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花物語  作者: 浅見カフカ


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第一章 紫陽花③

季節は秋に変わり、レストランからの帰り道。

金色の絨毯を敷き詰めた銀杏並木いちょうなみきで小夜子の指に婚約指輪を嵌めた。

白く細い指に小さなダイヤが控え目に煌めいた。

「ママ先生に報告しなくっちゃ」

左手を光にかざす小夜子の声は弾んでいた。

ひとりで報告してしまいそうな勢いだったので「一緒にね」と頭を撫でて肩を抱いた。

足元で銀杏いちょうが秋風に舞った。


園長先生は小夜子以上に喜んでくれた。

「あんなに小さかった拓が…ねぇ」

何度も何度も呟くように言っては目頭を押さえていた。

小夜子も涙を流して園長先生に抱きついて背中をさすられていた。

小夜子のそんな姿は子供の時ですら見たことはなかった。


結婚式は施設で挙げた。

小夜子の希望だった。

私たちには施設外の友人は数える程で、私もなるほどと思った。

小夜子は定時制高校と職場の友人数人を招待した。

私の方は『身内だけで』と職場に話して特に誰も呼ばなかった。


正門には番線と和紙で作った花のアーチ。

風船や折り紙のリングで装飾された集会室。

低学年以下の子達が数日掛けて作ってくれたそうだ。

園長先生からのサプライズでウェディングドレスが用意されていた。

控え室に置かれていたドレスに感激した小夜子が目を泣き腫らしてしまい、式の開始が遅れたのはいい思い出だ。

私にもサプライズがあった。

上司が会社の名前で祝電と花を贈ってくれていた。

招待をしなかった不義理への痛みと、居場所のある喜びが、私の胸に二重の波紋描いていた。

入刀した少し不格好なケーキは、上級生の子達が作ってくれた苺のケーキだった。

メインの料理以外は全て子供たちの手作りの結婚式だった。

受付や裏方は中高生の仕事だった。

学校祭で覚えた手際の良さに、彼らの幼児期に世話をした私たちも「小さかったあの子たちがねぇ…」と嬉しくて仕方なかった。


「それにしてもみぃ子がねぇ」

支度を終えた長女の四葩よひらがサンドウィッチをつまんで言う。

「何その上から目線?」

美禰子が不満気な声をあげた。

「いやいや、カレシが出来ると料理も上手になるんだなって」

初耳だった。

「ちょ、お姉ちゃん!パパあのね違うの。いや、違うくないの。ママに報告してからって思ってたの」

私は苦笑いでお茶を啜るしか出来なかった。

娘たちの成長の折々に男親の限界を感じる。

四葩の時は生理用品すら買えずにオロオロして園長先生に泣きついたものだった。

専用の下着があることすら思い至らなかった。

小夜子が託した、いや負託したこの子達を私はちゃんと育てられているのだろうか。

押し黙った私に四葩も美禰子も黙ってしまった。

「ああ、すまない。さぁママが待ってるから行こうか」

場の雰囲気を誤魔化すように私は立ち上がると車の鍵を手にして外に出た。


梅雨の晴れ間の車内はエアコンのおかげで快適だった。

窓を全開にして小夜子と走った20年前が遠い昔に思えた。

「パパ、なんかニヤけててキモイんだけど」

ミラー越し、美禰子に見られていた。

「うわっ、何?久しぶりの愛娘たちとの外出に嬉しくなっちゃった?」

四葩からの追い討ちが放たれた。

「いや、最初の車にはエアコンが無くてさ。ママと窓を全開にして走ったなぁって」

「それってデート?」

今度は娘ふたりがニヤニヤしていた。

「まぁ、そうだな」

「せっかくセットした髪がぐちゃぐちゃになりそう」

「それもう帰りたいわ」

口々に好き勝手を言われた。

「わかるぅ」と盛り上がっていたふたりだったが、美禰子の一言に一瞬の沈黙があった。

「お姉ちゃんはママのことを覚えてるの?」

車内の温度が冷えた気がした。

「そうね、6歳だったから」

四葩の声の抑揚が消えた。

