10 いいに決まってる
「結論を申し上げますと、直近の術による損傷はございません。ただ……以前の点検はいつ頃でしたか?」
「ふた月、いや、三月になる」
「統理官の場合、もう少し頻繁に点検をされる方がよいかもしれません。式盤の方が耐えられない可能性があります」
「何故?」
ミアンナは首を傾げた。
「私の魔力は特に強い訳でもない」
「式盤を壊すのは魔力ばかりでもございません。頻出する構文に強く作られることも多いのですが、履歴からすると統理官の構文には独特の癖があると申し上げますか、特徴的な設計をされていますので」
「へー」
イストが目をぱちぱちとさせる。
「そんな違うもんすか? ジェズルさんとも?」
「多少の個人差はあるものですが」
セフィーヌは曖昧に答えた。特殊であるとあまり言い立てるのも品がよくないと思うかのようだった。
「承知した。月に一度はお願いしよう」
「そうしていただけますと安心です」
技術官は本当に安堵したような笑みを見せた。
―*―
おかえりなさい、とリーネは執務室でミアンナを出迎えた。
「ジェズルさんとレオニスさんは資料塔です。ビゴさんの畑付近で理術が働いた記録を念のために確認するって」
「構文の傾向が判れば、影響も相殺しやすい」
ミアンナはうなずき、設置式盤に向かった。
「採取してきた土は」
「あっ、ここです」
さっと理報補官は瓶を差し出した。ミアンナは感謝の仕草をして受け取り、それを式盤の横に置いた。
「……リーネ」
「はい」
「窓から資料塔を見て」
「はい?」
「ふたりが出てきたら教えて」
「え、いいですけど……」
少し首をひねりながらリーネは窓に近寄り、資料塔の見える位置に立った。
それを確認するとミアンナは瓶の蓋をあけ、設置型式盤の上に指を走らせた。
「――調律を開始する」
携行式盤と設置型式盤の違いは、まず第一に大きさだ。
理術の安定性は式盤の大きさや重さとも関係する。複雑な構文は携行用のものに書き込みきれないばかりでなく、強い理術を作り出すには強度も重要になるからだ。
もっと単純に、設置型であれば理術士が両手を使える、ということもある。それは前述の、複雑な構文を扱えることにも通じる。
そう、携行式盤では扱いきれない、複雑な。
少女は目を閉じて深呼吸をすると、再び薄い金色の目を開けた。
それから、まるで舞踏をしているかのように、両手を滑らかに動かす。その掌の間からほの青く光る円形の紋章がぼんやりと浮かび上がった。理術士はそのまま手を動かし続け、見る間に紋章ははっきりと形取っていく。
窓の外を見ているように言われたリーネは、ミアンナの作り出す理紋が気になってそわそわしていたが、ちゃんと指示を守っていた。
(――これは)
(案じていたようなものではないが……少々悪戯が過ぎるのではないか、前統理官)
土から読み取れた「答え」に、ミアンナは微かに眉をひそめた。
「あ、出てこられました」
「判った」
答えると同時に、ミアンナは理紋を引くかのような動作をした。青くやわらかい光はすうっと消え去り、リーネは残念そうにそれを眺めた。
「戻りました」
「数点報告できそうだよ、ミアンナ嬢」
副理術士とその理報官は、そのまままっすぐ理術士用の執務室へやってきた。
「分析はいかがでしたか」
ミアンナが理術を使っていたことは、ジェズルには判る。理術士たちが「理術網」と呼ぶ仕組みにより、周辺で構文が使われると携行式盤が検知するのだ。同じ室内であればその魔力だけでも気づくが。
「おおよそ理解できた。反動をすぐさま消し去ることも不可能ではないが、強引に押し込まれている現状を思うと、時間をかけたほうが安全」
「種まきまではまだ半年以上ありますし、ひとまずは呪いの噂さえ消せればよいかと」
「めどが立ちそうなら、イストにさっさと報告させちまおう。そのときに『改造さん』の置き土産だって言っとけば、ラズトの人間なら納得すんだろ」
