なだらかな畑の真ん中で
「何やってんだ?」
突然、顔中を土だらけにしたサクが、ヤツハの目の前に現れた。
「わっ!」
驚いたヤツハは、思わずサクの頬を殴ってしまった。
「いってえなぁ!」
頬をさするサクに、ヤツハは頬を赤くして膨れっ面で言った。
「あんたがいきなり目の前に現れるからでしょうが!」
「んで、何をやってんだ? じっとどこかを見てたけど」
見てたの?と恥ずかしそうな顔をしたヤツハは、さっきまで見ていた方を見つめた。
「あんな小さな子たちまで、一生懸命働いてる……」
サクもそっちを見ると、畑仕事をする親子の姿があった。
まだ歩き始めたばかりくらいの男の子が、父の後ろをおぼつかない足取りで追い掛けている。 そのまだ幼い腕には、今しがた収穫したのであろう、細く頼りない野菜を幾つか抱えている。
「あっ!」
サクとヤツハが見る前で、その男の子は勢いよく転んでしまった。 拍子に、腕に抱えていた野菜が宙に飛び、バラバラと落ちてしまった。
「!」
助けにいこうとするサクの腕を掴んで、ヤツハは彼を止めた。
「なんで止めるんだよ?」
不機嫌に言うサクにヤツハは、見て、と親子の方へ促した。 父は振り向いて、転んだ子をじっと見つめていた。
「なんで助けないんだ?」
あきらかにイラついているサクの肩をしっかりと抱いて、ヤツハは親子の様子を見守った。
やがて、ゆっくりと手をつき膝をつき、立ち上がった息子は、散らばってしまった野菜を一つ一つ広い集めると、再び腕いっぱいに抱えて父のもとへと歩きだした。 父は近づく息子を見つめながらしゃがんだ。 そして
「よくやったな! すごいぞ!」
と笑いながらその頭を撫でた。 息子は嬉しそうに、土まみれの笑顔を見せた。
「もう何回も転んでるけど、お父さんはああやって、息子さんを見守ってるの」
ヤツハの瞳は、いとおしくてたまらないといった輝きを放っていた。
「私は、お父さんにああやって頭を撫でられたことも、抱き締められた記憶もないわ。 でもきっと、あんな感じなんだろうな……」
サクはまだ少し不機嫌そうにヤツハを見た。
「俺は、殴られてばっかりだったけどな」
サクが言うと、ヤツハはサクを見て微笑んだ。
「知ってる。いつも追い掛けられてたもんね。 でも……」
ヤツハはまた親子を見た。
「それも、うらやましかったんだ……」
サクは返答に困った。
ヤツハがあの親子を見て、父を恋しく思っているのは容易に分かる。 出会った時からずっと、ヤツハはまだ見ぬ父親の像を見つめ続けているのだから。 幼い頃から、思い描く父親の話を、サクはよく聞かされていた。
サクは振り払うようにくるりと踵を返すと
「畑仕事に戻るぞ!」
と言葉を残し、ヤツハをおいて再び鍬を構えた。
正直、サクには何をしてあげればいいのかわからず、もう何年もヤツハの近くにいる。 ソラール兵士養成学校に、サクを追って入学してきたヤツハを見たとき、彼女の本気な気持ちが分かった。 ヤツハは、自分を高め、父親を探す旅に出るつもりなのだ。
だがサクは、もしヤツハが父親と再会した時があっても、絶対に許したくなかった。
ヤツハが途方も無い苦労をして今まで生きてきたのを、自らの目で見ているからだ。 そしてヤツハは、母が亡くなった時も、気丈にしていた。 涙一つこぼさず、むしろ葬式の手助けをしてくれた村の人たちに笑顔で礼を言っていた。
だが、サクは知っている。
誰も居なくなった小さな家の中で、月の光に包まれながらひとり、泣いていたことを。
『俺は一体、どうしたらいいんだよ?』
サクの苛立ちと焦りは、アルコドの一件も加わって大きくなっていた。
やがて日が暮れ始め、畑仕事に出ていた人たちが続々と共同宿舎に戻り始めた。 陽が落ちてしまえば、外灯もない畑は真っ暗になる。
「そういえば、シリウとカイルが居ない」
二人はやっとそのことに気付き、顔を見合わせると途端に赤い顔をした。
「何考えてんだよ?」
「サクこそ!」
言い争いが始まりかけた二人に、村人が声を掛けた。