「そっかぁ。覚えていたかったな」

「鏡見なよ。みぃ子はママにそっくりなんだから」

上手に話を逸らしてくれた四葩に安堵した。


その日は二人目を身篭った小夜子の定期健診だった。

いつものように待合室に居ると診察室に呼ばれた。

四葩の時には無かったことで少し困惑した。

医者は沈痛な面持ちで、かつ事務的にこう言った。

「子宮頸がんが疑われます。妊娠の継続は可能ですが、母体へのリスクを考えれば今回は諦めるのも選択のひとつです」

頭を不意に殴られでもしたらこんな衝撃なのだろうか。

「これは比較的ゆっくり進行するので今が初期なら出産後に手術は可能です」

その後の説明もあったがあまり頭に入ってこなかった。

後日の精密検査の結果、出産は母体の生存に関わる程に進行していることが分かった。

そのことを知って尚、小夜子は産むことを選んだ。

「そうね、今回を諦めれば次があるかもしれない。でも、この子には今しかないの」

そう言うと、愛おしそうにまだ小さなお腹をさすった。

「......分かった」

私は喉の奥から絞り出すように答えた。

言葉がまるで固いものを吐き出すように喉につかえていたのを覚えている。

そこからは四葩を連れて毎日見舞った。

四葩は毎回ベッドで小夜子に抱きついて離れなかった。

そしてお腹の子に「お姉ちゃんだよ」と呼びかけていた。

ここが病室でなければどこにでもある家族の風景だったのだろう。

小夜子もそんな四葩に楽しそうに笑って、四葩も笑って...私だけがそれに耐えられずにいた。


「寝ちゃったわ」

寝息を立てる四葩の隣で少し痩せた小夜子が身体を起こした。

「心配性ね。まだダメだって決まった訳じゃないわ」

私に向けて気丈に笑顔を見せた。

「ああ、もちろんだ。大丈夫に決まってる」

釣られた私は、ほぼ勢いだけで言った。

それを見た小夜子は今度は本当に可笑しそうに笑った。


冬の入口だった。

冷蔵庫のビールに手を伸ばした時だった。

電話のベルが鳴った。

慌てて閉めて受話器を取った。

小夜子の陣痛が始まった。

私は夜分で気が引けたが上司に電話をして翌日の休みを貰った。

以前から相談していたこともあり「早く奥さんのところに行ってやりなさい」と言って貰えた。

四葩は小夜子がかねてからお願いしていたアパートの隣家に預けた。

同じ保育所に通う子がいたおかげで、四葩も素直に言うことを聞いてくれたのは本当に助かった。

乗り込んだ車のビニールシートは冷たく思わず身震いした。

私は暖気もそこそこに車を走らせて、小夜子の元に向かった。

それにしても病院はこんなにも遠かっただろうか。

赤信号のひとつひとつが長く感じられる。

頼りないヘッドライトと点在する街灯。

小夜子の手を、早く握ってやりたかった。


裏口の救急受付に駆け込むと、そのまま分娩室へと向かった。

分娩室前に居た看護師が分娩室横の部屋に案内してくれた。

額に汗を滲ませた小夜子が、ベッドの上でこちらを見て安堵の表情を浮かべた。

私は小夜子の手を握るとベッド脇の丸椅子に腰を下ろした。

「陣痛の間隔が3分になったら教えてください」

事務的な看護師の言葉に「5分じゃないんですか?」と聞き返すと「奥様、二人目ですよね」と言われ、初産とは違うものなのかと納得した。

「初産じゃなくてもお産は大変なんです。ご主人、しっかり手を握ってあげていて下さいね」との看護師の言葉に、最初の事務的な印象と打って変わった印象を受けた。

四葩の時もそうだったが正直な話、どれほどの痛みなのか想像もつかなかった。

か細い小夜子の指が、私の手が折れんばかりに握りしめる度に片方の手で腰をさすり続けた。

後で見ると右手には小夜子の指の跡がくっきりと赤く凹んで残っていた。

間隔が3分になり分娩室に入ると、意外とすぐに産声が聞こえた。

瞬間、私は立ち上がって入口の前に立っていた。

「奥さん頑張りましたよ」

看護師はそう言って私を小夜子の元に案内してくれた。

カーテンの向こうに、まだ肩で息をする小夜子が赤ん坊を抱いていた。