もちろんハイムが「呪い」を仕組んだ訳ではなく、事故に近い話だと推測できるが、「改造さんが何かやったらしい」のほうが呪いの畑よりもとっつきやすく、住民に「ウケる」話だ、とレオニスは言った。
「これまでの話で、ハイム前統理官の人となりはおおよそ推測できたが」
そこで現統理官は一言、そう前置きをした。
「過去のものとは言え、私もジェズル殿も理術の痕跡を観測できなかったのには、理由があった」
「……まさか?」
ジェズルがはっとした顔を見せる。
「その通り」
彼女は肩をすくめる。
「意図的に痕跡を拡散させ、希釈する仕組みが入っていた」
「あっちゃあ」
レオニスが額をぺちんと叩く。
「マジか、あのクソ爺」
「その言葉遣いを咎めたいが、難しいな」
ジェズルは眉間を押さえた。
「いや実際、こっちでも見つけたんだ。爺さんが退官直前に、『個人的な実験』で構文を組んだという設置式盤をいくつか廃棄している記録。証拠隠滅しやがったな」
「残存した影響は想定外だったんだろう。或いは、あの畑は当分まだ使われないと考えていたか」
「ずいぶん、その……自由な方だったんですね」
遠慮がちにリーネが声を出した。
「本当に優秀な方でね。改造が得意だという話はしたが、町も支部もあの人の力でかなり生活が向上した」
「ま、その分やんちゃなとこも結構あったって訳よ」
「『やんちゃ』で済む範囲で何よりだ」
ミアンナは土の入った瓶の蓋を閉めた。
「正直に言おう。私は、より悪意のある理術を想定し、調べようとした」
「何ですって?」
「『呪いの畑』と言っていただろう。それが事実だったら?」
「本当に土地を枯れさせようとしていたのでは、と疑いを?」
確認するようにジェズルが問い、ミアンナはうなずく。
「あ、それでさっき」
言いかけてリーネは口を塞いだ。ジェズルとレオニスが戻ってきたら教えろ、というのは、もしそれだけの重大事であれば、副理術士に話す前に副統理官と相談する必要があったためだ。本部への報告も必要になる。
「そんな方ではありませんよ」
副理術士は少し困った顔をした。
「賭けに負けたと口走り、退官前にその証拠を消し去るというような行動は褒められたものではない。ただ、時にそうした人物が魅力的に映る、というのも理解できる」
ジェズルはハイムから学んだと言い、イストもレオニスも軽口を言いながら好いていたのが判る。資料塔のウィントンも、ハイムの失敗をかぶろうとした。
「ハイム統理官のいたラズト支部は、さぞ賑やかだったのだろうな」
何気ない呟きに、ジェズルとレオニスは目を見交わした。
「――いやいや、何よりいまは華がある! やんちゃな爺さんより、冷たい美少女の方がいいに決まってるんで!」
「……理律違背」
「実際、いまのほうが賑やかですよ。ミアンナ殿とリーネ殿の語らいが聞こえてくると、こちらにも笑みが浮かぶ」
「え、す、すみません」
リーネは赤面した。
「嬉しいって言ってんのよ、リーネちゃ……リーネ嬢」
苦笑してレオニスは手を振った。
「もう少し明瞭に申し上げますと」
こほん、とジェズルが咳払いをした。
「我々はおふたりを心から歓迎し、共にラズトを支えていきたいと思っております、ということです」
その宣言に、珍しくミアンナは目をぱちくりとさせた。
「……ああ、そうか。有難う」
それから彼女は言った。ジェズルとレオニスは笑みを浮かべる。リーネは少し不服そうに男ふたりを見ていた。
ミアンナ自身は、ただ過去の光景を推測したにすぎなかった。少なくともそのつもりだった。だが、彼らは彼女の言葉に危惧、或いは羨望を感じ取ったのだろう。「前統理官時代のほうが空気がよかったのではないか」というような。
だから彼らは素早く「そうではない」と否定し、彼女はそれに礼を述べた。
もっとも、自分がどう思って先ほどの台詞を口にしたのか、ミアンナ自身も把握できていなかった。本当にただの推測だったのか。それとも本当に危惧や羨望があったのか。
(「気持ち」というものは)
(理術よりずっと、難しい)
天才理術士は、そっとそんなことを思った。
[第三章へつづく]




