03 上手に塗られている
「理術は?」
「止まった。目的を果たしたのかとも思ったが、私が近づけば居場所を特定されやすいことを知っているのかもしれない」
「ミアンナがやってくることを警戒するなら、別な日にでもやった方がいいだろう」
腑に落ちない、とばかりにルカは首をひねる。
「今日である理由があるんでしょうか。その、事件の日だとか」
「事件の日ではなかったが……」
「もしかしたら家族の命日だとかいうようなことは、あるかもしれないな」
リーネが考えながら言えばルカも可能性を提示する。ミアンナは資料を思い返したものの、特定の日は記憶になかった。
「理術の対象は、どうやら壁。あれくらいの時間ではほんのり温まったかどうかだと思うが」
改めてミアンナは確認した。
「壁?」
「東側の壁。どこか近くから向けて」
「それじゃ」
「逃げていなければ、まだ近くにいるはず」
見ているのか。逃げたか。それを探るには。
「ツァフェン殿、こちらへ」
時間的に考えると一応少しは急いだのだろう、ツァフェンが追いついてきた。
「なになに、此方の出番?」
「出番」
ふざけた調子のツァフェンにミアンナは真顔でうなずくと東側の壁に術が向けられていたことを説明した。
「もしまだ術者がいるのなら、あなたには何かしらの感情が視えるのではないか。確認と報告をお願いしたい」
丁重なミアンナに、リーネは心配そうな顔をした。どうせのらりくらりと断られると思ったのだろう。
「もー、仕方ないな。ミアンナくんのお願いなら聞いたげるよお」
返ってきた言葉がそれだったのでリーネは目を見開き、それから不審そうな顔になった。何を考えているのかよく判る。
(「お願いに弱い」というのは軽口だとは思うが、いくらか効果はありそう)
(もっとも、確実な貢献をしたという実績を残すことは、対魔術研究所でも望んでいるはず。ちょうどいい機会だと判断しただけかもしれない)
そのままツァフェンは東側へ向かい、彼女たちも少し離れてついていった。特にルカは普段の穏やかな様子と異なる厳しい表情で周囲を警戒し、何かあれば瞬時に飛び出そうと身構えているのが判った。
「あー、あそこ」
ツァフェンが指差した先は緩い坂道の上だった。そこに誰かが立っており、何かを手にしている。
それを認めた瞬間、ルカが風のように走った。ミアンナは式盤を手にして――躊躇った。
(あの職人ではない)
「わ、わあ! な、何ですか!?」
ルカが俊足で近づいてきたのに男の悲鳴のような声が聞こえた。――術者ならば逃げるだろう。
「それなーに?」
意外な早さで次にたどり着いたのはツァフェンだ。
「見ーせて」
言いながら男の手にある円盤状のものを半ばひったくる。男は半ば呆然と、されるがままだ。ルカは、もし相手が逃げ出すようなら即座に捕まえてやろうという体勢を取っていた。
「な、あなた方が落とし主なんですか? こちとら、何だろうと思って拾っただけですよ……」
ぶつぶつと言いながら男は背を向けようとした。
「待って」
そこに、やってきたミアンナが声をかける。
「話を聞かせてほしい」
「はあ?」
「私はカーセスタ王国調律院所属の者。こちらはヴァンディルガ鋼嶺隊員候補生」
権威のある名称を出すと、男は口を開ける。制服を着ていないとこの面倒があるが、仕方ない。
「あなたはいつからここに? それは」
ツァフェンがためつすがめつしている円盤状のもの――式盤と見えるものを指してミアンナは続けた。
「拾ったということ?」
「そ、そうすよ、ただ通りかかって、拾っただけで……」
男は困惑した様子で答える。
「ここから誰かが逃げていくような姿は見なかったろうか」
「逃げて? いや、見てないですが。誰かが落としたんです?」
哀れな男は自分の状況がさっぱり判らないと見え、助けを求めるように辺りを見回した。生憎と彼女ら以外には誰もいなかったが。
「失礼ですがお名前を伺いたい。それと、何か身分を証し立てるものをお持ちですか」
