新しいお母さん
「な、何ですか?」
いきなり見つめられて戸惑うカイルに、パンナは少し強い口調で言った。
「あんた!」
「? 俺?」
たじろぐカイルに、パンナは少し睨みながらパンパンに膨れた頬をした顔を近付けた。
「パンナおばさん? カイルが、どうかしたの?」
ヤツハがパンナの大きな肩口から覗くように言うと、パンナは目線をカイルに定めたまま言った。
「ヤツハも気付いてるんだろう?」
「あたし?」
「カイル、あんた、そのまま隠し続けるつもりなのかい?」
大きな丸い目で見つめられ、カイルは言葉を失った。 パンナはもう睨んではいない。 優しく深い瞳に吸い込まれそうになった。
「あたしは、あんたに何があったのか、あれこれ聞くつもりはないよ。 ただ、自分を押し殺すのはしちゃいけない。 いずれ、自分が壊れる日が来るよ」
カイルは視線を外せないでいた。 得体の知れない不安感に襲われ、何か言わなくてはと思いながらも、何の言葉も出てこない。 カイルは、かろうじてかすれた声を出した。
「俺……は……」
「『俺』じゃないだろ?」
眉をしかめ、息を吐いて呆れたように肩をすぼめたパンナの後ろから、ヤツハがそっと口を挟んだ。
「カイル、もしかして本当は、女の子なんじゃない?」
「えっ!」
カイルは飛び上がるように立ち上がると、窓辺へと後ずさりをした。
「な……なんで……?」
二人に見つめられ、立ち尽くすカイル。 ヤツハは優しく微笑んだ。
「なんとなく。 一番最初に握手した時、『あ、これ、男の子の手じゃないな』って思ったの。 シリウとの事は、最初は誤解しちゃったけど、そのうち、もしかしてって」
「あ……ああ……」
カイルは俯いた。
そう言えば、初めてヤツハと握手した時、彼女の反応が少しおかしかったのを思い出した。 だがすぐになんでもないように振る舞い、接してきたので、いつの間にか忘れてしまっていたのだ。
「もしかして、シリウももう知ってるんじゃない?」
ヤツハの優しい問いに、カイルは小さく頷いた。
「辛かったろ?」
「!」
カイルは思いがけない言葉に、思わずパンナの顔を見た。そこには、すべてを包み込んでくれそうな笑顔があった。
懐かしい……。
カイルがずっと閉ざしてきた心に蘇る、過去の温もり。
全てが楽しくて希望に満ちていて、温かかった日々。 ふざけあえるオッカやカゲがいた。 そして、厳しくも優しく見守ってくれていたマチの笑顔が、いつもそこにあった。
パンナはヤツハの肩を抱き、カイルを見つめながら言った。
「あんたたちは、強くなりすぎた。 どんなに強くても、所詮は女だ。 時には弱音を見せなきゃ、息が詰まっちまうよ? なんといっても、あんたたちには、素敵な仲間がいるじゃないか!」
「!」
「……っ」
途端に、カイルとヤツハは息が詰まった。 そして、今まで押さえてきたものが一気に溢れだした。
パンナは立ち尽くしたまま声もなく涙を流すカイルを自分の脇に座らせ、ヤツハとカイルの肩を引き寄せて抱き締めた。 二人共が大粒の涙を流しながら、パンナの温もりの中で、開放された喜びを噛み締めていた。
「いつでも帰っておいで。 あたしが、あんたたちの母親になってやるからさ」
パンナは二人の頭をポンポンと優しく叩きながら、優しい笑みで、泣きじゃくる二人をただ黙って抱き締めていた。
しばらくして、緩やかにろうそくの灯りが部屋を灯すなか、ヤツハとカイルは落ち着きを取り戻した。 そして顔を見合わせると、お互いに照れ笑いをした。
「もう、これで、隠し事は無しよ!」
からかうように言うヤツハに、カイルは
「サクにも言わなきゃね」
