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花物語  作者: 浅見カフカ


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第二章 菫①

「花は散るその瞬間も花なのですよ」

そう教えてくれたあの人の真摯な眼差しも、声も、温もりも...昨日のことのように覚えている。




「香織、おばあちゃんの荷造りありがとうね」

母、公子きみこからの労いの言葉が背中で空虚に響いた。

「荷物が多過ぎるのよね」

額の汗を拭いながら愚痴るように呟く。

「それだけ人生で色々と背負ってきたのよ」

「ふーん」

そんなものかと香織は荷物の分別を続けた。

時折舞う埃が、午後の陽射しに乱反射する。

要るもの、要らないもの、確認するもの...

祖母の菫子すみれこは来週には施設に入所する。

荷物は出来るだけ最少にまとめる必要があった。

(でも、本当に要るか要らないかなんて本人にしか分からないだろうな)

そう思いながら明らかに壊れている何かの部品や、以前使っていたテレビのリモコンを、要らないものへと分別した。

淡々と繰り返す作業の中、ここに在るべきでは無いものを指先が見つけた。

「ママ、これって」

人目に触れないようにひっそりと。

記憶の奥底に閉じ込めたような木箱の中。

まるで隠すようにしまわれたそれは、位牌だった。

「北浦将吉って人、親戚に居た?」

「聞いたことの無い名前ね」

公子は記憶を辿るように視線を彷徨わせた。

そして首を傾げて「やっぱり分からない」と言った。

「なんか、おばあちゃんには聞きにくいね」

香織が眉を寄せる。

「ねぇ、没年とか書いてない?」

「えぇと、昭和19年6月30日......うわぁ、22歳だって」

香織は年齢を見て胸が痛んだ。

(私よりずっと若い)

「若いわねぇ。その頃だとおばあちゃんの実家は、まだ有数の資産家だった頃ね」

「え?聞いたことない」

「パパだって産まれる前よ」

「でも、パパも子供の頃は裕福だったんでしょ」

「子供の頃はね。でも今だって困らない暮らしは出来てるでしょ。パパが頑張ってくれてるんだから」

これ以上は話が逸れていきそうに思えて香織は素直に同意した。

「遅くまで頑張ってくれるパパには本当に感謝だね」

そう言って立ち上ると「用事出来た」と続けた。

「ちょっと香織、どこ行くの!?」

「だって気になるでしょ、将吉さん」

最後まで言い終える前にドアは閉まり、香織は小さく息を吐いた。

「眩しっ」

思わず手でひさしを作って目を細めた。

落ちかけた陽射しがオレンジ色に周囲を染めていた。

「さてどうしたものか」

香織は小さく独りごちると思案を巡らせた。

退屈な日常の違和感に高揚したまま飛び出したはいいが、あてがあるわけでは無かった。

香織が知っている範囲の祖母の歴史は、事業を営む祖父と結婚して父と叔父を産んで、晩年は事業をたたんだ祖父と二人暮し。

4年前に祖父と死別。

来週、サービス付きの高齢者施設に入居する...

それが香織の知る祖母の全てだ。

「うーん」

夕暮れの風に揺れる木の葉を見上げながら香織は小さく唸った。

この胸の高鳴りをどうするか少しの間迷う。

(決めた)

「まずは叔父さんだ」

スマホを取り出すとディスプレイが仄明るく光る。

(丁度定時のはずだ)

アドレスの叔父、秀一の名前を呼び出すと、一瞬だけ逡巡した後にタップした。


平日の夕方にも関わらず、待ち合わせ場所の居酒屋は賑わっていた。

個人経営の居酒屋で叔父の行きつけの店だ。

何度か一緒に来たこともあって、マスターも香織の顔を覚えていた。

「いらっしゃい。しゅうさん、奥の個室で先にやってますよ」

愛想良くそう言われて「じゃぁ、とりあえず生よろしく」と返した。

(なんだか定型文みたい)

