間違いはない。
「そうよね、ラディンも、カイルのことが好きなんだものね?」
にやりと微笑むヤツハに、ラディンは後退りし動揺した。
「な、なななんでそんなこと!」
あからさまに取り繕おうとするラディンに呆れ顔をしたヤツハ。 そして肩をすくめると、にこりと微笑んだ。
「分かるわよ、恋する気持ちは、男も女も大差ないわ。 ……言ったらカイルに叱られるだろうけど、可哀相だから教えてあげる。 実はね、カイルは--」
シリウはカイルの体に重なり、瞳を見つめながらその頬をいとおしそうに撫でていた。
月明かりが柔らかく降り注ぎ、木々の間をそよ風が吹き抜けていった。
「シリウ、変わってないね……」
カイルは上気した頬で微笑んだ。 シリウは微笑みかえし
「カミィルは、少し大人びてきましたね。 隠し続けるのにも、限界じゃあないんですか?」
シリウは自然に、カイルのことを本名で呼んでいた。 それを甘んじて受けながら、カイルは少し目を伏せ頬を撫でるシリウの手に触れた。
「俺は何も変わってないよ……」
シリウは小さく笑った。 優しい視線が交差して、二人の間を堅く結んでいた。
「たくさん話したいことがあるんだ。 今まで色んなことがあった。 嬉しいことも悲しいことも……」
「僕もですよ」
その時、木々の間を一陣の強い風が吹き抜けた。
「あっ!」
そばに置いてあったカイルの衣服が飛ばされ、シリウがそれを取ろうと上半身を起こした時、カイルの瞳が大きく見開かれた。
「シリウ! その……背中は……」
かすれた声のカイルに、シリウは振り向いて一瞬戸惑った空気をみせた。
シリウの背中には、全体を覆うような大きなタトゥが刻み込まれていたのだ。
左肩から腰に掛けては悪魔のような妖しさに満ちた翼模様が、右肩から腰の辺りにかけては、天使のような優しさに満ちた翼模様が、カイルの瞳に突き刺さった。
「……格好良いでしょう?」
明らかに動揺しているシリウの言葉に、カイルの体全体を戦慄が走った。
「シリウ……どういうことだよ、それ? 何があったんだよ? 前はそんなの無かったはずだ!」
カイルは起き上がり、シリウの腕を掴んで攻めた。 以前アルコドへの旅に行ったときも、シリウとサクは二人でよく水浴びをしていた。 その様子を見ていたから、シリウにそんなタトゥが無かったことは知っていた。 背中全体に刻まれた翼模様に、カイルの心はズタズタに引き裂かれるようだった。
「一体それは何なんだ!」
シリウの腕を掴み揺らし、涙目になって言うカイルを優しく見つめながら
「大丈夫ですよ。 あなたは何も心配しなくていい」
とその肩に衣服を掛けた。 カイルは唇を噛んでシリウを睨んだ。
「本当のことを言ってくれ!」
シリウはそれでも、黙って優しく見つめていた。
森の中を流れる時間が、一瞬止まったかのような静寂に包まれていた。
「マジかよ?」
ラディンは呆然とヤツハを見つめた。 ヤツハは笑って頷いた。
「マジかよ? じゃ、じゃあ、俺はおかしくなったわけじゃねーんだな?」
頭を押さえて繰り返すラディンに、ヤツハはもう一度微笑んで頷いた。
「そうか! 俺はおかしくなんかねーんだ!」
ラディンは両手に拳を握り、力をこめた。
「もう迷わねえ!」
そして奇声とも取れるような歓喜の声を上げて、森の中へと走っていった。
「ちょ、ちょっと! どこに行くのよ?」
慌てて引き止めるヤツハの声も空しく、ラディンの姿は暗やみの中へと消えていった。 ヤツハは呆れてひとつ息をつくと、肩をすくめた。
「なんでカイルばっかりもてるのかしら?」
少し切なげに口を尖らせて呟いたその時
「なんだよ、騒々しい……」
扉が開いて、小屋の中から、目を擦りながらサクが出てきた。
「皆、どこに行ったんだ?」
眠そうな目で周りを見回し、大きなあくびをした。 ヤツハは驚いた顔をした。
「サク、もしかして今の話……?」
だがサクはきょとんとした顔でヤツハを見た。
「何だって?」
さっきの話を聞かれていないであろうその様子に、ヤツハはホッとして息をついた。
「まぁ、別にいいんだけどね。 何でもないわ。 寝てなさいよ。 まだ朝じゃないわよ」
「ん~~……」
サクは寝呆け眼でフラフラと立ったまま、眠りに入りそうだった。
「俺はおかしくなんて無かったんだ! 素直に言えば良かったんだ!」
ラディンは独り言を言いながら森の中を走っていた。 切る風が髪の毛を揺らしていく。 軽くなった心と共に、駆ける体ごと空へ飛べそうだった。
今なら素直に言える! カイルに、自分の気持ちを正直に言える!!
