09 「くれぐれも」と
イゼリア応理監は当初、自分も行くと言って聞かなかったが――「ミアンナとリーネに服を買える機会に比べたら会議なんて無価値だ」などと口走り――執務佐に苦言を呈されて引っ込めた。
その代わり、金は経費ではなく自分が出すと言って譲らず、過剰に思える金額を渡してきた。もっとも、以下の理由があるらしい。
「経費で落とせる程度の私服をカーセスタの専理術士が愛用しているなどと思われれば国の威信に関わる。それを防ぐのも調律院の上位にある者としての務めだ」
ミアンナはそれに「普段から支給品を着ているが」と返して叱られた。
早くから開店している服屋はあまりないので、そこは外交使節所の用達である店の主人に頼み込み、売り場を開けてもらうことになった。施設所の女性秘書官がひとり同行し、ミアンナたちが場違いな子供扱いされないように気を遣った。
というような配慮が必要な程度には高級店で、ミアンナは珍しくも少し後悔した。
(上着を置いてくるだけでよかったかもしれない)
もっとも、イゼリアの言うことにも一理ある。ルカやツァフェンは彼女たちの服がぼろぼろであろうと一級品であろうと気に留めないだろうが、今日はサレント自治領の公的施設に入ることもおそらく多い。となると「カーセスタ代表」としての顔は重要だ。馬鹿らしくもあるが。
「応理監から、『くれぐれも』と言い遣っております」
同行した三十代前半ほどの女性はワコと名乗り、細縁眼鏡の位置をクイッと直した。
「……遊びに来ているのでない、ということは判ってもらえているだろうか」
とミアンナが控えめに言ったのは、三着目の試着――大きなリボン付きのフリルシャツ、原色を互い違いに貼り付けたシャツに続き、格子柄の短い下衣を渡されたときだった。
「おや、お気に召しませんか」
「イゼリアが何故あなたに託したのかはよく判ったが、公務官が任務に着ていける服を頼む」
「うう、どれもすっごく可愛かったけど、もっともすぎて反論できない」
同じく、濃紅色の一枚衣、太ももまで切れ目の入った長い筒衣に続き、肩の部分を小さなたくさんのリボンで結えた上衣を渡されたリーネが、あくまでもミアンナに関する感想を洩らした。
「ご安心ください。真っ当なものも用意してございます」
そこでワコはさっと、台の上に置いたふたつの組み合わせを示した。無地の白シャツと落ち着いた赤のタイ、薄い縦縞の下衣、胡桃色の上着はミアンナに、少しふんわりとした生成りのブラウスと上品な緑色の裳衣、海松茶色の羽織物はリーネに。
「真っ当でなかった自覚はあるのか」
「何もふざけていた訳ではないんですよ。実際に何点か着て見せていただいて、そこでようやく似合う色や形が判ってくるんです」
またしてもワコは眼鏡の位置を直した。
「こちらならお許しいただけますか?」
「助かる」
「よい仕事ができました」
ワコは何とも満足そうであった。
「ここだけの話ですが」
ふと彼女が口調を変えたので、ミアンナは片眉を上げた。
「あなた方がいらっしゃると、応理監は本当に楽しそうなんです。普段も鷹揚な態度で、ご存知のように豪胆な方でありますが、やはりここは難しい土地ですから」
サレント自治領。カーセスタ王国とヴァンディルガ皇国に挟まれた、緩衝地帯。ここには自治権があるが、それは両大国が許しているからだ――というのが現実的なところである。
カーセスタ側に侵略の意思はないが、「ヴァンディルガに侵略される前にこっちで併合してやったほうがいいんじゃないか」という意見が、これまで全く出なかった訳でもない。もちろん、これはサレントからすれば化け狐と惑わし鼬――どっちもどっち。武力による侵略よりは平和的な併合の方がましではあるだろうが、決して喜ばれはしない。
そうした土地に、一国の代表として何年も駐留し続けること。その精神的な負荷は計り知れなかった。
(ラズト支部は国境支部とも言われるが、サレントの外交使節所に守られているところもある)
胸の内で、ラズト支部の統理官は静かにそう思った。
