道場稽古
翌日の朝は騒がしく始まった。
「不思議だよなー! いつの間にか、ホテルに戻ってたんだ! キトん家で飯食ったのは覚えてるんだけど」
サクが寝ぼけ眼で不思議そうに言っているのを、カイルとヤツハはあきれ顔で見ていた。
「カイルがおぶって帰ってくれたのよ! 感謝しなさい!」
カイルは苦笑いをした。
「途中も全然起きなかったもんな!」
「そうだったのか! 悪ぃ悪ぃ!」
サクは申し訳なさそうな感じもなく、頭を掻きながら大きな口を開けて笑った。
「ホント、いい気なものよ! さ、道場に行きましょう!」
ヤツハは軽いホテルの朝食を平らげると、荷物を持った。
「ちょっと待てよ! オレまだ食べる!」
「じゃ、置いていくわ」
ヤツハから冷たい視線が注がれ、その横には笑うカイルが並んだ。
「ちょ、待てって!」
サクは慌てて食べ放題の小さなパンをもうひとつカゴから取って頬張ると、荷物を持って慌しく席を立ち、ヤツハたちを追った。
道場に着いたのは、昼を少し過ぎたころだった。
「サクが要らない方向へ行こうとしたからでしょっ!」
「だって、あっちだと思ったんだもん!」
「まあまあ……とりあえず着いたんだし、良かったじゃないか」
サクを責めるヤツハをなだめながら、カイルはやっと捕まえたサクを引っ張りながら道場の前にいた。 昨日と同じように、方向もわからないのに前を歩こうとするサクをなだめ引っ張りながら、やっと着いたのだった。 三人ともが無用な疲れを抱えながら、道場の扉を叩いた。
すぐにキトが現れて、中へと案内した。 道場の中では、生徒たちが整列して稽古に励んでいた。 その中には、ラディンの姿もあった。
「ラディン!」
嬉しそうにサクが叫ぶと気付いたラディンは三人の方を向き、一瞬躊躇した様子を見せたが、やがて決意したようにゆっくりと近づいてきた。
「よ、よう! 遅かったじゃねえか!」
ラディンは緊張した面持ちでわざと大きく出た。 すると、カイルは苦笑し
「悪い……本当はもっと早く着くはずだったんだけど、サクが……」
「迷ったのよ!」
笑いながらヤツハが補足した。
「いいじゃんか! 無事に着いたんだから!」
サクが開き直って言うので、ヤツハのげんこつが降った。
「いってえ!」
道場の中に、乾いた音とサクの悲鳴が響いた。
「相変わらずだな……」
ラディンはやっと少し落ち着いた顔で汗を拭いた。 ウェーブのかかった黒い髪から、雫がポタポタと落ちている。
「もう随分稽古してるのか?」
サクが頭をさすりながら言った。 ラディンは笑って頷いた。
「あんまり遅いんで、いつもより余計に汗をかいたぜ!」
するとキトが
「ラディン! 稽古にやりすぎは無いんだぞ!」
と喝を入れた。 ラディンは背筋を伸ばして苦笑いをした。 サクたちも、相変わらずなラディンに安心して微笑んだ。
「皆さ~ん! お昼ですよ~!」
リーフが大きなお盆を持ってきた。 その上には、数十個という握り飯が山のように盛られている。 決して太くないリーフの腕のどこにそんな力があるのかと思うほどだ。
「やった~!」
「待ってました!」
生徒たちは嬉しそうにリーフを囲み、次々に握り飯へと手を伸ばした。
「さ、遠慮しないで君たちも食べなさい」
サクたちは、キトの言葉に甘えて戴くことにした。
「うめー!」
サクが一口かじるなり感嘆の声を上げた。 程よい塩味が、疲れた体を癒してくれた。
「な、リーフさんの作った飯は、すんげー美味いんだ!」
サクの隣に座っていた少年が言った。 まだ十歳ほどの少年は、口いっぱいに押し込みながら次の握り飯を手に取っていた。 サクは少年に笑いかけた。
「ほんと美味いな! お前も、ここで稽古付けてもらってんのか?」
少年は大きく頷いた。 人懐こそうな黒い瞳が輝いている。
「オレ、まだ一年位しか通ってなくて弱っちいけど、いつか絶対強くなって世の中を守る戦士になるんだ!」
熱く語る少年は、ラタクと言った。 話に夢中になって思わず力を入れた拳の中で、握り飯が形を無くしていた。
「あら」
ヤツハが思わず吹き出すと、カイルも笑いながら肘で彼女をつついて制した。
「可愛いわね、皆」
