第三章 椿⑮
真一さんが予約してくれたレストランは、大正初期から続く名店だった。
(成人のお祝いで家族で来て以来だ)
二十歳の誕生日、三階席から吹き抜けを見下ろした日を思い出した。
美容院に行こうかと思ったけれど、京ちゃんに「気合い入りすぎは引かれるかもよ」と言われてやめた。
でも、いつもより丁寧に髪を洗って優しくブローした。
大丈夫、今日の櫛は引っかからない。
一応、ファンデーションはこっそり良いのを買った。
どれだけ近付いても平気——だと思う。
真一さんの隣、半歩下がってお店に入った。
ウェイターが「お待ちしておりました」と一礼すると、私たちを席に案内した。
一階の中央付近のテーブルに予約席のプレートがあった。
ウェイターは洗練された動きで、音も無く椅子を引いた。
私は小さく頭を下げて座ると、あの日見下ろした吹き抜けを見上げた。
ウェイターは予約席のプレートを取ると、綺麗な会釈をして下がっていった。
「大きなシャンデリアですね」
以前来た時には気付かなかった。
「開店当時からあるそうですよ」
「そうなんですか」
「ええ。でも当時はこの辺りまで電気が通っていなくて、開店して半年くらいは点かなかったそうです」
真一さんは可笑しそうに教えてくれた。
「そうなんですね」
私がそう言って小さく笑うと「いやぁ、お恥ずかしい話です」と、仕立ての良いスリーピースの男性がテーブルの横に立った。
そして「上田様、本日は起こしいただきありがとうございます」と深々と頭を下げた。
「ふ...秀美さん。こちらはオーナーの柴田さんです。以前、撮影の時にお世話になりました」
真一さん紹介に写真集の一頁を思い出した。
「ノスタルジアの、あのシャンデリアだったんですね」
私の驚きに二人は満足そうだった。
「実物以上に撮って頂いて、お客様の繁盛店にして頂きました」と柴田オーナーが笑った。
これは明らかな謙遜だ。
この店は昔からハレの日には絶対に行きたい、地元の人達の憧れのレストランだ。
真一さんも「とんでもない」と恐縮していた。
柴田オーナーは真一さんに笑顔を向けて制すと「本日はごゆっくりお楽しみください」と言ってテーブルを離れて行った。
まるでそれが合図のだったかのように、氷の入ったワゴンが到着した。
さきほどのウェイターだ。
「こちらはオーナーからです」
恭しい手付きでボトルを掴むと、私たちにラベルを見せてくれた。
「フランチャコルタじゃないですか」
真一さんは驚いて身を乗り出した。
「オーナーが是非にと申しておりました」
その言葉に真一さんは、それ以上何も言わずに深く息を吐いて頭を下げた。
ウェイターが去ったあと「これはイタリア国外にはほとんど出回らない、希少なスパークリングワインなんですよ」と小声で教えてくれた。
「それでは、命の恩人に」
グラスを目の高さに掲げた真一さんは、そう言うとワインに口をつけた。
私もそれに合わせてグラスを傾けた。
フローラルな香りが鼻を抜けて薫ると、小さく細かな無数の泡が私の中で弾けていった。




