07 帽子の男
「私は先に町憲兵隊の詰所に寄って、騒ぎが起きていないか確認します。フィンのことは共有しておきますが、特に問題にされないでしょう」
ジェズルの言葉は、何も町憲兵を責めるものではない。
警備側でも人攫いに関する警戒はしている。となると伝える内容は、「ひとりの子供が無茶をするかもしれない」というくらいだ。警備側で手に負えることではない。
フィンの行動を諌めることができるのはフィンを知る者だけ。
「私たちは市を重点的に見回ろう。ああした場所ではゾラン殿の助言が活用できそうだ」
祭りにきた者はみな店をのぞくだろう。人の動きや子供の様子を気にしている者がいれば、ミアンナやリーネのように警備の経験がなくても気づくような、判りやすい動きをするかもしれない。
「フィンさんのお父さんの屋台もありますもんね」
「子供のほうは父親の言葉など聞きそうになかったが、少なくとも父親は息子がいれば気にかけるはず」
そのあと彼女らはそんなやり取りをして、それぞれ見回りに向かった。
これは、調律院の仕事ではない。彼女たちは、たとえばゾランに直接話をして、それだけでも十二分に責任を果たせると言えた。
しかし、実際の業務を考えれば、警備隊の責任者に個人の警備を頼むのは悪手でしかない。責任者がそれを重視して指示を出せばほかの大事件を見落とすかもしれず、かと言って何も手をつけず万一のことがあれば「頼まれておきながら怠った」という、ゾラン側の責任問題にもなる。ジェズルの提案通り、警備隊の連絡役に伝えるというのが、現実的には最良の手段だ。
彼女らはそうした判断を「してしまう」が故に、こうして祭りの日に自主的な巡回を行うことになる。
何もないかもしれない。
それでもいい。いや、そうである方がいいと思いながら。
「フィンさんの姿は見てないそうです」
と言いながらリーネが焼き握り飯串を持っているのはもちろん、ついでに買い食いを楽しもうという不埒な気持ちによるものではない。屋台の人物に話を聞くなら何かしら購入するのが礼儀だし、その上、彼女らの昼飯はまだなので、動き回るなら腹ごしらえが必要でもあった。
「オノバンさんも今日はまだきてないとのことでしたので、『フィンさんが無茶をするかもしれないから気をつけておいてほしい』とだけ伝言しました」
はい、とリーネはミアンナの分を差し出した。ミアンナは礼を言って受け取る。
(これは経費で処理可能だろう、あとでリーネに精算させておこう)
もちろんこれもまた、経費で済ませようという不埒な考えではなく、リーネが払っているのを目にしたが「この場で払うの払わないのとやっていれば何か見落とすかもしれない」という判断によった。
「この人出だ。いくら顔を知っているとは言え、子供ひとりを見つけるのは至難だろう。当初の予定通り、不審者の炙り出しを主に――」
ミアンナはそこで言葉を止めた。彼女の視線の先には、まるでゾランの言葉をなぞるかのような人物がいたからだ。帽子を目深にかぶり、屋台ではなく人の流れを観察するようにキョロキョロしながら、子供を認めては親と一緒にいるかを確認するような目線を送っている。
「リーネ。少し行ってくる」
「えっ? 何か見つけたん……あっ、駄目ですよ単独行動は!」
「ふたりの制服が動けば目立つ。人混みからは離れない。リーネはここに」
「ん、んん~!」
リーネは激しく葛藤する様子を見せた。理報補官としては専理術士の判断に任せるべきだし、いつもなら彼女もそうする。しかし今日は現場を知る経験者たちがこぞって「一緒に動け」と言ってきているのだ。
「やっぱり駄目ですっ」
決めるとリーネは、人波に紛れる寸前のミアンナの袖口を掴んだ。
「わたしも行きま――」
「逃げた」
「え」
「これだけ人がいると流動構文で追うのは無理だな」
