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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第五章

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07 〈圧と信〉

(何かと私を煽って、余計な発言をさせようとしているように見える)

(素の性格かもしれないが)


 ツァフェン。対魔術研究所員。

 軽い言動は演技か本気か。危うい発言も軽さに紛れさせるやり方は、密偵らしくもある。


(ルカ殿は呆れている様子だが、彼とてヴァンディルガの精鋭部隊候補生。素直に見える様子が真実とも限らない)


 〈圧と信〉――ひとりが脅しなどの圧をかけて心理的距離を取らせ、もうひとりが親切にして信用を取っていくという、情報取得のやり方がある。彼らがそれを行っていないとは言い切れない。


(もっとも、前回の様子からしても、ルカ殿は本当に実直に見える。それでもツァフェン殿のほうで彼を「信」の席に置けばいいだけだ)


「隣家は貸家と見える。二階の借主について聞いてみよう」


 ミアンナはツァフェンには何も言わず、提案をした。その無反応をどう思うのか、白髪の男はにまにまと笑っていたが、不意に踵を返す。


此方(こなた)はちょっと周り見てくるねー」

「ツァフェン、勝手に」


 ルカが止めようとしたが、止まる人物でないことはこの半刻でミアンナやリーネにも判っている。案の定、ツァフェンはひらひらと手を振って建物の裏手のほうへ行ってしまった。


「……何と言うか、すまない」

「ルカ殿が謝ることは何もない」


 またこの男は外交面の強い場で謝って、とミアンナは少し可笑しく思う。――珍しい「気持ち」だった。


「いや、ツァフェンの変人ぶりを僕が謝る必要は確かにないんだが、彼が招聘された理由は、僕が前回の報告で『カーセスタ側の対応者は二名だった』と上げたためなんだ」


 こちらが一名なのはけしからん、とルカの上官が思ったのかどうなのか、「頭数を揃える」という動機があるのだと言う。


「対魔研は普段、あまり公的な場には出てこない。それが今回は、率先して名乗りを上げてきた」

「ふむ」


 与えられた情報を頭に入れて、ミアンナは考えた。


「まずひとつ。これまでカーセスタが理術士をサレントに送ったとき、理報官も常に同行させていたはずだ。それをそちらの誰も報告していなかった、ということもないだろう。となると、いままでは『見習い』だの『記録係』だのいう扱いで、理報官は『数に入っていなかった』ということになる」

「うん?」


 彼女が何を言い出したのかと、ルカはわずかに首をひねる。


「あなたは、リーネをきちんと数えて報告してくれた。私はそこに感謝したい」

「ミ、ミアンナさん……!」


 リーネは感動でもしたのか、両手を口に当てている。心なしか、目が潤んでいるようにも見えた。


「もうひとつ。対魔術研究所が一枚噛む機会を探していたのなら、あなたの報告はただの口実」


 たとえルカが報告しなかったとしても何だかんだと理由をつけて乗り込んできただろう。そうした推測は容易についた。


「有難う」


 ルカは慰められたと解釈したか、苦笑いで礼を言った。


「私がヴァンディルガで対魔術研究をしていたら、理術には必ず興味を持つ。相手を挑発して失言も狙うこともきっと考える。ツァフェン殿の言動は理解できないものでもない」

「実際にあんなふうにやるのは、よくないと思いますけど!」


 忙しくも今度は憤然とした顔で、リーネは言う。


「ルカ殿は、ツァフェン殿とのつき合いが長いのだろうか」

「え? ああ、僕が鋼嶺隊を目指す頃からの知り合いだから……そろそろ十年近いか。とは言え、ずっと交流があった訳でもなくて、年に数回顔を合わせる程度」


 思い返すように宙を見ながらルカは言った。


「ツァフェンはずっとあの調子なんだ。今日が殊更に挑発的だとか、わざと勝手に振る舞ってみせているとかではなく」


 ミアンナが聞きたいのはそういうことだろう、と推測してルカは答えた。


「個人的なつき合いなのか?」


 近衛の精鋭部隊を目指す少年と対魔術研究者の接点が思い浮かばなくて、ミアンナは首をかしげた。


「ああ、それは……家族ぐるみのつき合い、ってところかな」


 す、とルカが視線を落とした。


(話したくない、ということか)


 何でもまっすぐに返事をするルカにしては思いがけない――。


(いや、前回のときもあったな)


 無許可の理術使用者が子供だったらどうするのか、という話を彼から出したあと。何か言いたいことがあるようなのに、飲み込んでいた。


(――家族が対魔術研究所の監視下にあった?)


