08 感情の痕
どうしてその店を探す必要があると判ったのか、とルカは当然尋ねたが、ツァフェンはまたしても「此方は何でも知ってるからね」で済ませた。
(先にこの部屋を見ていた? しかしそれには、ツァフェン殿がルカ殿と合流する前……庁舎から情報を受け取る前にこの場所を特定していなければならない)
昨日の時点でヴァンディルガ側に与えられている情報はこちらと同程度であったはず。「黄色い塗料が跳ね飛んだ家」という情報でダリオス宅を特定することは不可能ではないが、せめて街区くらいまで判っていないと困難だろう。そもそも、そこまでする理由も思いつかない。
(向こうがこちらに先んじている、という主張にしては、ツァフェン殿の個人行動が過ぎる。対魔術研究所がヴァンディルガ皇軍にも先んじたいと言うのであれば判らないでもないが、そんな様子をわざわざカーセスタに見せるだろうか)
対魔術研究所の方針と言うよりは、ツァフェンの独断専行と考えるほうが自然ではある。もちろん、実際のところは判らない。どうやってその情報を知ったかというのも、たぐいまれな調査能力によるのか、それとも噂の「特殊な力」によるのかさえ。
「あーやっほー、次の客連れてきたよお」
「おお、さっきの面白い兄ちゃん。そう言や、話を聞きたい連中を連れてくるとか言ってたな。何もんだ?」
切り目を入れた麺麭に腸詰を挟んだ軽食を売りながら、屋台主は好奇心をあらわにして制服姿の三人を見た。
「自治庁舎から調査できています」
ルカが口火を切った。
「いつもこちらに屋台を?」
「ああ? まあ、そうだな。毎日じゃねえけど」
「数日ごと、というような?」
「いつもはもっと向こうの、大きい広場にいるんだけどな。売れ行きがいまいちだったときはこっちで延長すんのよ」
この店は屋台車で、祭りのような催事で設置される屋台と異なり、移動式だ。時間帯や売り上げによって場所を変えるというのは納得できる話だった。
「三日前はどうだったか覚えているだろうか」
ミアンナが尋ねた。
「うーん、三日前ならここにいたかもなあ。それとも、ありゃ四日前だったか?」
毎日のことでよく覚えてねえな、と屋台主は言った。
「――見慣れない人物が繰り返し買いにきたようなことは、なかっただろうか」
考えながら彼女が問うと、屋台主も考えるようにした。
「別に常連ばっかりって訳でもねえしなあ……ああ、でもいたな、新顔も」
「んー? 客の顔をみんな覚えてる訳じゃないんでしょ? 何で新顔って判ったのー?」
ツァフェンが腸詰の脂で汚れた指を舐め取りながら聞いた。
「この付近はヴァンディルガ銀貨を使う奴が多いんだが、カーセスタ銀貨を出してきた客がいたんだ。二度ほどあって、ちょっとした幸運だと思ったんでな」
「……カーセスタ銀貨?」
リーネが不思議そうに呟いた。
銀貨、という単位はカーセスタでもヴァンディルガでも使われていて、原則としてその価値は同等だ。どちらの国でも十ラルは十ラル。だから、銀貨に国名をつけて区別するような必要はない。――あくまでも、原則として。
「此方たちの前でミアンナくんは言いづらいだろうから、此方が言ってあげるねえー。ヴァンディルガ銀貨よりカーセスタ銀貨のほうが出来がいいから、価値が高いって言われることがあるんだよおー」
何がおかしいのか笑いながらツァフェンが言った。リーネはしどろもどろになって、曖昧な礼を述べた。
「では、カーセスタからやってきた人物だったと?」
「知らんよ。まあ、でも、そうなんじゃねえか」
「どんな人物かは?」
「うーん、特徴のある男じゃなかったな。次にきても、カーセスタ銀貨を出されるまでたぶん気づかん」
「年代などはどうだろうか。髪の色であるとか」
ルカも質問を加えた。
「さてねえ、四十だか五十だか。髪はちょっと判んねえな。そいつ、何したんだ?」
「いや、本当にその人物かも判らない。参考に聞かせてもらっているところだ」
ミアンナは本当のところを言った。実際、「新顔がいた」ことと「この店の包み紙が落ちていた」ことの関係は判らないからだ。
「話を有難う。また聞かせてもらうかもしれないが……」
ルカの様子を確認し、もう尋ねることがなさそうだと判断すると、ミアンナは質問を打ち切った。
「念のため、その男がまたやってきても、何か尋ねられたことは言わないでもらえるだろうか」
「あ? まあ、いいけども」
「せっかくだ、その挟み麺麭をひとつ、いや、三ついただこう」
「へい、毎度」
屋台主は戸惑った顔から営業用の笑顔に戻った。
「三つ? ミアンナくんよく食うねー?」
「ツァフェン殿が『よく食う』のであればもうひとつ足すが?」
片眉を上げてミアンナが言えば、ツァフェンはぷっと吹き出した。
「あっはっは、これはやられたねえ」
「あ、三つ目は僕の分か。出すよ……ヴァンディルガ銀貨ですまないが」
気づいたルカは、本気だか冗談だか、そうつけ加えた。これまでに見えているルカの性格からすれば、皮肉ではないだろう。
