08 五段蒸し
本日の主賓たる統理官にして主理術士ミアンナ、その理報補官リーネを部屋の奥に、次いで上級連衛官にして副統理官ゾラン、副理術士ジェズル、その理報官レオニス、そこから順不同で資料塔担当官ウィントン、設備保全技術官セフィーヌ、広報担当官イスト、庶務担当官マグリタ――これらがラズト支部の主たる顔ぶれだ。
ほかにも不定期の手伝いや、月に一度程度の勤務がある臨時官を入れればもう少し多いが、基本的にはこの九名となる。
また、正確には支部員ではないが、ここに雇われていて毎日やってくる人物がもう一名。
「よっ、待ってました! 我らが名料理人パトフの作る! 伝統のラズト名物、五段蒸しーッ!」
調子よくかけ声を上げてイストが拍手を促した。すると調理着を身につけたひとりの老人が両腕を広げるほどの長さがある楕円形の鍋を抱えてやってきた。
「ほう、五段蒸しか」
「パトフおやっさんの真骨頂!」
「五段蒸し?」
リーネが首をかしげた。
「初めて聞きますけど、何だかすごそうですね!」
全員が注目するなかで老料理人はゆっくりと鍋の蓋を開けた。主賓の彼女らによく見える位置だ。
湯気の向こうにまず見えるのは、食欲をそそる焼き目の付いた表面だった。遅れて、ふわりと香りが届く。
「わあ、美味しそうな匂い……何だろう、いろんな匂いがします」
「ラズト五段蒸し、正式には『ラズト豊穣五恵重』。山の幸、川の幸、畑の恵み、穀物の実り、鳥獣の恩恵といった五種の食材を五層に重ね、大きな釜で蒸し焼きにし、表面を炙ったもの。ラズトを含む北西地域の伝統料理で祝宴の際などに作られるが、時間と技術が必要なため近年ではあまり作られなくなっているとか」
と語ったのがほんの前日にラズト入りしたばかりのミアンナであったものだから、説明されたリーネはもとより、近くでそれを聞いた料理人パトフも呆然とした。
「これは驚いた。ご存知だったのか、ミアンナ殿」
ゾランが尋ねる。
「赴任が決まってから、少し調べただけ」
「ええっ、あんなに忙しかったのに、いつの間にそんな」
「いまは滅多に食べられるものではないと聞く。素晴らしいものを有難う、パトフ料理人」
孫ほどの少女に言われた老料理人は、何と返そうか少々迷うように口元に手を当てた。
「……豊穣五恵重だなんて、いまじゃ誰も言わんでな。懐かしい呼び名を聞かせてもらった。しかもこんなお若い方から」
呟くようにパトフは話し、ミアンナにそっと会釈をして、料理の取り分けに戻った。
「私も正式名称は存じ上げませんでした」
ジェズルが首を横に振った。
「どういった書物をお読みになったんです?」
「文化史」
「成程……あまり理術士が手に取らない類ですな」
「私も普段は読まない。ただ、先輩理術士から助言を受けた。新たな土地に行くのなら余所者であることを自覚し、歴史や風習を調べておくようにと。首位として赴くのであればなおさら」
「立派な教えだ」
ゾランもうなずく。
「そしてそれを実行されてきたという話を聞くと頼もしい。私もここへやってきて三年になるが、文化にはどうも弱くてな。ラズトの祭りのしきたりなどは未だに覚えられずにいる」
肩をすくめて最年長者は言い、若者たちの笑いを誘った。もっともミアンナの表情は変わらなかったが。
「さあ、統理官。五段蒸しのいちばんいいところをどうぞ」
黙々と人数分を取り分けているパトフの背後から、広報官イストが皿を運んでくる。
「リーネ補官もどうぞ。二番目で申し訳ないですけど」
「ええっ、わ、わたしはもっとあとでも……」
「今日は私とリーネが主賓。もてなしは受けるべき」
「あっはい……ありがとう、ございます」
恐縮しながらリーネは皿を受け取り、ちらりとゾランやジェズルを見たが、もちろんと言おうか彼らが気を悪くする様子などなかった。
そうこうする内に全員に五段蒸しが行き渡り、滅多に食べられないご馳走に誰もが舌鼓を打つ。
「おや、これって貴重な銀衣魚じゃないか? パトフ、張り切ったねえ」
「あ、今日の山の幸は山菜と茸かあ、俺好き」
「まあ、お肉のところを抜いてくだすったんですね。お気遣い有難うございます」
すっかり普段通りという調子で、めいめいが喋っている。この段になると、もう「統理官たちの歓迎会」より、「いつもの顔ぶれの食事会」だ。
