第三章 椿⑯
「ええっ、結局何も無かったの!?」
驚いた四葩が顔をあげた。
カウンター越し、視線が驚きから憐憫、呆れへと移ろう。
「だって——ペンダント」
「してたの?」
今度はグラスを磨く京ちゃんが、天を仰いだ。
「ペンダントって?」
四葩が興味を示した。
「彼女同伴じゃ仕方ないね」
四葩の落胆。
「あの朴念仁」
京ちゃんの憤慨。
「元カノじゃないのよね、未だに」
私の諦念。
週末に迫った二次会会場の設営。
その打ち合わせのはずが、単なる女子会になっていた。
二人が憤り、私の背を軽く叩き、サワーを飲む。
少しだけ気持ちが軽くなった。
真一さんは予めコースも決めて予約をしていた。
こういう所が如才無いというか、スマートだ。
ナイフとフォークが両側に並んだ。
前菜から始まる本格的なコースだった。
「発見があと十分遅ければ、致命的だったそうです」
真一さんが静かに言った言葉に震えた。
スゥっと冷気が心に沁みるように、恐ろしいものを感じた。
「お店を出るまでは元気だったんですけどね」
私の顔色を察したのだろうか。
真一さんは笑顔を作って明るく言った。
「本当。そんな素振りも無かったですよ」
「酔って鈍くなってたんですかね。ドアを開けた頃には、もう記憶が曖昧でした」
ああ、と得心した。
「それで鍵が開いていたんですね」
「不幸中の幸いでした」
真一さんは小さく頭を下げた。
「あのままだとインフルエンザ脳症に陥っていたそうです」
あの日の真一さんの、燃えるように熱い体温を思い出していた。
同時に唇を重ねた後の、自分の顔の火照るような熱さも——
食後、シェフが挨拶に来た。
「フレンチラックが柔らかく仕上がっていて、とても美味しかったです」
真一さんの言葉にシェフは破顔して「ありがとうございます」と礼を述べた。
妙な知ったかぶりの薀蓄を並べずに、素直に美味しいと言われるのは率直に嬉しいだろうなと思った。
それはシェフの表情が、雄弁に物語っていた。
外はもう、すっかり月も登って夜の青が染み渡っていた。
風はいつの間にか冷たく、ついこの間まで吹いていた生ぬるい空気は姿を消していた。
「今夜は星も見えますね」
真一さんが空を見上げた。
澄み切った空気が、散りばめた星たちを瞬かせていた。
「綺麗」
吸い込まれそうな錯覚に、つい足元が揺らいだ。
「危ない!」
真一さんが、転びかけた私の腕と腰を引き寄せた。
密着した身体に風が遮られて、熱を帯びた。
——次の瞬間。
私を引き剥がしたのは、真一さんの首元に見えた銀色の鎖だった。




