旅のはじまり
出発の朝早く、ソラール兵士養成学校に在籍する何人かの教官や生徒たちが見送りをしてくれた。
「気を付けて行ってこいよ!」
「何かあったら、無理するな! 逃げるのも勇気だぞ!」
それぞれが声をかけ、その中には保健医のミランもいた。
「あんたたち、何があってもヤケ起こすんじゃないよ! まったく……まだ子供なのに大変な重荷を背負わせて、校長は一体、何を考えているんだろうね……」
半ば愚痴にも似た事を言いながら、ミランはカイルにそっと小さな布袋を渡した。
「いいかい? くれぐれも、体には気を付けな!」
カイルはその布袋を大事そうに受け取り、頷いた。 シリウはそっとその様子を見つめていたが、何も言わずにいた。 ヤツハは、こんな時でもナトゥと喧嘩をしそうになっているサクを引っ張り、前を向かせた。
「また帰ってきたら存分にやればいいから!」
「っ分かってるよっ! さあ、行くぞ!」
気分を切り替えて荷物を背負い直したサクの声に呼応して、シリウ、ヤツハ、カイルの三人は頷いた。
まだ太陽は山の影になってその姿は見えず、東の空が目覚める予感を見せていた。 四人は見送ってくれた人たちに手を振り、一路アルコド国へと向かった。
初めての旅。
途中に何があるか、全く予想がつかない。 体力の温存も兼ねて、急がず確実に進む四人。
防御壁に守られた国や町、呪文札や高い柵に守られた村の中ならある程度安全だが、一歩外に出れば、何があるか分からない。
飢えた野生動物、天候、そして、山には『流賊』と呼ばれる者たちがいる。
彼らは、多くは何十人という人数で集まり、道を行く者から金品を奪ったり、ともすれば小さな村を襲ったりする、卑劣で凶悪な者たちである。 至る所にその類の賊はいて、派閥闘争も絶えない。 近隣に住み、平穏を願う人々の悩みの種となっている。 ほとんどが屈強な男たちの集まりで、一ヶ所にとどまらず、野宿をしながらいつも移動していることから『流賊』と総称されている。
ある程度の訓練を受けているサクたちは、無理さえしなければ乗り越えられるだろう。 きっとファンネル校長にも、仲間意識を向上させる目的があったのかもしれない。
何より、ハミウカ紙をアルコド国に届けるという大事な役目がある。
責任を持って果たすこと。
そして、無事にまたソラール兵士養成学校へ帰ってくること。
この依頼には、一国の存続がかかっているという。
十代の若者たちには重くつらい任務かもしれないが、これも試練だと受け取るしかない。
何より、ソラール兵士養成学校を代表するファンネル校長の直々なる頼みなのだ。
サクも一晩経って、さすがに事の重大さを理解し、気を引き締めたようだ。 というより、楽しみを見つけた、と言った方が良いだろうか? 狭く閉鎖された学校から出られるということは、今まで知らなかった世界を知る機会でもある。
馬車や汽車という、公共の、危険なものから守られた交通手段はいくつかある。 だがそれらは、ごく限られた者たちがやっと、高額な費用を払って乗ることができるものばかり。 実際、サクたちがソラール兵士養成学校へ入学するときも、自分で、または知り合いからかき集めた資金をはたいて乗り物に乗ってきた。
だが今回の旅は、周りを巻き込まないことを最重要条件にしていた。 ハミウカ紙を持っていることがどこかで漏れた場合、狙われる可能性は非常に高い。 それほどこのハミウカ紙というものは、大変貴重であり、入手困難なものなのだ。 裏で扱われれば、高額な値段で交渉されるだろう。
四人は、自分たちの力だけで、アルコド国への道を進むことに決めた。
毎日の過酷な訓練のおかげで、しばらくはさほど困難な旅ではなかった。 無論、シャルサム教官が作り出したような、センスのない強いだけの幻獣よりはマシだ。
三時間程進んだ所で
「ひとつめの休憩場所はどこだ?」
十人ほどの団体で襲ってきた流賊を早々と片付けたあと、いつもの口調でサクが吠えた。
「あの丘の上から、見えると思うのですが……」
シリウが地図を見ながら前方を指差して言い終わらないうちに、サクはすでに走りだしていた。
「もうっ! 一人で行動しないようにって言ってるのに!」
困ったように言うヤツハに、シリウは笑いながら言った。
「まあまあ。 彼も、やる時はそれなりに出来る人ですから」
そんな事を言っている間に、サクは丘の先端に立ち、三人に振り返った。
「見えた! タニヤ村だ!」
すぐに追いついた三人と並び、丘の上から見下ろしたタニヤ村は、森に囲まれた小さな村だった。
辺り一面夕陽に照らされ、濃いオレンジに染まる風景は、日暮れが近いことを知らせていた。
