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ヴァンドル・バード  作者: 天猫紅楼
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カイルの涙と月の呪縛

 時刻まであと十分。

 最高試験官は他の試験官たちに合図を送った。 まだ帰ってきていない生徒たちに、試験終了を知らせるためだ。 試験官たちは、風の様にグラウンドから姿を消した。

 すでにほとんどの生徒たちは、途中断念して戻ってきている。 彼らの手当てをするために、医務室はてんてこ舞いの忙しさだった。 ミランにとっては、この合同試験の時期が一番嫌いだった。

「ホンットに、忙しくてたまんないよ……!」

 イラつき、独り言をこぼしながら生徒たちの手当てをしている。

 

 そして時計の針は刻々と進み続け、やがて最高試験官が終了を知らせるために高く手を挙げようとした。

 その時

 

「おりゃあぁっ!」

 

 という怒号と共に、草むらからサクが飛び出してきた。 あとからシリウ、ヤツハ、カイルも同様に姿を現した。 皆、身体中に枝葉をいっぱい付けている。

「間に合ったかぁ?」

 サクが息せき切って試験官に尋ねると、彼は半ば驚いた表情で

「あ、ああ……」

 と頷いた。

「やぁったぁ!」

 と飛び上がって喜ぶサクを尻目に、ヤツハは身体中に付いている枝葉を迷惑そうに払い落としながら言った。

「まったく……サクが『近道だ!』って言うからついていったら、ひどいめにあったわ……」

 シリウとカイルも眉を寄せて、同意するように頷きながら身体を払っている。

「いいじゃん、間に合ったんだからさぁ!」

 悪気もなく、はちきれそうな笑顔で言うサクを見つめ、三人は息をつきながらあきれていた。

 

 その頃ナトゥたちは、山頂付近で白目を剥いて伸びていた。

「絶対……許さねぇ!」

 と悪態をつきながら、体を痙攣させた。

 

 

「サク・パクオラ、シリウ・ソム・イクシード、カイル・マチ、ヤツハ・キナソン! 君たちは見事に試練を乗り越え、全員揃って帰還した。 ここに合格点および特別点を追加する!」

 試験官の読み上げにより、グラウンドに集まった生徒たちは並ぶサクたち四人に対して、口々に栄誉を讃えた。 その身体はあちこちが傷だらけで、試験の厳しさを物語っていた。

 

 その夜、生徒会が中心になって、打ち上げも兼ねて祝いの席を設けた。

 この時ばかりは無礼講だ。 生徒も試験官、教官たちも交じって、夜遅くまでラウンジで宴が繰り広げられる。

 医務室を飛び出したサクは、毒もすっかり抜けたかのように、喜び勇んで宴へと飛び込んでいく。 ヤツハも友人たちと共に並んだ料理に舌鼓を打ち、話に華を咲かせていく。

 そんな喧騒も届かないような静かな屋上に、カイルはいた。 ひとりきり、いつもの場所で景色を眺めていた。

 

「身体はもういいのかい?」

 

 不意な声に見上げると、保健医のミランが立っていた。 白衣が夜風にたなびく。 頬を撫でる金髪の後れ毛を、うっとうしそうに耳に掛けた。 やっと忙しさから開放されたばかりのようで、顔には少しの疲労が浮かんでいる。

「はい、もう大丈夫です。 足も少し挫いただけだし、二、三日で治りますよ」

 包帯が巻いてある右足をさすりながら、カイルは答えた。

「楽しかったかい?」

「え?」

「顔がほころんでるよ」

「!」

 慌てて両頬に手をあてるカイルを見て、ミランはフッと笑い、煙草に火を点けた。

「仲間っていいだろう? 楽しめばいいんだよ。 片意地張らずにね」

 白く長い煙は夜風に流れていく。 カイルは黙ったまま遠くの景色を見た。

「まだ気持ちは変わらないのかい?」

 ミランも遠く景色を見ながら呟くように言った。 カイルはひとつ息を吐いた。

「ええ」

 それ以上ミランは何も言わず、二人の間に沈黙が流れた。

 その時、屋上の扉が勢い良く開き、ひとりの男子生徒が飛び込んできた。

「ミラン先生、ここにいたんですね? サクがナトゥと喧嘩を始めました!」

 息急き切って話す生徒。 ミランは大きなため息をついた。

「まぁたあいつらは! 懲りない子らだねぇっ!」

 と文句を言いながら男子生徒と屋上を出ていく。 扉の前で振り返り、カイルに声をかけた。

「気が向いたらおいで! 旨い料理もたくさんあるよ! 動いた分、精力付けなきゃ!」

 ミランは微笑んで手を上げ、カイルの答を待たずに去っていった。 カイルは少し微笑んで見送り、また遠くを見た。 月明かりが薄く景色を照らしている。

 

