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第3章 トロイの木馬

 株価下落に乗じてTOBが開始され、防衛策を持たないR産業はM&Aに翻弄されてしまう。

 アドバイザー朱鷺谷明鏡はこの危機をどう乗り越えてゆくのか?

 

 R産業買収劇におけるクライマックスシーンは、ミステリー小説家の止水明鏡が書いた脚本に於いて、首謀者の鷹山専務がプライベートで関係の深いJETTY代表秋山繁やR産業社外取締役秋山栄らとの画策により、外部から株の公開買付を、内部からは情報操作により新株券の発行を取り付ける。

 そして新株券をまんまと入手したJETTYがR産業を落手するというシナリオを組み上げた。

 そして明鏡は、推察した事象から書き上げたシナリオ自体をどんでん返しさせるため、「残された時間の中で何に取り込むべきか」と思慮を巡らせた。

——私がまだ知り得ていない事実があるとしたら……それは違和感や疑問のフラグを立てた伏線の回収か——


 思い当たるフラグはこんな感じだったか。

「赴任早々、総司から受けたよそ者扱い的振舞い」

「知るはずのない総司が、なぜか浪川と異母兄弟であることを知っていたこと」

「週刊ズームへリークされた書簡について、誰が何のために改ざんまでしたのか」

「浪川が鷹山専務の盗撮盗聴をしていたこと」

 

 こう見ていくと、買収劇の役者どもに立てたフラグは怪しさ満点故に、R産業は違和感や疑問だらけのまさに「(どろ)んこ劇場」の様相を(てい)し、見え隠れしているM&A騒動も、実は氷山の一角(いっかく)に過ぎないのではと明鏡は次第に思えるようになっていた。

 とはいえ、まずはM&A騒動である。首謀者作のシナリオを集団Tが実行に移しているその顛末(てんまつ)を、未来を、どんでん返しするために、フラグの違和感や疑問を一つでも多く解き明かし視界をより鮮明にしておくことが、この後の舵取(かじと)りに肝要と、明鏡は感覚として理解していた。


 監査法人室で一人チェアーにもたれ掛かり瞑想(めいそう)していた明鏡は、突如、現実に引き戻されたかの如く両目をパチっと見開き、記憶していたR産業の役者の経歴やエピソードを基に相関図を書き出し、飲み込めていない違和感や疑問について考察を始めた。

 

 まず「赴任当初に総司から受けたよそ者扱い的振舞い」について。これについて明鏡はこう分析して見た。

——経営アドバイザーを(やと)わずとも己の経営に自身があった総司にとって、専門家風情をあてがってきた父富士男の行為は、とても(わず)わしいことであったのだろう。経営に対するセンスは勿論、手法も判断力も非凡(ひぼん)であるが(ゆえ)に、期待以上の実績を残しており、何より経営アドバイザーである私と変わらぬ判断を随所に見せる手腕は、経営者として超一流と評価できる。

 しかし、慢心による油断への諫言(かんげん)或いは危機到来に対する適切な回避の指南(しなん)が受けられない経営的環境は、危機管理の不備ともいえる三流以下と評価されても仕方がないところ——

 

 右手に持っていた万年筆をクルッと回し、目を(つむ)り、一つ大きく息を吐いた。そしてパッと目を見開き

「だから……私なのか」

と呟いた。

——富士男はこうなることを予測して、私をわざわざR産業に送り込んだ、というのか?——

 

 R産業を数年前まで牽引してきた男の先見せんけんめいに、明鏡は脱帽せざるを得なかった。

 

 次に富士男が総司をどう見ていたかについて、経営前任者、株主及び父親の三つの視点から読み解いて見る。

 一つ目の経営前任者の側面から、

「前任者の視点ではR産業の創業理念に沿った経営をしながらも……ん? 理念って何だろう?」

 明鏡はR産業の経営アドバイザーであるにも関わらず、創業理念を知らずにいたことに一人苦笑(くしょう)しながら、インターネットで検索したR産業のホームページ内から創業理念を見つけた。

「人生に夢や安らぎがあふれる商品を、世界に提案して行くリンディングカンパニーでありたい……」

 そんな理念であった。

「つまり創業者である前任社長の考えは、そのフレーズに見合った経営をしているか? 総司が道を外れていないか? など私に監視しさせるつもりでいたのであろう」

 

 二つ目は株主としての視点から、

「株主から見れば、会社は株式配当と株価上昇を目指して最善の経営努力をすべきものといえるが、総司はこれを見事に履行しているため、この視点ではあるまい」

 

 三つ目は親としての視点から、

「経営の才覚は誰が見ても備わっているといえよう。()いていえば、慶次副社長は自分のことばかりで、鷹山専務は……慶次と同じか? 技術者の気質の傾向なんだろうか? 秋山社外は鷹山の協力者で、羽島常務は総司との間に大きな距離があったようだ。

 それ故に、確かに頼れる人物はいないか。頼れない役員に囲まれている実態を危惧(きぐ)していたとも取れるか」

 明鏡にはすんなり入ってきた。

「いずれにせよ富士男は、総司が安定した経営を続けて行くために、諫言(かんげん)がもらえる良き協力者をそばに起きたかっだのだろう。いずれ起こるだろう有事のためにも。

 しかし、総司はこれを歓迎していなかったから、その思いが態度に現れた、ということであろうか?」

「アドバイザーを歓迎していない理由? 一人でも難なくやれるという自信か? 或いはアドバイザーが()くと起こる不都合の存在か? 気に掛かるところだが、いずれにしても経営難やM&A騒動に直面した際に、経営者は危機管理の真価を問われるものであるから、アドバイザーが指南する経営体勢を自尊心(じそんしん)の強い総司は蔑視(べっし)したのであろう。

 結果、よそ者扱い的振舞いを取ったと解すれば、そのこと自体はM&Aに直接影響するものではない」

 と明鏡は判断した。

 

「知るはずのない浪川が総司の異母兄弟である事実をなぜか総司が知っていたこと」についてはどうであろう。

 

「これは恐らくM&A騒動には関係ないと見て良いだろう。また、浪川が入社した当時は、総司は人事バタにはいなかったことから、その時点で知り得たということはないだろう。知り得るとしたらどんな場面か?

 浪川の履歴書を意図的に見なければ分からない。偶然はなく何某(なにがし)かの意図を持って調べたのであろう。総司は……浪川を兄弟と匂わすいい回しをサラリと私に聞かせていた。浪川が兄弟である真実を総司は知ったとしてもメリットはなく、この場合、真実をわざわざ言いふらしたりはしない。私にサラリと話したのは、不注意ではなく何らかの意図によるものであろう」

 明鏡にはそんな風に映った。

「しかし、『何らかの意図』は私が思うに、履歴書を見ている訳だから、その意図は、生い立ちを調べることに他ならないだろう。普通なら敵意みたいな動機や排除しようとする目的などがなければ、調べる行為には至らないだろう。総司は浪川に何かをしようとしているのか?

 そして私に浪川が兄弟であることをサラリと話した理由は、深読みすれば、浪川が何かを企んでいるからそれを私の手で暴き出させようと企んでいたのかも知れない。浪川の怪しげな行動は、R産業にとってマイナス評価と見て取れるのも、総司との隠された兄弟事情が根底にあったからかも知れない。浪川は総司を兄と知ってR産業に入ったとしたら、何かをするため? 恨みか? 一之瀬一族への恨みとするなら、R産業を崩壊させるためか? それほど的外れではないかも知れない」

 これが明鏡が辿り着いた推論であって、これが総司の(たくら)みと思えてきた。

 これまでの浪川の行動はM&A騒動とは無関係でないことは間違いなさそうだが、総司は浪川をターゲットとして見ていたのだろうか?


 更に「週刊ズームへリークされた書簡について、誰が何のために改ざんまでしたのか」についてはどうだ?

 

「鷹山がリークしたと思われるウルブルナイツ2の取引の覚書や経緯記録書では、先代社長の一之瀬富士男が指示した箇所が当時の事業本部長であった一之瀬総司に書き換えられていた。果たしてこの改ざんは鷹山の仕業なのか?

 R産業の不正を告発し株価を下げる目的であったのなら、わざわざ改ざんまでするリスクを背負わないのではないか? 総司を槍玉にしたいと考えそうな人物は誰か? 浪川? 経理資料を管理し、一之瀬総司を貶めようとする動機のある人物……そう決めて掛かると矛盾する点が露見(ろけん)する。浪川にとって憎しみの対象は恐らくこの現況を作り出した父親である。

 また、浪川にM&A騒動が予見できていたとしたら、父富士男が恨みの対象と考えた場合、改ざんなど間違ってもしないだろうし、リーク自体も起こらないのではないかと思えた」

 明鏡は富士男の言葉を思い出し、冷めたコーヒーを一気飲みした。

「富士男をかばい総司を窮地に追い込む改ざんに意味を持たせられる人物は、結局、見当たらない。しかしながら、なぜ浪川は鷹山がこの取引きを告発することを、事前に知り得たのか?」

 

 最後は「浪川が鷹山の盗撮盗聴をしていたこと」だ。

 

「取引き覚書と経緯記録書を鷹山が週刊ズームにリークしただろう現場を、盗撮盗聴により浪川が証拠を押さえられたのは、紛れもなく鷹山の行動を把握していたからに他ならない。浪川はどうやってその兆候を察知し、盗撮盗聴を実行したのか?

 また、鷹山専務と週刊ズーム唐田との間でリークに関するどんなやり取りがあったのか?」

 そして明鏡の推測は行き詰まる。


 

 臨時株主総会を明後日に控えた日曜日の午後、止水明鏡シリーズの映画化について製作会社と打ち合わせのため、明鏡と神楽は山下公園近くにあるスタジオロメオを訪れることになった。

 そんな朝の明鏡宅では……

「早く起きてよねぇ。もう十時四十分よ。遅れるよ!」

 なかなか起きない明鏡に神楽は、まさかの添い寝作戦に移行した。

「いつまで寝てるのかなぁ……」

 明鏡の顔にフッと息を吹きかけた。

「う……あぁ……何、神楽? 顔近すぎっ。朝から心臓破裂しそう」

 最近、明鏡は神楽を意識しすぎて、ちょっとよそよそしい感じになっていたが、神楽はそれを知っていて楽しんでいる感じが伝わってきた。

「やっと起きたわ」

 神楽はそういうなり、

「さぁ出発まで十五分よ! 急いでください!」

「あっ、もうこんな時間か」

 眠気混じりに壁掛け時計を見て、明鏡は一呼吸ついた。

「今日持参するもの揃えておいたから、確認してね」

「……ありがとう。最近ちょっと疲れ気味かもしれないな。仕事量は監査業務していた頃からしたら段違いに少ないと思うんだけど……行き詰まることが多くてさ。この有様さ……」

「そうね。大分私生活乱れてるわよね」

 神楽は見たままを口に出した。そして

「このドリンク効くわよ。モンスター級よ」

 といいながら、ガラスコップに入れた白濁(はくだく)のドリンクを手渡した。

「これは、何?」

「いわゆる栄養ドリンクよ。神楽オリジナルだけになかなか飲めない代物よ」 

 そういって明鏡が飲み干すのを待った。

「……うわ。柑橘系(かんきつけい)で濃い炭酸だ。これは効く」

 そういいながらゴクッと飲み干した。

「私の実家に代々伝わる疲れを吹き飛ばす魔法のドリンクなの。なかなかパンチあるでしょ?」

 と自慢げに話しながら、

「時間ないわよ。さぁ早く、早く!」


 二人は、自宅から四十分かけて横浜東口までやって来た。そしてベイクォーターに入り、シーバス乗り場に辿り着いた。

 

