09 次回のためにひとつ
「使われたのは簡単な質量構文」「理術士だった祖母の形見の式盤」「重い戸棚を修繕することになり、祖母の形見を思い出して使うことにした」「『もちろん』申請をしてから使うつもりでいたが、修繕の日程が早まってしまい、ひとまず使用してしまった」「すぐに申請をしなかったことは反省している」――。
サレント自治領側がこの説明に納得したかは不明だが、カーセスタとヴァンディルガが揃って「そうだ」と言うのであれば、反論する理由はない。
「タマラ殿の父親、タック殿と話をした。自分を案じてくれた母親には感謝するが、娘に持たせることを考えたら力の制限をしてもらった方がいいとのことだった。サレント側もそれで了承した」
騒動の数日後、申請も無事完了し、報告も書類も大方片付いた頃、ミアンナらは再びルカと会合を持った。そこで彼女はヴァンディルガに、或いはルカに、状況を共有したところだ。
「『自分が管理して有事に使う』という希望は出なかった、と」
もし現場でまた大きな事故が発生したら、あの式盤はかなり有用なはずだ、とルカは言った。
「母親から理術の危険を常々聞かされていたのかもしれない」
推測だが、とミアンナはつけ加えた。
「タマラさんが持ち続けられるようになって、よかったです」
しみじみとリーネはうなずく。
「ミアンナさん、今日もありがとう」
あれだけガチガチだった少女も、ミアンナとルカが自分のために尽力してくれたことを知り、すっかり自然体になっていた。
「あのね、ミアンナさん、あのときさ」
タマラはまっすぐにミアンナを見た。
「あのとき?」
「おうちで話したとき」
少女はあの日の恐怖を思い出したか一度うつむいて、それから顔を上げた。
「ミアンナさんはずっとあたしに向かって話してくれたよね」
ルカがはっと息を呑んだ音がした。
「ちゃんと答えられなかったときもあったけど、ずっと、あたしに話してくれた」
「あなたが当事者だから」
当然のこと、とミアンナは答えた。
「えへ……ありがとう。理術のこともよくわかった。もうしない……って言うか、できないようになったんだよね」
「『手品』程度ならできる。申請は要るが」
実際、本当に最低限の構文は残した。普通に持ち上げるのも苦労しないようなものを少しだけ移動させることができる、という、ほぼ実用性のないものだ。
それでも申請は要る。それがこの場所の決まりである。
「ルカさんも。リーネさんも。ありがとう」
どうやらタマラはなかなかできた少女で、全員にちゃんと礼を述べた。
「もう帰っちゃうんだよね……またサレントにきてくれる?」
ミアンナらもルカも、この事件のために集まった。決着がつき、片付けも終わろうとしているいま、それぞれの帰国は間近だ。
「きっとね」
ルカがすぐに笑顔で答えた。リーネも優しい笑みを見せる。
「私たちがくるということは問題が発生したということ。あまり望むべきでない」
「クネル理術士っ」
「ミアンナさんっ」
ここはよい感じに返すところだ、とミアンナ至上主義者のリーネまで言うようだった。
「……くることもあるだろう。任務で自由な時間は取りづらいが、近くに行けば顔を出そう」
「うん!」
タマラは嬉しそうに笑って手を振った。結局少女のいちばん望む答えを返したミアンナは、大きく手を振る理報補官の隣で、元気に走り去るタマラを見送った。
「……あんなふうに感じていたのか」
ぽつりとルカが呟いた。
「言っておくが、アールニエ鋼嶺徒」
ミアンナは片眉を上げた。
「あなたが母親を見ていたから私はタマラ殿にだけ向き合えた。リーネが妹と全体の空気を見ていたためもある」
ルカが「母親に向けて話してしまった」と反省していることに気付いたミアンナは、そう説明をした。名を挙げられたリーネは少し驚き、少し嬉しそうな顔をした。
「あれはよい均衡だった」
もしルカまでタマラとしか話さなかったなら、母親は彼女らに反発したはずだ。そうすればリーネの負担が増えただろうし、ふたりに向き合われればタマラも負荷を覚えたろう。あの場は実に適切に回ったのだ。
「はは、確かにそういう面もあるか。有難う、クネル理術士」
「何も慰めた訳じゃない」
礼を言われたミアンナは首を振った。ルカは少し笑った。
「――さて、これで僕らの仕事は終わりですね」
「求められたのは使用者と使用構文の特定だけ。とっくに終わっている」
「では、あの子の申請に付き添い、逐一指導したのは?」
「私自身の申請は済んでいたが、使用理術の報告はしておきたかった。加えて、サレントの役人も理術には詳しくない。誤った記録を残されてはこちらも困る」