以前、サレント自治領では逃げた人影の方向を風の流れで探ったが、この混雑では役に立たない。
「え、あ、す、すみませ」
「いや、私の制服に気づいて逃げたんだ。リーネのせいじゃない」
顔色を失くす理報補官に問題ないと伝え、ミアンナは逃げた人物の見た目を記憶した。
「成人男性。若い。おそらく二十代か、行って三十前後。つばの広い黒い帽子で髪色は隠れていた。服は、理報官の制服より少し暗い緑」
「え、どこに行くんです?」
ミアンナがそのまま追うのかと思ったのだろう、踵を返した彼女にリーネが問いかける。
「ひとまず近場の警備兵に共有。それから、向こうにあった編み布の店で肩掛けを買おう。抑止には効く制服も、隠れて追うには不向きだ」
件の男は逃げたが、「不自然に引き返した」と判ったのはミアンナが見ていたからで、何も人波をかき分けて逃げ去った訳ではなかった。騒ぎを起こしてくれていれば周りの人間にも話を聞けたろうが、少しぶつかった程度では何も印象に残らない。何しろ、誰も彼も屋台に気を取られてよそ見をしているからだ。
とは言え、相手の目的を考えれば、まだこの辺りにいるだろう。
「念の為」
暗い黄色の肩掛けを羽織ったミアンナは、灰色の髪をわざと乱し、印象を変えた。それを見たリーネも真似して、いつも二つ結びにしている髪を解いた。こちらは焦茶色をした、頭からかぶる形の上着を身につけている。
「私は左側を見る。リーネは右を」
「はいっ」
「できれば屋台を見ているふうに、自然に」
「う、が、頑張ります」
昼に向けて、食べ物を出している屋台はかき入れどきだ。ああだこうだと競うように口上を叫び、喧騒は一段と強まる。近くにいるリーネと話すにも声を張らなくてはならないほどだった。
(――いまのは?)
ミアンナの視界の端にふと映ったものがあった。
屋台の裏にいたふたりの人影だ。昨夜のような恋人の寄り添いではなく、何かを受け渡しているように見えた。
(片方は、氷角鹿を作った装飾職人)
広場の櫓に登り、飾りを取り付けた職人だった。見知った人物だから気づいたのだろうか、とミアンナは自問した。
裏手ではあるが、隠れているという様子でもない。ただ何かを購入し、受け取っているだけに見える。
(なら、何が気になったのか――)
「……ンナさん、あれ!」
彼女がその答えを出す前に、リーネが何かを見つけた。
「……ん! フィンさんですよ!」
彼女の指し示した路地には、確かに見覚えのある赤毛の子供がいて、辺りの様子を窺っていた。
「どうします?」
ぐっと身を寄せてリーネは問うた。
「追いかけても逃げそうですし……」
「ここは魔女の出番だろう」
言うとミアンナはそちらに集中した。肩掛けをばっと取り去り、携行式盤を手にする。そして片手で指を鳴らし――先ほどの催しのように、音をフィンの近くへ送った。子供がびくっとして音の方を見ると、その視線の先にミアンナがいるという寸法だ。
フィン少年の視線がミアンナと合い、彼は明らかに「あっ!」という顔をして、それから迷うように別の方向を見た。
「彼は何かに気づいてる」
ミアンナはフィンが見ている先を見た。
「あっ、帽子の男!?」
リーネも気づいた。と、ミアンナは再び肩掛けを羽織って動き出す。フィンは「魔女」がやってくるのかとギョッとしながら、しかし逃げずに踏みとどまった。彼にはやることがあるからだ。
「リーネ、フィンから話を聞いて」
「え」
「私は帽子の男を」
「だ、駄目ですってば」
またしてもひとりで動こうとするミアンナをリーネが止める。しかし理術士は首を振った。
「二手に分かれる必要性が高いときは別」
「ゾランさんもジェズルさんもそんなこと言ってな、あー、もう!」
走り出したミアンナを追いかけるよりフィンの保護が優先だと理解できたリーネはその場で地団駄を踏んだ。