 少ない材料から彼女が導き出したのはそうした答えだった。もっとも、これは推測ですらない、ほとんど憶測のようなものだ。

 実際、家族に何らかの問題があれば、鋼嶺隊の候補生にまでなることは難しいだろう。皇帝に近しい近衛の主隊ともなれば、家族や親戚の素行も調べられるはずだ。

 本当のところを尋ねるつもりも権利もない。ただ、そういうこともあろうかと、ミアンナは「ルカ・アールニエ」という枠のなかに情報のかけらを置いた。


「どこに何をしに行ったか判らない男を待っていても仕方がない。こちらはこちらで動こう」


 それ以上は問わずにミアンナは隣家を見上げた。明らかにルカはほっとした様子だった。


「貸主が近くにいればいいが」


 いくら自治領の調査でも勝手に入る訳にはいかない。ミアンナは建物を眺めた。

 それは二階建ての長屋で、十戸ほどの部屋で構成されているようだった。窓に掛け布や飾りがされている部屋もあれば、空っぽに見える部屋もある。


「一戸だけ広そうな部屋がある。大家が暮らしているかもしれない」


 ルカが指した。確かに二階の奥はほかの部屋より窓が大きい。


「行ってこよう」


 すぐ行動に移すルカがさっと外階段に向かった。リーネがミアンナとルカの間で視線を迷わせていたので、ミアンナがルカについていくよう促す。「男ひとりでは警戒される」「女性の副官がいると思わせる」という前回同様の布陣だ。ミアンナも前回を踏襲し、少し離れて周囲を窺う。

 ふたりは外階段を上がると、まっすぐ奥へ向かった。鋼嶺隊候補生は大股で力強く歩き、理報補官は少し早歩きでついていく。


「すみません、三日前のことについてお話を伺いに……」


 軽く構文を組み合わせて様子を聞いておこうとしたミアンナだが、ツァフェンのことを思い出し、流動構文だけに留めた。

 位相構文と合わせればかなり明瞭にやり取りを聞き取ることができるが、「基礎で対応しろ」、つまり「こちらの『性能』は知られるな」というのが応理監のお達しだ。風の流れで声をこちらに送るだけにしたが、一階と二階ほどの距離があると、音はどうしてもぼやけてしまう。


(こうなると理術を使う意味はないが)

(ツァフェン殿への見せ札くらいにはなるだろう)


「ミアンナ、こちらへ」


 少しするとルカが彼女を手招いた。その背後でリーネがまたむっとした顔をしている。


「三日前の破裂音は大家も聞いたそうだ。ただ、ダリオス氏の罵り声のあと騒ぎが大きくなるでもなかったので、そのまま寝てしまったとか」

「お隣の庭がちょうど見えるお部屋は、空き部屋だそうです。侵入されていないかとルカさんが聞くと、慌てて『鍵を取ってくるからそこで待っていてくれ』と」


 ふたりが説明を終えるとすぐに大家が鍵束を持って姿を現した。制服姿がひとり増えていることに一瞬ぎょっとした顔をするが、特に質問はしてこなかった。どこの制服かは知らなくても、彼女たちには見るからに「庁舎からきた」雰囲気がある。


「こっちの部屋はしばらく借り手がなくて、半年くらい空いてるんですよね」


 貸主は彼女たちには大して意味のない情報を話しながら、端の部屋へ向かった。そして扉を開けようとして顔をしかめる。


「え……開いてる」


 ミアンナたちはそっと顔を見合わせた。


「失礼」


 ルカが貸主を乱暴にならない程度に押しやり、先頭に立った。次いでミアンナがうなずいて続く。リーネが退いた貸主の隣に並び、その動向を見ておく役を引き受けた。

 扉の向こうは二間続きになっていて、家具のひとつも設置されていないがらんどうの空間だった。

 いちばん奥に窓がある。これが、外から見えた部屋に間違いなかった。


「清掃は?」


 ミアンナが家主に尋ねた。


「え? あ、その……借りる話が出てきたら決まったら掃除しますがね」


 少し気まずそうな返答があった。


「開けることも?」

「へえ、まあ、ないですね」

「半年誰も入らなかったにしては、籠もった臭いがしない」


 うっすらカビ臭くはあるものの、閉ざされた空間特有のかすかな悪臭のようなものは感じられなかった。


「幾度か開けられていた。或いはごく最近、足を踏み入れた者がいる」

「そうらしい」


 ミアンナが言えば、ルカが床から何かを拾い上げて同意した。


「何かの包み紙……屋台で購入した軽食かな。粗紙に麺麭(ホーロ)のかけらが残っている」

「印のようなものがある」


 ミアンナが指摘した。包み紙の端に、何か押されているのが見えたのだ。


「これは、栗鼠(レキト)かな? 店を特定できるかもしれない」


 包み紙の端には、可愛らしい栗鼠(りす)のような絵柄があった。ルカはそのまま家主にそれを見せる。


「近くにこの店はあるだろうか」

「あー……見たことあるな……どこだったか」

「これじゃなーい?」


 背後から声がして、家主は飛び上がった。


「ツァフェン」


 ルカが嘆息する。


「お前、どこに行って……うん? それは」

「へっへー、お腹空いたからね、買ってきた」


 白髪の男が見せびらかした包み紙の端で、栗鼠が笑っていた。


―*―


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