「成程」
ルカが少し笑ったのは、ミアンナが照れ隠しで言っているとでも思ったためだろう。実際には彼女の本心でもあったが。
「何故、と問うならこちらだとは思うが」
事件は事件と言えるほどのものでもないとしてサレント自治領に戻った。理術に関わる確認をするミアンナと違って、ルカのほうは確実に用件を終えていたはず。
「答えは聞かなくても判るようだ」
わずか数日のやり取りでルカ青年の人となりはだいたい見えた。
(誰にでも情を移す気質であれば軍人に不向きだろうが)
(アールニエ鋼嶺徒の場合は「相手が子供だったから」なのかもしれないな)
ルカが終始気遣っていたのはそこだ。
彼自身に子供がいる、という様子ではないが、弟妹がいて我が事のように思っただとか、或いは彼自身に似た経験があるだとか、そうしたことがあるのかもしれない。ミアンナはそんな推測をしたが、特に正解を求めるつもりはなかった。個人のことだ。
「ではいまは、僕もおふたりも貴重な『自由時間』ですかね」
「そうなる」
「よかったら少しサレントを案内しましょうか? 僕もそんなに詳しい訳じゃないですけど、有名どころくらいは判ります」
「何故?」
短くミアンナは問うた。不要な行為だ。
「何故って……」
ルカは目をぱちくりさせる。
「せっかく知り合いましたし、これまで話す時間もありませんでしたし、区切りもつきました。打ち上げと言うほどじゃないですけど」
「あ、あの、う、上の判断を仰がないと」
懸命にリーネが口を出した。
「そうだな。我々の立場からすると、馴れ合いすぎても国の思惑と異なるだろう」
軋轢を生むことはもちろん避けたいが、個人同士の交流も好まれまい。親しさのあまり情報を漏洩したなんてことになったら目も当てられないからだ。
「残念。でも確かに、僕も怒られそうだ」
首をすくめてルカはにこっと笑い、人好きのする笑みにリーネは渋面を作った。
「ではお別れですね。言われていたように、本当はもう会う機会がないほうがいいんでしょうが」
「おそらく、あるだろう」
イゼリアは何かにつけてミアンナを呼びそうだ。王都よりはかなり近くなったとは言え、気軽に呼び出されては困る距離なのだが。
「それなら次回のためにひとつ、いいですか」
「何だろうか」
問いの形でミアンナは促した。
「今後は『クネル理術士』ではなく、名でお呼びしても?」
「!?」
「かまわない」
リーネが警戒の形相をする横で、ミアンナはただ了承した。
「有難う。では、ない方がよい再会を祈って。また会いましょう、ミアンナ」
「ミッ……!?」
「ああ、ルカ殿」
ミアンナのほう一般的な敬称をつけて返した。ルカは少しだけ何か言いたげな顔をして、しかしすぐにそれを消すと笑って手を振り、彼女たちをあとにした。
「みっ、みみみ、ミアンナ……!?」
しれっと行われた呼び捨てにリーネが激しく動揺した。
「ヴァンディルガでは普通のことらしい。親しさではなく、同等の立場だという表現として、名を呼び捨てにするそうだ」
聞いたことがあったミアンナ自身はそれほど驚かなかった。
「文化……そういう文化ってことなんですね……でもミアンナさんを呼び捨てだなんて……」
不敬、と小さくリーネは呟いた。
「イゼリア応理監も呼び捨ててくる」
「応理監は、以前からのお知り合いじゃないですか!」
反射的にリーネは叫び、「だからって許す訳じゃないですけど」などとぼそぼそ呟いた。
「ミアンナさん」
「何」
「気をつけてくださいね」
「考えていることはだいたい判るけれど、考えすぎ」
「考えすぎじゃないです! ルカさん、わたしを呼ばなかったんですよ? ミアンナさんだけ呼んだ!」
「リーネも呼ばれたかったのか」
「ミアンナさんっ!」
「冗談」
表情を変えないまま、ミアンナは言う。
「『対等な関係を示す』と言ったろう。これは、向こうの代表とこちらの代表という対等。何もリーネを下に見るという意味ではなく、ここにリーネを入れると『鋼嶺徒』と同格になるには『理術士と理報補官の両方が必要』ということになってしまう」
天秤の向こうにルカ、天秤のこちらにミアンナ。それで釣り合うという判断。リーネを入れて釣り合わせれば、その分ミアンナの評価が下がることになる。
「……それこそ考えすぎに思えますぅ……」
どうにもリーネは納得しなかった。ミアンナはそれには何も言わず、背後を振り向く。
「こちらも外交使節所に戻ろう。応理監から雑用を言いつけられる前に、ラズトへ帰還の連絡をしてしまいたい」
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