「チケット買ってきたよ!」

 明鏡はそういいながら、景色を眺めていた彼女の右横からそっと乗船券を差し出した。

 彼女は受け取りながら、明鏡に視線を移して言葉を返した。

「ありがとう。君と二人のお出かけは、お仕事がとっても(はかど)って楽しい気分にさせて貰えるわ」

——ん? 素直に喜んでいてはいけないような意味深な酷評(こくひょう)ではありませんか? 神楽さん——

 

「最近アドバイザーの仕事が押してたからね……」

「そうだね……まぁ仕事がはかどらない分、私が一肌脱ぐことで、明鏡くんの作家としてのお膳立ても上手く行くのだから……これって良きパートナーシップかしら? 素敵な二人三脚だね」

——おいおい、姉さま、「だね」でまとめても、結局ディスっちゃいませんか?——

 

 しばし間をおいて、

「ねぇ、明鏡くん。こうやって……波の音を聞いてると、なんだか心が穏やかな気持ちになってきませんか?」

——ん……まぁ確かに……都会の喧騒を離れ潮風に吹かれて、波の音が心地いいな。横浜臨海部は都会にあって、都会に(あら)ずってところか——


 つば(ひろ)の麦わら帽に白のワンピとサンダル姿の彼女を、防護柵(ぼうごさく)手摺(てす)りに身体をあずけながら遠くを眺めるその仕草しぐさを、独り占めできるこの瞬間を、明鏡は見惚みほれ、何だかとても幸せだと感じていた。

 

 二人は予約したシーバスに乗り込むため、乗り口の桟橋さんばしをゆっくりと降りて行く最中、明鏡は(つまず)き一瞬よろけたが手摺りに掴まり一難を退けた。

「明鏡くん!」

 といって神楽は明鏡の手を握り、立ち上がりを助けた。

「大丈夫?」

「あはは……どうも……ありがとう」

 明鏡は照れ隠しであったのか、神楽の手をそのまま引きながらシーバスに乗り込んだ。

「景色は右手の方が見栄えするから……」

 といって二人は右側の席を陣取じんどった。

 まもなくシーバスは出航した。

 水をきながら進む船が連れてくる潮風や水飛沫みずしぶき、そして波音までが、純な二人の気持ちを丸ごと包み込み、目に映る港ヨコハマのロマンスをかなで始める。

「明鏡くん……こんな幸せな時間がいつまでも続いて欲しいなって……」 

「ガタゴトガタゴトゴトン」

「えっ。何ていったの?」

「……えっっと、海って素敵だよねぇ」

——「幸せ……」って……?——


 船着場で下船げせんした後、山下公園を抜ける迄の間、ちょっとした観光気分で景観を楽しみながら散策し、二人は昼食を摂るため中華街を目指した。

「ここからは見えないけど、中華街はあの大きなホテルの奥にあるんだ。今日は明鏡一推しの飲茶で満開楼まんかいろうって店に決めているんだ。神楽は飲茶やむちゃ、食べたことあったかい?」

「よくぞ聞いて下さいました。私こそ、神戸南京(なんきん)町で育った飲茶通なのよ。イチオシの飲茶ならとても楽しみね」

——むむっ。飛んで火に入る何とやら。横浜中華の真髄しんずいを見せてやろう——


 二人は顔を突き合わせて「ぷっ……あははは」とお互い笑いあって、

「楽しみ楽しみ!」

「さあどうぞ」

 と明鏡が差し出した左腕に、神楽は右手をくぐらせ身体をすり寄せた。

——神楽さん。天真爛漫(てんしんらんまん)な君がそばにいてくれて、僕は素直に幸せを感じる自分でいられるよ。ありがとう——


「さあ、私の一推し飲茶まであと少し。頑張れ神楽!」

「オーッ!」

——何だかノリだけで盛り上がっている感じを出そうとオーバーにやってみたけれど、神楽が乗ってくれて助かった! すべったら赤面ものでしたから——

 

「この大きな東門の先の中華街には、沢山の店がところ狭しと立ち並んでいますが、そこの飲茶には思い入れがあってね。聞きますか?」

「うん、聞く」

「横浜中華街に住む大学時代の友人がいてね。まぁしばらくく会っていないんだけどね。彼って台湾系中国人なんだけど、両親が切盛りしていたお店の客付きが悪くて商売が先行かなくなり、それで彼は大学を辞めて、店の再建に力を注いだんだ」

「大学辞めてまでして傾いたお店の再建なんて、上手くできたのかしら?」

「確かに気になるよね。彼は大学で経営学を学んでいたこともあり、思い切って店の再建に取り掛かったんだ。また、彼は幼い頃から中華街のお店の味を知り尽くしていて、どんな味や雰囲気がリピーターを作っているのかをよく知っていたからね。

 だから、彼が店の味も含めてコーディネートしながら、両親の後を継いでいて、その店を繁盛店にしたのさ」

「それは応援したくなるエピソードね」

「食通で中華街の店の裏事情までよく知っていた彼だからこそ、今の飲茶の成功に繋がったのだと思っているよ」

「満開楼はそんな事情のある店だったのね」

「まぁ食べてみれば分かるから……たまらんよ」

「すご〜く期待しちゃうわ」

 そんな会話をしながら満開楼に向かう道中、明鏡は前からやって来た男性とすれ違いざまに肩がぶつかり、一瞬よろけた。その男性がかけていた胸元の銀鏡を見るなり、彼が「地下会議室」の活動員であると一目で分かった。活動員は若い細身の三十代らしき男性で、何かを追っているように見えた。

——活動員の向かう先に「トロイの木馬」がいる!——

 

 そう思った明鏡は、何かに取りかれたように神楽の手を引き、彼の後を追い、来た道を戻り始めた。


 山下公園通りにあるホテルニューグランド前で、地下会議室の活動員がタクシーを拾ったのが一瞬見えた。神楽は追跡を止めるよう明鏡に待ったをかけた。

「ねえ、ちょっと明鏡くん! さっきぶつかってから人が変わったように無口になって、追っかけるように来た道を引き返してきたけれど……いったいあの人は誰なの?」

 明鏡はその瞬間、我に返った。

「あぁいや……すまない。さっきぶつかって来た男性だけど、ほら、以前、神楽がシリアス文庫で『明鏡のミステリー会議』の総帥参加で協力してくれた……あれのコアな活動家さんなんだ。いろいろあって、先日、僕が彼らに総帥指令を出していて、その調査の最中さいちゅうだったと思うんだ。

「その先にターゲットがいる! そう思った瞬間、我を忘れてしまっていたね。すまなかった」

 明鏡はらしからぬ説明をした後、神楽に謝った。

「じゃあ、今仕事で抱えている難問解決の決めてになる情報を、あの活動家さんは調査していたという訳ね」

——神楽さん、飲み込み良すぎ——

 

 改めて理系女子の神楽に感心した。

「そうだね。彼の追っている先には木馬がいたんだ。何だかジオ〇軍のセリフ見たいだ」

「何? ジオ〇軍て?」

「いや、分からんで良いですよ」

「何だか比喩が分かりにくいけど、アマゾン川の基地ジャブ○ーに向かう木馬のようなイメージのことかしら。転じてR産業に入り込んだ木馬ってことね」

——ええーっ。なんで分かっちゃってる訳? 想像力凄過(すごす)ぎ! まてよ、ロボットアニメだから、なんでしってるの? か?——

 

「以心伝心ですよ」  

 といった工学系理系女子の神楽さん恐るべし。彼女は知ったような口振りで、髪をかきあげながらそう答えた。

「……ああ、『地下会議室』への指令見たな!」

「ん? いったい何のことでしょうねぇ?!」

 と横を向きながら神楽はふくわらいをしながらとぼけた。

 

 気を取り直して二人は一推し飲茶の満開楼に向かい、店に到着した。

「うわっ、行列できてるね……ここがかの有名な満開楼なのね」

「かの有名? 知ってるの?」

「まぁ、来たのは初めてだけどね。南京町の飲茶(つう)だからね」

 

 明鏡は長蛇の列をやり過ごし、店の一角を廻りこみ「ここ」と指差し、店の裏口扉を開けた。神楽も明鏡に付いて入店した。

 あわただしい厨房ちゅうぼうを通り抜けるとそこには、店の正面からは分からない位置にある予約テーブルが二席用意されていた。

 明鏡は手前の予約テーブル席に神楽を座らせた。

 そして、店員さんに何やら声をかけた。

 間もなくチャイナ服を着た中年男性が現れた。

「おおっ、久しぶりじゃないか朱鷺谷くん」

「ああ。張本くんも元気そうじゃんか。店、繁盛してるねっ」 

「お陰様で。お隣の方は……モデルさん?」

「お上手ですね。ただのOLですよ」

「朱鷺谷くんの彼女か。羨ましいな」

「張本は結婚して確か子供もいるんだよな?」

「いるんだけど、今は別居中さ。家庭を顧みない仕事人間だっていわれてね」

「それは刹那せつない話だ」

「まあ今日は飲茶を楽しんで下さい。こちのおすすめコースでよろしいですか?」

当然。感謝您的支持。タンランカンシェニンダジジ(よろしく頼むよ)」

交給我吧(ヂャオゲイウォバ)(おまかせ下さい)」

「ところで隣の予約席に誰か来るの?」

「実は香港の女優で元ミスユニバースの李麗華り れいかさんが見えます」

 神楽がこれに反応した。

「いつ見えるのですか?」

「もう間も無く到着しますが、話しかけるのはご遠慮頂きたいのです。ハードなスケジュールの中、お越しいただけるため、店側も最大限のおもてなしをしたいと考えています」

「はい。大丈夫です。近くで食事できるだけでも幸せですから」

「ねぇ、神楽はその女優を知っているの?」

「えっ、明鏡くん、知らないの?」

「知らない」

「あっ、店の外が騒がしくなったね。お見えになったから、ちょっと外すね」

 店長はそういって席を離れた。


「ねぇ明鏡くん。彼女見たことない?」

「見たことないな。どんな映画に出ているの?」

「『愛の滑走路』『愛と共に去りぬ』でアカデミー新人賞や主演女優賞を受賞した香港のスーパーアクトレスよ」

「ますます分からない」

 そう話したタイミングではしを「パン」とテーブルにたたける音がした。

「ちょっとそこの人! さっきから私を知らないって、白々しいにも限度があるわ!」

「えっ、私のことですか?」

「そうよ、あなたよ。普通、綺麗とか素敵とかいうでしょう! そんなことも知らないの!」

 隣のテーブルから怒りを露わにしながら近付いてきた女優に責め立てられた明鏡は、神楽に視線で助けを求めた。

——彼女はなんで日本語話せるのさ! それでもってこの女優さん、なんでそんなにムキになるんだよ!——


 神楽が二人の間に割って入りこう話した。

「あ、あの、彼が失礼な態度をしてすみませんでした。彼はあまり映画やドラマを見ないので、あなたのこと本当に知らなかったのです」

 そう神楽は話した後、こう切り返した。

「確かにあなたが彼を知っていても、彼があなたを知らないのは、ある意味失礼なことになるねでしょうね」

「……あなた……何いってるの?」

「神楽! どうしちゃったんだい?」

 神楽は唐突とうとつに切り込んだ。

「彼は、あなたが大好きなミステリー作家の止水明鏡しすいめいきょうなんです。分かりますか?」

「……止水先生? あなた何をいってるの? こんなところに都合よくいるはずないじゃない! 大体私のこと知らないなんてこの男、可笑おかしいでしょう……証拠はあるの証拠は?!」

