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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第七章

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05 瞬時の選択

 サレント自治領文書管理棟。

 彼女らもすぐ、そこに到着した。


 飾り気のないこの建物は、公務館の一種と言える。しかし同時に一般にも開かれていて、資料や書籍を見ることができる。


 カーセスタ王国は〈知の国〉と言われるだけあって識字率も高く、ほとんどの国民が簡単な読み書きくらいはできるが、これは世界的には珍しい方だ。〈武の国〉ヴァンディルガ皇国や、〈騎士の国〉ナイリアン王国などでも教育を受けていない庶民は、数字や自分の名前が精一杯だとか。

 リーネのような「田舎出身の少女」が理報補官の試験に合格したのも、子供を教育するのは当たり前だというカーセスタの文化があってこそである。

 そしてサレント自治領もまた、教育に熱心なところがある。それはカーセスタの影響のみならず、二国間に挟まれているという土地柄のためだ。端的な言い方をすれば「知識がなければ強国の食い物にされる」という危機感を持っているため、ということになる。


 ともあれサレント自治領では役人や知識層に限らず資料の閲覧を希望することがあり、入口で名前を記すことで誰でも出入りができる仕組みだった。

 ミアンナは入り口をくぐると広い一階をざっと見渡し、落ち着かなげにきょろきょろしている役人を呼び止めた。


「無許可理術を調べているカーセスタの調査員、ミアンナ・クネル」


 言いながら自治領の書類を見せ、身分を証立てる。


「ひと足先にヴァンディルガの調査員が駆け込んできたはず。どこに?」

「あ、はい、そういうことでしたか」


 役人の目に理解の色が宿る。どうやらあの丁重なルカ・アールニエが、速度を優先して説明を省いたようだった。


「受付名簿を見せたところ、階段へ。走らないでくださいとお願いはしたんですが」


 あの俊足で屋内を走れば、彼こそが狼藉者にも見えただろう。しかしそうしたことも判った上で行動していると推測はできた。


「アダワロ殿は早引けされたろう。次の責任者はどなたか」

「え、あ、いまこちらに向かっておりまして」


 やはりルカが不審者とみなされたか、それとも危機管理上の判断か、既に呼んでいるとのことだった。


「念のため。館内から人を避難させたい」


 そこまで言うとミアンナは、役人への説明をリーネに任せ、のろのろやってきたツァフェンを捕まえた。


「ルカ殿に渡した球体は今日も彼が? いまどの階にいるか、判るだろうか」


 昨日の「秘密道具」について尋ねた。通信を可能にする道具は、互いの距離を知れることも珍しくない。

 名簿にテオザの名はなかった。偽名を使った可能性は高い。ルカが何を見て取ってどの階に行ったのかは見当がつかなかったのだ。


「えー、そんなにルカくんの居場所を知りたいんだ? 一緒にいたいってこと?……はいはい怖いかおー」


 ひらひらと手を振ってツァフェンは屋内を見回した。


「道具なんか使わなくても判るねえ。怒りだか何だか、すんごい色してる。三階か四階じゃないかな」

「テオザと思しき男は」


 感情の痕を見ているならこれも判るはずだ、とミアンナは続けて尋ねた。


「此方の仕事は本来、高値なんだけどなあ。ま、いっか」


 嘯いてツァフェンはにんまりする。


「ルカくんのすぐ近く」


 それを聞いてミアンナは階段に走った。階上から、悲鳴のような声や大きな物音が聞こえる。ルカが相手を見つけ、相手が逃げて暴れてでもいるのか。

 ミアンナは、使えそうな理術を三つ四つ想定しながら上り階段に足を掛けた。

 だが、その瞬間である。


(熱量構文!)


 理術網が振動し、近くで構文の使用があったことを彼女に知らせた。


(対象は、地下)


 上へ行くか、下へ行くか。理術士は瞬時の選択を迫られた。


(ルカ殿に協力して術者を捕らえれば、術は止まる)

(だが……)


 胸騒ぎがした。何かが引っかかった。

 長屋の二階から塗料を破裂させ、倉庫の外から塗料を変質させ、坂の上から庁舎の壁を熱した。

 落とされた式盤の模造品。理術士が持つ携行型式盤として、違和感のないものだった。

 誘導されている、という感覚が湧く。

 だが、何に。


「――地下」


 上はルカに任せられる。理術で彼を支援することはできるが、いまはそのときではない、と彼女は判断した。

 そのまま階段を駆け降りる。途中、「関係者以外立ち入り禁止」と記された低い柵があったが、非常時と考えて飛び越えた。


(罰があるなら受けよう)