「素敵な景色ですね」

「シリウ?」

 知らぬ間に、シリウが傍らに立っていた。 そして、カイルの横に静かに座ると、大きく伸びをした。

「夜風も気持ちいいですね」

「サクに付いていなくていいのか? ナトゥと喧嘩してるって……」

「カイルも見に行きますか?」

 微笑むシリウに、カイルは驚いて目を逸らせた。

「な、なんで俺が!」

「仲間、だからですよ」

 シリウは優しく言った。 すると、カイルは慌てて言った。

「言っておくが、組んだのは試験の為であって、終わった今はもう赤の他人だ! もう二度と、面倒なことに巻き込まないでくれ!」

 シリウの眼鏡が光った。

「あぁ、またこの間みたいに、サクが意識を失って倒れ、ナトゥの巨体の下敷きに――」

「あぁもう! 分かったよ!」

 カイルは勢い良く立ち上がり、屋上を出ていった。 シリウの軽い微笑みがこもったため息も知らないで……。

 

 

 サクとナトゥは人の輪の真ん中で対峙していた。 お互いまだ傷だらけの上に生傷を作っている。

「ナトゥ、まだ寝とけよ! なんだその包帯はぁ?」

「お前がやったんだろうがよ!」

 すでにテーブルや椅子は端に寄せられ、二人が暴れてもいいようになっている。 そろそろ教官たちも止めに入ろうかと伺っていた。

「お前だけは絶対許さんからなっ!」

 ナトゥがサクに向かって拳を振り上げる。

「いつまでも引きずってんじゃねーよ!」

 二人が再びぶつかり合うかと思った時、ナトゥの顔面にカイルの膝が入った。

「がっ……」

 スローモーションのように倒れていくナトゥの前に軽い足取りで着地し、足早にサクの前まで行くと、思い切り頭を叩いた。

「ってぇ!」

「たまにはおとなしくしてろ!」

「カイル!」

 止められずに成り行きを見ていたヤツハが嬉しそうに駆け寄った。

「ありがとう! 誰も止められなくて困ってたの」

 礼を言うヤツハの後ろで、サクが嬉しそうに頭をさすった。

「心配して来てくれたのか?」

「そんなんじゃない!」

 カイルが慌てて言うと

「まぁまぁ、そう意地張らなくていいんだぜ!」

 サクがからかうように肘でこづく。

「やめろ!」

 逃げるカイルにサクが迫った。

 

 

「うまくいってるじゃないか」

 煙草をふかしながら壁にもたれ、遠くからサクたちの事を眺めているミランの横に、シリウが立っている。

「結構いいコンビになるかもしれませんよ」

 楽しそうに微笑むシリウ。

「助かったよ、あんたが一声かけてくれてさ」

「僕は、彼の笑顔が見たかっただけですよ」

 サクたちと会う前のカイルは、いつも一人で物思いにふけり、誰とも絡むことはなかった。 周りもそんなカイルに話しづらい印象を持ち、自然に壁を作っていた。

「そうは言っても、カイルは必死な顔してるけどねえ」

 ミランが少しあきれながら見る、遠くでサクから必死で逃げ回っているカイルは、少しずつだが感情を見せるようになっていた。

 カイルは振り返ると、サクに叫んだ。

「いいか! 勘違いするな! 俺は誰ともつるむつもりはない! これからもだ! だからもう俺と関わ……」

 言い終わらないうちに、カイルの身体が崩れ落ちた。

「まずい!」

 とミランが吐いた焦りのこもった呟きと同時に、シリウが走りだした。

 

 

 目を覚ますと、カイルは医務室に寝かされているのに気付いた。 薬の匂いが鼻をくすぐる。 次に、仕切ってあるカーテンの向こうからなにやら騒がしい話し声が耳に入ってきた。

「だからただの貧血だって!」

「あいつ、ちゃんと食べてんのか? もしかして夕飯食ってないのか?」

「何か栄養のあるもの、持ってこようかしら?」

「ラウンジに行けば、まだ料理も残っているはずですよ」

「いいから静かにしてくれ! でなきゃ出ていきな!」

 せわしない幾つかの足音が聞こえたあと、イラついた感情がこもった扉が閉められる音がして、医務室の中はいきなり静かになった。

「ったく……」

 静かにカーテンを開けたミランは、目を開けているカイルに気付いた。

「気が付いてたのかい?」

「ついさっき……俺は……?」

「倒れたんだよ。 慣れてないのに、暴れて大きな声を出すから」

「ああ……」

『しつこいサクに説得して聞かせようと思ったら、目の前が真っ白になって……』

「昨日から動きづめだったから、そりゃあ疲れも出るよ。 それにあんたは……」

 ミランが呆れたように見下ろすカイルは、ベッドに起き上がってゆっくりと下腹をさすっている。 表情がどこか暗い。

「皆心配して、あの通りさ。 シリウなんて、一番遠い所から走っていって、あんたを抱きかかえて……」

 カイルは力なく肩を落とした。

「あんたのことなんてなぁんにも知らないくせに、あんなに心配してくれたこと、感謝するんだよ」

「……」

 カイルは小さく肩を震わせていた。 その頭に真っ白なタオルをかけ、ミランは窓辺に座った。

「あんたは、月からは逃れられないんだよ……」

 呟くようにミランは言った。 その言葉を受けながら、カイルはタオルの下でとめどなく涙を流していた。 声を殺し、抑えきれない感情を必死で隠していた。

 ミランは何も言わず、窓辺で煙草をふかしていた。

 夜空には眩しいくらいの月が浮かんでいた。

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