 神楽はこう切り返した。

「李麗華さん。あなたが大事に持っているカバンの中のミステリー小説を見せて下さい」

「えっ……なぜそれを知ってるの? 誰にも話していないのに!」

 神楽は髪を後ろで結び、伊達メガネをかけた。

「あなた……確かシリウス文庫のナイスバディな担当の神楽さんね! 半年前のインタビューであった……」

——ナイスバディって今日日(きょうび)聞かねえ〜——

 

「うわ〜、覚えていてくれたんですね! 嬉しいわ!」

「あの時、私、ミステリー作家の止水ファンだって……」

「話してましたよ。しっかり。毎日に日本語版の小説をカバンに入れて持ち歩いているって。いつだったら会えるのって」

 麗華は恐る恐る視線を明鏡に向けて、

「あの……私、本名は孫小夏といいます。麗華という女優しています。大変失礼しました。大ファンです。握手……いいですか?」

 李麗華は勝手に明鏡の手を握っていた。

「私もこちらのテーブルでよろしいですか?」

 李麗華の勢いに明鏡は引き気味だが、神楽はとても嬉しそうであった。


 三人は出てきた飲茶料理を楽しんだ後、ZETLINKのアドレスを交換した。

「そろそろお迎えが来るから失礼します。本当に幸せな時間でした、また、お会いしましょう。再見!(ツァイチェン)

 といって李麗華は去り際に、明鏡の頬にキスをして、手を振りながら去って行った。

「明鏡さん……あぁ〜あの李麗華さんからキスされるなんて……本当にうらやましい!」

——やっぱ変ですよ。神楽さん。まぁ、悪い気はしなかったけどね……——


小籠包ショウロンポウの肉汁や栗がり込まれたゴマ団子も絶品だったけど、私はベトナムの生春巻きに似たエビとイカの水餃子スイギョウザが特に良かったわ」

「来た甲斐がありましたね。ご馳走さま!」


 二人は食事を終えた後、本来の目的である映画スタジオロメオに向かった。

 映画の製作スタジオが、こんな繁華街のど真ん中にあるのはやはり横浜ならではなのかも知れないが、外国人観光客が行き交う光景はまるで映画のワンシーンのようだ。

 視線を上の方に見やると大きな看板がかかっており、上映されている映画作品が広告されていた。

 神楽は明鏡の両肩を後ろ側から押しながら声をかけた。

「さぁ中へ入りましょう」

「ああ」

 そして正面受付にモニターがあることに気付いた。

 タッチパネルを操作して電話番号を入力すると、予約情報が表示され音声が流れた。

「二階の製作部ミーティングルームで、担当者がお待ちしてます。左手の階段を上がって左手奥の部屋になります」

「ありがとう」

 と受付のAIにウインクをして神楽は明鏡の手を引いて二階へけ上がった。

 

「あの、こんにちは。シリアス文庫の神楽で〜す」

 ミーティングルームをゆっくりと覗き込むと突然、

「やぁ、神楽ちゃんお久しぶり!」

 何だか軽いタッチで切り返したこの男性、江戸川八作えどがわはっさくというらしい。

「止水先生もいらしてるわね」

 何だか女っぽい喋りに明鏡は挨拶を忘れて一歩引いた。

「先生と何だかお似合いねぇ。光月(みつき)ちゃん」

「ありがとうございます。っちゃんも今日とってもクールよ」

「あらどうも」

「……」

 何だか不思議な空気感に、明鏡はたじろいだ。

——なんかおかしなことになった——

 

「改めまして。わたくし、江戸川と申します。今回の先生の作品の映画化を担当する製作主任を任されています」

「あぁ……初にお目にかかります、止水明鏡と申します。今回の映画化よろしくお願いします」

 明鏡は男のボディラインとは思えぬ江戸川の姿に、黙っていられなかった。

「スタイルがとてもクールですね」

「先生っ! キャッ! お褒めいただき光栄ですわ」

 

 スタジオロメオが映画化をしたいのは明鏡シリーズの中でも一際人気を誇る「明鏡と悪魔の花嫁」であった。

()()()()()は良いわよね」

「そうですね。病院の屋上から身投げをしようとする悪魔に取り憑かれた花嫁を、私立探偵の柳太一やなぎたいちが身体を張って花嫁の落下を食い止めようとするシーンでの会話が素敵だわ。謎解きのシーンも柳凄いと思ったけど、漢気(おとこぎ)を出した柳もイケてるし。ストーリーの物悲しさと、生と死のコントラストを如何いかに表現するかが映画の製作ヒットの鍵になるのは間違いないわね」

「そうね。クライマックスでの花嫁の()と夏祭りの()のコントラストは超見せ場で、匂いや背景の色味を絶妙なバランスともいえる感覚的表現により幾重にもりなされた味わい深い作品に仕上がっていましたね」

 江戸川と神楽は、恋話でもしているかのように小説談議に花を咲かせていた。

「……なんか嬉しいものですね。まさに作家冥利(みょうりに)に尽きるとはこんな感じの時に出てくる言葉なんでしょうね。読者の意見を拝聴はいちょうできて本当嬉しかったです」

 明鏡は素直な気持ちを伝えた。

 そんな後だけに、映画製作に入るための許諾きょだくにかかる契約など手続きは順調に進められた。

 明鏡は予想だにしなかった六時間に渡る作品の詳細設定の確認を終えた。そしてこの後、シナリオ製作に取り掛かって行くとのこと。

 来年秋の公開大ヒットを目指す映画製作側の意気込みと共に、作品を盛り上げるための構想が幾重にも織り込まれていく工程を、明鏡は原作者としてしっかりと見届けた。


 スタジオロメオでの小説の映画化は、製作側の作品愛を知ることができたことで、明鏡と神楽の中に安堵感が生まれていた。

 二人は少し潮風にあたりながら散歩の途中、公園のベンチに腰かけ、こんな風に明鏡は話を切り出した。

「小説の発売日の前日の夜は決まって気分がしずみがちになり、作品が皆に楽しんでもらえるだろうか? とか、前作より面白いといってもらえるだろうか? とか毎回不安になっているんだ。プロとして堂々としていられれば良いのだけれどね。

 そのくせ自分の作品を読んで「素晴らしい」って思っちゃう自己じこ陶酔とうすい具合は、自分でも何だかよく分からないところ。

 まぁでも、今日は何より作品をよく知っている戸田川さんに映画化を任せられたから、本当に良かったよ」

 明鏡は素直な気持ちを伝えた。

「作品の世界に陶酔できるって、大事なことかも知れないよ。少なくとも作者が書いていて面白いと思えない作品は、読者側にとっても面白くないんじゃないかな?」

「面白くないか……確かにそうかも知れないね」

 明鏡は神楽の言葉に感謝した。

「さぁ帰ろうか。明鏡はくん」

 立ち上がった神楽は、遠く海を(なが)め髪をかきあげながらこういった。

「私はあなたの作品を初めて読んだ時、あなたの担当になろうって思ったの。そしてあなたがどんな人なのか知りたくなって……」

——何? 何このムードは——

 

「……まぁ……僕も君を初めて……」

「くすっ……明鏡くん。帰るわよ!」

 笑いながら神楽は走り出した。

——えっ、この流れ? 何か違うの?——

 

 我に返った明鏡はこう伝えた。

「神楽! とにかくありがとう!」 

 神楽はその瞬間背を向けたまま立ち止まった。  

 そしてクルッと身体を反転させて、

「さぁ、帰りましょうか? 明鏡くん!」

 そういった神楽に呼応するように明鏡は、

「そうだね。甘いものでも買って帰ろう」

 といって神楽のところまでけ寄った。

 夜の帳の中、船着場に向かう二人の笑い声は、次第に遠く消えて行った。


 臨時株主総会を明日に控え、総司と明鏡は社長室にて最終調整を行っている。

 明鏡はこれまでに得られた情報を基に、週刊誌へのリークから始まる株価下落、ごらく堂の敵対的TOB開始、更にはR産業を乗っ取るための裏切り役員の偽ホワイトナイト推挙すいきょまでを眺めて見て思うところ、このM&Aは所謂いわゆるカオスの産物とはいい難く、用意周到に組み上げられたスキームによるものと断定した。このスキームを丸裸にして尚、株主にM&Aを否といわせなければ経営者にとっての任務完遂とはなりません。まぁ、数学的アプローチである帰納法により起こっている現象から因果法則を見抜き、すべては首謀者、或いは集団Tが仕組んだ演算によるものと立証しなければならない、所謂、命題ということになるでしょう。

 そしてすべてをひっくり返すためのM&A防衛策についても明鏡から提案がなされた。

「つまりはカラクリを面前に(さら)してM&Aは悪だと株主にいわしめるのだな」 

「まったくその通りです。では始めて参りましょう」

「おぅ、よろしく頼む」

 そう答えた総司は、缶コーヒーを冷蔵庫から取り出して、

「ブラックしかないが良いか?」と聞く。

「ではブラックで」

——冷えた缶コーヒーか——


「どうぞ」

「ありがとうございます。……えっ」

「ホットだけどまずかった?」

「あっ、いや、冷蔵庫から出されていたから冷たいものかと……」

「あれね、温冷の切り替え付きでね。今の時期は保温庫ほおんこにしているからね」

——なるほど、これは勘違いしてしまう……ん? 待てよ……この視点でフィルターをかけて見る価値があるかも——

 

「では改めてまして……まず私が知る限りでは、この週刊ズームへのリークがM&A騒動の発端と位置付けています。次の株価下落に繋がった流れを考えれば、リークの役割は説明が着くのですが、果たして奴らのスキーム上に週刊誌を利用する狙いがあったのかどうかですが?」

「……リークはカオス(偶発ぐうはつ)ってことなのか?」

「断言はできませんが、リークはR産業が不正取引により価値を落とすどころか、金商法きんしょうほう違反や社会的制裁を受けて()()()になって終うと、逆にM&Aを断念する事態まで波及しかねない。そんな要素をスキームに組み込むだろうか? いや、それはあり得ないだろう」

「不確定要素の排除か」

「はい。しかし、リーク直前に鷹山専務が唐田記者に専務室で会っていたのは、浪川経理部長からの証言があり事実と思われます」

「そうなのか? でも浪川がなぜ知っていたのか?」

「それについては経緯(いきさつ)があり、証拠写真があります」 

「……そうなのか?」

「これです」

「これか。確かに会見の時の男だ。間違いないな」

「はい。その経緯も、鷹山専務の行動を疑問視したところからたんを発した浪川経理部長の直感的行為によるもののようなんです」

「何だかわかりにくいな」

「簡単にいいますと、鷹山専務に経理簿を閲覧させた一件により、たまたま出くわした状況に直感的に浪川経理部長はシャッターを切った、というところでしょうか」

「……なるほど。では()()()はどこに出てくるんだ?」

「そこがポイントとなるところ何です」

「ほう、聞かせて貰おうか。そのポイントやらを!」

「はい。浪川経理部長は鷹山専務が閲覧希望を出した該当年度の経理簿の不正取引を知っていたか、いなかったかであります」

「まさか、そんなこと、不正を知っていたなんて、ないだろ? そんなことはない? いや、あるのだな?」

「真相は分かりませんが、リークがスキームにない仕掛けであるならば、不正取引を浪川経理部長が知ろうが知るまいがカオスである。そうなるとレトリック上、浪川経理部長はスキームとはまったく別の、何かとんでもないことを企んでいる可能性は否定できないでしょう。当然可能性という点においてではありますが」

 明鏡は缶コーヒーをクイっと飲み切り更に続けた。

「もう少しリーク内容を深めるなら、不正取引内容の改ざんへのアプローチが鍵になります。集団Tにとって不正取引の首謀者が先代か現社長か、どちらであった方がM&Aに都合が良いかといえば、R産業の損失被害の観点から先代である方が都合が良いでしょう。しかし、当初にも話したようにスキームには挙げないと判断できるところから、やはりカオスであり、改ざんされた首謀者が現社長であることは、M&A諸共、R産業を葬り去ろうとする思惑を否定することはできない」

「浪川か?」

「それはまだ断定できません。例えば鷹山専務がスキームにないこの改ざんされた書簡をリークしてる可能性は充分あります。社長を退任させ、代わりに鷹山専務が社長就任を実現できたなら、M&Aの成功率も高くなるでしょうし。可能性は否定できません」

「ではリークの最後は、唐田が鷹山専務と、しかもR産業内で白昼はくちゅう堂々と会っていたことについて考えて見ます」

「確かに気になるところであるな。頼むよ」

「ここではこのリークがどう起こったかをフィルタリングします。

 鷹山専務がよっぽど間抜まぬけな方でなければ、自身がリークするとしたら白昼、しかもR産業内で足がつきやすい行動は取らないのではないか? そう考える先には、唐田が半ば強引にやって来たのではないかと考えて良い。強引にでも会える関係とは何か? わざわざ会わなければならない事情は何か? 唐田に起こった何かのために会いにきた。こう考えると、鷹山専務がリークした内容について直接会って詳しく何かを確認しなければならない事情があったのか? それとも別の誰からリークされて来た内容を確認するためだったのか? 

