01 立派立派
空が青い。
秋のはじめの雲は夏の眩さをさっと捨て、優しい色で描かれていく。人々が口を揃えて「これくらいがちょうどいい」と言う頃だ。
それは一年中温度差の少ない首都でも言われるし、ラズトのような山岳近く、首都に比べると「だいぶ涼しい」と感じられる場所でも同じだ。どこに暮らす人々もそれなりに四季を感じ取り、季節の移り変わりを楽しんだり、時に嘆いたりもするのである。
「好天でよかった。おふたりに美しいラズトを見ていただける」
「そっすね。今日は町の雰囲気を見てもらって。機会があれば町の人と話してもらって。あとは長老たちにご挨拶ってとこですかね」
「――ジェズル副理術士が同行するのは判る」
ミアンナは首をかしげた。肩の上で切りそろえた灰色の髪が一緒に傾く。
「何故、イスト広報官までが?」
「それはですね、ミアンナ女史」
ずずいと前に出てきたイスト・コーテスはまず、副理術士ジェズル・ファーダンを指さし、それから失礼のないようにミアンナとリーネを指し示した。
「ジェズルさんがお嬢さんをふたりも侍らせて歩いていたら、調律院とジェズルさんの評判が甚だしく落ちるからです」
「こら」
たしなめるようにジェズルは声を出した。イストは細い目を更に細めて首をすくめる。
「イストの言い方は語弊がありますが、実際、妙な噂を立てられる訳にもいきませんので」
それから副理術士は曖昧にそんな言い方をした。
「ラズトの町では私もそれなりに顔が売れていますが、このイストのほうが『調律院広報官』としてよく知られている。『広報官や理術士がいるなら調律院関係者か』と察してもらえます」
「成程」
制服を着ていれば公務官であることは知れるが、制服姿が連れ立って歩いていても住民を不安にさせる。今日はあまり目立たないよう、三人とも色合いを抑えた私服を身につけていた。
「あの、わたしはひとりで町を回ってもよかったんですけど……」
リーネは遠慮がちに手を上げた。
「そうしたら完全に、ミアンナ女史とジェズルさんの伴逢歩きになっちゃうでしょ」
間違いなく伴逢、つまりふたりきりの逢い引きに見られるとイストは言い、そこでようやくリーネも理解した。
「そもそも、若い娘のひとり歩きはあまり推奨できない。報告書でラズトの治安は良いと読んではいるが、油断はよくない」
「あれ、おふたりは同い年じゃなかったでしたっけ?」
まるで他人事のようなミアンナの発言にイストが疑問を投げかければ、理術士は腰の携行式盤に触れた。
「私にはこれがある」
「そうやってミアンナさんはいっつも大丈夫って言いますけど」
少々納得いかなさそうにリーネが反論する。
「突然の暴漢には理術の発動が間に合わないかもしれませんよ? ミアンナさんもちゃんと気をつけてください!」
「ミアンナ殿なら即座の対応も可能そうにも思えますが、リーネ殿の言葉ももっともです」
ジェズルがうなずいた。
「とは言え、本当にラズトは治安がいいですからね。昼日中は何の問題もないでしょう。夜も出没するのはせいぜい酔っ払いですが、夜陰に乗じた犯罪が皆無という訳でもありませんので、ひとり歩きにはご注意いただきたい」
その辺りの感覚は王都と変わらない、という訳だ。ミアンナはうなずき、ほかの三人は安堵した。
―*―
ラズト支部の建物は、もともと国の庁舎だった。
当時、国は中央からの拡大施策を取っており、各地に役所の出張所のようなものが作られていった。カーセスタの北西端にあるラズトの町にもやがてその波がやってくる。
庁舎が建てられ、王都から役人が移り住んだり、入れ替わったりしていたのが三十年から四十年前。町では「便利だ」という声もあったが、「余所者が我が物顔で歩いて不快だ」という不満も少なからず聞かれた。
ラズトに限らず反応が芳しくなかったことや、特に効率が上がった訳でもなく、ただ費用だけがかかっていると判断した国は次第に縮小を考え、僻地での閉鎖がはじまった。
ちょうどその頃、隣国ヴァンディルガ皇国の情勢が不穏になり、カーセスタ王国の北西にある緩衝地帯サレント自治領へ侵攻する気配が濃厚になった。カーセスタは牽制のために部隊を送って一触即発となり、実際、小規模な戦闘にまで発展した。