「――これは葵菜? 王都では塩漬けにしたものしか出回らない。とても風味がいい」
「ミアンナさん?」
「銀衣魚。この辺りでしか取れない上に、可食部が少ない。それをこの人数分も揃えるのは大変だったはず」
「……ミアンナさん?」
「この層にあるのは火炎豆の若豆。まだそんなに辛くなく、少量で香りが引き立つ」
「あの……ずいぶん詳しくないですか?」
遠慮がちにリーネが問う。
「調べたから」
変わらぬ調子でミアンナは、答えとも言えない答えを返す。
「はは、想像以上の勉強家だ」
ゾランが笑った。
「もし農作物に詳しいのであれば、近い内に畑を見てやってほしい。どうにも実りの悪い一画があるそうだ」
「それなら、光波構文か流動構文で対処できそう」
「いいですね、どうも状況が変化しないので、ぜひ相談させてください」
ジェズルも同意した。「その件なら自分がやっているのに」などという不満な様子はかけらも見当たらない。
この辺り、理術士たちは実に理性的だ。「自分よりずっと年下の、経験の浅い相手がやってきて、急に自分の上に立つ」など、反発してもおかしくはないどころか当然である。だというのに彼らは「実力があるならそうあるべきだ」と心から思う。
そう、「感情は納得できないが理性で判断する」というのでもなく、心から。
ミアンナが専理術士になったときもそうだった。
通常、理術士の資格を得た者は、一年から三年ほど汎理術士として過ごす。その上で、専理術士の試験に通過するか、或いは三人以上の専理術士からの推薦を受けて、専理術士となる。
だがミアンナ・クネルは、汎理術士である期間がなかった。三人どころではない全ての専理術士が、彼女は汎理術士でいる意味はないと判断し、調律院直属として推した。誰もそれを不服に思ったり妬んだりしなかった。「専理術士の実力がある者を汎理術士として過ごさせるなど非合理的だ」と思うのだ。そう、心から。
こうしたところは、理術士と魔術師の共通点でもあった。
そもそも理術士とは、魔術師の一種だ。
魔術師というのは「魔力を持つ者」の総称で、広義ではどんなにささやかであろうと、魔力があれば魔術師となる。もっとも一般的には、「魔術師協会に出入りし、フードのついた黒いローブを着込み、特殊な杖を持って呪文を唱え、普通の人間にはできないことをする」人物が魔法使いや魔術師だ。
理術士は、非常に悪く言えば、「魔術師になれるほど魔力が強くなかった者」ということになる。
だが実際には、「魔力が強すぎる者は理術士になれない」と言うべきかもしれない。
理術に使う式盤は魔力がなければ作動しないが、必要となるのはわずかな力だ。過剰な魔力は式盤損傷の原因となるばかりか、理紋の焦点をぼやけさせ、肝心の術が発動しないことになる。
優秀な魔術師ならばそうした微細な魔力も自在に操って理術を振るうことが可能だろうが、それだけ優秀な魔術師であるならば理術よりも魔術を使った方が早い。理術は決まった構文を使って術を構築し、魔力によって式盤に書き込み、理紋を作って術を発動させるが、魔術は魔術師当人のなかで術構成を行い、すぐに発動させられるのである。
それなら理術士は魔術師の劣化版かと言えば、そうはならない。理術と魔術は全く異なる術であるし、理術の利点も大いにあった。
第一には、環境に左右されないこと。魔術は魔力線と呼ばれる地脈の影響を受けやすいが、理術は構文さえ合っていればどんな地でも同じように発動する。再現性の高さは非常に強みだ。
第二には、共有できること。理紋の出し方には個人差もあるが、構文自体はすべての理術士が共通して理解できる。質量構文、熱量構文、流動構文、光波構文、位相構文は「五律構文」、正しくは「理式五律環」と言われ、書き出して他者に伝えられるのだ。魔術では個人の能力に依存しすぎていて、こうはいかない。そもそも魔術師たちは自分の術を他人に共有したくはないだろうが。
第三には、カーセスタ王国において制度化されていること。「魔術師」は不吉だという扱いをされたり、胡散臭く思われがちだが、「理術士」となれば国の資格だ。社会的地位は段違いである。
だいたい、理術士になるのは簡単ではない。構文を理解し、細かい計算を極め、正確に理紋を浮かび上がらせるにはどれだけの勉強と努力が必要か知っていれば、「魔術師になれなかった者」などという陰口は出てくるはずもないのだ。