 こう思考をめぐらせれば鷹山がリークしたとは断定仕切れない」

「ということは、リークはカオスであるため、M&Aを仕掛ける集団Tの計画とは別の動きであり、通報者は鷹山専務か浪川経理部長か断定はできない。といったところだな」

「そうなります」

「しかし、浪川経理部長がリーク犯人であるとしたら危険人物となるが……」

「そうなるのですが、あくまで可能性の領域にあるというところであって、それを裏付ける確証は何もありません」 

「そうか」

「私に見えているのは、鷹山専務に問題の経理簿を閲覧させ、週刊誌に記事が載る直前に専務と唐田がリークにかかる何かをするために接触した瞬間を目撃していたのが、浪川経理部長であるということです」


 少し間を置き明鏡は次に話を移した。

「ごらく堂の敵対的TOBについてですが、集団Tのスキーム上、どの様な意味と役割を担っているのかを紐解いて行きます」

「これまでの調べでハッキリしていることは、ごらく堂のメインクライアントは、投資信託会社であるMEGAファンドであり、ごらく堂の役割は依頼された敵対的TOBを効果的に進め、買収した株式を依頼主に指定された額で譲渡するグリーンメーラーであります。

 M&Aの中心的役割を担うごらく堂のTOBは、スキーム的には買収そのものが目的と見て間違いない。ごらく堂の事業は不動産買収や用地交渉がメインで、近年敵対的、まぁ今は『同意なき』というのですが、話題性のある企業のTOBをこなしていて、事業規模が会社の規模に釣り合わない程実績を伸ばしています」

「そんな会社だったのか、ごらく堂」

「そうなんです。ごらく堂のクライアントであろうMEGAファンドもやはり投資信託会社であり、R産業の経営権の直接的行使を望んでいる訳ではなく、あくまで投資による外馬(そとうま)ビジネスが本業になるようです。

 つまり、経営権を手に入れたいのは、MEGAファンドのクライアントであります」

「そうか。そのクライアントというのが……JETTYな訳だな」

「ええ、そうなります。これまで積み上げた想定から見えてきたこの構図は揺るがないでしょう」

 明鏡は続けてこう考えた。

「また、スキーム上でこの構図が成立する条件は、それぞれの関係性が契約義務関係でない、いうなれば運命的共同体としての信頼保持関係が備わっていることが大前提なはず。なぜなら、このスキームで動く額は数百億から数千億に及び、引き換えすことは許されないガチンコ勝負になるからなのです」

「確かに大勝負になるわな」

「そしてMEGAファンド代表霧山雄山と社外取締役秋山栄が繋がり、JETTY代表秋山繁は秋山栄の兄である立ち位置、その秋山兄弟と高山専務は同郷時代にはいつも(つる)んでいた仲間であり、大人になった今に至っても、故郷への貢献活動からも伺い知れる親密な関係が今尚いまなお継続していると想定でき、スキームが求めた前提である信頼保持関係が備わっていることを伺い知ることができます」

 総司は目を閉じ腕組みをして聞いていたが、パチっと目を見開きこう切り出した。

「そのロジックは恐らく間違いないだろう。がしかし彼らがスキーム上で役割を与えられた関係にあり、すべてにせホワイトナイトに帰結していると断言するためには、ロジック以外にも証拠が必要になるだろう」

「その通りです。証拠や証言は信憑しんぴょう度合どあいが絶大でありますから」

そろうのか? 証拠は?」

「どうでしょう? がしかし、それを握れば偽ホワイトナイトを画策した鷹山や秋山を締め出すことができ、M&Aをまずは一歩、後退させることができるでしょう」

「やれるのか?」

「いや、行き詰まりですね……」 

「そうなんだな」

「ただ……」

「ただ?」

「ただ絶望という訳でもなく、証拠の入手に向けた手は打っていまして……」

「何? そうなのか」

「ええ、詳しくは話せませんが、証拠が明日までに揃うかも知れません」

「ハッキリしない話なんだな。つまり待つしかないのだな」

「はい。待つしかありません。明日の朝には何か証拠が届いていることを願っています」

「随分と他力たりきなんだな。仕方ないか。明日の朝か……」

「はい明日の朝に……」


 明鏡は最後に偽ホワイトナイトを成立させるスキームの手順を紐解きにかかる。

「偽ホワイトナイトをR産業に掴ませるためには、他に対抗する有効的なM&A防衛策がないこと、防衛策にホワイトナイトを選択すること、ホワイトナイトは友好的関係が前提であっても他社ではなく確実にJETTYを掴ませなければならないこと、この三つが成立することが条件になるはずです」

「ほう、そうだな」

「この条件はスキームの最大の難所となっているはずです。いずれの条件も準備に時間がかかるため、このスキームは何年も前から始まったものであることを伺い知れます」

「ほう、その準備とは?」

「秋山栄を社外取締役として迎えること、またR産業のM&A予防策を撤廃させることであります。勿論、鷹山専務が内部から旗振りをしていて成り立つ準備ばかりではありますが」

「確かに鷹山は経営陣とは真逆のM&A防衛策撤廃を訴えていた。株主優位だとかいっていたのは表向きで、すべてはこのためだった訳か」

「これらの準備が偽ホワイトナイトに誘導するための前提作りになります。社外取締役の設置提案と秋山栄の推薦にかかる尽力も、株主の信任という大義を背景に推し進めたM&A予防策の撤廃も、すべてスキームで描かれていた偽ホワイトナイトへのけ橋であったのでしょう」

——そう聞かされたからようやく気付けたこのような相手の裏工作、あんたなしでは到底とうてい及ばなかった着想。改めてあんたには、恐れ入ったよまったく——


「その後はTOBの出方を待ち、R産業に取って事業パートナーになり得る企業であるJETTYを、血縁であるというだけの秋山社外の安全マージン説を材料に選び取らせ、他に選択できそうな友好企業には見向きもさせず切り捨てる展開は、鷹山専務らにとってはとても滑稽だったでしょうね」

「確かにな。してやられるところだった訳か。しかしこの後、どうやってスキームを破綻させるつもりなんだ? このまま進めば役員会でホワイトナイトに適した選定先はJETTYであるとして秋山社外から役員の総意だとして伝えられるぞ。その前に何とかしないとな。できるのか?」

「もちろんです。このまま終わらせるなんてことはさせません。そして防衛策をホワイトナイトから他に変更させねばなりません」

「どうする? ポイズンピルで新株予約権発行してはどうか?」

「悪くはないですが、これは予防策であり現段階では時間がありません。そこで私に秘策があります。社長には今日中に段取りを取っておいて欲しいことがあります。この秘策は株主総会を利用してこの買収計画を一気に無効化できる、そんな切り札になるでしょう」 

 明鏡は買収計画をひっくり返す反撃の手の全容を語った。

 

「分かった。この後、午後の内に話を詰めて、明日の株主総会に備えよう」

 M&Aが成立してしまえば、R産業は経営陣の刷新か、所有するすべての知的財産権や事業を奪われます。そうなれば総司は社長を解任されることは必至であるが、自らが生き残りをかけた逆転劇に望みをつなぐための余地がまだここに残されていたのだ。

 明日の臨時株主総会では鷹山専務や秋山社外がM&Aの首謀者または内通者と特定できても、背任行為による役員解任が積の山。鷹山においては株主でもあるため、株主らにM&Aの有効性を語り出すかも知れない。株主らがM&Aに前向きになれば、防衛策どころの話ではなくなるのだ。

 そのため明日の臨時株主総会では、いち太刀たちでM&Aは株主にとって損失を出すものであるといえなければならない。太刀たちで鷹山らがこれを仕掛けた張本人として役員から排除しなければならない。そして、さん太刀たちで株主らに有効なM&A防衛策を選択させなければならない。

 これが命題であった。


 臨時株主総会を明日に控え、先代社長の一之瀬富士男に明日の総会では、社の命運がかかった大波乱が起きることを伝え、明鏡は電話である協力を願い出た。

「本来は電話でなくお会いしてお話すべきことになりますがご容赦(ようしゃ)ください。明日の議案についてはお聞きになられていると思いますが、社長の解任とM&A防衛策について議題に挙がります」

「それについては聞いとるぞ」

「社長解任案については、週刊誌に掲載された取引き覚書や経緯記録書の首謀者としての責任が問われます。これは何者かによる策略であり、事実が改ざんされています。このままでありますと、社長解任は(まぬが)れなくなり、いてはR産業の危機に繋がりかねません。ですから、先代である会長には現社長を守って頂きたいのです」

 と富士男に対して間接的に事実認否を問いかけた。

「参った参った。確かにあれは事実に反した掲載記事じゃったから(わし)とて驚いたわ。じゃが改ざんについちゃぁ、何も知らんよ。そもそもあれは不正じゃのうて、たんなる財務諸表への表示漏れじゃろ? なぁ、お前さんよ!」

「改ざん指示については、先代の仕業と疑っている訳ではありません。ただ、株主総会で一之瀬現社長の冤罪えんざいについて真実を語って欲しいのです」

「むっ……儂もこの件については、真実をゆがめるつもりはさらさらないわい。故にその件については承知したわ」

 ついでに明鏡は、もう一つお願いをした。

「M&A防衛策についてですが、先代はどうお考えかは存じませんが、ただ一つ理解しておいて頂きたいことがあります。議題に挙がるホワイトナイト先についてでありますが、JETTYの承認を株主に求められますが、これはR産業にとって誤った選択になります。

 この選択こそが買収側の罠であると理解しておいて下さい。明日、私が総会で述べる話は、この買収劇の真実であり、時間をかけて積み上げられた筋金入すじがねいりのM&Aであることがお分かり頂けます。株主である前に創始者として、R産業の未来についての正しい英断えいだんを期待しております」


 明鏡は監査法人室で「会社を守る」の意味を考えた。

 これまで明鏡は社長である総司の経営を支える立場を取ってきた。

 一之瀬富士男に初めて会ったあの日、富士男の依頼の内容の問いかけについて明鏡は「その問いかけの答えは察しがつきました」と答えたが、その真の答えは「社長が総司を守りたいのではなく、R産業の向かうべく大切な未来を守ることにあるのでは」と思えるようになってきた。

 その意識で明日の臨時株主総会を乗り切らなければ、アドバイザーとしての役割を完うしているとはいい難いだろう。

 M&Aについても、仮に総司を支える側にいなければ、R産業が買収されることに対して客観的立ち位置から今とは違う判断していたかも知れない。R産業が望んでいる未来はどんな形なのか。