村の周りには、数メートルにのぼる木と石の防御壁が立ち、あちこちに獣避けの草木が生えている。 町や国でよく見られる、魔導士が強い念で強固に守られた壁とは違う、昔からの人々の知恵の一つだ。 防御壁に小さく点在する数ヶ所の門は固く閉ざされていた。
サクたちはそのうちの一つに近づいた。 人の気配も無く、扉はぴったりと閉まっている。
「こんにちは!」
とシリウが門を叩いた。 しばらくして、低く警戒した口調で男の声がした。
「誰だ?」
「旅をしている者です。 今夜一泊の宿をお願いしたいのですが」
シリウが丁寧に答えると、門の一角にある小さな窓が開いた。 四人が近づくと、角張った顔のがっしりした体つきの男が顔を出した。
「驚いた! まだ子供じゃないか! あの物騒な森を通ってきたのか?」
「んなの、どうってことないぞ!」
サクが自慢げに言いながら、窓いっぱいに顔を近付けた。 それを押し退けるように、今度はヤツハが顔を見せた。
「あ、あのっ! あたしたち、怪しい者じゃないんです! ソラール兵士養成学校から来ました!」
すると男は、また驚いたように言った。
「ああ、そうだったか! 昨日、そこの校長からうちの村長宛てに手紙が来たとお触れがあったんだ。 生徒たちが寄った時には、受け入れてくれとな! 少し待ってろ」
男は小さな窓を閉じた。 すぐに扉の施錠を解いた音がし、見掛けに寄らず重そうな扉を軽々と開け、サクたちを招き入れた。
「ありがとうございます。 僕はシリウ。 そしてサク、ヤツハ、カイルです」
三人は順番に紹介されると、それぞれに挨拶をした。
「俺はバカラだ。 子供たち四人だけで旅とは、大変だっただろう? よく来たな。 村長に会わせてやる、ついてこい」
四人は小さな扉をくぐり、体格の良い褐色肌のバカラについて行った。
村の中には十何軒かの小さな木製の家がひしめきあっていて、その隙間を縫うような細い路地裏で遊ぶ子供たちは、突然の来客に驚いたように手を止め、じっと四人を見つめている。
村の奥にあった村長の家は、大きなかやぶき屋根の立派な家屋だった。
「でっかい家! 金持ちなのかなぁ!」
サクが目を丸くして、家の外観を仰ぎ見て感嘆の声をあげた。
「村長に。 ソラール兵士養成学校から旅人がやってきたと」
バカラが門の前に立っていた御用聞きに言うと、彼は少し待つように言い残して、家の中へ入っていった。 あちこち覗きたがるサクをヤツハが押さえていると、再び中から御用聞きが戻ってきて
「中へ招くように、とのことです」
と、家の中へ促した。
バカラについて一歩踏み入れると、そこはなんとも煌びやかな内装だった。
「まるで外観はダミーのようですねえ」
シリウは驚いたように周りを見回した。
一面金箔の貼られた壁には、名画らしい絵画や彫刻品など、高そうな芸術品が整然と飾られ、サクも周りに気を取られて足元がおぼつかない。 ヤツハのげんこつがサクに飛んだ。
「サク、しっかり歩きなさいよ! ぶつかって壊したら弁償よ!」
「わははは! 皆村長のコレクションばかりだ。 あまり触るなよ! 壊したら怒られるじゃ済まないぞ!」
バカラは笑いながら言い、やがて四人は一番奥の部屋へと通された。
深々と彫刻の掘られた頑丈そうな扉を開くと、巨大な銅像に守られるように挟まれた村長が、柔らかそうな一人掛けのソファーに深々と座っていた。
バカラは扉の外で
「俺はここまでだ。 ゆっくりしていけよ!」
と去っていった。
「ありがとうございました!」
シリウが丁寧に礼を言い、ヤツハとカイルもお辞儀をした。 サクは一人、明るく手を振っていた。
「さあ、どうぞ。 よくここまで無事で来られましたな」
初老の村長はたくましく大きな体を揺らして、笑いながら四人を中へと誘った。 口に太い葉巻をくわえながら、目の前のソファにサクたちを促した。 そっと座った体を、ふんわりと包み込み、心地よく感じた。
「私はタニヤ村の長を務めているガラムだ。 さぞや厳しい旅だっただろう? 最近は本当に外の治安が悪い。 獣避けの草木も効果が無くなってきているなか、よく旅を続けられてきたな」
「この辺りは、そんなに危険にさらされているんですか?」
シリウが静かに尋ねた。 ガラム村長はゆっくりと首を横に振り、ため息をついた。
「この村もこれ以上大きくは出来ず、狭くて住みきれなくなって、やむなく村を出ていく者もいる位なのだよ。 外に出ると言っても、安全な場所などどこにも無いのに……」
「大変なんだな」
サクが心配そうに言っているなか、その腹の虫が鳴る音がした。 バカラはしまった、という顔をして手をひとつ叩き、御用聞きを呼んだ。
「すぐにこの客人に食事の用意を!」
そしてサクにすまなそうな顔をした。
