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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第五章

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09 見逃すってこと?

 その後の聞き込みは、芳しくなかった。

 「最近やってきた四、五十代のカーセスタ人」というのは具体的なようで曖昧だ。知り合いであればともかく、たとえばすれ違った相手の出身国など判るものではない。

 両国民それぞれに外見の特徴はあるが、あくまでも傾向に過ぎない。ましてや、両国の狭間にあるサレント自治領では混ざり合ってもいる。「ひと目見てどの国の者か判る」というようなことは起きなかった。


「男を追うのは難しいかもしれない」


 日が陰りだした頃、ルカが両腕を組んで言った。


「僕はもう一度、ダリオス氏に話を聞いてこようかと思う。カーセスタ人に心当たりはないか……というのも、曖昧ではあるが」

「ルカ殿の考えでは、ダリオス宅が狙われたと?」


 確認するようにミアンナは尋ねた。


「ツァフェンのほのめかしを無条件には信じられないが」


 ヴァンディルガの使者はヴァンディルガの使者にそんな判定をした。


「それでも、もしその男が本当に何か企んでいるのであれば……塗料缶が悪戯や実験とは思いがたい」

「同意する。あれは『試しにやってみた』というようなものじゃない、目的のひとつだったはず」


 数刻に渡って弱い構文を二階からずっと狙い続ける。気軽にやれることではない。そこには「執念」が感じられた。


「『次がある』がたとえ当てずっぽうであっても、あると推測できているなら防ぎたい」

「あっ、ミアンナくん無礼だなー。当てずっぽうなんかじゃないよ、此方(こなた)の予言だよ」

「ツァフェン殿には予知力が?」

「ないよー」


 ひらひらと男は手を振った。


「もう、何なんですかあの人」


 小声でリーネが囁く。


「適当にもほどがありません?」


 ツァフェンが場を乱すことを狙っていることは、リーネも理解している。しかしミアンナに対する態度が不誠実である、という点において理報補官は不満だった。あとで話そう、とミアンナは小さく言った。


(感情の痕が見えると言う、それを事実として考えた場合、彼は何かを見て「次」を半ば確信している)

(微弱な理術で缶を破裂させた執念……恨みといった類か)


 立派な自宅。一般的な休日ではないにもかかわらず在宅していたこと。ダリオスは、日々あくせく働かなくてもよいという程度には成功者の部類に見える。とは言え、本人が出てきたことからも使用人を雇うほどでもなく、妬まれるほどの富豪ではない。となると、「成功」の過程で恨みを買ったか。


(威勢のいい人物で、あまり人を陥れるような印象はないが、そんなことは判らないもの)


 ミアンナは自身の第一印象と、そんな印象など当てにならないという理性を並べた。


(もちろん、逆恨みという可能性もある。自分が落ちぶれたのにあいつばかり、というような)

(ダリオス殿の過去、か)


 職人の経歴などどうやって調べたものか。工事の記録ならば庁舎にもあるだろうが、個々の職人の名前までは記していないことが多い。責任者や棟梁のような人物なら有り得るが。


「ルカ殿、ダリオス殿に話を聞くなら過去の揉め事についてもそれとなく確認してもらいたい。本人が直接関わらずとも、彼のいた現場で起きたようなこと」

「承知した」

「あれー? ミアンナくんも何か視た?」

「生憎と、対魔術研究所員のような力はない」

「あっはっは、調律院直属がよっくゆー」


 心底おかしいとでも言うようにツァフェンは身を折り曲げて笑った。またしてもリーネがむっとしているのが判る。


(――いま、リーネを見た)


 何でもないように辺りを見回したツァフェンだが、その視線が一瞬リーネの上で止まっていた。


(感情の痕……彼がルカ殿をからかい、私を挑発するのは、それを見たいためか)

(私は反応しなくても、背後でリーネが堪えきれずに出すものが彼を喜ばせ、繰り返し煽らせているのかもしれないな)