「四葩の妹よ」

小夜子はそう言って赤ん坊のピンクの頬に指で触れた。


「妹!!妹!!妹!!」

病院に連れて行く車中の四葩は大はしゃぎだった。

「私の一番好きなピンクのワンピースとお人形をあげるの。それからママキッチンで一緒に遊ぶの」

昨年の誕生日にプレゼントしたキッチンのおもちゃのことだろう。

四葩の妹フィーバーは微笑ましいが、流石にこのまま病院は困る。

「四葩はもうお姉ちゃんになったんだから、病院では静かにお行儀良く出来るね」

私がそう言うと神妙な面持ちでコクコクと頷いた。

「ママもきっと喜ぶよ、四葩お姉ちゃん」

その言葉に四葩は、パァっと花が咲いたような笑顔を見せてくれた。

それはいつかの小夜子の笑顔のようだった。


病院に着くと新生児室の妹のこともそこそこに、四葩は小夜子から離れなかった。

「あらあらお姉ちゃん、どうしたの」

小夜子がそう言うとパジャマを強く握りしめて「お姉ちゃんじゃない」と小夜子の胸に顔をうずめてしまった。

一瞬驚いた表情の小夜子だったがすぐにいつもの優しい表情を浮かべると、そっと四葩の頭を撫でていた。


四葩のご機嫌取りに大好きな紙パックのりんごジュースとビスケットを売店で買った。

病室に戻ると、既に小夜子の膝の上で上機嫌の四葩が居た。

(かなわないな)

小夜子にも四葩にもそう思って、私は思わず頭を掻いた。


赤ん坊への授乳の時間だった。

「美禰子」

勢いよく母乳を飲む様子を見ながら小夜子が言った。

「ミネコ?」

私の様子に小夜子は『美禰子』と紙に書いて見せた。

「三四郎?」

「ストレイシープ」

私の言葉に小夜子はそう続けて笑ってみせた。

夏目漱石の三四郎は私も小夜子も施設の図書館で読んでいた。

夏休みの読書感想文はそれで書いたものだ。

ただ『禰』の文字に少し心がざわめいた。

改めて小夜子を見ると見透かしたように「考えすぎよ」と言った。

思えばもう既に心は決まっていたのだろう。

美禰子は小夜子の忘れ形見だと。


投薬は、小夜子の希望でひと月待ってからとなった。

美禰子に最初のひと月までは、母乳をあげたいということからだった。

手術は体力の回復を待ってからという事で、出産の40日後が手術の日に決まった。

出産1週間後に帰宅して、そこからまたひと月後に入院。

四葩の赤ちゃん返りは、それは酷いものだった。


12月の雪がちらつく日だった。

積もることなくアスファルトに消えてゆく雪に縁起でもないことをつい思ってしまう。

その度に小夜子は今、闘っているんだとかぶりを振って自分に言い聞かせた。

妊娠の継続を選んだ小夜子の病状は、予想よりも進行が早く広汎子宮全摘出術となった。

既にもう開始から6時間が経過していた。

朝から園長先生が駆けつけてくれて、四葩と美禰子を施設で預かってくれている。

きっと泣きそうな顔だったのだろう。

園長先生は私の尻をパンと叩くと「パパは一家の勇気」と言って叱咤してくれた。


リノリウムの床に滲む照明。

薬品と消毒液の混じった匂い。

消える気配の無い赤いランプ。

現実味が無い。

あの扉の向こうに小夜子が居るなんて。

まるで悪い夢だった。


手術は8時間に及んだ。

ランプが消え立ち上がった私の前を、ストレッチャーに乗せられた小夜子が過ぎていった。

執刀した先生は私の前に立つと「除ける部分は全て切除しました。ただ、リンパ節への転移の可能性が疑われるので今後は経過を観察しながら治療方針を決めることになります」と言って去っていった。


今夜だけ小夜子は個室に移った。

看護師の言う通り小夜子は30分程で目覚めた。

私は転移の可能性以外の話を伝えた。

これが小夜子への初めての隠し事だった。

きっとこれから増えていくのだろう。

話せないこと、隠すべきことが。

聡い小夜子のことだ、きっと簡単に見破るのだろう。

そして知らない振りをするだろう、私の為に。


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