(少額でも金銭の貸し借りが発生するのはよくない。あとで要不要を確認するつもりだったが)
要らないと言われればリーネともう半分ずつ食べてもいいと思っていたが、引き受けてはもらえそうだ。
(もっともルカ殿の性格からすると「他国の使者に出費を負担させてはならない」と考えるより、単純に「奢らせるのは悪い」とでも思っていそう)
「年代は四十から五十。最近カーセスタからやってきた可能性がある。印象は掴めたが手がかりとしては弱い」
屋台車を少し離れて、ミアンナはまとめた。
実際、「カーセスタ銀貨を使った」も強力な情報とは限らない。サレント自治領で暮らしていればどちらの銀貨も手にする機会は普通にあるからだ。
「――ツァフェン殿。ご意見は」
少し揺さぶってやろうと思った訳でもないが、ミアンナはツァフェンに尋ねた。人の調子を乱すとこを楽しんでいそうな男は、相手から来られたらどうなるのかという興味はある。
「えー、ミアンナくん、此方が何を掴んでるか気になってしょーがないんだ?」
(まあ、こうくるだろうな)
想定内ではあった。
「そうだな。是非知りたい」
淡々と返せば、にやにや笑いが少し弱まった。ミアンナが素直にむっとしないからだろう。
「包み紙の情報を先に掴んでいたことは問わない。屋台車の情報を共有してくれたから。ほかに共有できることがあればお願いしたい」
「正直なのか、駆け引き上手なのか、ミアンナくんってば掴みがたいなー」
こちらの台詞だ、とは言わなくてもいいだろう、とミアンナはただ軽く肩をすくめた。
「ツァフェン。僕が言うまでもないだろうが、これは共同調査だ。殊に理術に関してはこちらからの情報提供が難しいんだから、掴んだことがあれば積極的に出していかないと、『ヴァンディルガは何もしていない』という扱いになりかねない」
真顔でルカは叱責めいたことを言った。
(つい忘れてしまいそうだが、ルカ殿は精鋭隊候補生。自分の立場や役割をしっかり考えている)
(とは言え、私の前で話すことではないな)
まっすぐすぎるルカに、どうも「可笑しい」という感覚が浮かぶ。
「此方はヴァンディルガとかどうでもいいけどなー」
ツァフェンからは、あまりにもな発言が飛び出した。たとえ内心がどうであっても、カーセスタの使者がいる場で仮にもヴァンディルガの使者が口にする内容ではない。
ルカは頭痛をこらえるように額に手を当てた。ミアンナは少し同情した。
「ま、ルカくんが可哀想だから少し話してあげよっかな」
またしてもツァフェンは楽しげにした。ルカの反応が予想通りだったためかもしれない。
「此方はね、ちょっと『視える』んだよ」
にまっと笑う顔は、自分が優位に立っていると確信している者の表情だった。
「感情の痕がね、視える」
「感情の……痕?」
慎重にミアンナは聞き返した。
「そ。だから、やたら緊張した誰かがあの部屋に出入りしてたのが判った。んで、たどったら栗鼠くんの屋台車があって、おいしそーだったから買って戻ったよ」
「……それから?」
「『それから』!?」
ツァフェンは信じられないと言うような声を出した。
「『嘘くさい』とか、も一歩踏み込んで『その男を追えないのか』とか、それとも信じて『行き先が判るなら教えてほしい、どうかお願いしますツァフェンさん、何でもします』とか言うとこじゃなーい?」
「私は意見を尋ね、説明の途中だと判断した。だから、続きを促している」
何も、乗せられまいと反発している訳ではなかったが、そうも見えたろうか。ツァフェンは、つまんないなー、などと呟いた。
(感情の痕とやらの真偽は不明。対魔術研究所員の「特殊な力」という可能性は十二分に考えられるものの、調査の結果を「不思議な力」に見せかけている可能性だって皆無じゃない)
(ただ、こちらには判らない何かしらを根拠に行動しているのは事実だろう)
感情の痕跡であれ、魔力であれ、はたまた別のものであれ、ツァフェンはそう見せているほど気ままではない。理由があって動いている。そう感じられた。
(正直に言えば、魔術に対抗し得ると認められている力には興味がある)
向こうは理術に興味を持っているだろう。それと同じことだ。「調査の結果」ではないとよい、などと思った。
「しょーがないなあ、無感動お化けのミアンナくんに合わせてあげる。侵入者は異常に緊張してた。で、そいつはカーセスタ銀貨を持ってた。此方がしっかり追えたからね、そこは一致してるってことで確定ね」
「無感動お化け」にリーネが眉を吊り上げたが判ったが、ミアンナ自身は言い得て妙だと感心した。
「その上で、此方の意見だっけ? 簡単なの、ひとつ言うね」
にまにましたままでツァフェンは続けた。
「塗料缶は、ちょっとした挨拶」
白髪の男は声をひそめた。
「次があるよ」
わざとらしいようにも思えるその「演出」は妙な効果があった。
冬のはじめの微風が、足元をすっと吹き抜けていった。
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