01 王国調律院ラズト支部
灰色の髪をした少女の薄い金の瞳が、すっと細められた。
「位相構文」
「え?」
小さな呟きに、もうひとりの少女は首をかしげる。
「乱れてる。でも近い。正規の通信じゃない」
「え、近いのに乱れて? しかも正規じゃない!? じゃ、違法? い、違法の通信があったんですか?」
「確認する」
少女は階段を駆け上がり、執務室に飛び込んだ。式盤には淡い光が灯り、明滅している。
「あの、発信元を特定します。ええと、わたしの計算盤……」
「隣」
「え?」
「発信元は資料塔」
「え!? ミアンナさん早すぎますし、え、違法通信が敷地内から!?」
彼女が目を白黒させている間に、ミアンナは素早く部屋の外へ向かった。
「リーネはゾラン連衛官に伝えて。私は先に塔へ行く」
「あ、危なくないですか?」
「これがある」
ぼん、と腰につけている携行式盤を叩き、ミアンナはそのまま素早く先ほどの階段を駆け降りた。
「危ないですよぅ!」
――理術士ミアンナ・クネルは、本日、この国境支部に着任したばかりであった。
―*―
国境にほど近い小さな町の北西に、「王国調律院」の支部がある。
〈知の国〉カーセスタ王国が、〈武の国〉ヴァンディルガ皇国との均衡を保つため、理術的監視を行っている拠点だ。
二国の間はしばらく平穏だが、隣国ヴァンディルガは歴史上幾度も近隣諸国に戦を仕掛けており、カーセスタとしては警戒を怠れない。
王国調律院ラズト支部は、そうした不穏と平穏の狭間にあった。
重要ではあるが、差し迫った問題はない――そんな支部に赴任してきたのが、十五歳の少女理術士ミアンナ・クネルだ。
「赴任書類を提出する」
淡々とミアンナは、首都から携えてきた紙束を差し出した。短く切りそろえた灰色の髪が揺れる。
「ミアンナジェーラ・クネル、本日付で王国調律院ラズト支部の主理術士、兼統理官に着任する」
ざわ、と執務室が色めき立ったのも無理はなかっただろう。聞いてはいたが、まさか本当に――と誰もが思ったのだ。
成人したばかりの、十五歳の少女。
この、国境間近にある西端支部の、新しいトップが。
「リッ、リーネ・フロウド! あの、ミアンナさん付きの理報補官です!」
一歩後ろにいた茶色い髪の少女が慌てたように頭を下げる。それを見てミアンナはそっと首を振った。
「フロウド補官。こういう場では名ではなく、『クネル理術士』と」
「あっ、そ、そうでした。ごめんなさい!」
「これはまた、微笑ましいお嬢さん方がきたものだ」
書類を受け取った上級連衛官は、苦笑いとも皮肉めいているとも取れるような表情を浮かべた。ミアンナは表情を変えず、リーネは目に見えて顔を赤くした。
「クネル理術士、王国調律院ラズト支部統理官および主理術士としての御着任、心よりお祝い申し上げます」
もっとも次の瞬間には、連衛官は立ち上がると真顔になって正式な敬礼をした。
「ゾラン・モルディス上級連衛官、兼副統理官、以下ラズト支部一同――カーセスタ西部の安寧を守るため、統理官のご指示に従い、尽力して参る所存です!」
軍人らしい太い声が響くと、さざめいていた執務室にピリッと緊張感が戻った。座っていた者たちも慌てて立ち上がり、わずか十五歳の少女に向かって頭を下げる。
「よろしく頼む」
一方のミアンナは、同様に仰々しく名乗り直すこともしなければ、慌てもせず、「私は若輩ですから」だの「あまり堅苦しくならず」といった麗句もないまま、ただの一言で済ませた。
ゾラン上級連衛官は、娘のような年齢の上官がもう少し何か言うのかとしばし待ったが、どうやら終わったようだと理解するとまた先ほどのような笑みを見せた。
「では改めて。ようこそ、調律院ラズト支部、通称〈西端支部〉へ。ミアンナ・クネル理術士は最年少で調律院入りを果たした傑物と伺っている。早速現場入りとは、噂に違わないようだ」
そんな言葉にもミアンナは表情ひとつ変えず、儀礼的な会釈をした。天才、逸材、伝説の再来――純粋な褒め言葉から興味本位、揶揄や嫉妬まで、この一年で飽きるほど耳にしてきている。特に何も思うことはなかった。
もとより、初めて褒め称えられたときであっても、彼女が何か思うことはなかったのだが。
「支部内は副理術士が案内する予定だったが、生憎と急な用事で町に出ている。執務室と私室までは別の者が連れる故、荷を置いて着替えたら、あとは休むなり敷地内を見て回るなり、しばらく自由にしていていただこう」