カイルを探して三千里
屋上の扉を開くと、眩しい光がサクの視界を塞いだ。
「カイル~! いるかー?」
早速名前を呼びながら辺りを見回したが、返事はなかった。 人の気配も無く、静かな空間が広がっていた。
「んだよ、ここにもいねぇのか?」
残念そうに呟きながら戻ろうとしたサクが、驚いて足を止めた。
「ナトゥ!」
サクの目の前に、さっきカイルの居場所を教えてくれたナトゥがにやけながら立ちはだかっていたのだ。 その脇から、これみよがしにと二人の子分も顔を出した。 サクは一歩下がり、睨んだ。
「お前、嘘言っただろ!」
「ココなら誰にも邪魔されねえからな!」
そう言いながらパキパキと指を鳴らした。 嬉しそうに顔をにやけさせている。
「そういう事かよ!」
じゃあしょうがない、といった風にサクも構えた。
「こいっ!」
サクの声に、ナトゥはイヤらしく頷いた。
「そうこなきゃな!」
ぶんっと風が唸ったと思うと、ナトゥの巨体がサクに向かって突進してきた。 サクはそれを軽々と交わすと、その後頭部に蹴りを入れた。
「っ! のやろうっ!」
ナトゥはよろめきながらも足を踏張り、振り向いた。 そして顔面に迫るサクの足を丸太のような両腕でガードし、払った。
「っ!」
サクは回転しながら着地すると、ペロッと唇を舐めて笑った。
「まだまだだぜ!」
足元に力を込め、ナトゥへと飛び出すサク。 だがその体はナトゥへは届かず、硬い床に容赦なく叩きつけられた。
「! んなんだっ?」
しこたま鼻っつらを叩き付けたサクは、顔をしかめて足元を見た。 その両足には、いつのまにか鎖ガマが巻き付いていた。 重い金属音が床を這う。
「お前ら卑怯だぞ!」
上半身だけ起き上がり睨み付けるサクの視線の先には、にやけながら見下ろす子分たちが立っていた。
「よそ見するな! これは戦いだぞ?」
ナトゥの声がしたかと思うと、サクの脳が揺れた。 後ろから襲ったナトゥの腕が、サクの側頭部を直撃したのだ。
「!」
視界が白くなり、体中に痺れが走った。
『やべぇ……』
そう思ったとき、目の前を人影が横切った。 その後には子分たちが次々に倒れ、次にナトゥのうめき声がサクの耳に届いた。
「昼寝の邪魔をするな」
その声は、サクが聞いたことのないものだった。
『誰……だ……?』
振り向くこともできず、サクはその場に崩れた。
サクが次に目を覚ましたとき、その体はベッドに寝かされていた。
『医務……室?』
ぼんやりする頭で見慣れた天井を見つめていると、仕切られているカーテンが開いた。
「目が覚めたかい? ったく……どうせ喧嘩するなら勝って来な!」
ミランが憎まれ口を叩きながら近づき、煙草を吹かしながら腰に手をあてて呆れたように見下ろした。
「そうだ! オレ、ナトゥと喧嘩してたんだ!」
あわてて起き上がったサクの頭を激痛が走った。
「! っ痛ぅ!」
「まだ動かさないほうがいい。 脳震盪を起こしてたからね」
ミランがサクの額から落ちた氷袋を拾いながら言った。
「三人相手にしていたらしいじゃないか。 一人じゃ無理だと思ったら、潔く逃げるのも戦いだよ!」
眼鏡の奥から冷たい目で見下ろし、氷袋をサクの額に落とした。 ひんやりとした感触と共に、氷の塊がサクの頭を直撃した。 それを軽く押さえながら、サクは天井を睨んだ。
「次は負けねぇ!」
「またそんなことを言って!」
ミランは脳震盪を起こしたばかりのサクの頭に容赦なくゲンコツを落とした。
「そういや、あいつらは?」
叩かれた頭をさすりながらサクが尋ねた時、扉が開いてシリウが現れた。
「シリウ! お前が助けてくれたのか?」
「いいえ。 今カイルに、あなたがココで寝てるからって言われたから来たところです。 またナトゥと喧嘩したんですね?」
シリウは眉をひそめて首をかしげ、眼鏡を上げながらため息をついた。 サクは呟いた。