 明鏡はここに来てようやく、自分に与えられた仕事の本当の意味を分かり始めた。

 明鏡に映るR産業の姿は、従来の企業のあり方にとらわれず、雇用、職場環境などを整備し、事業開発から実施に向けた取り組みは、目を見張るものであった。

 そんな会社を作り上げている経営陣を失うことは、社会の損失といっても過言ではなく、明鏡は改めて今のR産業すべてを守るために戦うことを決意したのだ。


 ここに来て明鏡は、漸くアドバイザーとしての自分がすべきことが見えてきていた。

 R産業はなくなってはならない会社であり、ここで働く人達の夢を繋げなければならない。  

 先代から依頼されたアドバイザーとしての役割は、R産業の成長を阻むものを取り除く、所謂、親が果たす役割みたいなものであると認識していた。

 少なくとも総司はR産業を成長させている側の人であるから、職務として精一杯協力しなければならない。本当に大切にすべきものを見失わないよう目を曇らせてはならないのだ。

 また、R産業が役員の私利私欲の道具に成り下がらないよう内部統制を強固にしなければならないと考えていた。

 

 臨時株主総会を明日に控えた二十二時、地下会議室の報告会が開催された。

 明鏡は総帥と呼ばれる存在ではあるが、地下会議室であるオンライン会議には参加できない決まりがある。総帥には結果報告がなされるだけであり、会議内のやり取りは第三者に漏らさぬよう記録などは残さない。報告は総帥代理が事前に提出を受け付けた資料に振られたナンバー順に報告を求め、活動員から資料の説明が行われる形式で進められる。

 総帥代理は監査部の小林であり、会議報告終了後に小林から明鏡は報告を受ける約束になっていた。


「それでは地下会議室報告会を開催する! 我は、我等が止水総帥閣下の指令を伝えた総帥代理である。総帥閣下から皆々への労いの言葉を頂いておる。深く感謝すると共に活動員信条を唱和されたし!」

 

 一つ、指令に対して躊躇わず履行すること。

 一つ、知り得た情報は正確に報告すること。

 一つ、組織及び知り得た情報は漏洩することなかれ。

 

「それでは、調査報告がなされた順に活動員から報告をされたし。今回の報告件数は五件である。提出された資料ナンバー順に報告を始めるがよい」

「資料番号一番であります。この三枚の写真は二日前の二十時に撮影したもので、R産業の鷹山専務、秋山社外取締役とMEGAファンドの霧山雄山とごらく堂の霧山開が赤坂の料亭東雲(しののめ)で会食しているものであります。この日は霧山開の尾行に徹しました。午後七時二十分に料亭に入った後、十九時三十三分に鷹山が遅れて入店しました。二人の入店の瞬間の写真が二枚、その後、利用客になりすまし入店し、部屋を探り、部屋を錯誤したフリをして入室した瞬間に隠し撮りをした、四人が会食をしている写真が一枚あります」

 と説明がなされた。

 総帥代理はこの一番目の報告者の功績を称えた。


 そして資料番号二番から音声データの説明がなされた。

「わたくしが盗聴したのは、JETTY社長秋山繁の社長室専用電話であります。この音声データは木馬に関連する内容であります。具体的には、秋山繁からMEGAファンド霧山雄山へのTOBにかかる進捗の確認です」


 総帥代理は音声を流した。

「秋山だが、例のごらくの公開買付は順調に集まりそうか?」

「ご心配なく。順調ですよ。もう直ぐ最低ラインに到達しますよ。詳しくは明日の会食で。お待ちしております」

「そのことだが、申し訳ないが明日は都合がつかなくてね。よろしく頼むよ」

「承知致しました。では又お声かけさせて頂きます」

「いつもすまんな。霧山くん」

「いえ。では失礼します」


 総帥代理はこの音声データに感嘆し、どのような流れでこのデータを盗聴したのか問うた。

「わたくしは指令にありました木馬の面々の内、秋山繁という男には面識がありまして、急遽きゅうきょ秋山に連絡を取り社長室で商取引を行いました。その時、仕込んだ盗聴器で採取したものです。詳細は私の個人情報に繋がりかねないので話せません。以上になります」

「ありがとう」

 

「では資料三番について説明されたし」

「私は浪川と木馬について、浪川の行動を中心に短時間ではありますが調査しました。しかし木馬との接点については確認ができませんでした」

「また、浪川の業務用パソコンにR産業のホストサーバーから侵入した際に奇妙な二つのフォルダを見つけました。一つ目のフォルダのタイトルは『R産業の不正取引』とつけられており、これには暗証番号による保護設定がなされておりました。浪川が何のためにこのフォルダを厳重に管理しているのかは不明ですが、管理している情報は、本人が引き起こした不正ではなく、R産業内の不正について記録しているものと思われます。個人の情報ならそのようなタイトルをフォルダに付けないからです。

 浪川はR産業内の不正について調べている産業スパイであると通常なら判断するところではありますが、おそらくそうではありません。資料として提出した数枚のシートですが、見てのとおり一之瀬一族に相当恨みがあるのか、恨み節が沢山連ねられております。浪川は一之瀬一族の失態を強く望んでおり、彼らの不正について熟知しているものと思われます」

「そして二つ目のフォルダは、浪川がJETTYの株主であり、JETTYが試算した、Dライセンス事業が開始された年度のR産業の収益を計る割引現在価格を求めたデータを保管していました。これは本来入手はできない経営側の管理会計情報であり、このファイルが偶然開かれたままになっていました。そのファイルの中には、鷹山専務がJETTY代表秋山とみなとみらいにある飲食店で定期的に会食していることを調べていたことが記されたシートも確認できました」


「そこで一之瀬社長のパソコンも調べたのですが、またこれも看過かんかできないものがありましたので、参考までに報告致します」

「一之瀬総司は個人的アドバイザーを利用し、反発する役員らの排除を進め、理想的企業、独裁的経営体制を作ろうとしています。その計画らしき記録がパソコン内で確認できました。以上報告を終わります」  

「……ご苦労であった」


「次に提出資料四番の者、報告をされたし」

「資料番号四番であります。木馬のメンバーの秋山繁と秋山栄の会話を盗聴致しました」

 音声データが流れた。

「ホワイトナイトの件は決まったのか?」

「ああ、大方決まったようなもんだ! 取締役会はこちらの狙いどおり満場一致だった。後は株主総会の承認さえ出れば完了だ」

「大丈夫なんだろうな?」

「社長も私に一任しているんだから、問題なかろう?」

「それならいいが、あいつにはアドバイザーがいるだろう? シリウスの鬼が!」

「大丈夫さ。その鬼がホワイトナイトを推奨してるんだぜ」

「そうか。なら……計画どおりにことは進むか」

「兄貴の方こそ、段取り抜かるなよ!」

「じぁ楽しみにしてるぜ」

「カシャ」


 ここまでの報告を聞いていた黒いサングラスをかけた活動員たちは、トロイの木馬の意味を理解し始めていた。

 

「最終の資料五番手の者、報告されたし」

「それでは報告いたします。私が調査をかけたのはR産業の鷹山専務であります。偶然ではありますがR産業の販売部に知り合いがいまして、鷹山専務が自らが開発事業部と販売部で構成された『チームリアライズ』を引き連れ一ヶ月程前から都内を始め福岡、神戸、大阪、京都、岐阜、名古屋、横浜、仙台、青森及び札幌の大手ゲーム販売店を周り、R産業の新ゲームシステム『リアライズ』のデモンストレーションやら、販売ルートの確立等を進めていることを聞いておりました。そのためこの全国行脚とトロイの木馬の接点を調べる中、この販売店とルートがJETTYのスマホブランド『Fitz』の販売代理店と販売網がまったく同じでありました。販売部の人は気付いていたようですが、新たな販売網を構築するより、鷹山専務の人脈を利用した信頼できる『Fitz』の既存のルートを『リアライズ』の正規ルートにすることは、販売普及の効果に併せて安全性も確保できるため、こばむ理由がないと判断されたのでしょう」


「これで報告は終了とする。それでは最後に我々地下会議室に与えられた指令について、総帥に報告する『トロイとは何か』の内容をまとめることとする。各自説明があった資料を基に、総意を検討する。良いな!」

御意ぎょい、御意……」と参加者は承知する。

 総帥代理は、地下会議室の室長に総意検討を指示する。

「では総帥代理の命に従い私が取りまとめを行います」

 室長はこう宣言し検討を開始した。

「総帥閣下がトロイであるR産業側に立ち、スパルタに扮したJETTYによる急襲に関する確証を得るため、我等に指令を出されたことは明白である。この前提に異議される者は声を挙げよ」

「……」

「承知した。では次に、資料一番の料亭東雲での会食、資料二番のMEGAファンド霧山雄山とJETTY秋山繁の電話の会話及び資料四番のJETTY秋山繁とR産業秋山栄社外取締役の会話から、トロイの木馬とはJETTYがR産業を乗っ取るための集団であり、資料五番から内通者にあたる鷹山専務はこれに先駆さきがけ、R産業の新規事業であるゲームシステムをJETTYの販売網に乗せることで、買収後の混乱の影響を抑えるよう進めている状況である」

 と室長は述べ異議を求めた。

 これに異議を唱える者はなかった。

「最後にトロイの木馬と浪川経理部長とは無関係といえる。これに異議のある者はいないな。それではこれら資料とともに指令に対する調査報告総意を総帥閣下(かっか)にお伝えする」

 室長は総帥代理にこのように報告をした。

 この地下会議室では、指令以外の内容については報告されない。 調査をした活動員は資料提出後はルールの中で資料は抹消することになっている。よって総帥に報告しない資料も含め一切残さないため、会議前に総帥代理に資料提出されたものは総帥代理が管理処分の責務をすべて負う。これは、秘密結社であるミステリー会議がこれまでつらぬいてきた生き残るための処世術しょせいじゅつの一つである。


「本日はお忙しい中、臨時株主総会にご参集賜りまして誠にありがとうございます。司会進行を務めさせていただきます、総務課長の富山と申します。よろしくお願い申し上げます。それでは開催に先立ちまして、R産業株式会社代表取締役、一之瀬総司よりご挨拶申し上げます」

「ええ、代表取締役の一之瀬と申します。株主の皆様方におかれましては大変お忙しい中、この臨時株主総会にお集まりいただき、誠にありがとうございましす。

 さて、皆様方におかれましてもご承知の事態と存じますが、()()()()という得体の知れぬ会社が、我が社に対し、敵対的TOBを開始しております。我々経営陣にとりましては、我々の血肉とも言える事業を、この企業にうばわれる訳には参りません。よって、本日の議題にM&A防衛策の承認、並びに株価下落の責任を、代表取締役の解任及び選任という形でご審議承りたいと存じます」

 総務課長富山は株主に対し、あらかじめ会場入口にて配布した資料の確認を行った。

「えーっ、それでは本日の議題につきまして読み上げて参ります。議題の決議につきましては、スマートフォンのR産業公式ホームページ内にあります『株式総会』をクリックいただきますと、氏名、生年月日、株主ID及びパスワード出てまいります。これらを入力致しますと、本日現在の保有株式数と持ち株割合が表示されます。後は議題の賛否にチェックを入れましたら、参加者と可否割合が表示されます。

 また、投票開始と終了の案内は私が致しますので、宜しくお願い致します。なお、用紙での投票につきましては、左手側に用意しました投票用紙読み取り票を使って登録を致しますので、そちらへお持ちください」

