04 イゼリア応理監
「やっときたか、ミアンナジェーラ・クネル!」
張りのある声が、外交使節所の応接室に響いた。
「ご無沙汰しております、イゼリア応理監」
ミアンナはすっと立ち上がると、いつも通り最低限ギリギリの挨拶をした。リーネも慌てて立ち上がり、名乗って頭を下げる。
イゼリア・ホウラン応用理術監督官。調律院所属。理術士ではないにも関わらず、理術の知識に精通している人物だ。
五十歳前後の女性で、長身。紺色の短い巻き毛が特徴的で、大股に歩く様子からは体幹の強さが見て取れる。化粧は派手すぎない程度だが、もともとの顔立ちがはっきりしていることもあって、印象に残りやすい見た目をしている。
「はは、久しぶりだな、ミアンナ。真っ当な挨拶を述べられるようになったじゃないか。統理官も板に付いたか?」
「着任からまだ半月です」
「そうだったな。決定してから遂行されるまでが長かった。王国軍の老人どもは頭が固い」
イゼリアは口の端を上げ、初対面のリーネは応理監の勢いに目をぱちぱちとさせた。
調律院ではミアンナをラズト支部の統理官として配属させることはとっくに決定済みだったのに、王国軍はいつまでも「十五歳の少女」という点にこだわってなかなか署名を行わなかった――イゼリアは、経緯を知らないであろうリーネに向けてそんな説明をする。リーネはまさか応理監が自分に話をしてくるとは思っていなかったか、固くなりながらこくこくとうなずいており、ミアンナは肩をすくめるにとどめた。
「それより応理監」
「何だ、肩肘張るな。いつものように呼べ」
「イゼリア殿」
「殿、も要らんがな。まあいい」
「緊急報の詳細と私を呼び出した理由は」
「は、用件にしか興味がないのは相変わらずだな」
「そのためにきている」
「いいだろう、その方がお前らしい」
イゼリアは楽しそうに言い、ミアンナが変わらず表情を見せないなかで、リーネは不安そうにした。
「検知されたものは質量構文。重いものを動かすだけの簡素なものだ。大まかな地域までは特定されているが、その付近ではこれまで使用申請もなくてな」
「狎れによる申請洩れとは考えづらい」
「その通りだ。だいたい、申請洩れの可能性が高ければわざわざラズトから理術士を呼ばん」
「サレント訪問の経験があるファーダン副理術士ではなく私を指名した理由は?」
「ジェズルはからかっても面白くない」
「イゼリア」
「いいぞ、その顔だ」
どうにも応理監は楽しそうにし、リーネははらはらした。ミアンナとの距離感の近さに、である。
「実際、お前が適任だと考えた。ジェズルは見た目が理術士然としすぎているんだ。精鋭がきたと向こうが誤解する」
現地の判定は、ラズト支部での想定の逆だった。
と言うよりは、「規程上は緊急報に値するが、実際には重大ではない事件」という内容なのだろう。この場の空気からもそれは明らかと言えた。
「ジェズル殿は精鋭だが」
ミアンナはただそう言った。
「お、そこを訂正するのか。いい統理官だ」
にやりとイゼリアは笑った。
「無論、私のような『女子供』ならヴァンディルガは油断する、という推定も理律違背に近い。しかし対ヴァンディルガを知るイゼリアだからこそ事実に近いことも理解できる」
ヴァンディルガの価値観はカーセスタと異なる。ラズトの町で当初に見かけられた、ミアンナを軽視するような態度の比ではない。明らかに蔑視してくるだろう。
「油断させたい訳ではない。大ごとであると警戒させたくないだけだ」
「つまり私の年齢が必要だった?」
「腹を立てたか?」
「いいや、珍しいことだから確認しているだけ」
いつも通りの温度で答えるミアンナに、イゼリアはまた口の端だけで笑った。
「向こうのと顔合わせの算段はこちらでやる。ひとまず移動の疲れを癒しながら待機していてくれ」
―*―
与えられた部屋で、リーネはずっと落ち着かない様子に見えた。
「あの、いいですか、ミアンナさん」
「無論」
「ええと……応理監と、思っていたより親しいんですね……びっくりしました」
「講義を受けたことがある」「何度か呼び出された」という説明から想像されるより遥かに近い間柄に見えた。リーネはそうしたことを付け加えた。
「イゼリア殿は誰に対してもあの調子だ。すぐにリーネにも同様にしてくる」
「そ、そうでしょうか」
「ジェズル殿への言いようを聞いただろう」
「ええ、まあ、はい」
確かに「ミアンナだけ特別」という訳でもなさそうだ、とリーネは納得したか、それとも自分を納得させることにしたか、曖昧にうなずいた。
「それにしても、無許可の理術かあ……今度は本当の違法行為ですね」
ラズト支部に着任したその日、違法の通信かと思われた事件は古い構文が原因だった。しかし今度は、そうしたものではない。
「カーセスタの法ではないけれど」
「それも不思議ですよね。カーセスタもヴァンディルガも、自分のところの法律とは関係ない問題に使者を送り、調査して、自治領に報告するんでしょう」
「そうなる」
「もちろん、こうした緩衝地帯では情報の開示が重要だっていうのは判るんですけど」
でも何だか不思議です、と彼女は呟いた。
「二国の間に軋轢はない、ということになっている。その『ということになっている』を保つための行動」
ミアンナはすっと窓の向こうを見た。カーセスタもヴァンディルガも、ここから同じだけ遠い。
「天秤の均衡のため……調律院の理念ですもんね」
しみじみと言って、リーネは思い出したようにハッとした。
「そうだ、ヴァンディルガの使者の方。ミアンナさん、情報もらったんですよね」
「これ」
ミアンナは手元の書類から一枚抜いてリーネに渡した。
「ええと、ルカ・アールニエ。鋼嶺隊候補生……えっ、ヴァンディルガの近衛みたいなものですよね、鋼嶺隊って」
「そう。近衛のなかでも選り抜きとされる集団。本隊員が出てくるほどの事態ではないとの判断だろうが、候補生と言えどもわざわざ鋼嶺隊と明記されているからには実質、本隊員同等の人選と見ていい」
その名を冠するからにはその隊の名誉も担う。ミアンナが調律院所属と明記されるのと同じだ。となれば本隊員にほぼ内定しているような人物だろうと彼女は推測した。
「出身はヴァンディルガ南東部……カーセスタに近いと言うか、サレント自治領に近いところなんですね」
「その方が土地に情がある」
「そういう人選ってことですか……わりと向こう、本気なのでは」
リーネは声を低くした。
「明日になれば判る」
まるで取り合わないかのような返答をしたのは、実際、彼女にも判らないからだ。
三十年の平和は、いつ何時、どんな理由で崩れるか判らない。これが最初の一歩にならぬよう、ただ真摯に対処するだけだ。
天秤はまだ、揺らいでいないように見えた。
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