たからもの
お腹の上にブロックを何個も何個も積み重ねられている夢を見た。僕はずっと横になっていて、重さがどんどん加わるから動くことも出来ず、うーうーうなるしかない。もう重さに耐えられない! と思った瞬間、目が覚めた。お腹の上には飼い猫のカブがいた。のんきににゃーと鳴くカブ。
「バカ! カブ、重たいだろう? いっつも僕のお腹の上で寝るなよ! カブみたいな真っ白な毛しやがって!」
僕が起き上がるとひょいとジャンプして、部屋から飛び出していく。目覚まし時計を見てびっくりした。小学校の朝の会が始まる三分前だった。急いで着替えて、時間割を見て教科書とノートをランドセルの中に突っ込んで、部屋から飛び出してリビングまで最短ルートで走る。
「お母さん! 何でいつも起こしてくれないんだよ!」
「いつもいつも起こしてるわよ。でもいつも夜更かしして起きられないからいけないんでしょう? いつも起きないからもう今日はいいやと思ったし、あんまりにも起きないからてっきり調子悪くて休むのかなあって」
「適当なこと言うなって」
そんなこと言ってるけど、テーブルの上にはちゃんと朝ご飯が置いてある。食パン半分とスクランブルエッグをかっ込み、勢いよくランドセルを背負う。
「じゃあお母さん、行ってくる!」
「ちょっと。おじいちゃんにおはよう言ったの?」
「分かったよぉ」
リビングの隣の和室にある介護用ベッドに寝ているおじいちゃんに向かって大声でおはよう! と叫ぶ。寝ぼけているのか口をもごもごさせるだけ。最近はいつもそうだ。ちょっと前まで耳が遠くてもちゃんと挨拶を返してくれたのに。
ダッシュで玄関まで行くとカブもついてくる。
「カブ。ちゃんといい子で待ってろよ」
ドアを開けて蒸し暑さに少しビビったけどそのまま学校へ向かった。
夏休み直前の授業で僕は遅刻したけれど学校にいた時間も少なかった。どうやら特別授業で午前中で終わってしまうらしい。先生は昔の小学生は土曜日も学校があったんだよ? と言ってて驚いた。土曜日は普通休みだろ? と思ったら、秀才のヒデが「午前中だけで終わってたんでしょう? 今日みたいに」と喋ったら先生がその通りとおどけて指さした。するとバカなケンジが「えー平日も午前中に終わればいいのに」と言ったらみんなからそれがいい! と騒いだ。先生は「じゃあ給食はいらないんだな?」とケンジに訪ねたら「それはイヤ」と返してみんなが爆笑してた。
午前中で帰ることを知らなかった僕は、ヒデとケンジに学校前にある川に行こうと誘った。二人とも僕の意見に賛成してくれた。僕たち三人は河原に行って宝探しをすることが最近の流行りなのだ。ヒデは川に入って色んな生物を捕まえた。ケンジは汚いエロ本を見つけて喜んでいた。僕は……何も見つけてない。
川に着いた。僕は草が生い茂ってるところを重点的に探す。ヒデは河の中。ケンジは腹が減っていて、動く気すらしないらしい。
そこら辺で拾った木の棒を振り回して草をよけながら探していくと、一瞬何かがきらりと光った気がした。慌てて向かうとそこに平べったくて丸い金属が見つかった。どっかで見たことあるなあと考え、お母さんが見てたテレビでやってたお菓子を思い出す。確か、マカロンだ。金属のマカロン。でもマカロンと違うのは出っ張りがついている。溝が何本も掘られているでっぱりが僕に向かって「押してください!」と言っているような気がしてならない。
出っ張りを力を込めて押すと、突然ぱかりと開いた。どきりとする。中には時計が入っていた。
知ってる! 懐中時計だ! おじいちゃんが昔持っていたものを僕がもらって、側溝に落として泣きわめいたことがある。でも時計の針は動いてない。壊れた懐中時計なんだ。出っ張りをぐるぐる回してみると、長針と短針が動き出す。時計としては使えないけど、宝物には十分だ!
でも二人には言いたくない。ケンジはバカだから何でも欲しがるし、ヒデは頭がいいから何かに役立つと思って欲しがるだろう。
絶対にやらないぞ! これは僕が最初に見つけた宝物なんだ!