 と案内された。

 そしてようやく議題検討に移る。

 議題一の「買収防衛急務となる現状の第三者割当増資の必要性について」を、社外取締役秋山栄が自席にて議案を読み上げた。

「社外取締役の秋山と申します。それでは当社が置かれている状況について申し上げます。これまで事業面で一切関わりのなかった『ごらく堂』というこの業界では聞かない企業が当社に対し株式公開買付を始めております。現在の応募割合は株式全体の三十一%まで進んでおり、下限三十四%に到達すれば決議に対する拒否権を保有する筆頭株主になり、更に取得が進み五十%を超えた時点で経営を左右する筆頭株主になります」

 秋山は一つ大きな咳払いをした後、

「R産業はこの現状を危機的状況と判断し、防衛策を打たなければなりません」

 と秋山は更に咳払いをした。

「失礼しました。M&A予防策を持たない我が社にとって、緊急策として取締役会で合意に至りました第三者割当増資増資による新株発行を、今回承認いただくため決議におかけました。また、この難局を乗り越えて行くためのパートナーについても、検討内容に上げさせていただきました。その相手企業は、我が社の事業面から見ても有益な企業であり、社名は株式会社JETTYでございます。この企業に資本を分かち、R産業は更なる進化をげようと考えております」

 株主がざわつく。

「JETTYは通信事業の大手でありまして、ちょっとご覧いただきますが、こちらのスマホですが『Fitz(フィッツ)』と申しまして、この企業の商品でございます。日本国内では操作性が高いスマホとして人気があり、昨年二番目に売れたスマホにございます。このような企業が当社と手を組み、我が社のアプリがスマホにデフォルト設定されれば、()()売上を伸ばし、共存共栄の道が大きく開けてゆくに違いございません。我々はそう確信して止みません。皆様による決議をお願いいたします」

 と秋山は自信に満ちた説明を行った。

 この説明に対して大株主から秋山に対し質問がなされた。

「私はR産業の発明品や展開する事業に魅力を感じて投資してきた訳だが、M&Aでこれらを守るためにホワイトナイトにJETTYを選択することのメリットは、あなたのいうとおりなのかも知れません。では、デメリットについても聞かせて欲しいところですがよろしいですか?

 また、あなたは確か、株主の利益を尊重し防衛策を撤廃すべきと主張していたはずなのに、まぁ経営陣らしからぬと思っていたのですが、今回なぜ防衛策を求めるのかも教えていただきたい」

 これは、これまで秋山社外が高山専務と共に新株予約権の撤廃を推進してきたのだが、その張本人が防衛策を主張することに矛盾を感じると、この大株主は痛いところをついて来たのであった。

「……デメリットですか。……JETTYが大株主になり……経営に口をはさむようになり……これまでのようなR産業独自の社風から売上優先の事業展開を求められる可能性があり……そうなれば、R産業が大切にしてきた人材育成や職場環境のゆとり部分が切り落とされるでしょう。しかし……生産性は上がる……でしょう……つまりデメリットはないですね。……強いていうなら我々経営陣が取り組む姿勢を変えなければならないところがそれに当たります」

「ん? ではR産業は株主である私たちにとってはメリットしかないということでしょうか? 経営陣は手法を変えR産業を成長させるということですかね?」

 と秋山にせまった。

 この説明に顔をゆがめたのは、総司社長と筆頭株主の富士男だ。

 富士男は総司社長に、

「これが経営陣の出した最善の答えなんか? 株主の利を第一にするのは当たり前じゃが、R産業の経営陣としては、いささか物足りん気がするわい」

 と少々不服そうに問いかけた。

 総司はこう切り返した。

「……まぁですね。秋山社外が申し上げたことは、正しい分析ではありますが……」

 といいかけた総司の口調に周りが騒ついた。

「ある意味で正しい分析ではないといっている者が、一人だけいます」

「ほう。そういわれたら話を聞かん訳にはいかんな。誰じゃ? ここにいるのか?」

「おりません」

「呼びたまえ」

「分かりました。それでは」

 と総司は富士男とのかけ合いのなか、会場の外で控えていた明鏡に入場するよう総務担当に指示をかけた。

 会場外のロビーで準備してた明鏡は、総務担当の指示で会場に入った。

 進行役の担当からマイクを受け取った明鏡は、急遽用意された役員席の傍の席の背に上着をかけ着座した。そして大きく息を吐いた後、立ち上がりマイクを右手に持ち換えた。

「皆様にはお初にお目にかかります。ミンタカ法律事務所のアドバイザー朱鷺谷明鏡といいます」

「朱鷺谷くんじゃったのか」

 と筆頭株主の一之瀬富士男がニコリと笑いながら答えた。

「では、JETTYがホワイトナイトに適さないと分析している第一人者の朱鷺谷アドバイザーに、ぜひ説明を聞こうじゃないか?」

 明鏡は富士男のわざとらしいセリフを受け「なんか調子出ないなぁ」と呟きながらマイクを握り直して前に出た。

 そして、明鏡は経営陣と株主における価値観の違いを踏まえた上で、こう述べた。

闇雲やみくもに分析結果からホワイトナイトにJETTYが適さないと声を上げているのではありません。ただ分析というものは、誰にとって都合の良いものか、はたまた悪いものか、そんなところのエッセンス一つでとらえ方は変わるものではないでしょうか? 私がお伝えしたいのは、経営陣と株主のR産業への期待の仕方、つまり、我々の経営判断の下、事業を成功に導き、会社を成長させ、結果そこに利益がついて来ると考える経営側と、とにかく利益をどんどん上げてくれるなら誰にでも任せたい株主側がそのプロセスにおいて相容あいいれないように、同じ利益を目指すにしても向き合い方は同じではないのです。この考えを踏まえてJETTYのホワイトナイトについていえることは、株主側にして見れば、適した防衛策と評価できます。

 一方経営陣にとってはJETTYをホワイトナイトに迎えるという選択を支える理由は、この企業が友好的な企業で、R産業の経営に配慮がなされ、企業相互間に十分なメリットがあると()()()()に都合の良い判断が成り立っているところにあります。それでは、JETTY側ではどうでしょう? 真意という点でR産業についてどう利用し、いや、どう支配するかを検討しているかも知れません。発行された新株をJETTYが購入することになれば、議決上様々な形で経営に口を出すことになりましょうから。R産業が対等に構えるのであれば、新株割合を二十五%未満とする条件で『株式持合い』にする、つまり、JETTYにも新株発行を取り付けなければなりません。R産業にとってはJETTY株を持ちあって初めて、JETTYへの議決権を担保することができ、真に友好な関係において事業が進められるといえるのではないでしょうか? その取り付けができなければ、おそらくR産業にとって、ホワイトナイトは不本意な結果になるのではないでしょうか。

 仮に、持ち合い株の状況になった場合は、資本力、つまり事業のための資金調達力が低下し、企業の魅力を失い、株を手放す傾向が強まり、結果、株価は下がることになるでしょうが」

 と明鏡は語った。

 これを受けて筆頭株主は、

「朱鷺谷くん。要するにJETTYの出方次第で株主が窮地に立つことがあるということか」

 と聞き返した。

 明鏡はすかさず答えた。

「そのとおりです」 

 口を挟むように鷹山専務が総司に発言許可を取り、明鏡のM&A防衛策に対する不安を煽る発言を払拭ふっしょくするかの如く、こう語った。

「専務の鷹山と申します。たった今、朱鷺谷アドバイザーがJETTYに対し、不安的要素を訴え、警戒しているとも取れる発言がありましたが、議決案を提出する側の態度として、これらの発言を平気で朱鷺谷くんには、不信感しか残りません。取締役会でまとまった決議案をなぜこの場ですような後ろ向きな発言をするのでしょうか? この先、R産業がパートナーとして求められるだろうJETTYの経営姿勢に合わせ、利益を最優先した収益構造改善が進むよう、アドバイスをするのがあんたの仕事ではないのかね?! それが分からないなら、私がこの先をあんたの代わりに説明しよう!」

 鷹山専務は明鏡に対し、戦線布告ともいえるダメ出しを繰り出した。

「我がR産業の革命的位置付けにあたる新規ゲームシステム『リアライズ』について触れながら、R産業の進むべき方向性についてお話しさせて頂き、ホワイトナイトにJETTYを迎えた場合の行末についてお伝えできればと思います」

 と場の空気を制した。続けて、

「私は『リアライズ』の販売を皮切りに攻めのゲームメーカーR産業を世に知らしめて行きたい! 『世界よ! ゲームで熱くなれ!』のキャッチフレーズを売りにしていたあの頃の熱い気持ちを経営陣が全面に出して行かなければ、この荒波を乗り越えることはできません。R産業内ではDライセンス(仮)を主軸事業と位置付けていますが、『リアライズ』こそ真の主軸事業であり革命的事業であります。

 業界初のとエアーパネル機能とVoiceR(ボイスアール)機能、また異次元の冒険が楽しめるマルチ画面方式に加えゲームラインナップがデフォルトで十二本用意されたこのシムテムは、間違いなくゲーム業界に風穴かざあなを開けることでしょう。そして売上げこそが指標になるため、『リアライズ』の販売促進のため、新たにゲームが体感できる販売店舗を全国的に確保し、販売網の拡充に努めて参りました。R産業はゲームメーカーとしての威厳を取り戻すためにも、これまでにない売上げを求めなければなりません。

 もちろん、私も経営陣の一人であって、ここまで会社が成長できたのはR産業独自の経営方針があってのものと確信しております。

 しかし、更なる評価を得ていくためには、売上げに明確な指標を持たせることが必至となり、そのための戦略は、もちろん用意されております」

 と語った。

 あるアクティビストが発言した。

「鷹山専務と秋山社外取締役は、これまで、我々株主の利益のためM&A防衛策を撤廃へと導き、R産業の更なる飛躍のため、利益追求を最優先する計画や行動をお取りになられていた。

 しかし、防衛策撤廃を支持しながらも、鷹山専務、秋山社外取締役が敢えてホワイトナイトを推されるのは、ごらく堂とJETTYという選択肢を並べた時、後者のJETTYが、我々にとってより利益をもたらす選択と断言されたからと理解すれば、よろしいのかな? それであれば、お二人を信奉せずにはいられないでしょう!」

 と鷹山専務らを評価して、周りの株主から、賛同の拍手を得た。

 そんな中、ただ一人だけ盛り上がらない筆頭株主に対して、そのアクティビストはこういった。

「一之瀬さん、専務さんらは百戦錬磨の企業人ですよ。周りがよく見えとるよ。この買収騒ぎにもふらつくことなくやるべきことをやってるわ。まるでJETTYから来たスパイさん見たいだ」

「まったくだな……一之瀬社長! 今の鷹山専務の力説を聞いて、経営陣の代表としての見解を聞かせてもらっても良いかな?」

 と富士男は総司に迫る。

 総司はいつもより少し困ったような顔付きで明鏡を横目で見てから、マイクを右手に持ち立ち上がった。

 そして、咳払いを二度してから話しを始めた。

「R産業が近年、天下無双の急成長をしてこれたのは、会社の価値基準を単に利益の追求に囚われず、従事者の能力を最大限に引き出す環境整備と社会貢献を理念とし、これに応える従業員がいたからこそ今があるのです」

 と主張した。

 今回の臨時株主総会の中継配信は、社長の計らいにより各階各課に備え付けのモニターで視聴できるよう準備されており、従業員らは固唾かたずんで見守っていた。

 総司は続けてこう語った。

「鷹山専務の説明は経営者の私がいうのは何ですが、売上げを伸ばして行くための収益構造改善の着眼と、これに沿った『リアライズ』の販売計画は素晴らしいと思います。販売網を自社で持たず、他社の販売網を利用する考えは、財務諸表でいうならPL(損益計算表)における販管費の割合が減少し営業利益の割合の増加につながりますから。経営における管理会計で説明するなら固定費を抑えられれば損益そんえき分岐点(ぶんきてん)が下がり、限界利益げんかいりえきが出しやすくなるということでしょう。

