第三章 椿②
「そ・れ・で、真一さんはどうしてこの上に?」
それは藤も知りたい話だったが「京ちゃん、詮索はダメよ」と窘めた。
自分達のような商売は、客が話したい話を興味を持って聞くのが嗜みだと思っている。
心には抱えられる荷物の量は決まっている。
だから置いていける物だけを此処に残しておけばいい。
私達はそれを覚えていて、客が触れたくなった時に共に振り返ればいいのだ。
カウンター席の別の客を見送って戻った。
気を利かせた京子がジャズにチャンネルを合わせていた。
真一はいつものジャックダニエルを静かに喉に流すと「構いませんよ」と答えた。
そして胸のペンダントに軽く触れると「一人になりたくて」と短く言った。
丁度Waltz For Debbyが終わり、曲間に沈黙が訪れた。
「でもね、一人になったらそれでいて人恋しいものです」
真一は殊更に笑顔を作って二人を見た。
「あ、わっかるぅ」
京子が正面で手を打って場を取り繕った。
「私も一人になりたいって思うの。休みの日になんて引きこもってるけど、昼には人恋しくてパチンコ屋に行っちゃうもの」
「京ちゃん、パチンコしたいだけでしょ。それに私達は基本は昼まで寝てるでしょ」
藤はそう言って京子の肩を軽く叩いた。
「スロットの方なんだけどね」
「どっちでもいいわよ」
二人のやり取りに真一が肩を震わして笑った。
「漫才見てるみたいですよ」
ああ、こんな笑い方をする人なんだ。
藤はその屈託のない笑顔に惹き込まれるような感情を覚えていた。
レジ締めをしながら、曲名を知らないジャズにリズムを取っていた。
「真一さんって、お仕事何してるんですかね」
グラスを磨きながら京子が呟いた。
「ダメよ、京ちゃん」
藤は再び釘を刺すと「ラーメン食べに行く?」と脈絡もなく誘った。
古びたアルミサッシの扉は角が腐食していた。
ここの扉を上手く開けられるようになれば常連。
昭和の時代に時間を留めたまま現在にあるような、カウンター席だけの店だった。
主流の豚骨ベースではない昔ながらの鶏ガラベースの店は、藤達のような夜の住人にはありがたい味だった。
「おう、藤さんと京ちゃんじゃないか」
カウンターの向こうで大将が言った。
一緒にUSENから瀬川瑛子の命くれないが聴こえた。
「やっぱり大将のとこは落ち着くね」
藤は背もたれの無い丸椅子に腰を下ろした。
「実家のような安心感だろ」
大将はそう言って豪快に笑った。
「餃子二つとビールね。ラーメン後出しで」
「あいよ。悪いけどビールはセルフで出しちゃって」
「うわ、常連あるあるだ」
京子がそう言うと「だって早く餃子食いたいだろ」と大将が鍋を火にかけた。
中華鍋に油が爆ぜる香りが広がった。
「ねぇ、大将。演歌以外はかけないの?」
京子が背を向けて餃子を焼く大将に尋ねた。
「日本語の歌だからよ、演歌は。心にビシーっと来るんだよ」
「えー?日本語の歌なんて他にいくらでもあるじゃん」
京子は身体を逸らして異を唱えた。
「あんな早口で、英語か何か分かんねぇのは沁みねぇんだよ」
大将はそう言うと「先に餃子ね」と二人の間に置いた。
「今ね、藤さんジャズにハマってるのよ」
まさかの流れ弾に噎せた。
「何だ、オトコでも変わったか?」
大将が親指を立てた。
実に昭和だと思った。
その横で京子も親指を立てていた。
「バカ言わないで、もう」
噎せたせいか別の感情か、藤の頬は紅潮していた。