可笑しくて吹き出しそうになったのを、咳をする振りをして奥へと小走りで急いだ。


障子を開くと上機嫌の秀一が既に顔を赤らめて座っていた。

「おお、香織。お疲れさん!今日は公子さんと一緒に、母さんの荷造りの手伝いをしてくれたんだってな」

ネクタイを緩めて「ささ、座って」と向かい側に手のひらを向けた。

座布団に腰を下ろすと、紙コースターが敷かれビールが置かれた。

お通しはカブの千枚漬けだ。

香織は店員が戻った後に、そっとお通しの小鉢を秀一の側に押した。

叔父がニヤリと笑った。

「苦手なの」

バツが悪そうに香織は言った。

それを誤魔化すようにグラスを叔父のコップに当てると「お疲れ様」と言ってグラスの半分を飲んだ。

そして大きく息をくとコースターにグラスを置いた。

「それでね、叔父さん」

そう言われて秀一は身構えた 。

「北浦将吉って名前に心当たりはある?」

「は?」

拍子抜けした声が出た。

「なんだ、仲人のお願いじゃなかったのか」

「は?」

今度は香織の番だった。

「ちょっと叔父さん、どうしてそうなるのよ」

そうしてふたりはひとしきり笑うと「その北浦なんとかってのは誰なんだ」と秀一が切り出した。

「実はね」

香織は菫子の家で見つけた位牌についての話をした。

「気味が悪いな、他人の位牌なんて」

秀一が身体を後ろに逸らすと、眉根を寄せて嫌そうな表情をした。

その様子に(本当に知らないみたい)と察すると質問を変えた。

「このことを知ってそうな人は居ないかな?」

「それなら良寛寺の住職はどうだ?あそこは母さんの実家が檀家をつとめていたから」

「そっか、この人自身よりも位牌から追うのね」

「追うって、刑事か探偵みたいだな」

秀一はそう言って笑った。

「あ、ところでおばあちゃんの旧姓って何て言うの?」

柘植つげだよ」

秀一はそう言ってスーツからペンを取り出すと自分の名刺の裏に書いて渡した。

「言われなきゃ読めないね」

香織は「ありがとう」と言うと名刺をバッグにしまった。


生ぬるい夜の風が髪を撫でる。

(これで何か知れるかもしれない)

そんな不快な湿度も気にならないほどに、足取りは軽い。

(良寛寺、住所はどこかしら)

香織はバッグからスマホを取り出した。

「あっ」

思わず声が出て立ち止まった。

母からの着信とLINEの件数がとんでもない数になっていた。

『スマホなんて、LINEなんて』と言ってた母だったが、数ヶ月前の未曾有の災害を機にガラケーから切り替えた。

以来、ことある事にLINEだ。

香織は額に手を当てると回れ右で駅に戻った。

(パパもよく使ったこの手で)

香織の父は公子の機嫌を取るのに駅前の洋菓子屋でケーキを買って帰っていた。

ブルーベリーのタルト。

一緒に香織にはショートケーキを買って帰って来た。

飲み会や接待が続く時は(そろそろかな)と期待したものだった。


「ごめんなさい!!」

開口一番そう言って、ケーキの入った箱を前に突き出した。

公子は半ば呆れながら「パパに似てきたわね」と満更でも無い顔で受け取った。

中のブルーベリータルトとショートケーキを確認すると「紅茶でいいでしょ」とキッチンに向かった。

「明日は早めに行くわよ」

ケトルに入れる水の音が声に混じって聞こえた。

(これはマズイ)

公子の言葉に香織は返事が出来なかった。


紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。

ケーキに紅茶を出したのではなく、紅茶にケーキを添えたような気がしてきた。

公子は紅茶に一家言いっかげんある人だった。

「素敵な香りね、ママ。これはアールグレイかしら?」

「ダージリンよ」

呆れたような声。

「そもそもあなた、アールグレイが何か分かって言ってるの?」

「...知りません」

(うわぁ、やぶ蛇だ)

香織は口は災いの元という言葉を身をもって感じた。

「まぁ、いいわ。それで香織、明日は早めに出るわよ」

ため息で一度言葉を切って、公子が言った。

「あのねママ...」

おずおずと香織は切り出す。

こんなに歯切れ悪く話し出すのはいつ以来だろう。

今、公子を前にして、小学生くらいに戻ったようなそんな気分だった。

「あのねママ。今日あの位牌を見つけてから、おばあちゃんのことを色々考えてたの」

公子はテーブルを挟んで香織をじっと見ている。

「そうしたら、私ね、おばあちゃんのことを何も知らなかった。何十年も生きた人に28年も可愛がってもらって、何も知らなかったの」

香織は紅茶を一口啜って言葉を続けた。

「旧姓すら知らなかった。私...知りたいの。柘植菫子の人生。日下菫子の人生」

「女はね、男の人以上に人生に過去があるものよ」

公子が静かに話しだした。

「本人が話さなかったこと...お義母かあさんが胸の奥にしまうように大切に封じてきた秘密を暴くことは『知ること』とは違うわ」

タルトにフォークが刺さる音がした。

香織は返す言葉も無かった。

そもそもが説得しようと思いつきで言った言葉だった。

公子の言葉とは重みが違い過ぎた。

「ごめんなさい。私の思いも行動も軽率でした」

香織は真摯に謝罪をした。

そして謝罪をした上で再び言った。

「おばあちゃんを傷つけたり、貶めたりするつもりは無いの。だって大好きだもの。でも知りたい。菫子の人生に北浦将吉がどう関わったか。おばあちゃんが大切にしてきた記憶、暴くのではなくて継ぎたいの」

想いを上手く言葉に出来なかったが本心を語った。

これでダメなら諦めよう、そう思った。

そして公子を真っ直ぐに見詰めた。

同様に公子も香織を見詰めていた。

二人の間に沈黙が横たわる。

空気の音すら騒がしく思える長い沈黙。

実際はほんの数秒。

でもこの数秒が永遠に感じた。

「結果はパパにも公造義兄さんにも言わないで。これは、女同士の秘密」

「約束します」

「女の秘密なんて男には背負えないもの。それと、紅茶は啜るものではないわよ」

公子はそう言うと悪戯っぽく笑った。


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