大戦にならなかったのは当時のヴァンディルガ皇太子、いまの皇帝が尽力した結果だと言う。もとよりカーセスタ側にやり合う意思はなかったので、戦はすぐに終結した。
騒動の最中、ラズトの出張所はおおわらわで、落ち着いたあとは誰もが王都へ帰りたがった。縮小再編の傾向と出向者の要望が一致し、庁舎は無事閉鎖、建物だけが残った。
同時に、北西を見張る拠点が必要だという声が大きくなる。軍事的な施設はヴァンディルガを刺激するし、住民の反対も容易に予測されたが、調律院ならばちょうどよいのではないかと意見がまとまり、これまたちょうどいい建物がある、とばかりに再利用の運びとなったのである。
「ざっと経緯は聞いてましたけど、実際に目にすると本当にお役所っぽいですよね」
支部を出たリーネは話を聞きながら建物を振り返った。
「調律院理紋があちこちにあるのも、もしかしたら『ここは調律院です!』って主張なのかな」
「内部のものはともかく、外壁のものはそうかもしれないな」
ジェズルは少し笑って答えた。
「俺はラズトの人間なんですけど」
イストも笑いながら言う。
「爺ちゃん婆ちゃんはいまだに『お役所』とか言いますね。調律院になったことを判ってない訳じゃないんですよ?」
「調律院も国の機関である以上、役所の範疇ではある。手続きの類はしないが」
ミアンナが当然と言えば当然のことを言った。
「直接関わらないとその辺りの理解は曖昧なこともありますからね。さすがに支部へ届出をしにくる住民はいませんが、どこへ行って何の手続きをすればいいのかという問い合わせはたまにあります」
「対応はしている?」
「ええ。我々は間借りの身ですから」
「承知した」
「あっ、統理官がやることないっすよ!? その辺は俺とかマギーさんがやるんで」
慌てて広報官が手を振った。ミアンナが直接出て住民が困惑する様子でも想像したか、リーネもふふっと笑う。
「それにしても紅葉がすごいですね! カーセステスも色づくけど、街路樹とか公園とかだけだもんなあ」
ふたつに結んだふわふわの茶色い髪を揺らしながら、リーネはあちこちを眺めていた。
「王都から見ていた遠くの山が数えきれない樹木で覆われていること、頭では判っていても近くで見ると迫力が違いますね」
釣られるように、ジェズルも眼鏡を直しながら風景を見る。
「俺には馴染みのある光景だけど、王都からきた人はみんなそう言うなー」
「水音がずっと聞こえている。山の清涼な水を引いて農業に使っているのだったか」
ミアンナは薄い金色の目を細めて右手の土地を見た。
「最大の産業は稲作だと読んだ」
「わあ、本当だ。稲穂もすっごい!」
その視線の先を追ったリーネは、ぱちんと手を合わせる。
成程、確かに東側には黄金色の田圃が広々と続いていて、昼前の陽射しを浴びながらキラキラと輝いていた。
「そろそろ収穫です?」
「ああ、早いところでは始まっている。次月には町を上げての祭りもある」
「それってわたしたちも参加できますか?」
「むしろ運営側なんだなあ。ね、副理術士殿」
イストが答えてジェズルを見やる。
「理術を使った花火は評判がいい」
にやりとしてジェズルが補足し、それからミアンナを見た。
「統理官もよろしければ、花火用の構文をひとつふたつ」
「やろう」
「ええ!? 見たい、絶対見たいです!」
ミアンナが応じれば、リーネは早くも興奮した。
「――おや、賑やかだと思えば、調律さんか」
少し離れたところで作業をしていた町びとが顔を上げた。
「大所帯で、珍しいね。見たことない顔もいる。新人さんかい」
「どーも、おやっさん! こちら、新しい統理官のクネル理術士ですよ!」
すっとイストが進み出て、にこやかにミアンナを紹介する。
「とう……何だって? 何やらたいそうな呼び名だな」
相手はぴんとこなかったようだった。
「年端も行かないお嬢ちゃんと思ったが、役職があるのかい。はは、立派立派」
明らかに「子供が頑張って偉いな」という口調にイストは慌てた顔をしたが、ミアンナはそっと首をふり、問題ないと伝えた。
「リーネも」
それからミアンナの背後にいるリーネに向けて、小声で付け加える。ミアンナ付きの理報補官は「待て」と言われた猟犬よろしく、いまにも唸り出しそうにしていた。