 しかしながら、いくら秀逸な提案であったとしても、鷹山専務は経営陣の代表である私に、これまで何一つ販売計画の詳細を語らず、会社の売上のため、株主のためといいながら経営方針を勝手に歪めて秘密裡に事業を進めていたことは、企業人としての資質を疑わざる得ないところです。突き詰めれば、経営責任を取れる立ち位置にない人が、社の方針に則らず無責任に進めた行為は看過かんかできません」

 この「無責任に進めた行為」とののしられたことに激昂した鷹山専務は、株主に語りかけるように総司への反撃に出たのだ。

「そもそも、取締役は責任が課せられた一経営者だ。それを何だ! 失礼な奴だ! 私は創始者であんたが会社に入る前からこの身を捧げているんだぞ! ……なら聞こう。このままでR産業を守って行けるのかね? どのように守っていくのか答えてもらいたい!」

 と鷹山は圧をかけた。

 ここで筆頭株主の富士男は仲裁に入った。

「見苦しと思わんかね。経営陣がはじさらしてどうするんじゃ!」

 とあきれた物いいを一括いっかつした。

 総司は目を閉じ、鷹山は富士男をにらんだ。

「議決を取る前に私はどうしても企業経営アドバイザーの朱鷺谷氏の見解を聞きたいのだが、どうだろうか? 皆さん」

 と富士男は株主に呼びかけた。

 アクティビストからその見解は時間の無駄との意見が出されたが、他の大株主からは聞くべきだとの声が挙がり、「時間の無駄」との発言はかき消された。

 更に、富士男はこう話を続けた。

「朱鷺谷くんをR産業に誘ったのは、実は私なんじゃ」

 この発言に、株主やモニターで見ていた従業員が驚き、役員らもざわつく。

「朱鷺谷くんは、かつて監査業務をされていた頃は『鬼の明鏡』と呼ばれとってのう、そりゃー企業からは恐れられとった監査人で、周りの心配をよそに、厳格監査に心血を注いどった真面目な男じゃった。しかし、それは本気で企業を立て直したいと思う強い信念から出た厳しさであって、彼は純粋に物事を見つめることができる本物の公認会計士じゃと、儂は思うっちょる」

——なんか、嬉しい——

 

「儂はR産業の未来を託した社長が向かい風に屈することなく、経営方針を貫いて行けるようにとアドバイザーを送り込んだんじゃ。それは、親としての愛じゃのおて、前経営者としての責任からじゃったんだ。

 また、R産業にとって必要とされない社長なら、とっくに解任させられてるところじゃろう。その社長のアドバイザーである朱鷺谷くんの、先程の中途に終わった分析の話の裏にある個人的見解とやらを聞ききらねば、儂は議決に意見は出せんと思うのじゃが、皆さんどうじゃろか? 本気でR産業の未来を考るなら、皆さん、後悔のないよう選択をしようじゃないか?」

 と株主らに呼びかけると、しばらく間があり、株主は拍手を皆がし始めた。また、アクティビストまでもが富士男の呼びかけに拍手で答えた。

 鷹山専務は声をあげた。

「なぜそこまで一ノ瀬会長は私の邪魔をするんだ! これはR産業の進むべき道なんだ。あらがえない現実なんだ。関わり始めてまだ数ヶ月のひよっこに、一体何がわかるっていうんだ!」

 富士男はこう切り出した。

「鷹山くん。だから君は経営には向かんのじゃよ。……邪魔をしているのはあなたの方じゃ。あぁ……では朱鷺谷明鏡くん、聞かせてもらおうじゃないか? 君の個人的見解を」

 明鏡は、しばらくの沈黙を破り、社長に許可を取り発言をする。

「では、ここからお話しする内容は、あくまで私が個人的に知り得た情報を基に、辿り着いた見解であること。社長個人のアドバイザーとしてではなく、R産業のアドバイザー朱鷺谷明鏡としての視点による見解となるため、役員方と株主様にとって適不適は別れるところとなるでしょう。では、お話し致します」

 と話し、株主らに向かい一礼をした後、また話し始めた。

「JETTYは数年前立ち上げたスマホブランド『Fitz』は発売当初から販売数を順調に伸ばしていたのですが、発売から丁度半年後に皆さんも記憶にあると思いますが、デフォルトアプリが原因で出回る多くのスマホがフリーズしてしまう症状を起こしました。あの一件から評価が回復しないJETTYは、顧客満足度の高いアプリメーカーであるR産業に目を付けていたのです。そんな事情から、JETTYが今回のホワイトナイトの依頼先に挙がったことは、渡りに船じゃないかと思ったくらいでした。R産業側にとってこれはチャンスと考え、M&A対策を対等な形でなら乗り切れると考えました」

 富士男が問いかけた。

「それではなぜ、難色を?」

「しかし、現実は違いました。このR産業を追い込んだ張本人がJETTYであることを、私は知りました。このままJETTYがホワイトナイトになれば、ごらく堂の敵対的TOBの成果によらず、JETTYは間違いなく大株主となります。そして私の見解では、ごらく堂は株式の公開買付を継続してできる限りの株を取得し、JETTYに譲渡、R産業は瞬く間に子会社にされてしまうでしょう。

 ではJETTY以外の企業がホワイトナイトになる又は他のM&A防衛策を選択する場合の展望はといいますと、どの選択肢においても、R産業はアイデンティティを持ち続けられる可能性があるかどうか微妙な状況に陥るものと思われます。

 しかし、ホワイトナイトにJETTYを選べば、R産業は事業を吸い上げられ、アイデンティティを失い、既存事業維持以外にある人材も職場環境もすべて切り落とされるでしょう。その訳は、先程社長が話された財務諸表の話でいうならば、BS(貸借対照表)上の元手に当たる固定資産から、PL(損益計算表)上の生み出された売上げの効率が、R産業はお世辞せじにも良いとはいえないからです。もちろんPL上の販管費の縮減は課題として取り組んでおりますし、これにより営業利益を上げ、当然、配当を増やすことができれば、収益効率を充分カバーできる状況になると認識しております」

 明鏡は一口お茶を含んだ後、更にこう続けた。

「次にごらく堂の動向についてお話しします。公開買付は如何なる場合にも中止にはなりません。ホワイトナイト成立時にも買付株は買収依頼者に譲渡が約束されています。なぜならばごらく堂の敵対的TOBはJETTYによって仕掛けられたものであり、通常のTOBとは違い成功か失敗かは関係がないのです」

 この見解を聞いた従業員のざわめきは止まず、株主や役員らも驚き騒めいた。

 これに苦痛なる顔付きになった秋山社外は、

「皆さん、そ、そんな話に惑わされてはいけませんよ。JETTYは友好的関係にある企業なんですから」

 とこの見解はいいがかりであると抗議した。

 株主たちは、この抗議を却下し、明鏡に話を続けさせる。

 明鏡はニコッと笑みを浮かべ、鷹山専務と隣に座る秋山社外を見遣みやってこういった。

「この後、この見解に至った証拠開示と論理の積み上げを皆様にご覧頂きたいと思いますが、鷹山専務と秋山社外のお二方に申し開きをする時間を後程ご用意致しますので、どうぞ御ゆるりとお待ちください」

 これを受け鷹山は、

「憶測レベルの話であれば承知しないぞ!」

 といい放ったが、秋山はこの時、明鏡の態度に一抹の不安を感じていた。

 秋山は、明鏡がかつてシリウス監査法人で監査業務に携わり『鬼の明鏡』と呼ばれていたことはこれまで何度か耳にしていたが、なぜ鬼なのかを知らない。秋山は兄繁が心配していたことが頭をよぎる。秋山は攻めに転じた時の非凡さは計り知れないようだが、守りに入った後の脆弱(ぜいじゃく)振りは見るに耐えない。

 明鏡の言葉に返す言葉を見つけられない秋山は、ただ黙りこくるしかなかった。

 この間を利用して、総務課長が

「あの……そろそろ会議が二時間を超えましたので、総会規定により今から二十分程休憩をはさみます」

 とまさに空気感を読んだか読まずかの案内を行った。


 総司は総務課長の肩を叩き、

天啓てんけいとも思えるいタイミングだったよ」

 と褒め称えた。

 株主がこれまでの話で認識した内容を整理する時間と、休憩による仕切り直しという点で、明鏡の口上こうじょうが効果的になる流れができたことから出てきた総司の言葉であった。

 

 総司は明鏡とともにトイレを済ませ社長室に向かう。

「ここまで来たが、証拠はあるのか?」

「あるにはあるのですが。この場を借りて他にも確かめておきたいことがありまして。少し回り道をしながらの口上になります。この回り道で、総会後にも残るだろう課題の、そう何かヒントみたいなものを見つけたいのです」

「それは……どんな課題なのかい?」

「いえ、まだハッキリと見えてないので、今は話せません」

「それが君のイズムなら仕方ないが」

——いやに回り道について、気にしているようだが……いやいや、集中集中!——

 

「後半戦といういうべきでしょうか、鷹山専務と秋山社外の企みを阻止しましょう」


 鷹山専務と秋山社外は会場外のロビーで一番奥の壁際に座り、何やら深刻な顔付きで言葉を交わす。

「朱鷺谷の話しっぷり、あれは何か確信を持っているようにも思えるのですが、専務はどう思われますか?」

「……我々の計画に気づいていたとして、ああいう人種はハッキリしない物いいするかね。確信を持てる証拠を握ってたら、冒頭からクライマックスかましてくよるよ」

「そうですよね。我々の動きを読んだ物いいしているが、決定的な何かについては掴んではいないですよね」

「とにかくこの決議案を通したらすべて上手く行くのだから……」


 筆頭株主富士男とアクティビストの会話

「一之瀬さんは結局あの男の言動を信じちゃいない。だから神頼みならぬ『鬼頼み』してるように見えるんですが」

「楠木さんは、実際、鬼と白馬騎士のどちらを推されるつもりですか?」

「……世の(ことわり)はいずれの場合も、騎士側にあると私は考えています。売上と利益の追求がなければ我々が損をしますから。がしかし、鬼の明鏡さんは何やら騎士は白騎士ではなく黒騎士とでもいいたげで、R産業を食い物にはさせない感がとても強く感じられますね。個人的には一之瀬さんは良いアドバイザーを就けられたと申しておきましょう」

「こりゃどうも」

「まぁR産業が生き残らなければ、株主としても生き残ることはできない訳ですが、その選択権も我々にある訳ですから、彼の話を最後まで聞きましょうかね」


 封じてが読み上げられるように明鏡はこう声を発した。

「申し開きはありませんね……それでは」

 明鏡の声色こわいろの変化に会場の空気がピンと張り詰めた状態になった。

 明鏡は上着を脱ぎ、ネクタイを締め直した。そして左手にスマホを握り、会議室に設置された一五〇インチのテレビモニターにスマホ画面を繋げた。

 また、スマホの音声も会議室のスピーカーに接続した。更に明鏡はピンマイクを取り出し、スピーカーと接続を行った。

 

「さて、今モニターやスピーカーに接続しました私のスマホなんですが、この接続機能も我社が生み出したアプリに他ならず、R産業には、様々な技術やノウハウが詰まっております」

 明鏡は会場設備を一つ一つ見ながら話を続けた。

「また、この会議室は集合形式とオンライン形式のハイブリッド対応の機能を有し、雛壇二五〇席をスマホのボタン一つで、「ガタン、ガタン」ほらこの通り、デスクモニターや座席の出し入れまでできてしまいます。驚きじゃありませんか?。ここまでできますと」 

