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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第六章

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03 さいあくー

「でもさー、こんな慌てて探す必要ある? 構文使い出したらミアンナくんが判るんでしょ?」


 歩きながらツァフェンが早速意見だか文句だかを述べた。


「もちろん、四人で待機したまま発動を待つ手もある。塗料缶のときのように、弱い構文を繰り返し、時間をかけて使うのであれば、余裕はある」

「ふーん? なら何で?」

「何に熱量が与えられているかは判らない。もし、『あとひと押し』という段階であれば? 次に発動したときには間に合わないかもしれない。或いは、もう目的を果たしていれば? 少しでも早く見つけられる可能性を採りたい」


 ミアンナはひとつひとつ話した。


「最も不本意なのは、このまま逃げられること」

「あれ、ミアンナくんもしかして怒ってるの? 大事な理術で悪いことされたから?」

「どうだろうか。確かに少なくとも愉快ではない」

「やっぱミアンナくんもおもしろー」


 何とも興味深そうにツァフェンは言った。


「リーネくんみたいな甘ーいお菓子もいいけど、ミアンナくんみたいな噛めば噛むほど味がするみたいなのも此方好き」

「それは光栄」

「ほんと、おもろ」


(「怒っているのか」か)

(感情の痕を読む男がそう思うのであれば、私は怒っているのだろうか)


 ツァフェンの異能については自称でしかないが、ただの口先だけで対魔術研究所にいるとは思えない。何かしらの特殊能力はあるのだ。それが魔術的なものであれ、観察眼によるものであれ。


「――この区画には、理術の痕跡はない」

「へー。じゃ、此方も言ってあげる。恨みつらみの感情は近くに見えないよ」

「一致してよかった」

「なーんかちょーし狂うなあ」

「次」

「ミアンナくんさー、ほんとルカくんと合うと思う。リーネくんに内緒にしとくから付き合わん?」


 リーネのいない場所で言うのは、リーネをからかうためではないだろう。ルカもいないし、こうした言説にミアンナが怒ったり恥ずかしがったりすることがないのも、もう判っているはずだ。


「ルカ殿はあの若さで鋼嶺隊候補生だ。ひくてあまたなのでは?」

「まあねー、でもあの性格だからね、どんなお色気お姉ちゃんが言い寄っても相手にしない訳」


 その光景は想像に難くなかった。


「しかし、何故ツァフェン殿は私を推す?」


 これはツァフェンの貴重な「本心」に近いのではないかと感じて、ミアンナは尋ねた。


「合うと思うからー」


 ひらひらと手を振り、対魔術研究所員はにんまりと笑った。深く答える気はなさそうだ。


(ツァフェン殿はルカ殿を好いているんだな)


 カーセスタでは他人の交流、特に異性間の交流に口を挟むことは理律に適っていないものと見なすが、そうした風習はそうしたことが発生しがちだから培われたもので、ツァフェンのような口出しは特段おかしなことではない。

 しかしそれでも、相手をからかったり自分の評価を上げるような目的ではなく言及するのは、どういったものであれ、相手への興味が強いからだ。

 この場合は、ミアンナに対してではなく、おそらくルカに。


「人の気配が少ない」


 いくつか街区を通過して、ミアンナは呟いた。


「頻繁に出し入れするものを置いてないんじゃなーい? こんな不便なとこじゃねえ」


 町の賑わいからは離れ、商店のひとつもないような場所だ。本来の予定通りに住宅街になっていれば、それなりに店も増えて活気も出たのだろうが。


「……何かあってもすぐには気づかれないかもしれない」

「それが狙いって推測?」

「可能性のひとつ」

「慎重派ー。失敗したくないタイプ?」

「失敗したいタイプもそうそういないのでは」

「失敗しないと成長しないって言うじゃん?」

「個人のことならそれでいいが。被害が出るかもしれない現状、自己の成長につなげてはいられないだろう」

「まっじめー」


 煽っている訳ではなく、ほぼ自然体で発言しているようだ。


「――うん?」

「あれ?」


 歩き続けていると、ふたりがほぼ同時に呟いた。


「これは何だ?」

「くっさー、此方行きたくなーい」


 かすかな悪臭が風に乗って届いた。ツァフェンは言葉の通りに足を止めてしまう。


「塗料……?」


 目と鼻を刺激する臭いは、冗談にも身体にいいものではなさそうだ。


「熱されて異臭を発しているのか」


(酒のにおいに似ている……何かの薬品? 不快ではあるけれど、吸ってすぐ倒れるというほどのものではなさそう)