(そうであればなかなか)

(……性質(たち)の悪い)


 そう思いながらもミアンナは、嫌悪感のようなものは覚えなかった。ツァフェンのあっけらかんとした様子が「憎めない」という類だからなのか、それとも単に自分が気にならないだけなのか、彼女自身には判定がしづらかった。


「ねね、此方の助言、聞く?」


 不意にツァフェンが言った。これは「聞かせたい」のだろう、と判る。ミアンナは促した。


「ミアンナくんは、式盤だっけ? 理術の媒介の出どころを追うのがいいと思うよ」

「ほう」


 割と真っ当な助言がきたのでミアンナは目をしばたたいてしまった。


「いい案」


 いくらか考えていたことではあるが、「こちらでも考えていた」などという後出しはツァフェンを喜ばせるだけだろう。


「じゃ、ルカくん、いってらっしゃい」

「は? いや、お前もくるんだよ、ツァフェン」

「何言っちゃってんの。ヴァンディルガで固まれないでしょ」


 そう言うとツァフェンは片目などつぶってみせる。


「此方はミアンナくんと一緒するよお、リーネくんはルカくんの副官を続けてねえー」

「は!?」


 先のルカの五倍ほどの音声でリーネが言った。


「なっ、じょっ、冗談」

「いい案」


 リーネを制してミアンナは言った。リーネは絶望的な顔をする。


「とは言え、式盤に関する調査をあなたと行うのは無理」

「まー、そう言うとは思ったけどね」


 ようやくミアンナが想定通りの返事をしたためか、ツァフェンはどこか満足そうだ。


「サレントで調査中に理報官と別行動をするなら届出も要る。そちらはそうしたものはないのか」

「届け出る必要はないが、危急の際でもないのに勝手に別行動をした、なんて知られれば面倒だろうな」


 考えながらルカが答える。


「知られなきゃいいじゃーん」

「言うと思いました」


 ぼそりとリーネが呟いた。


「でもさあ、ルカくんはともかく、ミアンナくんはさあ」


 ツァフェンは少し頭を傾け、ミアンナを下からのぞき込むような姿勢を取った。


「自国の秘密とつまんない決まりごとと引き換えに、防げる事件を見逃すってこと?」

「ツァフェン!」


 この言いようにはルカも声を強め、ミアンナは飛び出しそうなリーネを牽制した。


「ひとつ。私の立場からすれば当然の選択」


 それからゆっくり言葉を紡ぐ。


「ひとつ。『防げる事件』と言い切るのは過剰な誘導。ひとつ。『出どころを突き止める』のは容易ではない。今日中なんてことは困難だし、そもそも、そうした調査ならば私よりも向く者がいる」


 淡々とミアンナは続けた。


「ひとつ。仮に、次の計画が本当に存在し、その実行まで間もないのであれば。最も早くその人物を捉えられるのはあなたの『感情の痕』を見る力」


 ダリオスの過去や式盤について探る時間を危ぶむのであれば、ツァフェンにはできることがある。ミアンナはまっすぐツァフェンを見てそれを指摘した。


「そうしない、またはできないために、こちらの責任であるかのように話し、罪悪感を煽って情報を取ろうとするのであれば、さすがに抗議させてもらう」


 空気がピリッとした。ルカとリーネが懸念の表情を浮かべる。


「えー、ミアンナくんこそ此方を悪者に誘導してんじゃん? それに、此方の力を見せろって言うのは情報を取ろうとしてるんじゃない訳ぇ?」

その通り(アレイス)


 更に言い返してきたツァフェンに、ミアンナはうなずいた。


「は?」


 と、今度言ったのは白髪の男だった。


「私は誘導し、情報を取ろうとした。これで天秤がつり合う」

「何で満足そうにてんの……変な子ぉ」


 初めてツァフェンは「調子を崩された」という顔をしていた。


―*―


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