命が生きる村
その夜は、サクたち四人も交えて、新しい生命の誕生を祝った。
分厚い布に守られて優しく抱かれている赤ん坊は、ゆっくりした寝息を立てて眠っている。 皆代わる代わるに顔を覗き、サクも驚かさないように静かに覗きこんだ。
「うわぁ……ちっせえな」
小さい手が、時々ピクピクと動く。 はち切れそうな頬がかすかに桃色がかっている。 食い入るように見つめていると、不意に赤ん坊は目を覚ました。 突然泣き始めた赤ん坊に、サクも驚いて後ずさりした。
「サク! 何やってんのよ?」
ヤツハに頭を叩かれ
「オレ、何もしてないよな?」
と呟きながらすごすごと離れるサク。
「可愛い寝顔でしたね」
シリウが、部屋の片隅に座って窓の外を見ていたカイルに話し掛けた。 だがカイルは彼に目もくれず
「そうだな」
とそっけない返事をしただけだった。
「?」
シリウが不思議に思っていると、村長シカワが近づいてきた。
「あなた方が訪れたことと、新しい生命が産まれたことは、何か関係があるのじゃろうか? 本当に今日はめでたい日だ。 ありがとう」
笑顔で言うシカワに、シリウは驚いて両手を振った。
「いえ、僕たちは何もしていません。 むしろ、お邪魔をしてしまったようです」
苦笑いをするシリウに、シカワは笑った。
「いやいや。 何もなかったこの村に、二つの出来事が起きた。 それだけでも、皆の気持ちは変わったはずじゃ。 このところずっと、畑とココの往復の繰り返し。 皆の心も落ち込んできていた所じゃったからの」
テーブルの上には最初からわずかな食料しか載っていないのに、村人たちは和気あいあいと語り合い、喜びを分かち合っている。 その中に、何故かサクの姿もあった。 違和感もなく、村人たちの中に入って何やら語り合っている。
「明らかに、今日を境に村は救われた気がするんじゃ」
シカワは、村人たちの様子を嬉しそうに見つめていた。
「でも、まだこの状況は解決していません」
シリウは痩せた畑を思い出していた。 シカワは顔をしかめて頷いた。
「ほんの三年前じゃ……川の水が止まってしまった。 この村は、アルコドから流れてくる川が生活を支えてくれていた。 じゃが、日に日にその勢いが弱くなり、とうとう三年前にまったく流れてこなくなった」
「アルコドに何があったのでしょうか?」
「あの国には大きな城があって、その中心には泉があるんじゃ。 そこから湧き出る水が集まって、川となり、アルコドだけでなく周りの町や村を潤しておる。 その泉が、枯れてしまったという話じゃ」
「泉が枯れた?」
カイルもシカワの話に聞き入っている。
「泉は、人々の生活を潤すだけでなく、土地の浄化もする。 それが止まってしまったことで、土にたまった汚染物が悪さをしはじめているんじゃ。 アルコドは規模は小さいながらも、ちゃんとした王国。 民の生活もままならないと、シーノ王も頭を抱えておることじゃろう…… 悪いお人では無いんじゃ。 きっと心を痛めて、今も出来る限りの努力をしているハズじゃ……」
「僕たちも急がなくてはいけませんね」
神妙な面持ちで言うシリウと目が合ったカイルは、すぐに目を逸らせた。 それにはさすがに気に障ったシリウ。
「カイル? 一体何――」
「シリウー、カイルー! ちょっと来てみろよっ!」
サクの声がそれを制した。 カイルは素早く立ち上がると、サクのもとへ向かった。
「何なんですか? 今日のカイルはおかしいですね……」
どこかよそよそしいカイルの態度に理由がわからず、シリウは苛立ちを感じていた。 いつも冷静な彼には珍しいことだ。 それでも遅れを取って、シリウもサクの所へ向かった。
「これ、見てみろよ!」
サクに嬉しそうに差し出された一枚の紙。 そこには、一羽の鳥が描かれていた。
赤い空にオレンジ色の羽根を広げ、長い首をくねらせて飛ぶ鳥。
「これは?」
シリウはサクに尋ねた。 するとサクは満面の笑顔で答えた。
「ヴァンドル・バードだよ!」
「ヴァンドル・バード……」
カイルが呟いた。 サクがずっと追い求めている伝説の鳥。 語り継がれるだけで、誰も見た者はいなかった。
「ラーニャが見たっていうんだ!」
サクに肩を抱かれて紹介されたラーニャという少女は、黒く大きな目をしばたかせてシリウとカイルを見た。 背中までの黒髪を二つの三つ編みに束ね、まだ六歳だが、しっかりした雰囲気が見てとれる。
