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花物語  作者: 浅見カフカ


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第二章 菫④

「これが私の知っている全てよ」

トミ子さんは矍鑠かくしゃくとした口調で、まるで昨日のことのように話してくれた。

『守ってあげられなくてごめんなさい』

最後はそう言って別れたそうだ。

「でもね、菫子お嬢様は十分に手を尽くしてくれたの。御学友のお家を紹介してくださって、そこで伴侶にも出会えましたし」

そう言って大きな声で笑った。


色々とお話は聞けたけど......

住職とトミ子の話だけではまだ霧は晴れなかった。

香織はとりあえず旧紡績工場を見るべく郷土資料館へ向かった。

良寛寺の近くだったがトミ子の家を訪問したので、調べた道とは違う道となった。

夏草が茂る堤防沿いの道。

護岸工事のされていない土と川と草の匂いは、鮮烈で心地よかった。

「あっ」

堤防の道の脇に煉瓦と柵で囲まれた桜があった。

根元を煉瓦で囲われ、そこの下草は綺麗に手入れされていた。

囲む白く細い柵には[連理桜]とプレートが貼られていた。

「この下で...」

香織は70年前のロマンスを想像した。

叶うことのなかったロマンスを。

満開の桜の下で向かい合うシルエットが、一瞬見えた気がした。


郷土資料館に着いたのは閉館の1時間ほど前だった。

「今からでも回れますか?」

受付でそう尋ねると「よほど熱心に見なければ30分程度で回れますよ」と愛想の良い笑顔で言われた。

入館料200円なら確かにその位の見学時間かもしれない。

「あのう」

香織がもう一度声を掛けると「はい?」と今度は怪訝そうに振り向いた。

「建物の周りとか回れますか?」

「17時までなら大丈夫ですよ。美しい建物ですからね」

再び表情が柔らかくなる。

「写真はいいですか?」

「展示品は撮影NGですが建物の外観でしたら良いですよ」

「ありがとうございます。祖母の実家だったので見せてあげたいんです」

そう言うと「え!?」と目が大きく開かれた。

コロコロと猫の目のように表情が変わる女性だ。

反応がいちいち面白かった。

「柘植さん?」

「母方の祖母なので私は日下と言います」

「日下さんと言いますと日下商事の?」

「ご存知なんですか?でももう倒産してしまいましたけど」

「違いますよ」

受付の女性は香織の言葉を否定した。

「日下孝之助さんは会社を解散したのですよ」

久しぶりに他人から祖父の名前を聞いた気がする。

「バブル崩壊からの業績悪化にご自身の体調もあったので、清算と従業員の再就職の斡旋を済ませて廃業されたんです。採算の取れていた部門は独立させて、そこに流れた従業員も多数居ましたよ」

「お詳しいんですね」

香織が感心すると「日下家は戦後にこの街の経済を牽引した名家ですからね」と教えてくれた。


最初に目にしたのは柘植家の年譜だった。

大方は図書館と同じ年譜で新しい発見は無かった。


展示物には揚羽蝶の家紋が入っている物が多数あった。

(整理したおばあちゃんの荷物にもあったなぁ)

(戦前に映写機がある)

(あっ、ジブリの電話だ)

いくつかは声に出てたかもしれない。

戦前の経済格差、恐るべしだった。

「あれ?」

展示物は柘植家の物のはずなのに寄贈元の多くがワイオーレ財団となっていた。

(あとで聞いてみよう)

香織は先程の気さくな受付の人を思い浮かべていた。


[柘植から日下へ]の記述が順路の最後、受付の手前にあった。


農地改革で柘植家は土地の多くを失い、生糸の先物相場の下落、労働組合の台頭による労働者保護等、戦後の改革はどれも逆風となった。

辛うじて財閥の指定は免れたが、基幹産業や下支えを失った柘植家は斜陽の一途だった。

(うわぁ、私だったら世界が敵って思いそう)

柘植家の血が流れていると思うとなんだか悲しい出来事に思えた。


代わりに戦後成金として揶揄されながらもGHQを相手に堅実な商売をしつつ、裏で闇市の主催を行ったりと如才無く台頭したのが日下家だった。

(闇市...必要悪は分かるけどなんか複雑だわ)

日下姓を名乗る身として肩身の狭いワードだった。


この日下家が柘植家と婚姻関係になる。

市民の間ではこの政略結婚が大きな話題だった。

そうして日下は血統を、柘植家は経済的後ろ盾を得た。

結局は柘植家はその後に破産。

自らの労働において対価を得るという事を、数百年に渡りしてこなった柘植家は時代の大きな変化に付いて行けずに淘汰されてしまった。

(厳しいけれど歴史の必然ね)

