第三章 椿㉑
まだ熱気が残る店内を見回した。
テーブルのグラス。
完食された大皿。
床に散らばるフラワーシャワーの名残。「静けさや宴のあとの帰り花——」
「え、芭蕉ですか?」
私の呟きは、しっかり京ちゃんに聞かれていた。
「ううん、私」
「俳人ですねぇ」
「私はもう廃人よ」
四葩がカウンターに突っ伏した。
緊張の限界だったようだ。
「でも、皆のおかげ。ありがとう」
四葩は起き上がると、私たちに頭を下げた。
「なによ、改まって。これから私たちで三次会よ」
私はとっておきの一本を出した。
お客さんがお土産にくれた、旭川の地酒だ。
「いいお酒ですね。別の酒蔵の撮影に行った時ですけど、呑みましたよ」
「じゃぁ、お墨付きね。藤さん、早く早く!」
「よし、片付けは明日!皆の者、グラスを持てぇい!」
私が右手で高くグラスを掲げると「おー!」と皆も同様に掲げた。
——飲みすぎた。
そして、飲ませすぎた。
私がウトウトしていると、目の座った四葩が真一さんの隣に移った。
「上田さん。今日は本当にありがとうございました」
初めはそうしたお礼の言葉だった。
それが妹さんの話に変わり、いつの間にか私の話題に変わった。
(ちょっと、何を話し出すのよ)
私は気まずさに寝たふりをするか、起きて止めるか決めあぐねていた。
きっとあの身体の重さは、まだ覚醒してはいなかったのだと思う。
頭の重さが重力に負けて下を向いた。
一瞬、起きて頭を上げた時だった——
「アンタは死んだ女しか愛せない"かたわ"な男だ」
四葩が立ち上がった。
「でも、それは素敵なことだと思う。父も母が亡くなってから四半世紀、ずっと独りだったから」
完全に目が覚めた。
「上田さん。その胸の人への想いは美しい。でもね、生きている人の想いと、生きている人への想いも大切にして。忘れること——それは決して裏切りじゃないから」
真一さんは一度も言葉を挟まなかった。
ただじっと四葩を見上げていた。
「愛は人生を満たすけれども、時に孤独にもしてしまうわ」
そう言って四葩は深く深く頭を下げた。
非礼を詫びるように。
何かを願うように——
そして店を出て行った。
真一さんがペンダントに触れた。
その表情はとても辛そうに見えた。
「忘れちゃダメです!」
叫ぶように真一さんを止めた。
ピクリと指先が止まった。
「私は真一さんの全部が好き。真一さんが生きてきた時間の全てが好き。だから——和美さんも含めて真一さんが好きです」
手を伸ばせば触れられる真一さんとの距離。
でもそれはとても遠く感じた。
「——だからお願い、忘れないで」
真一さんはのろのろと立ち上がると、無言で店をあとにした。
へたり込んだ私の背中を、いつの間にか京ちゃんが抱きしめてくれていた。




