衝撃の別れ
その夜、カイルは物音に気付いて目が覚めた。
「?」
隣のベッドで眠るヤツハを起こさないようにそっと起き上がると、部屋を出た。 隣の部屋では、サクとシリウが寝息をたてている。
カイルはそっと家の扉を開くと、周りを見渡した。 すると、月明かりに照らされて、庭に横たわった大木に座る人影が目に写った。
『ラディン?』
ラディンはベンチ代わりの大木に座り、じっと夜空を眺めていた。 カイルは彼に近づいてその横にそっと座ると、同じように夜空を見上げた。
「カイル?」
気付いたラディンは少し驚いたような目をしたが、すぐにふっと笑って再び見上げた。
「綺麗だな」
カイルが静かに言うと、ラディンは後ろに手を付いて微笑んだ。
「こんなにゆっくりと夜空を眺めたのなんて、初めてかもしれねえ」
カイルはちらとラディンを見て俯いた。
「俺は、いつも眺めてた。 そうしている間は、心が解放される気がしていたから……」
「そっか。 こんな宝を知らなかったのが勿体ない気がするよ」
ラディンは笑った。 その瞳には、星が映ったように輝きが灯っていた。 穏やかな表情だった。
カイルは再び見上げると呟いた。
「まだ、迷ってるのか?」
ラディンは黙っていた。 カイルは静かに話し始めた。
「養成学校で……俺はずっと一人でいたんだ。 誰かとつるむ気なんて塵とも思ってなかった。 一人で全て終わらせる気でいたから」
ラディンは黙って聞いていた。
「けど、あいつらと出会って、最初は面倒臭いだけだったけど、そのうちに何ていうか……心が落ち着く感じがし始めたんだ。 旅を始めて、同じ目的を果たすために助け合う。 本当は俺、危険な事に周りを巻き込むのが怖かったんだと思う」
ラディンはいつの間にか、少し後ろからカイルをじっと見つめていた。
「今になって思うんだ。 仲間って、いいなって」
カイルの横顔は、月明かりに照らされて輝いていた。 その頬には、柔らかい笑みさえ浮かんでいた。
「それに、ラディン」
カイルは少し振り向いて、照れたように言った。
「お前に『仲間の事を思うなら』って言われた時、衝撃受けた」
「そう?」
「俺にも、仲間だっていう心があったんだって、気付かされてさ」
ラディンはふっと微笑み、そっと呟いた。
「……あんたってさ……」
「?」
カイルが振り向くと、ラディンはフッと微笑んだ。
「まぁ、どっちでもいいや!」
そして勢いよく立ち上がると両手を挙げて大きく伸びをした。 大きく息を吐くと、両手を腰に当てた。
「やっぱ、俺はまだまだだな!」
「ラディン?」
カイルはラディンの背中を見上げた。
今まできっと苦労を重ねてきた背中だ。 隆起した筋肉が、服の上からでも容易に分かる。 幾多の困難を乗り越えて来たであろう後ろ姿をぼんやりと見ていると、ラディンがため息と共に言葉を吐き出した。
「俺は、やっぱりあんたたちとは行けない」
「えっ! ここに残るってことか?」
カイルは振り向かない背中に尋ねた。 ラディンは首を横に振った。
「いや……俺はここに残ることもしない」
「! じゃあ……?」
カイルは思わず立ち上がった。
「どこに行くつもりなんだよ?」
その言葉は、放浪の身であるラディンには厳しい問いかけだった。 ラディンは空を見上げた。
「さあ……わかんねえ……けど……」
ラディンはゆっくりと振り返った。
「必ずまた会えるさ」
「ラディン……?」
ラディンのまっすぐな視線を受けて、カイルは何故か胸がざわついた。 ラディンはそれを見透かしたように微笑んだ。
「俺は、男でも女でもどっちでもいいと思ってる。 今は、シリウがあんたを好きな気持ちが理解できる」
「? 何言って……」
カイルの言葉は、ラディンに遮られた。 ラディンの唇に、カイルのソレが優しく包まれていた。
「! っ?」
カイルは弾かれるように後退りをした。
「なっ! 何っ!」
ラディンは真っ赤になって唇を拭うカイルを、頭を掻きながら苦笑して見つめた。
「! ごめん、つい」
「つつっ! ついって! お前っ!」
泡を食って涙目になって言うカイルに、ラディンは優しく言った。
「俺、もっと強くなるよ。 そして、あんたを迎えに行くから」
「え? なんだって?」
カイルは動揺し、ラディンの言葉が全く頭に入らなかった。 ラディンはゆっくりと後退りをした。
「じゃあな」
カイルはやっと、うっすらとした理解が出来た。
「ラディン!」
