君の始まり
霧雨が降る夜の神社。
境内のイチョウの幹が月明かりに照らされ、その度に「人の顔」のような木肌が露になる。
大学生の生真は、幼い頃姉が消えたこの場所へ、8年振りに帰ってきた。今更手がかりもあるはずがない。心では分かっていても、記憶が、想いが体を動かした。
すると、イチョウの木のすぐ下に「姉の学生証」が落ちていた。懐かしい、優しい姉の顔。
拾おうとした瞬間、背後から声がする。
「触るな。それ、罠だ。」
振り返ると、刀を携えたスーツ姿の男が立っていた。
「離れろ。」
男は眠たげな顔ながら、冷静に、しかし怒りを纏った声で言った。
「何人喰った?お前...。」
「あなた何言って...」
生真が言いかけた瞬間、首すじにピタリと、明らかに"雨粒ではない"水滴が滴る。
振り向くとそこには、まるで木のような姿の「怪物」が居た。
「ッ!」
「怪物」が生真に襲いかかろうという瞬間、スーツの男が生真の体を押し飛ばす。
さっきまでイチョウの木だった「それ」は、いつの間にか人型に姿を変え、鋭い爪に細長い手足、髑髏のような顔を持った「怪物」へ変貌していた。体高は5mを優に超え、木肌は鱗のように変貌していた。
「ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ」
木が軋むような音を出しながら、怪物はスーツの男へ襲いかかる。
「...ッ」
明らかに常人では避けきれないであろう攻撃を、スーツの男はいとも容易く回避する。だがその瞳は閉じており、まるで寝惚けているかのような足取りだった。
「ぎゅぎ、ぎ、ぎ!」
「...眠いな」
怪物の攻撃はより一層苛烈さを増す。地面は抉れ、離れた場所で様子を見ていた生真にまで衝撃波が伝わる。それでも尚、スーツの男は眠たげに、攻撃に掠ることさえなく対応する。
「なんなんだ...あれは......!?」
現実離れした光景に衝撃を受ける生真に関係なく、戦闘は続く。
「ぎぎ、きぎぃッ!!」
かつて怪物の枝だった部分が伸び、ムチのようにスーツの男に襲いかかる。スーツの男は一旦距離を置き、流れるような動きの中、両手を刀に添える。鞘から刀身が現れ、月明かりを反射する。そして親指が鍔を弾くように伸びる。瞬間、
「...ユメウツツの一閃」
スーツの男は小声でそう言うと、気がつけば怪物の背後へと回っていた。
ズシャシャシャシャシャッ! ザゥッ!!!
1テンポ遅れて、凄まじい斬撃音と切り裂くような突風が辺り一面に広がった。
そして気がついた時、怪物の体は切り刻まれた木片と化し、次から次へと塵に変わっていっていた。
「...技名を言うなんてルール、やっぱ要らないわ...。」
スーツの男はそう言うと、刀を鞘へ仕舞い、黙って境内から出ていこうとした。しかし、それを生真が呼び止める。
「...あ、あの!!」
スーツの男は振り返る。
「...ここでのことは口外するな。」
冷たくそう言うと、踵を返し、足早に石段を降りていく。
「......8年前、俺の姉はあの木......いや、あいつのすぐ下で、忽然と姿を消しました。」
「あいつの仕業なんですか?」
寒さか、はたまた緊張か、生真が震えた声でそう話す。
「...だとしたら?」
スーツの男は聞き返す。
「...なんでもありません......ならどうしてあなたは......あんなに強いんですか...?」
スーツの男は、生真を見つめながら話す。
「...あんなやつと何度も渡り合っているから。それが、俺の仕事だからな。」
少し間を置き、生真はこう言った。
「なら俺を...」
「?」
「......俺を働かせてください!!」
「...何故だ?」
「...もう、生きる理由は無いから...です。」
大好きだった姉は、怪物に食べられ死んでいた。姉の失踪から8年。姉のことだけを考え生きてきた生真にとって、それは1つのゴールでもあった。しかし、その「生きる目標」を失った生真の心には、空白が残った。
「...生きる理由が無いなんて言葉、お前みたいな好青年の口からも出るんだな。」
スーツの男は呆れたように言う。しかし続けてこう言った。
「なら、来てみるか?」
「...え......?」
「俺たち、"樫狩衆"に。」
スーツの男は生真の手を引き、石段を駆け下りる。スーツの男が口を開く。
「俺は合歓...。花の合歓。本名じゃない。」
生真が応える。
「俺は...生真です。」
しばらく降りると2人は鳥居をくぐって出て、どこかの裏路地へと姿を消していった...。




