第三章 椿⑰
高砂席のレースの皺が気になって何度も直した。
後ろでは、京ちゃんの大きな溜息が聞こえる。
「藤さん、大丈夫だから」
「ウェルカムサイン、もう出した方がいいわね」
「ふ・じ・さ・ん」
「はい」
背筋が伸びた。
「ちょっと、落ち着きましょう。真一さんと気まずいのは分かるけど、喧嘩したわけじゃないんだし」
今度は私の溜息が漏れた。
「分かってる。分かってるんだけどなぁ」
そばにあったソファーに、乱暴に腰を下ろして天井を仰いだ。
「三十路も過ぎて、何してるんだろう」
「こればかりは灰になるまで仕方ないわよ」
そう言って京ちゃんが隣に腰掛けた。
京ちゃんは時々、すごく達観している時がある。
そんな時は必ず聞いている。
「人生、何度目?」
「何度目でもいいわよ。いい?今日の真一さんはカメラマン。そして藤さんはスナックのママ。それ以上でも以下でもないの。プロに徹しなさい」
「——そうね」
私は両手で頬をたたくと「ありがとう、京ちゃん」と言って立ち上がった。
コツ、コツ、コツ。
手のどこか硬い場所。
指の節辺りで叩くノックがした。
「お邪魔します」
真一さんの声だ。
ゆっくりと、ぎこちなく開くドアから冷気が入り込んできた。
その不自然さに目を遣ると、真一さんが背中で押していた。
慌ててドアを引くと、肩に掛けたカメラの他に機材で両手が塞がっていた。
「撮り鉄」
京ちゃんがカメラを見て呟いた。
一眼レフに立派な望遠レンズが付いていた。
真一さんがカメラと京ちゃんを交互に見て肩を震わせた。
私はその様子に笑っていいのかと考えあぐねて、とりあえず店外にあった脚立を運んだ。
三段ステップの小さな脚立は、店の隅に置いた。
三脚を数箇所に配置して、それぞれにカメラを設置した。
「今回はウェルカムサインの場所に自動撮影の定点カメラを置きます。これは随時現像出来るデジカメになります」
プリントアウトされた写真を私たちが参加者に渡して、自身でウェルカムサインのボードに貼ってもらう企画だ。
真一さんが構える一眼レフだけが唯一フィルムカメラで、ほか全てがデジタルカメラだと言っていた。
「将来的にはデジタルに置き換わるんでしょうけどね......でも、現像するまで分からないフィルムカメラが好きなんですよ」
真一さんはそう言うと、慈しむように両手でカメラを包んだ。
そして、そのまま構えるとシャッターをきった。
不意打ち——
それは彼に恋心を抱いた瞬間の不意打ちに似ていた。