「ちょっと! 何ですか、あなた。ここは公務官以外は――」

「カーセスタの公務官」


 案の定、見咎めてきた役人がいたが、簡潔にそう返す。


「へ?」

「ここは危険な無許可理術の標的になっている可能性がある! すぐに避難して!」


 それから声を張り上げた。近くにいた数名がギョッとしてミアンナを見る。


「何だって?」

「無許可理術……そう言えば調査中だとか」

「急いで!」


 パンッとミアンナが手を打ち鳴らすと、彼らは困惑しながらも階段に向かった。


「あっ」


 その内のひとりが足を止める。


「個室にも人がいます! 扉を厚くしてあるから聞こえないかも」

「個室はどこ」

「そ、その向こうに五つほど。資料を精査する小さな空間が」


 集中して調べものをするときに雑音を遮断する目的で、壁や扉が厚い小部屋が用意されてるのだと言う。


「判った。任せて」

「い、いえ、私も行きます」


 異常事態であるのを察知しただろうに、若い役人の男は勇気を奮った。或いは、ミアンナのような少女をひとり残して逃げられない、とでも思ったか。


「案内を頼む」


 あなたも逃げて、などと言っている時間が惜しい。ミアンナは協力をあおぐ方向に即断した。

 その個室は広い地下室の奥側に五つ並んでおり、「使用中」の札がふたつばかり掛けられていた。


「失礼します! 避難指示が――」


 役人が戸を叩き、それを開けようとした。

 が、開かない。


「あれ」

「中から鍵がかかるのか?」

「まさか! そんなものないですよ。ただ、妙に重い……」


 いくら厚い扉だと言っても、成人男性が力を込めても開かないような扉を設置するはずはない。

 ミアンナはぱっと隣の扉に飛びついた。


「失礼」


 グッと力を込める。やはり開かない。そのとき、はっとした。


「冷たい」


 扉に身体を近づけて力をかけると、ずいぶんひんやりしているように感じられたのだ。


(これは、熱量構文を逆方向に使っているのか。……どこかを冷やしている。扉そのものではない。戸枠か?)

(何のために? 冷やして変質するものがある? どんなものが考えられるだろうか。対象は壁、いや、壁の中か?)


「……い……けてくれ」

「ちょ……扉……」


 個室のなかにいる人物が異常に気づいた。向こうからも開かないのだ。


「……んだ!? 開け……」

「開けて! ふざけ……」

「お待ちください! いま少々……その、不具合が起きて」


 役人が言葉を探しながら扉の向こうに声を届けようとするが、お互いくぐもってよく聞こえない。風が通らなければ、流動構文で声を伝えることもできなかった。


「この辺りの壁には何が通っている?」

「は?」

「伝声管、暖房機構、そうした類の仕組みが壁のなかに……」


 尋ねながらミアンナはうなった。

 思い至ったのだ、何とも嫌な考えに。


「換気機構!」

「え、ええ? は、はい、あります、地下ですので……」


 答えてから役人も気づいたと見え、口を開けた。


「か、換気機構の故障!? まずいじゃないですか!」


 地下の小さな個室。扉が厚く、密閉性が高い。そこに循環させている空気がとまれば、内部の人物が危険だ。


(数十分程度でどうにかなることはないが……)


 どんどんどん、と個室のなかからも扉や壁を叩く音がしはじめた。


(恐慌状態になると、まずい)


 狭い部屋に閉じ込められた、と意識することで呼吸が荒くなり、苦しさが増す。何とか出ようと暴れることで、より呼吸がつらくなる。こうなると、危険な状態になるまでの猶予はなくなってしまう。


「……賠償請求はカーセスタ外交使節所へ」


 ぼそりと言ってミアンナは式盤を取り出した。


「調律を開始する」


 まるで舞踏のように右手を動かす。すると式盤の上にいくつもの理紋が続けざまに浮かんでは薄れていった。


「室内にいる者は、いますぐ扉から離れて! 五、四、三、二……」


 一、と続けた次の一拍、轟音とともにふたつの扉が消えた。遅れて、もわっと煙のようなものが立つ。


「……え」


 役人は呆然とした。個室にいたふたりは指示通り奥に下がっていたが、何が起きたのかさっぱり判らず、ぽかんと口を開けている。

 使用中の札がかかっていたそれらの扉は、消えたのではなく、粉々になっていた。


(さすがに少し、手が痺れる)


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