「お兄ちゃんたちも、信じてくれる?」
あまりにまっすぐに見つめるので、シリウとカイルは最初少し怖気づいてしまったが、すぐに彼女の真剣な思いを感じ取った。
「ラーニャは、ヴァンドル・バードを見たんですね?」
膝を曲げ、視線をラーニャに合わせて微笑みながら尋ねるシリウに、ラーニャは大きく頷いた。
「朝早くにね、突然外が明るくなって、急いで起きて外を見たら、東の空から飛んできたの!」
懸命に説明するラーニャを、近くにいた村人が鼻で笑った。
「ふん! そんなの夢だって言ってんのに、まだ言ってるのか」
「本当だもん! 本当に見たんだもん!」
ラーニャは顔を赤らめて言うが、誰も相手にしない。 皆、まだ子供だし、夢を見たのだろうと思っているのだ。 今までずっと、一人で言い張ってきたのだろう。 自分で描いた絵を掲げながら。
「ヴァンドル・バードはいるよ!」
サクがそんな空気を切り裂いた。
「オレは見たことないけど、絶対ヴァンドル・バードはいるんだ! オレはいつかきっと、ヴァンドル・バードに自分の夢を叶えてもらうんだ!」
一瞬、部屋の空気が止まった。 だがすぐに、村人たちの笑い声で揺れ始めた。 その中で、サクとラーニャは真っ赤な顔で必死に説得している。
「どちらも譲りませんね……」
どちらが幼いのか、とシリウが呆れた顔で言うと、シカワがその様子を見ながら苦笑いで言った。
「皆自分の信じるものしか信じない。 大人たちは、今この生活だけをこなしていくのに必死なんじゃよ。 夢を見る余裕も無くなってしまった……」
シリウは、そうですか……と眉をひそめた。
こうしている間も、日々一刻と事態は悪くなっているのだろう。 笑う村人の中で必死に説明しているサクとラーニャ。 ラクラに付いて看病を続けているヤツハ。 少し離れてじっと窓の外を静観しているカイル。 何か情報を得ようと村の人たちと話すシリウ。 四人はそれぞれの夜を過ごした。
夜明けと共に村人たちは起き上がり、それぞれに道具を持って畑へと赴いていく。 それは、いつもと何一つ変わらないモリノス村の日常。 サクが大口を開けて眠っている横で同じように寝ていたラーニャも起き上がり、サクを起こさないように部屋を出た。
「ラーニャ」
そっと呼び止めたのは、カイルだった。 部屋を出た所の廊下は、昇り始めた陽の光を浴びて明るくなりかけていた。
「おはよう、お兄ちゃん! 随分早起きなんだね。 サク兄ちゃんなんて、まだいびきかいて寝てるよ」
寝起きが良いのか、キシシと笑う口元に白い歯がまぶしい。 カイルはしゃがんで目線をラーニャに合わせ、微笑んだ。
「ラーニャ、ヴァンドル・バードは、いるよね?」
ラーニャは、少し驚いた顔をしたがすぐにニッコリと笑った。
「いるよ。この目で見たんだ!」
輝く瞳でそう言うラーニャをカイルは優しく抱き締めた。
「お兄……ちゃん?」
その意味もわからずにいるラーニャに、カイルは呟いた。
「俺も信じよう」
そして体を離すと、ラーニャをまっすぐに見つめた。
「俺たちは必ずこの村を救う! だから、夢をあきらめないで。 ラーニャは、自分を信じればいいんだよ。 周りの大人が何を言っても!」
ラーニャはじっとカイルを見つめ、そして大きく頷いた。
「お兄ちゃんの事、信じてる! 絶対村を救って!」
カイルは微笑んだ。
小さな体には大きすぎるほどの鍬を持ち、走っていく背中を見送るカイルに、いつの間にか隣にいたシリウが言った。
「あの子の瞳だけは、曇らせたくありませんね」
「……ああ」
カイルは相変わらず彼の顔を見ずに部屋へと足を進めた。
そして大いびきをかいているサクを起こすと、自分の荷物を担いだ。
その頃、ヤツハもラクラに別れの言葉を伝えていた。
「必ずこの村は元通りになるわ。 だから、あきらめないで!」
布団の上で横たわっているラクラの手を握り、ヤツハは優しく微笑んだ。 ラクラは頷いてその手を握り返した。 栄養不足の状態で出産したラクラの身体は、疲労が溜まっていた。 しばらく安静にしていれば、やがて体力も取り戻すのだろうが、この村にはまだ、充分な栄養源が無かった。 それを取り戻す為にも、ヤツハたちはアルコドへ向かわなくてはならない。
「ヤツハさん、本当にありがとう。 この子は立派に育てます! そしてまた、ここに訪れてください」
ヤツハは頷いて改めて言葉を掛けると、部屋を出た。