僕はこっそりとランドセルの奥にしまった。
「二人とも何か見つかった? 僕、全然見つからないから帰るよ!」
二人がわめいているが関係ない。僕は朝以上にダッシュで家に向かった。
誰にも見せたくなかった。お母さんもお父さんもきっとガラクタだと思って捨ててしまうだろう。だから僕はどこかに隠そうと思った。
その前に改めて時計を見た。動かなくてもすごくかっこいい。せっかくだから一番良い時間に時計を合わせたい。おやつの時間か、お父さんが帰ってくる時間か。迷って迷って、ふと思いついた。
僕はいつも寝不足でちゃんと学校に間に合ったことがほとんど無い。
じゃあ。たまには。
僕は六時に時計を合わせた。これぐらいの時間に起きた事って最近の僕には無い。縁のない時間だ。
さて。時間は決まった。どこに隠そうか。
これはすぐに思いついた。昔テレビでやっていたが、アメリカでは子供は抜けた歯を眠るとき枕の下に入れるとお金に替わっているというおまじないがあるらしい。隠せるし、眠ることについてはちょうどいい場所だ。僕は枕の下に隠した。固い感触はそんなに伝わってこなかった。このまま僕はちゃんと起きられたらいいのに。ま、たぶん無いけど。
僕は昼ご飯を食べにリビングへ向かった。
おじいちゃんが僕と散歩している。近所の森林公園で、池の周りを楽しそうに。だいぶ前からこんなことしてなかったなあ。おじいちゃん、ちゃんと歩けるようになったんだ。僕はおじいちゃんの顔を見た。物凄く良い笑顔だった。子供だけど分かる。本当に楽しそうだった。おじいちゃん、またどこか連れてってよ。おじいちゃんが頷くと、僕の部屋から見る屋根が見えた。
ああ、夢か。
おじいちゃんがあんなに楽しそうな笑顔は久しぶりだった。今のおじいちゃんは寝てるか、どこか遠くをぼけーっと見てるだけ。
あれ、お母さんは?
いつもは僕を散々起こしに来るのに。いない。
慌ててほとんど使わない目覚まし時計を見ると、六時きっかりだった。
懐中時計! 本当に起きられるんだ!
「すげえ! すげえ!」
僕は本当に宝物を見つけた。
それから終業式までの特別授業三日間は遅刻どころか、一番早く学校に来られた。家でも一番早く起きられた。だからお父さんの朝の顔も久しぶりに見えたし、学校のみんなも驚いていた。でも本当に驚いているのは僕だ。
あの時計はどんな人でも決められた時間に起きるんじゃないか?
そんな疑問が出てきたのは終業式の日だった。きっかり六時に目覚めて、その後も全然眠くならない。僕は試したくなった。家を出る七時四五分に、僕が起きてから時計を合わせた。でもしばらく経っているせいか、ねじが固かった。結構な力を出して七時四五分にして、朝一番に起きておじいちゃんの枕の下に突っ込んだ。
朝ご飯を食べて歯磨きをして教科書やノートをランドセルに入れる。ちょうど七時四五分。
僕はおじいちゃんの元へ向かった。
「おじいちゃん! おはよう! お・は・よ・う!」
耳に向かって大声を上げる。
「あああ、おはよう」
僕は大声で笑った。げらげらと笑うのを見て、お母さんに怒られた。でも笑えてしょうがない。
この時計は誰でも起きるんだ!
僕はお母さんが離れたすきに枕の下に手を突っ込んで懐中時計を引っ張り出し、ランドセルに突っ込んだ。
終業式が終わった後、珍しくヒデから川に行かないか? と誘われた。でも断った。夏休みになってからいくらでも遊べるし、正直今はご飯が食べたくてしょうがなかった。
終業式は特別授業よりさらに早く終わった。早めのご飯が待っていると思って、空っぽに近いランドセルをがらがら言わせながら走る。
家の門を開けるとカブがいた。ひなたぼっこをしているのか眠そうだ。
そうだ!