「っ!」
不意にラディンの足が止まった。 拍子に、落ち葉が飛び散った。
「シリウ! 何でここに?」
ラディンの向こうから、シリウが一人で歩いてきたのだ。
シリウはラディンに気付くと、はたと立ち止まった。 無表情で向かい合うシリウから、異変を感じたラディンは
「カイルはどうした?」
と詰め寄った。 シリウは歩いてきた方を指差した。 そして
「ラディン……僕は、後悔なんてしません。 今も、これからも……」
「?」
ラディンは嫌な予感がした。 だがそれ以上シリウと会話する気持ちになれなかったラディンは、それには答えずシリウが示した方へと走った。 その後ろ姿を、シリウは黙って見つめていた。
「カイルっ!」
程なくして、ラディンはカイルの姿を見つけた。
カイルは木の根に守られるようにペタンと座り込み、うつむいていた。 羽織っただけの衣服が、風に揺れていた。 ラディンは慌ててカイルに駆け寄った。
「カイルっ! 大丈夫か? 一体何があったんだ? シリウに何かされたのか?」
ラディンは滑り込むように跪くと、カイルの両肩を抱いてその顔を覗き込んだ。 カイルは焦点の定まらない瞳で、ゆっくりとラディンの顔を見上げた。
「ラディン……」
蚊の鳴くような声を出した途端、カイルの瞳から一筋の涙がこぼれた。
「!」
ラディンは驚き、言葉を無くした。 カイルはかすれた声を出した。
「シリウの……背中に……」
「あいつの背中に、どうしたんだ? ……!」
その時、別れぎわ言われたキトの言葉を思い出した。
『ラディン。 ハアヤ村に行ったら、シリウを連れてすぐに村を出なさい』
ラディンはふつふつと沸き起こる不安に襲われた。 同時に、シリウに対する怒りが湧き出していた。 その衝動で、カイルの肩を強く握った。
「カイル、もう俺の気持ちなんてどうでもいい! ただ、俺はあんたが苦しんでるのを見たくない! 頼む! あんたに協力させてくれ!」
と訴えた。 カイルは生気の無い瞳でラディンを見つめていた。 かすかな震えが、ラディンの体にも伝わっていた。
「カイル、皆の所に行こう!」
ラディンはカイルの頬の涙を自分の指で拭いてやると、その肩を抱いて立ち上がらせようとした。 だがカイルはラディンの腕をつかみ、少し抵抗した。
「カイル?」
「後で行く……」
「あんたを置いて行けるかよ!」
カイルは少し微笑んでみせ
「大丈夫。 必ず戻るから。 しばらく一人にさせてくれないか?」
それに対抗する言葉は、ラディンには見つからなかった。 仕方なく体を離して立ち上がると
「必ず戻ってこいよ! 遅かったら迎えに来るからな!」
と言い残して、後ろ髪をひかれる思いでその場を離れた。 相変わらず座り込んで、小さく頷くカイルを残して……