第三章 椿⑦
「いらっしゃ……四葩!」
開いたドアに振り向くと、四葩が小さく手を振っていた。
私は小走りで向かうと、握手をして迎えた。
「盛況ね」
「お給料日の週だから」
小声で言った。
四葩は「なるほど」と納得してカウンターに座った。
「妹さん、ご結婚なの?おめでとう。おじさん、拗ねてない?」
私はあの、子煩悩なお父さんを思い浮かべて尋ねた。
「もうね、私の時なんてあっさりだったのに」
半分怒って、半分笑って四葩は言った。
「ビールでいい?」
紙コースターをカウンターに置いた。
「あ、うん。お願い。美禰子ね、この街を出るの」
「そうなんだ、寂しくなっちゃうね」
注いだビールを四葩の前のコースターに置いた。
「お待たせしました」
四葩はグラスを傾けると、喉を鳴らして一気に飲み干した。
「お義母さんの前じゃ、なかなか……ね」
頬を紅潮させて、二杯目のリクエスト。
「先に旦那さんの転勤が決まっちゃって、プチ単身赴任なのよ、今」
「そっかぁ。それじゃぁ挙式後すぐ?」
「すぐ」
「それはおじさん寂しいわ」
二杯目のグラスを置くと、四葩は一口だけ飲んだ。
「出来るだけ私も顔を出そうと思ってるんだけどね」
アンバーの照明が作る手の影に、視線を落とした。
「うんうん。そうだね」
「って、そんな話じゃなくてさ。秀美、土曜日の夜って貸切って出来る?」
四葩が身を乗り出して言った。
「いつの?」
「再来月の十八日。結婚式の二次会に使わせて欲しいの」
「大安ね。時間は?」
手帳のカレンダーに丸を付けた。
「夜の八時から二時間くらいで、二十人くらいは来ると思う」
「御予約かしこまりました。ありがとうございます」
手帳を閉じたと同時、僅かに開いた扉から、通りの雑踏が吹き抜けた。
それに一瞬遅れて、真一さんが姿を見せた。
「いらっしゃいませ」
真っ直ぐカウンターに来た真一さんは、四葩から二つ席を空けて座った。
そして四葩に気付いて「先日は」と無難な挨拶をすると、いつものロックを注文した。
「柘植家の建物は、調度品も含めて素晴らしいものでしたね」
真一さんは感心しきりでそう言った。
「あら、柘植紡績跡の見学ですか?」
四葩が声をかけた。
「実は藤さんの計らいで、特別にお屋敷の方を見せてもらったんです」
「コネはフルに使わなきゃ」
私が笑ってそう言うと「そっか、強力なコネがあったもんね」と四葩は納得して頷いた。
「父が日下紡績で働いていたんです」
「柘植紡績が前身の紡績工場ですね」
「……」
四葩の視線がふと彷徨い、一瞬の静寂の中、グラスの氷が小さく鳴った。
このままだと、話が途切れる。そう思って、私は咄嗟に口を開いた。
「真一さんね、以前は歴史的建造物の写真を撮るカメラマンしてたのよ」
私は慌てて会話を繋いだ。
「えぇー、カッコイイですね」
「今は休職中ですけどね」
そう言う声は軽かったが、グラスを置く指先にだけ、迷いが残った。
「私が司書やってた時に、真一さんが出した写真集を見てたのよ!」
四葩がデリケートな部分に触れる前に話題を振った。
「あらやだ、運命」
四葩は両手で口を押さえて、自身が照れていた。
ああ、この子きっと最初の一杯を一気に飲んだから。
いつもの四葩らしくない行動に、私は納得した。




