01 冬の気配
ラズトの町に、冬の気配が見えはじめた。
カーセスタ王国のなかでは北端に近い地域だが、極端に寒くはならない。降雪はあるものの、家が埋まるほど何ラクトも積もるようなことはない。
とは言え、温暖な王都付近で暮らしてきたミアンナからすると、既にだいぶ気温が低いように思えた。
ましてや石造りの塔の内部となれば、一段と冷えを感じられる。
「資料塔の暖房機構はどうなっている?」
ふと、ミアンナは尋ねた。指定された資料を黙々と運んでいたウィントンは、まるで幽霊に声をかけられたかのようにびくっとする。
「も、もう少し寒くなったら、式盤を稼働させてもらいます」
「成程。式盤が設置されているのか」
この付近の気候なら、春から秋は特に調整が不要だろう。夏も高温多湿とは無縁だ。ごく寒い時期にだけ温めるなら、常時稼働させておく必要もない。
「しかし、まだ寒くないのだろうか。つまり、ウィントン殿は」
「え、ぼ、僕ですか」
資料のことや塔のことではなく自分のことを尋ねられたためだろう、ウィントンは目をぱちぱちとさせた。
「僕は、寒いのは平気なんです。あんまり寒ければ、それは無理ですけど」
「成程」
ウィントンは考えながら答え、当たり前のようなことを追加した。ミアンナはただうなずく。
通常であればこのあと、どこの出身であるとか、自分はこうだとか、どちらかが話を広げて対話が続くことも多いだろう。しかし無口と無口では、ここで話が止まる。
もっともお互いに、沈黙を苦にしない性格だ。ミアンナは話したければ話すし、状況や相手によっては話も振るが、ウィントンはできれば話したくないタイプである。そうなるとミアンナが敢えて話を探す理由はますますなかった。
「……あ、これです。ありました」
数分の沈黙のあと、ウィントンが一冊の資料を取り出す。求められたものをちゃんと見つけられたためだろう、安堵の息を吐いている。
「えと、過去十年ほどの、支部以外の場所から検知された理術の一覧です。あの、もちろん、ここから検知できる範囲で」
ラズト支部の存在意義は主に、ヴァンディルガ方面の理術的監視だ。これは、直接的な「理術の検知」とは異なる。熱、光、波、重量、などの各種構文を駆使し、平常時の状況を記録しておく。そうすれば、何か特殊な動き――検知されるほど人員が多く移動しているだとか、武具の作製が増えているだとか――を推察でき、隣国の戦支度を感じ取れる。
あくまでも推定であり、もちろん完璧ではない。しかし王国ではこれに意義を認め、こうして支部がここにある。
一方、直接的な理術検知は、おまけのようなものだ。
王国内であれば、基本的に何も不審ではない。理術士も式盤もないところに大きな術の痕跡でもあれば別だが、細かいものはおそらく記録しきれないだろう。
サレント自治領のものも大きければ検知できるが、先日のような小さな発動までは判らない。もっともサレントならば自治領側が検知してこちらに伝え、理術士が出る。つまり理術士の出動として記録される。
となれば、資料に残されるのは「カーセスタ王国北西部の、継続使用ではない大きめの理術」ということになった。
(つまりは工事作業などによる一時的な使用や、滅多にないが、構文の極端な誤りによる暴発)
(試験使用なら通常は事前連絡がある。注釈とともに記録されているだろう)
(あとは――何が原因であれ、大きな事件、事故の処理など)
先日の祭で耳にした、「魔術道具の事故」。これは魔力の暴走に近い反応が出たと推測されるが、それを記録し管理するのは魔術師協会だ。ミアンナは一魔術師として近隣の協会に問い合わせを行ったが、ここ三十年以上そうした事故は起きていないとのことだった。
では職人は嘘をついたのか。
(嘘をつく理由は全く思い当たらないが、真実を隠しつつ何かを吐露したいという、ややこしい心情が存在することは知っている)
(単に、この付近の出来事ではないとも考えられるが……)
そもそも、何故こんなに気にかかるのか、いまひとつ判らないままだ。仮に当人に直接聞くとしても、何を聞きたいのかはっきりしないままでは益がない。
だからこうして、ウィントンに頼んで過去の記録を出してもらっている。「魔術道具の事故」というのが何らかのごまかしであったとしても、大きな事故があったなら理術で何かしらの片付けを行った可能性は高いからだ。
「やあ、ウィントン。ミアンナ殿、こちらでしたか」
そこにやってきたのは副理術士のジェズルだった。ウィントンは、普段ひとりきりの資料塔にふたりも人間がやってきたせいか、少し所在なさげな顔をしていた。
「すまないんだが、これに関する去年の資料を出してもらえないか」
「あっ、は、はい」
役目が与えられたためだろう、ウィントンはほっとした顔をして、ジェズルから何か書かれた紙片を受け取った。
「ミアンナ殿も資料ですか」
「前に、近隣の魔術道具事故について尋ねたのを覚えているか」
「ええ」
ジェズルはうなずいた。
「職人の様子が奇妙に思えたというお話でしたね。しかし調べようがないと」
「そこまで覚えていてくれたのか」
ミアンナは目をぱちくりとさせた。ジェズルは眼鏡の奥の目を細める。
「理由がはっきりしないのに気にかかる……理術士としては非常にモヤモヤする話ですから」
ジェズル自身も気にかかったと言うのか、それともミアンナがはっきりしないのが珍しくて気にしていたと言うのか、彼の言いようはどちらともとれた。