彼はシーッと口の前に人差し指を立ててウインクした。
「皆によろしく言っておいてくれよ!」
「ラディっ……!」
思わずラディンの裾をつかもうとしたカイルの手は、宙を待っていた。 彼の姿は、夜の闇と共に消えてしまっていた。
「……ラディン……勝手な奴……」
カイルは唇にそっと触れた。 ほんの何秒かの間、感じた感触は、カイルの胸を熱くしていた。 カイルにとっては、初めての体験だった。
今にもこぼれ落ちそうな満天の星空が、ずっと立ち尽くすカイルを見下ろしていた。
「ラディンが居ねえ!」
サクの大声で、カイルは目が覚めた。
隣で眠っていたヤツハはすでに起きてベッドには居ない。 カイルは横になったまま、綺麗に畳まれた毛布をぼんやり見つめていた。
昨夜の事は夢だったような気がしていたが、再び響き渡るサクの声に、強引なほどに現実に引き戻された。
「ラディーンー! どぉこだぁー?」
ゴチン!という、ヤツハかパンナが食らわせたであろうゲンコツの音に、サクの気配が一瞬小さくなった。
いつもの賑やかな朝だ。
賑やかな……ただ違うのは、ラディンがもう居ない事だった。 ソレを知っているのは、まだカイルだけだ。 カイルはゆっくり起き上がり、軽い頭痛を感じて左手で顔を覆った。 小さくため息を吐くと、意を決して部屋を出た。
すると、ヤツハがディックと共に必死な顔をして駆け寄ってきた。
「カイル! ラディンがどこにもいないの! ディックにも探してもらってるんだけど、気配さえ無いみたいで……」
あちこち探し回ったのだろう、息が上がっている。
「外も探しましたが、どこにも居ません!」
シリウが窓から中を覗きながら言った。
「荷物も無いみたいなんだ!」
サクはキョロキョロしながらラディンを探している。 カイルは静かに息を吸った。
「ラディンは旅に出たよ」
「えっ?」
驚いたヤツハがカイルを見つめた。 サクとシリウも動きが止まり、カイルを凝視している。
「今、なんて言った?」
「ラディンは、旅に出たんだ。 ここにはもう居ない」
「なんでだよ?」
サクがカイルの胸ぐらをつかんだ。
「オレたち仲間じゃなかったのかよ? なんで何も言わずに別れなきゃなんないんだよ? おかしいだろ!」
「サク!」
シリウが慌てて窓枠を飛び越えて部屋の中に入り、サクの肩を引いた。
「カイルを責めても仕方ないでしょう? ラディンは、カイルにそれを伝えたんですね?」
カイルは俯いて答えた。
「ああ。『皆によろしく言っておいてくれ』と」
「なんだよそれっ!」
サクがシリウの制止も振り払うほど、カイルに突っ掛かった。 カイルはなすがままに揺らされ、シリウとヤツハはサクをカイルから引き離すことが精一杯だった。 やっとのことで引き離し、シリウの腕に阻まれたサクは、息を荒げて言った。
「なんで引き止めなかったんだ?」
カイルはハッと顔を上げた。 だがすぐに視線を落とし、眉を寄せた。
「きっと、二人は似てるから……」
ヤツハが静かに言った。
「カイルもラディンも、ずっと一人で生きてきた。 何か通じるものがあったのよ、きっと……ね?」
優しく尋ねるヤツハに、カイルは切ない顔を見せた。
「皆ごめん。 その代わり、必ずまた会うと約束してくれた」
「ラディンのことだもの! またひょっこり顔を出すわよ!」
わざと元気な声を出して、ヤツハはサクとカイルの顔を覗いた。
「……分かった」
ふてくされたように呟くサクの肩を掴んでいたシリウの手から、安心したように力が抜けた。
「ふう……ラディンはきっと大丈夫です。 今まで強く生きていたんですから。 それに僕たちはまだ、やることがあります。 気持ちを切り替えましょう!」
シリウはサクの肩を叩いてキッチンへと向かった。 ヤツハも踵を返して後を追った。 まだ立ち尽くすカイルに、サクがそっと言った。
「いきなり手を出して悪かったな。 オレもビックリしてさ」
少し頬を赤らめてモジモジしながら言うサクに、カイルはフッと微笑んだ。
「いや……本当なら、あいつも皆に一言残すべきだったんだ。 でも、強く言えなかった……」
サクはカイルの肩をポンと叩いて笑った。
「また、忘れた頃に現れるさ! 今までだってそうだったもんなっ!」
サクは吹っ切るように伸びをすると
「あー! 腹減ったぁ~!」
とキッチンへと向かった。 その後ろ姿を見ながら、カイルは一安心したように息をついた。 そして、気持ちを振り切るように皆の後を追った。