第四章 ブーケ⑤
良寛寺の住職は「当時のことはよく分からないのですが......」と恐縮しながらも、車椅子で墓参に来る菫子さんの姿はよく覚えていると手を合わせた。
良寛寺には菫子さんにまつわる墓が三つあった。
ひとつが実家の柘植家。
ひとつが自身の日下家。
最後のひとつが北浦家。
「月初に来られるのですよ、菫子さんは」
「一日が北浦さんの命日なのですか?」
私がそう尋ねると住職は首を振った。
「誰の命日でもありません」
(ああなるほど)
私は菫子さんを再発見したような気がした。
(菫子さんはここに来て尚、節は保つ人なのか)
私は一旦辞して、それぞれの墓に向かった。
上田さんには、桶と花束を持つ後ろ姿を撮って貰った。
陽光に匂いたつ紫陽花と土の香りが、私の鼻に触れた。
今朝方降った雨に濡れた紫陽花が美しく、記事のカットに良さそうだった。
三つの墓石の前——
北浦氏の墓の前に違和感があった。
つま先が濡れた。
ああ、ここの轍は深いのだ。
柘植家、日下家の前についた轍より遥かに。
長い時間を北浦氏の前で過ごしたのだろう。
墓誌に刻まれた戒名【優書院護慶学将信士】
かつて菫子さんが、良寛寺の前住職に頼んだというものだろうか。
——分骨はしません。
手を合わせながら香織さんの言葉を思い浮かべた。
「そこまでしてしまったら、おじいちゃんが可哀想じゃない」
そう言った香織さんは、無邪気で小さな孫娘のように見えた。
「最期の言葉は北浦さんに向けたものでした。だから全部はあげません。きっと北浦さんはそれでいいって言ってくれると思います。おばあちゃんも——」
線香の煙が立ち上っていった。
なんとはなしに、私はそれを目で追った。
青く深い空が、遠くに湧き立つ雲を従え広がっていた。
私が立ち上がった時だった。
LINEの着信が鳴った。
見ると画面には息子の名前があった。
急いで確認すると『会えないか』というメッセージだった。
心が歌うようにさざめいた。
思春期を迎えてから、ほとんど会話を交わすこともなく別れた。
仕事をするようになって、私を多少は理解してくれたのだろうか。