「はあ? そんなもん持ってないですよ。名前はトーヘン。そこに住んでます。落とし物を拾っただけで罪な訳じゃないでしょう?」
「……結構です、ご協力有難うございました」
ルカが力を抜いて道を開ける。男は首をかしげながらその場を去り、指した通りの家に入って行った。
「あの、ミアンナさん。あれって」
ツァフェンが楽しそうに眺めたり振ったりしている式盤を見て、リーネが心配そうに言った。
「いいんですか? その……」
取り返さなくても、と言うのだろう。対魔術研究所の手に式盤が渡ることは、国としても避けたいはずだ。
「ツァフェン殿、見せていただいても?」
「えー? そっちに渡したら二度と渡してくれなくなーい?」
「状況による」
「わー正直」
「そんなことはない」とか言えばいいのに、というところか。ツァフェンは笑いながら、意外にもと言うのか素直に渡してきた。
「……なかなかよくできている」
「構文のことか?」
ルカが尋ねる。ミアンナがタマラの祖母の式盤を見て感心していたのを覚えているのだろう。
「いや、構文は出鱈目」
「え?」
リーネがきょとんとする。
「出来のいい工芸品と言えそう。もし『調律院土産』を作るのであれば、式盤風手鏡、などは面白がられるかも」
「工芸品? 手鏡?」
「本物の式盤はもちろん、これも手鏡ではないが、磨いた金属を貼ればそうした用途にくらい使えるのではないか」
「つまり……偽物ですか!?」
「えー、まじ? 観察して損したー」
「重くしてあるが、木製だ。――金属風に、上手に塗られている」
収穫祭の、あのとき。
色粉を買った職人は「金属風に仕立てる色粉」を探していたと言う。
(ますますつながった、か)
断定は避けたいが、断定してもいいだけの証拠が重なってきた。
「しかし、偽物を作って、それを捨てて行った? どういう意図だ?」
ルカは顔をしかめる。
「一見したところでは私でも本物に見える。構文が書かれていなければ、手に取ってよく観察しない限り、気づかないかもしれない」
円盤状という点こそどの式盤にも共通だが、ものによって細部は異なる。手鏡式、折り畳み式、という点は目立つ違いだが、それ以外にも大きさや装飾など、個人の使い勝手や好みに合わせて作られている。
そのため、自分のものと多少違っても「そういう式盤だ」と思うだろう。
「式盤を落とした、もう理術は行えない、という見せかけ……?」
考えながら、リーネも呟いた。
「『専理術士も見抜けないほどの精巧な式盤』なら売り出せるかもよお?」
「見抜いたでしょうが!!」
ツァフェン節にだいぶ慣れてきたリーネも、ミアンナに関して何か言われたときは反射的だ。
「カーセスタでは違法。式盤を模すこと以前に、この調律院式双理交織象紋……天秤を象った調律院の紋章と誤認させる何かを作れば罰せられる」
調律院は王国軍と並ぶカーセスタ王国の柱だ。先ほどの「調律院土産」はミアンナなりの冗談であるが、もし本当に何か作るとしたら紋章の部分は明らかに異なる形にするだろう。
「それはそうだな、ヴァンディルガでも当然、そうした法はある」
「鋼嶺隊の紋章を偽造した奴いたよねえ。あいつ死刑だっけ」
「ひっ」
想定以上の厳罰にリーネは顔を引き攣らせた。ミアンナは片眉を上げる。
「鋼嶺隊は武装したまま皇帝にも近づけるのだろう。罪は偽造ばかりでなく暗殺未遂などもあったのではないか」
「当たりだ。もっとも、僕も歴史書で読んだだけの、百年は昔の話だよ」
ミアンナの推測にルカがうなずいた。ツァフェンは「そんな昔だっけえ?」などととぼけたことを言っている。
カーセスタからは「野蛮」などと見られるヴァンディルガだが、さすがに偽造だけで死刑はないだろう。
(いや、時代によってはあるのかもしれないが)
ヴァンディルガ皇国は時の皇帝によってその制度や体質がガラリと変わってしまう国だ。いまでこそルカのようなまっすぐな人物が精鋭候補生でいられるが、国の方向性によっては彼は「軟弱」とでもされかねない。