ヤツハは生徒たちを見回した。 育はもいかないような子供たちばかりだ。 皆汗だくの顔を輝かせながら、リーフが作った握り飯を頬張っている。 それをいとおしそうに見ている二人の前が騒がしくなった。
「それ、オレが狙ってたやつだぞ!」
サクの声に、甲高いラタクの声が重なった。
「へへん! 世の中競争! 早い者勝ちなんだよ! 一番大きいの貰いっ!」
「ズルいぞーっ!」
サクがラタクの握り飯に手を伸ばそうとすると、ラタクは器用にするりと避けて逃げた。
「待てっ!」
他の生徒たちが唖然として見守る中、ラタクとサクのおいかけっこが始まった。
「あいつ……」
カイルが額に手を当てて呆れたようにうつむくと、ヤツハは静かに立ち上がった。 次の瞬間、重く渇いた音が二つ、道場の中に響いた。
「あんたたちには、マナーってものがないわけっ?」
頭を抱えてうずくまるラタクとサクの間には、両拳を握って怒るヤツハが立っていた。
「一体何があったんだ?」
「姉ちゃん強え!」
「早くて見えなかった!」
道場の子供達が口々に言い、一瞬でヤツハは道場のボスになった。
「さて、これからどうするんだ?」
ラディンがカイルの隣に座って尋ねた。 それまでカイルは道場の騒ぎを見て笑っていたが、すぐに真顔になった。
「ハアヤ村に行ってみようと思う」
その言葉を聞くとも無く聞いていたキトの表情が一瞬固くなったが、カイルたちに気付かれることはなかった。 ラディンは壁に頭をもたれた。
「そっか。 シリウに会いに行くんだな?」
カイルは頷いた。
「ここに来たもう一つの理由だからな。 シリウがまだ修行しているなら、一緒にやるつもりだ」
カイルは遠くシリウを思っていた。
あれから二年近く経っている。 シリウも少しは風変わりしているだろう。 ハアヤ村に行けば、きっとシリウに会える。
『早く会いたい……』
カイルの胸は、人知れず高鳴っていた。 ラディンはそんな横顔を見つめながら、意を決したように言った。
「俺もついていくよ」
「えっ?」
驚くカイルに、ラディンは真面目な顔で頷いた。
「勿論最初から、ハアヤ村までの案内はするつもりでいた。 でも、俺で力になるんだったら、ついていく。 アイツと合流したら、その次はガラオルを追うんだろ?」
ラディンはいたって真面目に話した。 カイルは黙って横目でそれを聞いていたが、ふっと息をついた。
「そう言うだろうって予感はしてたよ」
カイルは微笑んでいた。
「それに人数は多いほうがいい。 ラディンもかなり実力が上がったようだしな」
ラディンは力こぶを作って見せた。
「その為に体を作ってたんだ! ここで会えたのも必然だ。 損はさせねえよ!」
カイルは充分だ、と頷いた。
「カイル! 何の話をしてたの? ナイショ話?」
子供達を大人しくさせてきたヤツハが、いたずらっぽく言いながらカイルの横に座った。
「ラディンも一緒に行ってくれるって」
カイルの言葉に、ヤツハも手を叩いて大賛成した。
「本当? 嬉しい! ラディンも一緒なら、頼もしいわ! サク一人だけじゃ不安だもの」
ヤツハが微笑むと、ラディンは照れ笑いをした。
一方、サクはラタクとすっかり仲良くなって道場の中を走り回っていたが、やがて休憩時間も終わり、キトが号令をかけると、生徒たちは素早く整列した。 その中には、ラディンだけじゃなくサクまで並んでいた。
「なんでお前までいるんだよ?」
ラディンが驚いて言うと、サクは当たり前のようにすまして言った。
「せっかく来たんだしよ、稽古付けてもらおうと思ってさ!」
ラディンはあきれ顔で
「キトさんの稽古は厳しいぞ!」
と耳打ちした。
「上等だぜ!」
サクは嬉しそうに拳を握って見せた。
そのうちに稽古が始まり、生徒たちに交じったサクは見よう見真似で体を動かしはじめた。 みるみるうちに体中から汗が噴き出してくる。 カイルとヤツハは、その様子を道場の端で眺めていた。
「あたしたちも、あんな時代があったのよね」
ヤツハが感慨深げに呟くと、カイルも笑みがこぼれた。
「そうだな。 最初は体がうまく動かなくて歯痒い思いをした」
ヤツハは私も、と頷いた。
「型一つも作れなかったのに、いつの間にか、自分の気を操れるようになってた」
二人は遠い過去を思い返し、重ねるように、懸命に稽古を続ける生徒たちを見つめていた。