「何と申しますか、あなた方の服を見立てたいというのは、あの方の本心……久しぶりに望まれた息抜きなのだと思います。それを代わりに任せていただいたんですから、私も全力を出したという訳です」
「……遊んでいたのでないことは、承知した」
ミアンナは真顔で応じた。
「そうだな……帰るまでに食事をご一緒したいと、イゼリア応理監に伝えておいてくれ」
「有難うございます、クネル統理官」
ワコ秘書官は微かに笑みを浮かべ、ミアンナに礼をした。
―*―
そうしてミアンナとリーネは、上質だが目立たない、固すぎないが子供じみてもいない、ワコの絶妙な見立てによる新しい服を身につけて庁舎前へと向かった。
少し遅れてやってきたルカも、今日は軍服姿ではなかった。ぱりっとした襟の真白いシャツに、濃灰色の下衣。広刃の剣は外してきたようだが、小剣を佩いている。妥当だろう。
ツァフェンは昨日と変わらない。着替えたのかも判らない大きめの白い服と、足首付近を絞った薄桃の下衣。「制服による悪目立ちを避ける」という意図なら、充分だ。
「ルカ殿、ツァフェン殿」
観察ばかりも失礼だ。ミアンナは挨拶として会釈した。ルカは少し口を開けてミアンナを見ていたが、はっとしたように挨拶を返してくる。
「あ、ああ、おはよう……いいじゃないか、その、決まってる。あ、ふ、ふたりとも」
「決まって?……ああ、服か。手持ちがなかったので急遽見立ててもらった」
「似合っている」
「有難う。そちらもよいようだ」
あくまでも礼儀としてミアンナは返し――実際、場に合っていて「よいようだ」と思えたが――、リーネは頬を引きつらせた。
「ふーん、ルカくん、ふーん?」
「うるさいな、ご婦人の服を褒めるのは礼儀、と言ったらその、失礼だが、当たり前のことだ」
ツァフェンがにやにやとルカを見て、ルカは顔をしかめた。
「早速だが、情報をつき合わせたい」
それ以上は取り合わず、ミアンナは本題に入った。
「届いた書類によると、該当人物の名はテオザ。……装飾を担当する職人」
ラズトの祭りで関わった装飾職人の名は聞かなかった。事故のことが判った上で棟梁に確認するつもりでいた。もっとも幸いにして、その名が判っていてもいなくても、影響はほとんどなかっただろう。
「本来、住宅が建ったあとに仕事をする立場だ。まだ基礎の段階で現場をうろついていたので、不審に思われた。本人は、いつもやっている下見だと話した」
ルカが続ける。
「加えて、当時の現場監督と仲が悪かったとも言われた。もっとも、それは動機の後付けのようなもので、ダリオス氏の言っていたように現場で罵詈雑言が飛ぶのは普通のことらしい」
「テオザは当然、抗弁した。だが周囲は『あいつがやった』と決めつけ、彼を白眼視した。やがてしっかりと調査が行われ、人為的なものではないと判明するが、それまで何度も召喚されたこともあり、生じた噂は消えなかった」
仕事はなくなり、嫌がらせを受けた。子に累が及ばないよう、妻は子を連れて彼のもとから去った。彼自身もサレントにいられなくなり――。
「カーセスタに移って、ほそぼそと職人を続けた」
テオザという人物がカーセスタに越したということまでしか、サレント自治領の記録では判らなかった。しかし「装飾職人」「魔術道具の事故」「所有者への恨み」、これらが合わさって偶然ということがあろうか?
(ない、とは言えないが、かなり低くはあるだろう)
冷静にミアンナは判定した。「絶対にないということは絶対にない」という言葉遊びがあるが、彼女は真理のひとつのように思っていた。
とは言え、現実的には「おそらくそうだ」になる。
「考えられる『次』のひとつは、アダワロ殿への復讐。仕事場や自宅を警戒するべき」
ミアンナは書類を確認しながら言った。
気の毒なアダワロは懸命に仕事を果たしただけだが、テオザからすれば「自分を疑った役人」の筆頭だ。
「それから、別れたというご家族の現況も気にかかる」
ルカが懸念を顔に浮かべた。