香織は小さくため息をついた。

それはまるで鎮魂のような吐息だった。


「あっ」

香織は思わず声をあげた。

おばあちゃんだ。

モノクロの写真の中、角隠しを被ったおばあちゃんが写真の中央に座っている。

知らなければ女優さんかと思うくらい整った顔をしていた。

その隣には当然だがおじいちゃん。

丸っこい身体に丸い顔。

そして黒縁の丸眼鏡。

絵描き歌で描けそうな姿のおじいちゃん。

緊張し過ぎて無表情なのが可愛かった。

小さい頃から「香織ちゃんは、おばあちゃん似だね」と言われて育った。

おじいちゃんには申し訳ないけど、良かったと改めて思った。


順路を巡って受付に戻ると、気さくな女性は接客中だった。

少し離れた場所で待っていると女性は気付いて「どうぞ」と声を掛けてくれた。

「いいんですか?」

香織が尋ねると「友人なんです」とバツの悪そうな顔をした。

「そうだったんですね」と会釈しようと先客見ると、目が合ったところで「あっ」と言った。

図書館司書の大塚だった。

「こちらに足を運んで下さったんですね」

大塚は人懐っこい笑顔で「嬉しいです」と近付いてきた。

「私も祖父母の結婚式の写真が見れて嬉しかったです」

香織も歩み寄って手を差し出した。

「えっ!?」

驚く大塚に「日下香織です。祖母の旧姓は柘植です」と言った。

大塚は握手をしながら友人を見ると、彼女は頷いていた。

「それで日下さん、何かご質問があったのでは?」と聞かれて「あ、いけない」と受付の女性に向き直った。

「ワイオーレ財団からの寄贈が随分多いのですが?」

香織の質問に意外な言葉が帰ってきた。

「あと5分で閉館なので、お時間あれば私達とお茶でもいかがですか?」

「良いですね。日下さん、是非」

大塚も相変わらずの懐っこさで微笑んだ。

「お邪魔でなければ」と香織も微笑み返して頭を下げた。


ドアを開けるとカウベルのカランカランという音が響いた。

「いらっしゃいませ」と静かに、それでいてよく通る声がふたりを迎えた。

大塚は「あとからもう1人来ます」と告げ、空いていた奥のテーブル席に向かった。

郷土資料館から5分ほど歩いた所にある喫茶ボストン。

道すがら大塚は大塚秀美と名乗り、受付の友人は湯浅圭子と教えてくれた。

2人は女子校の同級生で、菫子の遠い後輩になるらしい。

聞けば香織とも年齢が近く、お互いに急に親近感を覚えていた。


カランカラン。

ドアが開いた。

走ってきたのだろう、圭子が息を整えながら店内を見回す。

香織の向かいに座る秀美が大きく手を振り、ちょうど店員も奥の席を促していた。

3人揃った所にケーキセットが運ばれてきた。

本日のケーキにお好みのドリンクが選べるセットだった。

フルーツタルトのセミフレッドが3つ並べられた。

ブルーベリー、ラズベリー、白桃、キウイ。

それらが半解凍のメレンゲと生クリームに包まれていた。

「わぁ」と全員の顔が華やいだ。

ドリンクは香織がアイスティーで秀美がエスプレッソラテ、圭子はアイスカフェオレだった。

圭子は秀美に「よく分かっていらっしゃる」と少しおどけで言った。

ストローを差し入れると重なった氷が崩れる。

涼し気な音がした。

圭子は喉を湿らせてひと心地ついた。

そしてまだ少し上気した頬のまま「ワイオーレ財団のことよね」と香織を見た。

「ワイオーレ財団の運営母体は北翔という総合商社です」

「北翔さんは祖父の会社の取引先でした」

香織が驚いた表情を見せた。

「当時の部長さんがよく祖父とゴルフに行ってたと思います。田所さん...だったかな。私も随分可愛がって貰った記憶がありますよ」

「現在の社長が田所さんですね」

圭子はそう教えてくれた。

「では田所さんが、祖母の実家のものを買い戻して寄贈したのですか?」

「うーん、多分違うと思います。『もっと上の指示がね』って前に言っていたので」

「会長さん...とか」

「ああ、あるかもしれませんね。柘植家ゆかりの人が恩返しにとか」

圭子がそう言ったところに「国井義光会長」とスマホを手にした秀美が教えてくれた。

香織はその名前をメモすると(これはおばあちゃんに聞くしかないな)と思った。

一応検索エンジンに国井義光と入れると4件ヒットして、条件を絞ると国井義光(北翔会長)と1件が残った。

しかしその経歴は柘植とは一切関わりの無いもので、香織は混乱してしまった。

(もっと上って?)

「進みかけて振り出しって感じ?」

秀美が心配そうに聞いた。

「田所さんにアポとってみようかな」

「いやいや無理でしょ!」

香織の呟きにふたりの驚きが重なった。

「香織さん、いくら子供時代に面識があっても...」

圭子が改めて諌めた。

「逆にお祖父様じいさまの部下の方をあたってみたらどうかしら?きちんと清算して解散した会社ですもの、恨みに思っている人は少ないと思うの」

更に圭子から提案が出された。

これには香織も大きく頷いて納得した。

「美味しい!!」

不意に響いた感嘆に香織と圭子がビクリと身体を震わせた。

見ると秀美がフォークを咥えたまま、左手で頬を押さえている。

セミフレッドがふたつ、手付かずのまま汗をかいていた。


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