と苦笑した。すると
「ああ、あの子には言わなくていいよ!」
と年配の女性特有の、手振りをしながらパンナが言った。
「面白そうだから、しばらくは黙ってなよ。 その代わり、真相が分かった時、あの子がどんな反応したか、教えてよ!」
片目をつぶって微笑むパンナに、二人は笑った。
「そうね、サクのことだから、すごくびっくりしそうだわ! 思い込みの激しい子だから!」
ヤツハも楽しそうな口調で話し、カイルも含み笑いをしながら頷いた。
月明かりがぼんやりと照らす道を三人が並んでサクの家へ歩きながら、カイルが呟くように言った。
「俺の本当の名前、『カミィル』って言うんだ」
ヤツハは目を輝かせた。
「素敵な名前! 勿体ないわよ! シリウは名前ももう、知ってるの?」
カイルは頷いた。
「名前も、どうしてガラオルを追っているのかも。 シリウには、何も隠せなかった」
「あんたまさか、親の仇を打とうとでも思ってるんじゃないかい?」
パンナは強い口調で言った。
「あたしは反対だよ! かたき討ちなんて古くさい! それに、自分の娘が怪我をするなんて、考えただけでも寒気がするよ! 全く! バカなことを考えるんじゃないよ!」
そして、その丸っこい手を握ると、容赦なくカイルの頭を叩いた。
「っ! 痛いよ!」
眉を寄せて頭を押さえるカイル。 だが、内心は嬉しさを感じていた。 マチにもよく悪さをして怒鳴られ、叩かれたものだ。
「パンナおばさん、あたしたち仲間だもん! きっと良い方法を見つけて、願いは叶えてみせる!」
ヤツハが拳を握って微笑んだ。 パンナは困った顔をして、ため息をついた。
「カイル、行こう!」
ヤツハはカイルの腕を取ると、まるで恋人同士のように寄り添ってパンナの先を歩いた。
「こら、お前たち!」
困惑した口調のパンナには振り向かず、二人は笑いながら歩いていく。
「じゃ、シリウはあなたに譲るわ!」
笑うヤツハに、カイルは顔を赤らめた。
「そ、そんなんじゃないって! それに、ヤツハだってシリウの事、好きだったんじゃないのか?」
するとヤツハは少し頬を赤らめた。
「そりゃあ、確かにシリウはカッコいいし、頭もいいし、申し分ない人よ。 でも、一番安心して傍に居られるのはサクだけ……」
「ヤツハ……?」
「言いたいことも、サクなら何故かラクに言えるしね!」
ヤツハは照れ臭そうに笑い、急ぎ足になった。
「そうか、ヤツハは最初からサクの傍にいたいから……」
「もういいからっ!」
カイルは照れるヤツハに引っ張られるように歩いた。 パンナは、その後ろ姿を見守るように微笑みながら歩き、呟いた。
「手の掛かる娘が増えたね」
月明かりが、煌々と辺りを照らしている。 気持ちの良い夜道だった。 カイルとヤツハの心も、まるで霧が晴れたようにすっきりしていた。
やがてサクの家に近づくと、その辺りが何やら騒がしい様子が見えた。
「何だろう?」
カイルとヤツハは胸騒ぎがして、思わず走りだした。 家の前に人だかりが出来、村人たちの手には松明が握られている。
「どうかしたんですか?」
ヤツハが息せき切って声をかけると、村人たちの中からシリウが現れた。
「カイル、ヤツハ! 一体どこに行ってたんですか? パンナさんまで居なくなってるんです!」
珍しく慌てた様子で二人に駆け寄るシリウからは、切羽詰まった雰囲気が感じられた。 カイルは後ろから巨体を揺らして走ってくるパンナを指差した。
「パンナさんはあそこに……一体何があったんだ?」
シリウは、近づいてくるパンナを見つめながら固い表情をした。
「「?」」
カイルとヤツハは不思議そうに顔を見合わせた。