しばしの静かな時……
サクとラディンがサツフゥル村に着いたころには、夜が明け始めていた。
戦闘の時にラディンが負った傷が思ったより深く、それに疲労も重なって、移動に時間が掛かったのだ。 昇り始めている太陽にうっすらと照らされながら二人がやっとのことで村に近づくと、村の入り口に人影が見えた。
「?」
眩しさにしばたかせながら目を凝らすと、その人影も二人に気付いたように走ってきた。
「サク! ラディン!」
駆け寄ってきたのはヤツハだった。
「ヤツハ! ちゃんと留守ば……んがっ!」
いきなりサクの顎にヤツハの膝が入った。
「何やってんのよ! カイルもザクラスさんも大ケガだし、あんたたちはなかなか帰って来ないしっ! 心配したんだからねっ!」
息まくヤツハに呆然となるラディンの前で、吹っ飛ばされたサクは涙目で
「仕方ねえだろ? 色々大変だったんだ!」
と強気な表情をした。 ラディンもサクの傍に寄り添い
「俺が思ったより深手で、戻るのに時間が掛かっただけなんだ。 心配かけて悪かった」
とヤツハに弁解した。 するとヤツハは、サクとラディンの間に寄りかかるようにその肩を抱き締めた。
「でも良かった! 無事で!」
その瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。 サクとラディンは驚いた顔をしたが、すぐに顔を見合わせて微笑んだ。
「さ、皆待ってる!」
ヤツハが二人を立たせて先導しようとすると、ラディンの足が止まった。
「ラディン?」
「俺は……」
視線を落として躊躇するラディンに、サクが微笑んだ。
「何やってんだよ? 行くぞ!」
「でも俺、お前らの借りを返しただけで--」
「オレたち、仲間だろ!」
ラディンの言葉を遮って、サクは言った。
「借りとか貸しとか、もう無いんだよ! あー腹減った! 早く行こうぜ!」
「サク……」
驚いた顔をしたラディンに、ヤツハも微笑んだ。
「たくさん料理を作って待ってたのよ! パンナさんの手料理は、すごく美味しいんだから!」
ヤツハに手を引かれ、ラディンは歩き始めた。
「あ、料理の前に、パンナさんのげんこつが先だと思うけどね」
いたずらっぽく笑うヤツハに、サクは慌てて頭を抱えた。
「パンナ……って?」
ラディンの問いに、サクが苦い顔をして答えた。
「オレの母ちゃん……」
数刻後……
たくさんの料理が並んだテーブルの前に、大きなたんこぶをこしらえたサクとラディンが並んで座っていた。
「さああんたたち、たくさん食べておくれよ!」
パンナが満面の笑みで言った。
彼女は帰ってきた二人の顔を見るなり
「あんたたちはっ! 心配ばっかりさせて!」
と大きな拳で鉄拳を与えたが、すぐに二人を抱き締めて無事を喜んだ。
『なんで俺まで……』
たんこぶをさすりながらふてくされるラディンの横で、サクは何事もなかったかのように料理を口に運んでいる。
「あんたの話はヤツハに聞いたよ! 色々助けてくれたそうじゃないか! あたしからも礼を言うよ! ありがとう!」
パンナはラディンにそう言って、部屋に響くほど明るく大きな声で笑った。
「で、でも俺、最初は敵で……」
恐縮するラディンに、パンナは笑い飛ばした。
「昔のことなんていいんだよ! さ、早く食べないと、サクに全部食われちまうよ!」
「え? ……ふっ!」
ラディンは横で両頬いっぱいに頬張るサクを見て、思わず吹き出した。
「どうしたの、ラディン?」
ヤツハが不思議そうに聞くと
「さっきまで命懸けで戦ってきた奴の顔じゃないなって」
とラディンが答えた。 ヤツハは首をかしげて笑った。
「サクはそういう人よ。 いつだって緊張感がまるで無いの」
「んだよ! オレだって緊張感くらい――」
口から食物を飛ばしながら話すサクに、またパンナのげんこつが飛んだ。
「行儀の悪いことをするんじゃないよ! 全くこの子は! ちゃんとしたしつけもしてくれるって言うから兵士養成学校へ行かせたのに、全然変わってないじゃないか!」
パンナは顔をしかめた。 サクは叩かれた頭をさすりながら、それでも料理を口に運んでいる。 と、ラディンを見ると
「あれ、ラディン食わないのか? 美味いぞ、これ!」
そう言って、目の前の大皿から骨付きのモモ肉を取り、手渡した。 ラディンは終始押され気味にいたが、すぐに微笑むと、サクと同じように料理にかぶりついた。 疲れきった体に染みこむような良質のたんぱく質の旨みが口中に広がった。
「う、美味い!」
脂を口の周りに付けたまま驚いて言うラディンに、サクは笑った。
「なっ!」
「たくさんあるから、遠慮なく食べな!」
パンナも嬉しそうに微笑み、ラディンは大きく頷いて、サクと競争するように空いた腹を満たしていった。
「……ん」
静かな部屋のなか、カイルは目覚めた。
頭がぼんやりしたまま、周りを目だけで確認しようとすると、目の前に人影が現れた。
「カイル、目を覚ましたのですね?」
カイルの左側に、シリウが座っていた。 心配そうな顔で覗き込んでいる。 気付くと、シリウはカイルの手を握り締めていた。 汗ばんだ温もりが、カイルの左手を包んでいた。
「……シリウ……俺は……?」
カイルは自分がどうしてここにいるかを思い出すのに、しばらくの時間を要した。
「ガンクを倒して……それから……はっ!」
カイルは慌てて起き上がろうとしたが、シリウに両肩を優しく押さえられた。
「まだ、寝ていてください。 大丈夫。 もう終わりましたから」
シリウは落ち着かせるように優しく微笑んだ。
「ザクラスさんは?」
再び寝かされながらカイルが聞くと、シリウは頷いて言った。
「命に別状はありません。 今、隣の部屋で寝ています。 ここはサツフゥル村の医者の家です。 あなたは、ラディンに連れられてここに来たようです」
シリウのゆっくりした説明に、カイルは力なくベッドに沈んだ。
「そうか……俺は何も出来なかったんだな……」
シリウは首を横に振った。
「いいえ。 そんなことありませんよ。 あなたは、僕たちを先へ行かせてくれたじゃないですか。 もう少し遅かったら、間に合わなくなるところでした。 でも……」
シリウは口調を落として眉をしかめた。
「あなたにこんな怪我をさせてしまった……僕の方こそ、申し訳なくて……」
カイルの右腕には、肩から指先まで包帯が巻かれ、体の至るところにあざが出来、顔はまだ少し腫れていた。 シリウはカイルの頬を優しく撫でた。
「ヤツハにも、バレてしまったみたいですね?」
「ああ……そのことなら、出かける少し前にもう。 それに、パンナさんにも」
「そうだったんですか。 ヤツハが一人であなたの看病をしてくれていたみたいですよ。 皆にバレないようにって」
「ヤツハに礼を言わなきゃ……」
カイルは苦笑した。 シリウは優しく微笑み
「本当に、心配しましたよ」
と言いながら、少しその瞳には涙が滲んでいた。
「シリウ……」
「良かった。 目を覚ましてくれて……」
カイルはその言葉に胸が熱くなった。
「ありがとう」
シリウはフッと笑うと微笑み、カイルにゆっくりと近づいた。