「カイル?」
「そう。 カイルがお前を担いで、ナトゥは子分に担がれて、仲良く医務室へ入ってきた」
ミランも呆れた風に煙草をふかしている。
「じゃあ、ナトゥは!」
サクはあわてて周りを見渡したが、周りのベッドは空だ。 すぐに眩暈を起こしてこめかみを押さえた。
「さっき出ていったよ。 あんたみたいに減らず口をたたきながらね」
ミランは面倒くさそうに言うと、もう寝な、とサクをベッドに押しつけるように寝かしつけた。 こうでもしないと、サクはまた飛び出して行ってしまう。 サクはまだクラクラする頭を冷やしながら、天井を見つめた。
『カイルが……?』
そう言えば薄れゆく意識の中で、カイルは三人をいとも簡単に倒していた。
『あいつ……絶対仲間にするんだ……』
何故そう思ったのか、サク自身にも分からない。 だが、一緒に居たらなんだか楽しそうだということを直感で感じていた。 サクは再び気を失うように眠りについた。
夜の屋上は、昼間のぬくもりを忘れたかのようにひんやりとした空気に包まれていた。 虫の鳴く音が遠くに聞こえる。 カイルはいつものように鉄製のハシゴに座り、うずくまるようにして微動だにしない。 時折吹く緩い風が、鼻先まで伸びる藍色の前髪を揺らす。
「こんなとこに居たのかぁ!」
静寂は一瞬で壊された。 その元気な声の正体は、昼間からカイルをずっと捜し続けていたサクだった。 カイルは驚いた様子もなくゆっくりと目を開けると、サクを見上げた。 長めの前髪から覗く黒目が月の光を反射して煌めいている。 どこか、涙を湛えているように揺れていた。
『泣いていた……?』
サクの後ろについてきたシリウがそう感じたが、言わないことにした。 カイルは無言でサクを見つめている。 サクがにっと微笑んでカイルの前にしゃがみこんだ。
「昼間はありがとな。 お前が居なかったら、オレ、ぼこぼこにされるとこだったぜ」
カイルは答えずに目を背けたが、サクはかまわずに続けた。
「カイル、オレたちと仲間になろう!」
楽しそうに微笑み続けているサクを再び見て、カイルは吐き捨てるように言った。
「俺は誰ともつるむ気はない」
そう言って立ち上がり
「昼寝の邪魔をされたから手を出しただけだ。 勘違いするな」
と、逃げるように立ち去ろうとした。
「カイル! オレはあきらめねぇからな!」
サクはその背中に声を投げたが、振り向きもせず、カイルは屋上の扉を開けて去っていった。
「オレは絶対あきらめねぇ!」
独り言のように言うその顔は、とても楽しそうな表情をしていた。 シリウは、しばらく様子を見ることにした。
それから毎日のように、サクはカイルの前に現れた。 木の枝から降りてきたり、屋上で待ち伏せをしたり、武道場で待ち伏せしたりと、手を変え品を変えては何度も声をかけたが、カイルの答えは変わらない。
「しつこく来ても無駄だ。 俺の気持ちは変わらない」
「いや、お前はオレの仲間になるんだ!」
その自信はどこから来るのか……サクははっきりと言い切る。
「何故俺を?」
あまりのしつこさにため息をつきながら、カイルは静かに聞いた。
「お前、いい奴だから!」
にっと笑うサクから、カイルは焦ったように目を背けた。
「そんなこと、お前に分かるか!」
「分かるよ!」
「一度助けただけで、勘違いにも程がある!」
呆れたように言うカイルに、サクは手を振った。
「違う違う。 カイルの目が、そう言ってんだ」
「?」
「それでいいじゃん!」
サクは微笑んだ。 カイルは冷たい視線を送って踵を返すと、その場を離れようとした。
「カイル!」
「勝手に人をいい人呼ばわりするな!」
立ち止まったカイルは振り返らずに冷たくそう言って、立ち去ってしまった。
「オレは絶対あきらめねぇからな!」
ぷうっと頬を膨らませて見せたが、カイルに届くことはなかった。