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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第七章

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07 自覚あるんだ?


 文書棟はしばし騒然としていた。

 ミアンナたちもその場を離れる訳にいかなかった――当事者としてあれこれ聞かれたり伝えたりすることもある――ため、待合用の一角を借りて互いの情報を交換することにした。


「まずは僕かな。利用者名簿を見せてもらった。テオザの名はなかったが、一ヶ所にしるしがあった。これは何かと聞いたら、代筆の印だと」


 名前を書けない者でも資料の閲覧はできる。図表などもあるし、たとえば何らかの模様を写し取るよう人から頼まれる、といったこともあるので、棟としては特に不審ではないらしい。

 ただ、ルカは「名前を書くのを躊躇った」と判断した。やましい気持ちから本名は避けたかったが、とっさに思い浮かぶ偽名もなく、不自然な間が空いた。そこで職員が書けないと判断し、代筆を提案したのではないか、と。実際にテオザが文字を書けるかどうかではなく、心理を読んだようだ。


「それから、書かれていた名は『エレノ』……彼の亡くなった妻の名前だったというのもある」


 静かにルカが特定の理由を付け加えた。リーネはきゅっと眉根を寄せ、胸を押さえるような仕草をした。


「使用階は三階と書いてあって、ひとまずそこに向かった。僕が駆け込むと……まあ駆け込むような場所じゃないから、ほとんどの人がギョッとしてね。でもそのなかで慌てたように立ち上がり、明らかに狼狽した人物が、ミアンナの言った通りの外見をしていた」


 テオザ、と呼びかけると踵を返し、反対側へ走り出した。当然すぐに追いかけたが、幾重にも重なる棚の間に逃げ込まれた。

 棚と棚の間は視界も悪く、屋内では全力で駆けることも難しい。本人たちの真剣さとは裏腹に、ずいぶん奇妙な追いかけっこに見えたことだろう。


「ルカくんが本気出したら、すぐ捕まえられるでしょ。遊んでたの?」


 ツァフェンが面白がるように言った。ルカは肩をすくめる。


「式盤を手にさせたかった。言い逃れできないように」

「いい計画。でも危険」


 理術士は首を横に振った。


「弱い熱量構文だけでもできることはいろいろある」


 塗料を変質させて異臭を出したように。もっと有害な物質を所持していれば、それを熱してばらまくようなことを行ったかもしれない。

 また、追っ手を術の対象にすることも考えられた。「人間」自身を熱するのは難しい、という話は前日にしていたが、集中的にどこか一ヶ所を熱することはできる。たとえば、帯留めの金具などはすぐに熱を持つ。動いている相手の帯留めを熱して火傷させるほどの高温にするのは困難だが、不可能ではない。


「これまでから考えると、動きながら術を使うといった本当の理術士のような真似はできないと踏んだんだが」

「それも正しい。ただ、絶対ではない。ツァフェン殿のたとえではないが、刃こぼれした剣を子供が振り回したのであっても、当たれば怪我をする」


 言ってからミアンナは息を吐いた。


「とは言え、そうしたことは判った上での行動だったと推測できている。余計なことだった」

「いや、案じてくれたんだろう。嬉しいよ」


 ルカはかすかに笑み、リーネは頬をぴくっとさせた。


「さっさと剣を抜いちゃえばよかったのに。そしたら向こうもびびって式盤出したんじゃないの?」


 ツァフェンが言えば、ルカは顔をしかめた。


「丸腰相手にできるか、そんなこと」

「何も叩っ切れなんて言ってないよお。ちら見せで目的を果たせるならいいでしょってこと。……駄目なんだねえ、まっじめー」

「ルカ殿、言っておくが」


 少し渋面を作って、ミアンナは口を出した。


「理術士の式盤は、魔術師の杖や戦士の剣と同じ。テオザの式盤は応用のできないものだったが、武器としての使用が可能だった。それは覚えておいて」


 テオザは丸腰ではなかった、と彼女は指摘した。ルカは少しだけ納得いかない顔をしたが、反論はしなかった。


(剣と同じだ、ということに剣士として同意はしがたいが、専理術士が言うのであればそうしたものなのだろうと理性で理解した……というところか)


