道場に鍵はあり?
「なあ、ラディンて奴知らねえか?」
「は……はあ……?」
役所の受付をしている女性が、少年を相手に困り果てていた。
カウンターに乗り上げるように体を前に出して、受付の女性に尋ねている少年とは、一人で乗り込んできたサクだった。 偶然『役所』と書かれた看板を見つけたサクは
「ここなら何でも知ってるんじゃねーか? よし、ここで尋ねよう!」
と、意気揚々と中に入ってきたのだった。 だが、受付の女性があまりにもきょとんとして話が通じないことに段々イラついて来たサクは
「絶対この町にいるはずなんだよ! ラディンだ!」
と口調を荒げる始末。 ただでさえ大きな声は役所中に響いて、他の所員たちも何事かと受付を覗きはじめていた。 そんな怪訝な視線を気にもせず、サクは眉をしかめて受付の女性を問い詰めていた。
「ではそのラディンという方の、フルネームを教えていただけますか?」
半ばつっけんどんに尋ねる受付の女性に、サクははたと頭を抱えた。
「ラディン……なんて言うんだっけ? あれ、本名があったんだったよな…… なんだっけ?」
サクはラディンのフルネームを知らなかった。 そのラディンと言う名前も本名ではないこともつい先日知ったところだったし、サクはついにどのような質問をしたらいいのか分からなくなってしまった。
受付の前でひとり首をひねり続けるサクに、二人のいかつい体型をした警備員の男性が近寄り、両側から羽交い絞めにした。
「あっ! 何をするんだよっ! 離せっ!」
もがくサクの両足は、すっかり宙に浮いてしまっている。 足をバタつかせるが、警備員たちには何の効果も無かった。
「ここは大人が来る場所です。 からかいにきたのなら、出ていってください!」
警備員の冷たい口調がサクの頭上から降り、なすがままに役所の入り口へと運ばれて行った。 そして投げ捨てられるように振り離されたサクは、役所の前で器用に一回転して着地すると、振り返って舌を出した。
「もうお前らには世話にならねえよ!」
腕組みをしてため息をつく警備員たち。 その様子を見て駆け寄る足音がした。
「サク、こんな所で何をやってんのよ?」
「?」
サクが舌を出したまま声のした方を見ると、ヤツハとカイルが近づいてくるところだった。
「何かあったんですか?」
カイルが屈強な警備員たちに尋ねると、彼らは迷惑そうに
「君らの知り合いか?」
と、いきさつを説明した。 聞き終わった途端に、ヤツハの鉄拳がサクへと伸びた。
「いぃってえなあ!」
しかめっ面をして頭を押さえるサクに
「何も考えないで行動するからこうなるのよっ!」
とヤツハが叱った。
「だってお前らが居なくなるから!」
と言い訳しようとするサクに再びヤツハのげんこつが降った。
「先に飛び出して居なくなったのはサクだろ?」
とあきれながら言ったカイルは、警備員に頭を下げた。
「迷惑を掛けてすみませんでした! あの、調べたいことがあるのですが、協力していただけませんか?」
サクとは打って変わり、ちゃんとした姿勢を見せるカイルに、警備員たちは顔を見合わせて仕方なくという風に頷いた。
「だが、探している人間は分からないと思うがね……」
ヤツハに頭を押さえ付けられ、渋々ながら警備員たちに謝ったサクも一緒に、再び役所の中に入っていった。
「またですか?」
受付の女性がサクの姿を見るなり、あからさまに眉をしかめた。 カイルは
「さっきはご迷惑をお掛けしました。 俺たちは、この町にある道場の住所を知りたくてやってきたんです」
「道場?」
サクがカイルに尋ねた。
「ああ。 ラディンは、この町で働きながら道場で訓練をしていると言ってたのを思い出したんだ。 効率は悪いけど、片っ端から当たればそのうち当たるだろうと思ってね」
「さすが! あったま良いな、カイル!」
勢い良く背中を叩かれたカイルは、二、三度咳き込んでしまった。
「道場というと、武道の……ですか?」
受付の女性が言った。 ヤツハとカイルは頷いた。
「はい、この町にある道場の住所を全部、教えていただけませんか?」
カイルの言葉を受けて受付の女性は、横にあった棚から一枚の紙を取り出して見せた。
「これで、全部です」
「えっ?」
その紙を見て、三人は驚いた。 たった一軒しか載っていなかったのだ。
「これだけしか無いのか?」
サクが聞くと、後ろに居た警備員が答えた。
「この町は商社の町なのでな、武道などという汗臭いものを習う者はほとんど居ないのだ」
汗臭い、という言葉に三人は少し気分を害したが、ここで騒ぎを起こしても仕方ないと、強張る表情でお礼を言い、役所を出た。
「んだよ、まるで汚いモノみたいな言い方しやがって!」
道を歩きながら文句を言うサクに、カイルは苦笑し、ヤツハは優しく微笑みかけた。
「でも、サク、少し大人になったんじゃない? えらかったよ!」
「もう子供じゃねーよ!」
サクは照れ臭そうに鼻をこすりながらそっぽを向いた。
カイルは手にしている紙切れを見た。 役所で教えてもらった道場の住所が書かれてある。 ヤツハはその横顔を伺いながら
「もう暗くなってきたし、明日にする?」
と気遣った。 するとカイルはヤツハに向き、首を横に振った。
「いや、一応行ってみよう。 会えなかったらまた明日行けばいいし」
サクは微笑んだ。
「そうだな! 会えるまで何度も行けばいいさ!」
サクは歩き始めた。
「ちょっとサク、どこ行くのよ?」
ヤツハの声に振り返ったサクは、きょとんとした顔で言った。
「道場行くんだろ?」
だがサクの行く方向は、道場とは逆方向だった。 相手にしないといった顔で歩いて行くヤツハとカイル。
「早く言えよ!」
慌てて二人に追いつくサクに
「あんたが我先に突っ走るからでしょ?」
とヤツハが呆れて言った。 隣で笑うカイル。 三人の小突きあいが、すっかり日が暮れた冷たい町の中に響いた。
「ここか……!」
サクたちが立ち止まった先には、小さな一軒家があった。
どこもコンクリートに覆われた町には不釣り合いな木造の建物の門には、これまた板で出来た看板が貼り付けられている。
【タカク道場】
それがこの町に唯一ある武道場の名前だった。
「まだ明かりがついてるな!」
サクたちは、道場の扉をそっと開いた。
「こんにちは!」
ヤツハの声は、気合いの入った吐息でかき消された。
さほど広くない板張りの道場の中には、予想以上の人たちが稽古をしていた。 皆そろって並び、師範の手本に合わせて同じ動きをしている。 手や足を突き出すたびに出す大きな声は、部屋の中を震わせていた。 小さな子供から老人まで、年齢を問わず並ぶ姿は、とてもここが商社の町とは思わせないほど、汗と気合いに満ち溢れたものだった。
三人はその生徒たちの中にラディンの姿を探したが、その中には居ないようだった。 ヤツハはもう一度声を掛けることにした。
「こんにちは!」
ヤツハの声はさっきと同じようにことごとくかき消された。 業を煮やしたサクが
「俺に任せろ!」
と腹に力を入れ、息を吸い込んだ。