殺人予感 - 『精神病患者記録』No.66
患者名: 森過雨
症状: 2分以内の極度の短期記憶障害、重度の暴力傾向
原因: 30歳の時、妻子を交通事故で失う。それ以降、30歳以前の長期記憶は正常だが、30歳以降の脳は苦痛の記憶を避けるため、記憶が2分間しか持続しない。
罪状: 治療中に医療スタッフ5名を殺害、1名に重傷を負わせる。CCTVがその全過程を記録していたが、森過雨は「敵の襲撃によるもの」と主張した。
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6:06pm
森過雨の手には一枚の紙切れがある。そこには「彼は敵に襲われた」と書かれていた。床には、白衣を着た医者らしき男が血の海に倒れている。首には明らかな傷があり、傷口からは血がじわじわと滲み出していた。おそらく、つい先ほど敵がこの男を襲ったのだろう。しかし、なぜか森過雨だけは見逃されていた。どんな武器が使われたのかもわからない。
森過雨は強い恐怖に襲われ、その場にへたり込んだ。服が床の血で濡れていく。
突然、同じく白衣を着た数人の男たちが部屋に雪崩れ込んできた。彼らは有無を言わさず、森過雨に向けて麻酔銃を発砲した。
森過雨は、彼らこそが紙に書かれた「敵」であると悟った。自己防衛のため、彼は床に落ちていた一本のペンを拾い上げ、武器として次々と目の前の敵を打ち倒していった。最後の一人は恐怖で逃げ惑い、最終的に部屋から飛び出していった。
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6:04pm
森過雨の目の前で、白衣を着た医者らしき男が慌てふためき、走り回っている。男は負傷した首を左手で押さえており、その隙間からは血が絶え間なく噴き出していた。机や壁にぶつかって怪我をしないように、森過雨は男の動きを止め、ゆっくりと床に寝かせた。
男は何かを言おうとしたが、首の重傷のために言葉にならない。森過雨はかすかに「おそう(襲う)」という声を聞き取った。そして、自分の手にある一枚の紙を見る。そこには「彼は敵」と書かれている。彼は床のペンを拾い、それを追記しようとした。しかし、ペンはインク切れだった。そこで彼はペン先を床の血に浸し、紙の文字をこう書き継いだ。「彼は敵に襲われた」。
森過雨には、この男が誰なのか、まったくわからなかった。
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6:02pm
森過雨は、自分が誰なのか、ここがどこなのか、何もわからなかった。ただ、目の前に白衣を着た医者らしき男が座っていること、そして自分の手に一本のペンと一枚の紙があることだけを認識していた。紙には「彼は敵」と書かれている。
それは自分の筆跡だと彼は認識した。
手元にある唯一の確かな情報に従い、自らを守るため、森過雨はそのペンを、男の首に突き立てた。そして、勢いよく引き抜いた。赤い液体が、首の穴から瞬時に噴き出した。
ペンが床に落ちた。
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6:00pm
双葉続喜医師は、ペンを鞄にしまい、何枚かの紙も用意した。彼は知っていた。森過雨の暴力傾向は、主に記憶喪失からくる不安感に根ざしている。だからこそ、重要なことを紙とペンで記録させれば、その不安感を取り除き、暴力衝動を抑え込むことができるのだと。
今夜、彼には不吉な予感があった。森過雨が人を殺める。その予感はあまりにも強く、もし彼が本当に行動を起こせば、犠牲者は一人では済まないだろうと感じていた。だからこそ、主治医として、彼が落ち着けるよう手助けする責任があった。
「森さん、我々は友人です。敵ではありません。さあ、この紙とペンをお渡しします。『彼は敵じゃない』と書いてください。」
森過雨は紙とペンを受け取った。しかし、ペンに問題があった。「彼は敵」と書きかけたところで、インクが切れてしまい、その先を書けなかった。




