03 それで回るの?
そうして無事にふたりが地上へ戻ると、先ほどの棟梁らしき男がやってきて礼を述べた。装飾職人もぺこりとお辞儀をしてその場を去る。
「いやー、本当に助かりやしたよ。どうにか間に合った」
「かまわない。ところで」
ミアンナは去った職人の方を見やった。
「……過去にラズトで、魔術道具の事故があったのだろうか」
「へ? ああ、どこか違う場所の話でしょう。あいつはラズトの職人じゃないんですよ。腕がいいんで近隣の祭りに呼ばれるんです」
「確かにあの装飾も、下から見るとよく映える」
近くで見たときはぴんとこなかったが、高いところに設置されると陰影がくっきりとして立体感が生じ、見事な鹿の姿を浮かび上がらせていた。
「あれは、氷角鹿? ラズトの伝説にあると言う」
「へえ、さすがよくご存知で。吹雪で遭難した親子を町まで導いたって伝説がありまさあ。ま、こんなときにしか使われませんがね」
「氷角鹿の意匠をラズト側で依頼したにせよ、職人側の提案にせよ……あれは見事」
わざわざ余所から呼ばれるも道理だ、と思えた。
(しかし、魔術道具の事故……か)
棟梁が頭を下げて別の仕事に戻るのに任せ、ミアンナはもう一度櫓を見上げた。
「――ミアンナさん!」
そこに元気な声がやってくる。ミアンナは視線を鹿からリーネに移した。
「イストさんが戻ってきて、待機を代わってくれました。お祭りがはじまったらミアンナさんとあちこち見てきたらって言ってくれて」
ラズトの町出身のイストには収穫祭も毎年のことで、楽しみではあるが珍しくはない、というところらしい。
「そうは言ってもイスト殿も回りたいだろう。もともと交代で依頼するつもりではいたが……」
「『案内してもいいんすけど、初見同士で祭り見物できることもそうそうないっすからね』だそうです」
イストの声真似をして、リーネは彼の言葉を伝えた。
「成程、あちらかこちらか迷うのも楽しみの内」
「えへへ、楽しそうです」
リーネは言葉の通り、ニコニコしっぱなしだった。
「もう少しで開会だ。頼まれた演説もすぐだが、レオニス殿は何とかなりそうだったか?」
「ばっちりだって言ってました」
「ではお手並みを拝見」
軽口めいたことを言うミアンナに、リーネも笑った。
―*―
――開会式などというものは「お偉いさん」の挨拶ばかりであまり盛り上がらないものだが、そこはレオニスが巧かった。
彼はラズトの主農作物である米を「収穫祭の主役」と讃え、王都への流通や目新しい調理法について話し、即興で氷角鹿の話も入れ込んで、ラズトを愛する見物人たちから大きな拍手をもらっていた。
ミアンナも支部に戻る前のレオニスを捕まえて労い、彼は「やっとミアンナ嬢に褒められたよ」と笑った。
「ん? ミアンナ嬢はそれで回るの?」
「それ、とは?」
「これ」
レオニスは自身の袖口を引っ張った。
「ああ、制服か」
制服姿で祭りをうろついていたら、何かの視察か、それとも事件か、などと思われかねない。
「あっ、そうだ! わたし、いいの持ってきてます!」
私服姿のリーネが淡い緑色をした薄手の羽織ものを取り出した。見るからに柔らかそうで、山岳地帯では一般的な、山羊の毛を使っていると見えた。
「これを羽織ってたら仕事に見えないんじゃないでしょうか」
「やるねリーネ嬢!」
「有難う、リーネ。しかし、これは?」
「さっき、行商の人から買った新品です。ミアンナさんに似合うと思って……」
少し恥ずかしそうにリーネは言った。
「そうか。ではあとで支払おう」
「そうじゃなくて!」
「素直にもらえ!」
リーネとレオニスがほぼ同時に叫んだ。
(もらう理由がない、と思うのだが)
(王都でもネネティノとそんな話をしたな)
先輩理術士であるネネティノが、彼女自身の気に入りだという色墨を贈り物として渡してきたことがあった。それに対して「もらう理由がない」と答えて断ろうとしたところ、ネネティノがはこんな言葉を返してきたのだ。
『もらったら素直に礼を言う! 要らなかったら使わなくていいし捨てたっていいけど、あたしに気付かれないようにすること!』
『で、もし気に入ったなら何か別の形でお礼すればいい。あたしに対しては、しなくてもいいけどね、こっちが贈りたくて贈ってるだけだから』
(……どうも判らないが)
(せっかくの祭りだ、いただいて……あとで何かしら買って返そう)