にやにやと笑みがこぼれる。カブみたいな動物には効き目はあるのかな? 僕はランドセルの中から懐中時計を取り出す。だがカブは僕の行動に気づいて起きてしまった。
突然興奮して僕の懐中時計に向かって飛びかかった。それをよこせ! とでも言ってるかのように。
「ダメだ、カブ! これは僕の宝物だぞ!」
カブは物凄い勢いで懐中時計と僕に襲いかかる。思わず後ずさりする。そのまま門の外に出てしまったことも気づかなかった。そして車がこちらに近づいていることも。
クラクションが鳴ったとき、僕の目の前に車があった。目を見開いている運転手の顔がはっきり見えた。やばい……。
後ろにそのままこけた。僕はなんとか車をかわした。
だけど。
カブが轢かれた。
「馬鹿野郎! 気をつけろ!」
僕は怒られたことより、カブの方が気になった。カブみたいな真っ白な毛は真っ赤になっていた。
「カブ……カブ……」
ぼんやりとした眼でカブの前にたたずむ。僕の右手には懐中時計がある。懐中時計……。懐中時計だ!
慌てて家に向かう。玄関には急ブレーキの音を聞いてお母さんがドアを開けようとしていた。ちょうど出会い頭になって驚いたが、それどころじゃない! 僕はリビングまで土足で向かう。
十一時二分。
その場で懐中時計を十一時三分に合わせる。だけどねじが固くて動かない。
「くそっ! 動けっ!」
声を上げ、歯を食いしばって、ねじを回す。少しずつ少しずつ、おじいちゃんが起きた七時四五分から十一時三分へと回す。
なんとか回しきり、僕はお母さんをはね除けるようにしてカブの元へ走った。血まみれのカブの下に懐中時計をねじ込む。
「起きろ! 起きるんだ、カブ! カブっ!」
十一時三分。カブは目を覚ましむくりと起き上がった。
助かった!
でも。起き上がっても傷は治らなかった。血がどばどばと傷口から流れ出し、聞いたこともないような鳴き声で鳴く。口からも血を吐いている。
カブが僕の前によろよろと向かってきて。僕を凄い目でにらみつけて。
また、倒れた。
カブ……。
僕は、そこからの記憶がなかった。
気づいたときには夜だった。お母さんがずっと僕の看病をしてくれたらしく、ごはんや水に濡れたタオルが頭の上に置かれていた。そして僕の枕元には綺麗に洗われた懐中時計も。
僕はカブになんてことをしたんだろう。最初は一筋の涙がほろりと流れるだけだったが、段々苦しくなり、大声を上げて泣いた。
カブ……ごめんね……!
僕は苦しかった。
だけどもっと苦しんでいる人がいた。
泣いていると救急車のサイレンが聞こえた。どんどん近づいてきて、部屋の外から大きな音が聞こえる。暗いはずの部屋が赤い光が点滅していた。
おじいちゃんだ……。
僕は涙を拭いて、部屋を飛び出す。その右手には懐中時計を持って。
救急車の中でいつものように眠っている気がしていた。だけどお母さんの話だとおじいちゃんは突然咳き込み、うなっていたらしい。
だが救急車の中につんざく音がする。心臓が止まった音。それぐらい小学生の僕にだって分かる。
どうしよう。
やるなら今しかない。
だけど。
カブ……。
おじいちゃん……。
僕は何も出来なかった。
おじいちゃんは亡くなった。僕にかけた「おはよう」の挨拶が最後の言葉になった。
翌日。結局僕は朝の六時に起きることも、懐中時計が最後に指した十一時三分に起きることもなく、八時半に起きた。お父さんとお母さんはお葬式の準備で忙しそうで、僕は仕方なく外へ出た。
なんとなくたどり着いたのは学校の前の川だった。
宝物を初めて見つけた。でも宝物を二つも失った。カブ。おじいちゃん。いや、三つだ。この懐中時計も。
僕はポケットから懐中時計を取り出して、ふたを開ける。十一時三分を指している。ふたを閉めてねじを回そうとして止めた。たぶん回ることは二度と無いだろう。
僕は思いきり川に向かって懐中時計を投げた。小さな音を立てて、懐中時計は沈んだ。
さようなら。
僕はそう川に呟き、家へ向かってゆっくりと歩いていった。