「気が付かなくてすまなかった。 きっと緊張のしずめの上、歩き詰めだったのだろう? 腹が空いていないはずはない。 久しぶりの客で、つい話を長引かせてしまった。 すぐに用意させるから、ゆっくりしていってくれ。 寝室も用意してある。 後で案内させよう」
「何から何までありがとうございます。 僕たちは、世の中をほとんど知らずに育っています。 訓練ばかりの毎日ですから。 滅多に無いこういう機会に、色々な話を聞くことが出来るのは、とても貴重で嬉しいことだと思っています」
シリウが言うと、ガラムはさも嬉しそうな顔をした。
「そうかそうか、では、少し聞いてくれるか? 実は私は、話をするのが大好きで、何かあると口に出さなくては済まない性格なのだ。 おかげで家人には面倒くさがられている」
苦笑しながら言うガラムに、空腹のお腹を押さえたサクが力なく言った。
「食べながらでいいか?」
「こら、サクっ!」
ヤツハがしかる。
「勿論! 夜は長い。 キミたちが良ければ、二、三泊していっても良いくらいだ」
ガラムは肩を揺らして笑った。 するとシリウが微笑んで小さく手を振った。
「大変有難いのですが、僕たちは先を急いでいます。 今晩だけ、甘えさせていただく予定ですので」
柔らかい口調で言うシリウ。 ガラムは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「そうか。 そうだな、旅には目的があるものだ!」
そうこうしているうちに、別室には食事の用意がされ、ガラムと共にサクたちはテーブルの前に座った。
「うわぁ! 美味そうな料理ばかりだ!」
テーブルの上に所狭しと並べられた料理を見た途端、サクが感嘆の声を上げた。 ヤツハも、目の前のフルーツやデザートに目を輝かせている。
「こんな豪華な料理、見たことがないわ! 学校では絶対に食べられないものばかりね!」
サクとヤツハは嬉しそうに料理を眺めていた。 その横で、カイルはシリウにそっと耳打ちした。
「おかしくないか、この村?」
シリウも小さく頷いた。
「僕もそう思いました。」
周りに気付かれないように辺りをそっと見回し
「質素で、いかにも貧しそうな村の外観に比べて、この家の内装の派手さ……いくら村長のコレクションとはいえ、どこか引っかかるんですよ」
と言って、目の前の料理に目を落とした。 見るからに出来立てで、綺麗な盛り付けをされ、美味しそうな匂いと湯気が鼻をくすぐる。 空腹なのは、シリウも同じだ。 思わず心酔いそうになる。
「料理に何か入ってるんじゃ……おい、サク!」
カイルは思わず慌てた声を上げた。
サクはすでに、口いっぱいに料理を頬張りながら、ガラムの話に聞き入っている。 ヤツハも、メインよりもデザートに口を付けながら、料理人と思われる人に、どこで採れるフルーツなのか、どうやって作っているのか、などと質問をしている。
「……大丈夫……のようですね」
シリウがあきれて言った。 がっついているサクを見て呆然としていたカイルも息をついた。
「だと良いが……」
そう言って、目の前の料理に恐る恐る口をつけた。
「! 美味しい……」
カイルの素直な感想に、シリウも同じく、と感心したように頷いた。
それからは、シリウとカイルもガラムの話に聞き入り、四人は充実した一夜を過ごした。
ガラムは分かりやすい語り口で、この村に起こった事件や、自分が長として村を必死に守ってきた体験談を延々と話し続け、その話は一刻も止む事がなかった。
途中、先ほど村を案内してくれたバカラも加わり、宴会のように盛り上がり、気が付けば朝陽が昇っていた。
「すまん! つい話に夢中になって、夜が明けてしまった!」
もう一日泊まっていかんか、と申し訳なさそうに話すガラム。 だが四人は、安全に夜を過ごせたことだけでも有難いと受け止めていた。
「いいよ、ガラムのおっさん! オレたち、すげー楽しかったし、体は休めたし、美味いものたっくさん食べさせてくれたし、充分だ!」
サクはまだ興奮した顔で言った。 シリウも頷き
「大変貴重な話を聞くことが出来て、感謝しています。 ありがとうございました」
と言うと、ヤツハも
「あたしも、色んなフルーツや料理の事を知ることができて、本当に良かったわ。 学校に帰ったら、皆に自慢しなきゃ!」
と満足そうに微笑んだ。
「そうか、皆、道中気をつけてな。 帰りには、このタニヤ村に必ずまた寄ってくれ! その時には、今度こそゆっくり休んでもらうよ。 待っとるからな!」
ガラムは大きな体を揺らして村の出口まで行くと、門番のバカラと共に、旅立つ四人を見送った。 サクたちも振り返って手を振りながら、タニヤ村との別れを惜しんだ。