―*―
初日の目玉は、市だ。
何しろ収穫祭である、レオニスの言うように収穫物が主役だ。農作物そのものを売る市場も盛況だが、特に人気なのは料理を売る屋台だった。
新米を使った焼飯の屋台はいい匂いをさせ、炒り豆の弾ける音が聞こえれば、色とりどりの素揚げ野菜の串屋も目に入ってくる。
「……全ての味を確認するには胃が足りない。理不尽」
「厳選するしかないですねえ……」
ふたりの少女は真剣な顔つきで相談をしていた。
「三日分を決めて、明日や明後日に持ち越すのはどうでしょう!」
「二日後も同じ屋台が出ているとは限らない」
「うっ、それもそうです」
「おや、調律さん方じゃないですか」
そんな彼女たちに気づいて声をかけてきた人物があった。
「あなたは」
「あっ、フィンさんのお父さん」
「はは、その節はどうも。オノバンと言います」
フィンはミアンナを「悪い魔女」だと言い放った男の子だ。その父であるオノバンは改めて名乗った。
「うちの米もそこの屋台に出してるんで、食ってってくださいよ。もちろんお代はいただきませんから」
「そうは行かない」
ミアンナは首を振った。
「公務官である以上、無償で何かをもらうことはできない」
これは先ほどの、リーネの好意による贈り物とは違う話だ。ミアンナとリーネは仕事仲間だが、オノバンから見てミアンナたちは「調律院の人」。彼が何らかの利益を見込んで提供している訳ではなくても、受けるべきではない。ミアンナはそう考えた。
「お堅いことで」
オノバンは笑った。「子供が大人びたことを言っていて微笑ましい」という性質の笑いだ。
(どうであれ、円満に話が終わるなら悪くない)
やはりミアンナはそう判断した。
「せっかくだ、最初の購入にオノバン殿の米を使った葉包蒸しをいただくのはどうか」
「賛成です! 実はさっきから、蓮の葉っぱのいい匂いがたまらなくて」
その提案にリーネも飛びつき、オノバンは誇らしげにしていた。
そうしてふたりの少女はあちこち食べ歩きに――ばかり精を出していた訳ではない。
店頭で揉めている者を見ればミアンナはさっと羽織り物を脱いで彼らの目に付くところに入った。調律院の統理官には町の騒乱に対して何の責任もなく、捕らえるような権限もないが、制服姿は抑止になるのだ。
ほかにも、火力系、冷却系に起きたささやかな支障を通りすがりに理術で直したり――屋台主も気づかなかっただろうが、ジェズルだけは気づいたはずだ――なんだかんだとミアンナは、イストの言ったところの「どちらかと言えば運営側」としての役割を果たした。
それからウィントンの、もとい、調律院の展示についても確認を行った。展示場所自体は毎年同じ、寄合所の一画だったが、去年までほとんど見られていなかった原因は「お堅い内容」ばかりにあるのではなかった。
「何の飾りもしてませんでしたもんね。何か催し物があるなんて誰も思いませんよ……」
リーネが呟いた通り、寄合所はあまりにもいつも通りで看板ひとつ用意していなかった。これではとても、祭りに参加しているとは見えなかっただろう。
そこでミアンナらは、看板はもとより、鉢植えを道のように並べて観客を誘導し、扉を一時的に外して入りやすくすることを提案した。その試みは巧く行ったようで、大盛況とまではいかないものの、去年までに比べたら相当の人数がウィントンの模型や図画を眺めているようだ。
「ちょっと喧噪から離れて休むこともできますし、この寄合所って、実は穴場なんじゃないですか?」
見終わった客がちょうど出ていくのを会釈して見送りつつ、リーネはそんなことを言った。
「疲れたのか?」
休みたいということだろうか、とミアンナは尋ねた。
「えっ、あ、わたしは大丈夫です!」
リーネはしゃきっとしてみせた。
「ミアンナさんこそ、あちこちに目を配っていてお疲れじゃないですか?」
「疲れてはいないが」
両腕を組んでミアンナは目を閉じた。
「『地鶏の鳳凰揚げ』が売り切れてしまって、どんな味だったか判らないのは心残り」
「また明日見ましょう! 明日!」
「うわあああん!!」
楽しげに提案するリーネの声に、泣き声のようなものが重なった。ふたりはぱっとそちらを見やる。
五歳程度だろうか、祭り向けに少しおめかしした様子の女の子が展示室の手前で泣いていた。




