第四章 ブーケ⑥
「上田さん。今度息子と会うのだけれど、どこかいい所を知らないかな?」
——あの日聞いてしまったことを、半分後悔していた。
「ああそれなら福寿楼がいいですよ。オーナーに連絡しておきますよ」
福寿楼といえば帯壁きっての名店。
新聞社時代のパーティーで一度行ったきりの店だった。
ヨレヨレのスーツをクリーニングに出した。
そして久しぶりにネクタイを締めた。
それでもこの店の雰囲気から浮いているのではないかとソワソワした。
居心地の悪さから気を逸らすために、この店のシンボルでもあるシャンデリアを見詰めていた。
あれは蓮だろうか?
ガラス細工の細やかな意匠が施されたシャンデリア。
おそらくは一階席からは気付けないだろう。
それにしてもなるほど。
一斉に明かりが灯れば、それが花となるのか。
食事中には灯るだろう。
きっと美しいだろうな——
そんな想像を巡らせていると、ウェイターが息子を連れて案内してくれた。
フラットバイザーのキャップにパーカー。
下はワイドパンツにスニーカーを履いていた。
老舗だがドレスコードが無い店で良かった思った。
「久しぶりだな。仕事はどうだ?」
「めっちゃ楽しいよ。ただ使えないオッサンがイラッとくるわ」
血気盛んな頃、私にもあった時代だ。
そして使えないと思っていたオッサンに鼻っ柱を折られて、実力と社会知るまでがセットだ。
それでも仕事を楽しいと言える姿を頼もしく思えた。
近況を聞いているうちに、最初の料理とワインが運ばれてきた。
予算を伝えて上田さんに頼んで貰ったコース料理だ。
「恭、コース料理って食べたことあるか?」
「いいや」
「父さんもだ。ナイフとフォークは外から順に使うらしいぞ」
「そうなんだ」
私たちはとりあえず、上品に盛り付けられたサラダを口に運んだ。
メインの肉料理が来る頃には、店にもお互いにも慣れてきた。
そこで私はずっと引っ掛かっていた事を聞いてみた。
「恭。お前、苗字は......」
「ああ、うん」
口ごもったその様子に悟った。
続いた言葉は単なる答え合わせだった。
「西田にしたよ。タイミング的にも良かったし」
「——そうか」
それ以上は言わなかった。
目の前に居る息子が、急に血を分けた他人に見えた。
男親には名前しかないからな——
「じゃ、また」
福寿楼の前で別れた。
そういえばシャンデリアはいつ灯ったのだろう。
よく覚えていなかった。
恭——
恭介は人混みの中に消えて行った。
あの子とキャッチボールをした。
随分と昔の話だ。
息子とのキャッチボールは、私の夢のひとつだった。
小さな手に合うグローブ。
それを探している時間は、とても楽しかった。
暴投で逸れたボールを草むらに探した。
ぎこちなく受け、投げ返すボール。
結局——仕事が忙しくて、それきりになった。
一人になっても一人でいても、特に何を思ったこともなかった。
ただ、独りだと思った今日——
胸に空いた穴を自覚した。
もう、ボールが返って来ることはない。