「手伝ってくれてありがとうよ。 お仲間さんがいたのかい? 村の外に行くことはないだろうから、あの宿舎にいるかもしれねえ。 案内するよ。 ついてきな!」
村人はアルシス・ツバックといった。 二十一歳で、畑仕事で鍛えられてか体格も良く、陽に焼けた健康そうな肌に、黒い短髪と白い歯が似合う。 話し方が老けているのは、周りに若者が少ないからだと言っていた。
「だけどもよ、今度子供が産まれるんだ!」
畑仕事の疲れも忘れたように、嬉しそうに話すアルシス。 ヤツハの笑顔が弾けた。
「素敵! 元気な子が産まれるように、祈らなきゃ!」
そう言いながら、胸の前で手を組んだ。
「もうすぐ産まれるはずなんだが、こんな痩せた土地で育った野菜を食べていては、母子共に元気でいられるかどうか……」
不安な考えに襲われて、アルシスの表情が曇った。
「数年前までは、この村ももっと豊かだった。 緑にあふれ、それぞれの家族に家も一軒持てた。 ところが、短い間に、急にこんなふうになってしまった……」
三人は周りを見回した。 ぞろぞろと宿舎に戻る人影以外には、畑以外何もない。 見渡す畑の向こうには、重厚な壁が景色を遮る。 獣避けの壁は、悲しいかな、景観を損ねてしまう。
「何もないところだが、今晩はゆっくり休んでくれよ!」
アルシスが気を取り直したように微笑んだ。
「笑顔だけは絶やさないとこ、素敵だと思うわ。 きっと思いは届くし、きっと、元気な赤ちゃんが産まれるわよ!」
ヤツハはアルシスの背中を叩いた。
「そうだな、君たちには救われるよ。 そして元気をくれる。 私たちには想像も出来ない、危険な旅をしてきたのだからな!」
背中をさすりながら、アルシスは痛みを我慢するように、苦笑いにも似た微笑みを見せた。
「サクとヤツハ! どこに行ってたんだ?」
カイルが宿舎の窓から顔を出した。
「おー! カイル! 畑仕事してたんだ!」
大きく手を振るサク。 続いてシリウが、同じように窓から顔を出した。
「大変なことが起きてしまいました!」
「「?」」
顔を見合わすサクとヤツハに、カイルの声が飛んだ。
「産まれそうなんだ!」
「なんだって!」
その言葉に体を震わせ、持っていた畑道具を足元に落とすと、アルシスは走りだした。
「アルシス!」
サクの声も届かず走るアルシスの後を、ヤツハも追った。
「サク、それ持って、急いで!」
残されたサクは、慌てて足元に散らばる畑道具や野菜が入った籠を持ち、両手いっぱいになりながらフラフラと二人の後を追った。
宿舎の中では一室の扉の前に村人たちが集まり、ざわついている。
「ラクラは? 子供は?」
駆け込んできたアルシスが、人々をかきわけて扉の前に現れた。 中から産婆のハルが現れると、アルシスはその両肩をつかんで言った。
「ハルさん、ラクラはっ? 子供はっ?」
頭を大きく振られて眩暈に襲われたハルは、アルシスにげんこつを落とした。
「しっかりせいっ! お前が落ち着かんで、どうするんじゃ!」
「しっ……しかしハルさん……」
こぶができた頭をさすりながら、アルシスが不安げにしている。 その横に、追ってきたヤツハがやっと現れた。
「きっと大丈夫! 信じるのよ!」
ヤツハがじっとアルシスを見つめると、彼もやっと落ち着いたように息をついた。 そしてヤツハはハルを見て言った。
「あたしにもお手伝いさせてください!」
「あんたは?」
「ソラール兵士養成学校から来ました。 医学のことも勉強してます! お願い! あたしも何か手伝いたいの!」
ヤツハにまっすぐに見つめられたハルは、ふむ、と微笑んで頷いた。
「いいだろう! 今は少しでも人手が必要じゃ。 まずは湯を沸かして来てくれんか?」
ヤツハは大きく頷いて、大きなたらいを持つ他の女性たちと一緒に台所へと急いだ。
「お……俺はどうしたら……?」
「男は役にたたん! 外で静かにしておれ!」
不安げにたたずむアルシスに、ハルは微笑んだ。
「ラクラは芯の強い子。 きっと大丈夫じゃ。 信じておれ!」
アルシスはふっと息をついた。
「ハルさん、よろしくお願いします!」
深くお辞儀をするアルシスに、ハルは小さく何度も頷きながら部屋の中へ入っていった。