 ルカの思考を推測した。


(顔に出るところは子供のようなのに、理解の早さは学者のよう)

(本当に奇妙な男)


「確かに、テオザにもそれが『強いもの』だという認識があったんだろう。式盤を見せることで、むしろ僕を脅そうとしたんだと思う。判るように見せてきた」

「浅慮ー! それで捕まっちゃったんだ」


 けたけたとツァフェンは笑った。もちろん、ほかの三人はにこりともしない。


「此方は乱暴なの嫌いだから下にいたけどさあ、ルカくんの動きは追ってたんだよね。一(リア)で距離詰めて押さえ込んだでしょ、かっこよかっただろうなー。ミアンナくんも見てたらきっと惚れちゃったよ」


 やはり誰も笑わなかった。リーネは掌に爪を食い込ませた。


「ツァフェン殿は、階下からふたりの動きを確認できた、と? そこまで明瞭に見えるものなのか? 感情を見ると言うが、この建物には多くの人物がいる」


 ミアンナは少し首をかしげた。これはただの質問だ。そのときにルカやテオザが強い感情を抱いていたことは想像に難くないが、同じ階にいたほかの者たちも驚きや不安、恐怖を覚えていたと推測できる。


「あれ、此方の能力探っちゃう? 仕方ないなー教えてあげちゃうね。此方ね、興味ある対象の感情だけ視えるから。無関係の感情は邪魔しないよお。便利でしょ」

「それは便利と言えるのかよく判らないが、言わんとするところは理解した」


 「興味のある対象」という切り分けは曖昧だが、もし仮にツァフェンが「つまんない」と考える事件の関係者などは追えないということになる。


「しかし、文書棟に多くの人物がいる、という点は読み取っていたようだが」


 ミアンナはツァフェンが「本気を出した」ときの様子を思い返した。


「ニンゲンがいる、くらいは見ようと思えば見えるよお。本気出したからねえ」


 のらりくらりとツァフェンは返した。


(人がいることは判っても興味がなければ感情までは見えない、という主張)


 ミアンナはそっとまとめた。


(都合よく使われないための予防線とも取れるが……本人以外には判りようのない境界線)


 ツァフェンは自身の能力を狭めて伝えたか、正直に伝えたのか。生憎とミアンナにはその感情は読み取れなかった。


「ま、ルカくんと、何だっけ、偽物野郎が密着して見えたから捕まえたって判った訳。それで此方が町憲兵を案内してあげたんだよお」


 まるで大した仕事をしたかのようにツァフェンは胸を張った。


「あの、避難の必要性について、文書棟の方にお話ししたんです」


 次いでリーネが口を開いた。


「倉庫街での事件を伝えて有害な物質が使われる危険性があると。ミアンナさんの指示書も見せたんですが、すぐには信じてもらえなくて。庁舎に確認を取るとか言われてしまったんですけど」

「そこに此方がね」


 ひょいっとツァフェンが顔を突き出した。


「此方も指示書出して、要らない手順踏んで対応遅らせてる役人くんの名前教えてーって言ったの。そしたら、すぐやりますって。ウケるよねー」


 ツァフェンが笑う横でリーネは少しうつむいた。


「あ、役立たずだった自覚あるんだ? リーネくんはもっと押すこと覚えなって。ミアンナくんは指示書一枚で町憲兵を従えたよ。ルカくんは言葉と態度だけでここを通ったし」

「それは……」

「そうした話をするときではないと思う」


 さっとミアンナは割って入った。


「まず、リーネは公正に、町憲兵隊を呼んだのはツァフェン殿の尽力によることを説明した。そこは汲んでもらおう。それから、私が指示書一枚で通せたのは、そのとき制服姿だったためもある」

「僕だってさっきは勢いで乗り切っただけだ。きちんと確認したら同じように言われただろう」


 ミアンナが言えばルカも参加した。


「あはは、公正ー」


 ツァフェンは楽しげだが、リーネはかばわれたと感じるのかますますうつむいた。


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