(倉庫内の何かが揮発しているとすれば、外まで臭っている現状、内部はかなりの濃度かもしれない)

(知らずに所有者が開ければ……)


 危険度は何とも言えない。少し臭いなと思う程度ですぐ拡散される可能性もある。しかしもし毒性の高いものであれば、倒れる程度でも済まないかもしれない。


「ミアンナくんの考えてること判りそー。でもやめなよ、逃げよ?」


 ツァフェンはしかめ面で言う。自分だけ逃げないのは、この男にも矜持があるのか。それとも何か情報があって――自分は大丈夫だと知ってでもいるのか。


「……術者は休憩しているのではなく、目的を達成していたのかもしれない」


 ダリオス宅の塗料缶のように破裂までさせなくても、異臭を発する段階まで熱してその場を去る。臭いが広がって騒ぎになる頃には、もう術者は遠くにいるという寸法だ。


「じゃあもう逃げてるじゃん、さいあくー」

「だとしても、臭いの元を特定したい。すぐ近くのはずだ。理術の痕跡と一致すれば、追う手段が増える」

「えー、此方やだなー」

「お願いできないか」


 ミアンナは言った。ツァフェンはきゅっと眉根を寄せる。


「もしかしてミアンナくん、此方がお願いに弱いの知ってるの?」

「それは知らなかった。覚えておく」

「もー、仕方ないなー。手早くやって。そこの角、左ね。で、数軒先くらいじゃないかな」

「承知した」


 何かしら視えていたのに言わなかったのか、などと詰問するのは不毛だ。時間の無駄だし、どうせとぼけられるだけの話であると、ミアンナも理解していた。

 そのまま理術士は懐から手布を取り出すと流動構文を応用して水を生成、手布を濡らして口をふさぎながら角を曲がった。「やるぅ」とツァフェンの感心するような声が背後から聞こえた。


(――ここだ。この倉庫の壁に向けて理術を使った者がいる)


 ツァフェンは数軒と言ったが、構文の痕跡が検知されたのはもう少し先だった。公正に判定すれば、ツァフェンは風向きを考慮せずに距離を想定したのだろう。「感情の痕」はおそらく風に乗らないであろうことを思えば、ツァフェンが嘘をついた訳ではないと判断できる、という程度の意味だ。


(塀に登れば窓の中を覗き込めるか? あの辺りの箱を使えば登れそう。目立つが、人が通らなければ問題はない)

(……もしあの装飾職人なら、高い場所に抵抗はなさそうだった)


 そこまで考えてミアンナは首を振った。少なすぎる材料で決めつけるのは危険だ。

 少し臭いがきつくなってきた。目に染みる感じも強まっている。ミアンナは顔をしかめ、撤退を決めた。


(近くの公的機関に連絡、一旦閉鎖して誰も入らないようにさせよう)

(看板によると、倉庫の所有者は〈ハザ商会〉。ここにも連絡が必要)


 さっとやることをまとめて、ミアンナはツァフェンのいる角に戻った。


「どうだったー?」


 ついていかなかったことを悪いなどとは全く思っていなさそうな声音でツァフェンは問うた。「行かない」と言っていたのだから有言実行だ、とミアンナは思った。


「ダリオス宅に使われたのと同じ構文。同じ式盤から出たもので間違いない」

「へー、ちゃんと判るんだあ」

「ツァフェン殿も近くにくれば判るのではなかったか」

「臭いからやーだ。ミアンナくんのこと信じるね」


 しれっと男は言う。どうにも「本当」が見えないが、詰問しても無意味だ。


「リーネとルカ殿に連絡しよう。近くの町憲兵隊(レドキアータ)詰所に通報、しばらく付近の閉鎖と厳密な調査を」


 そのまま考えを話す。案の定と言うのか、ツァフェンの反応は「めんどくさー」だった。


―*―


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