 と話しながら、経営陣と株主が向き合う間にあるスペースを歩いては立ち止まり、明鏡は語り始めた。

「では、後半戦始めますか。まずは敵対的TOBが始まる契機けいきとなった株価の暴落を起こす火種である週刊ズームの掲載記事を、誰がリークしたのかについて説明します。なんと驚いたことにあの記者会見に臨んだ者の中にリークした犯人、いや仲間を売り飛ばした外道げどうひそんでいました。鷹山専務。誰だか分かりますか?」

 と尋ねた。

「さぁ誰のことかな? さっさと話したらどうだ!」

 とあしらった。

 更に明鏡は記者会見場に現れた週刊ズームの記者の名を鷹山に問う。

「そんな奴、いちいち覚えておらんよ」

 と怒りをあらわにした。そして、

「これは一体何の余興よきょうかね?」

 と周りに向けていい放った。

 明鏡は鷹山に、

「わざわざ専務室に呼び出した、或いは、訪れた相手の名前を覚えてお見えにならないのは、果たして、役員の資質なのでしょうか? まさか、どこの週刊誌の記者だったかは覚えてお見えになりますよね?」

 鷹山専務は明鏡に対し、

「何をいわせたいのかまったく分からないな。頭がショートしちまったのか? 論旨ろんしから外れる話に、まぁこんな時間をかけてくれて、君こそ、株主総会を何だと思ってるのかね? アドバイザーの資質を疑わざるを得ないな!」

 明鏡は冷静に、

「それはこちらのセリフだ!」

 といい返した。

 鷹山は顔色一つ変えず、机を何度も叩きながら、

「いいだろう、とにかく証拠があるなら見せてみろ!」

 と大声を挙げた。

 明鏡は、なぜか突然、経営陣席の後ろにいた浪川経理部長を指名し、証言を求めた。

「ではJETTYの買収劇の始まりにあたる株価暴落を引き起こし、週刊誌に内部資料をリークした人物を明らかにしましょう。この事実を知っている唯一の証人、浪川経理部長にリークしたのは誰なのか語っていただきましょう」

 会場内はざわつき、すべての視線は浪川に集まった。この状況で浪川は逃げおおすことはできない。

「……奴は気づいていたのか?……」

 と浪川は焦る。

「いや……ないだろう。証拠なんて。そうだ……鷹山が犯人という証言が欲しいだけなのだ。それにしても言葉巧みではないか、朱鷺谷明鏡!」

 浪川はいきなり振ってきた明鏡にあせ素振そぶりを見せることなく、次のように語り出した。

 

「あの週刊誌に内部資料が掲載される二日前でありましたが、私は鷹山専務からその資料が閉じられた年の経理簿の閲覧を命じられ、専務室に同日経理簿を運びました。その後、経理簿の回収時間が午後三時を十三時と勘違いして伺いに向かうエレベーター内で乗り合わせた男が、先に専務室に入ろうとしたところを、反射的にスマホで写真を撮りました。写真を撮った理由は、資料閲覧中に外部のものが許可なくこれを見ることは、機密情報の開示となるルール違反であるため、とっさに危機管理のためシャッターを切りました。朱鷺谷さんその写真をお願いします」

 浪川の急な振りであったが、明鏡は会場のモニターに、その時の写真を待っていたかのように映し出した。

 会場内は騒然とした。

「専務が通報者なら、とんでもない話だ……」

「鷹山専務は何を企んでいるんだ……」

などの声が漏れていた。

「専務はこの写真に映る男性は誰だかお分かりですよね? お答え頂いてもよろしいですか?」

 と浪川は尋ねた。

 鷹山は答えず目を閉じたまま黙秘を続けた。

 浪川は次にこう切り出した。

「あなたは私がお持ちした経理簿からゲームの押し込み販売の取引き覚書と経緯記録書を抜き出し、内容を改竄かいざんし、これらを訪れた週刊誌記者に接写せっしゃさせた。そうですよね?」

「……リークされた取引き覚書と経緯記録書の閉じられた経理帳簿を閲覧していたことは事実である。しかし、会社の経営陣としての立ち位置の私がなぜ会社を売るような告発をするかね? そこにことわりはないだろう? リークなどは私はしない!」

 と断言した。

 浪川はその後、鷹山の前まで歩み寄った後、顔を近づけ小声で何かを呟いた。

 鷹山は浪川を凝視した。

——浪川さん、何か脅しでもかけたのか? 鷹山さんの顔引き攣っているし——

 

 明鏡は鷹山に対し、

「鷹山専務! 再度お尋ねします。あなたは我が社の経理情報をこの写真の男に渡しましたね」

「……」

 明鏡は続けて鷹山に、これで思い出されますかと、テレビモニターに週刊ズームの唐田の顔がハッキリと映る写真を映し出した。

 会場内は騒つく。

 明鏡は浪川に続き、鷹山専務に詰め寄る。

「モニターを良く見て下さい。写真に映る人物は、先日の記者会見で私が相手をした週刊ズームの唐田です。今左に映し出した動画の静止画から、会見場の出入口にいるこの人物、拡大すると、見て下さい。同一人物です。

 つまり、鷹山専務がこの日お会いになられていた人物は唐田です。これがいつの写真であるかは、皆様も疑いのないことでしょうが、浪川経理部長の証言と違わないことが証明できましたね」

 と解説した。

 鷹山は引きりながら、

「たとえこの男と会っていたとしても私がリークした証拠にもならないし、私が犯人だとするならば、この押し込みの指示者を現社長にはしない。株価を下げるだけであるなら、先代社長の責任になっていた方が、会社の再帰はさせやすいからね」

——にらんだ通りの発想。やはり鷹山ではないか?——

 

 明鏡はこう話した。

「ここまでの証言と証拠から、これを聞いていた皆さんはあなたが悪足掻わるあがきをしているとしか見えないことを、あなた程の方が気付かないなんて、滑稽ですよ」

 富士男が声を挙げた。

「この取引きについて当時のいきさつを良く理解しているはずの君が、どうしてこんな事態を招くんじゃ。おかしいと思わなかったかね? あれを指示したのは私じゃぞ! 君が改ざんしリークしたのか?」

 更に会場騒つく。鷹山専務は、

「おかしいと思うも何も、改ざんのことは私は知らないし、リークも私ではない!」

 と何度も否定し、続けて、

「俺はあのゲームソフトの第二弾の初回生産ついて慎重になるよう事業部を説得したが、あなた方は耳を貸さなかった。そうだろ? あの当時家庭用ゲームソフトの販売がゲーム産業界では過渡期かときにあったのだが、第一弾が世界的大ヒットを受けた勢いで第二弾も行けるといい切って、社長であるあなたは私の忠告を聞こうとはせず、事業本部長である息子の意見を聞き入れて進めたではないか。挙句あげく販売不振で大幅な赤字を恐れて、版権まとめて叩き売りしたんじゃないか」

 富士男は、これを聞き、鷹山の意見を聞き入れず強行販売に踏み切った自分の判断が誤っていたことをこの場で認めた。

 その上で富士男は、

「改ざんした取引き覚書などをリークした問題も、朱鷺谷くんが会見で上手くやり過ごしてくれたから、R産業の倒産という最悪の顛末てんまつは避けられたのじゃが、状況次第では、そうなっていたかも知れん」

 と富士男は熱弁した。

 それでも鷹山は改ざんとリークを認めなかった。

 

 鷹山はこれまでひたすら改ざんやリークを否定して来たのには理由があり、この実行犯は浪川ではないかと推測したが証拠がなく、また、唐田との関係性を表に出せば、あの匿名とくめいでリークされた改ざん情報を確認した時に、なぜR産業のため掲載を止めなかったのかという問題を問われかねない。

 確かに、この掲載は渡りに船であり、鷹山がこれを後の流れを呼び込むための引き金にしようと進めたのは事実であった。

 

 鷹山はこう返答をした。

「盗撮までして作った証拠が、真実をじ曲げる瞬間を初めて見たわ。でも、真実っていうのは見えないのが本質なのかも知れんね。良いでしょう。その不実を受け入れましょう。それがあなた方の真実ならば……」

——鷹山さん、改ざんもリークもカオスというんだね——

 

 この開き直った鷹山の言葉に、会場内は、改ざんとリークが鷹山によるものであると想定内に収まったという安堵感に包まれた。ただ一人違和感を覚えた明鏡と真犯人を除いては……。


 続けて明鏡は、モニターに別の写真を映し出した。

 会場は騒つき、ある株主が声を挙げた。

「ここに写っているのはごらく堂の霧山じゃないか? なぜ鷹山専務や秋山社外取締役が一緒に写ってるんだ?」

 株主は秋山社外取締役に問う。

 秋山はパニックに陥ったかのように挙動がおかしくなる。

 ある株主が、

「朱鷺谷さん。どういうことなのか教えて下さい」

 と明鏡に真相を求めた。

「これは数日前の二十時に撮影された加工なしの写真です。出所は明かせませんが、実際の写真であります。左からR産業の鷹山専務、秋山社外取締役とMEGAファンドの霧山雄山とごらく堂の霧山開であります。これは赤坂の料亭東雲(しののめ)で会食している様子が写っています」

 と解説をした。


 次に音声データを流した。

 

「秋山だが、ごらくの公開買付は集まりそうか?」

「順調ですよ。もう直ぐ最低ラインに到達しますよ。詳しくは明日の会食で。お待ちしております」

「申し訳ないが、明日は都合がつかなくてね」

「承知致しました。では又お声かけさせて頂きます」

「よろしく頼むよ。霧山くん」

「はい。こちらこそ」


「これはJETTY代表秋山繁とMEGAファンド代表霧山雄山の会話で、料亭東雲での写真が撮られた前日のやり取りであります」

 明鏡はそう解説し、更に音源を流した。


「ホワイトナイトの件は決まったのか?」

「ああ、大方決まったようなもんだ! 取締役会はこちらの狙いどおり満場一致だった。後は株主総会の承認さえ出れば完了だ」

「大丈夫なんだろうな?」

「社長も私に一任しているんだから、問題なかろう?」

「それならいいが、あいつにはアドバイザーがいるだろう? シリウスの鬼が!」

「大丈夫さ。その鬼がホワイトナイトを推奨してるんだぜ」

「そうか。なら……計画どおりにことは進むか」

「兄貴の方こそ、段取り抜かるなよ!」

「じぁ楽しみにしてるぜ」

「カシャ」


「この会話は、JETTY代表秋山繁と秋山社外取締役が、先日の役員会が終わった直後に連絡を取った会話になります」

 明鏡はその解説した。


「これらの証拠が導く真実は、禁断の領域に踏み込んだ買収劇がR産業に襲いかかっていることを、我々は知らずにいた、ということでしょう。その買収劇は役者五人が内外からR産業を陥落かんらくさせる知能劇で、そのシナリオも秀逸しゅういつであります」

 明鏡は鷹山専務と秋山社外を見ながら口上を続ける。

「JETTY代表秋山繁(あきやましげる)は鷹山専務と同郷で幼なじみで、繁の弟の秋山栄あきやまさかえ社外を加えた三人は幼少期からの仲間であります。鷹山専務は秋山栄を社外取締役に推薦したのもこの買収のためだと思われます。社外はMEGAファンドの代表をしていた時、従えていたのが霧山雄山であり現在のファンド代表であります。そのファンドの子会社がごらく堂であり、霧山雄山(きりやまゆうざん)の娘婿の霧山開きりやまひらくが代表をしているのです。

 つまり、私が先程筆頭株主さんに聞かれお話しました買収劇の分析でいいますと、ここまで秀逸に仕組まれた買収劇に、R産業の尊厳(そんげん)は残される余地はなく、JETTYに事業は吸い上げられ、収益改善としてコスト縮減により、人員削減などが進められます。R産業はゲームメーカーとしての強いブランド力があるため、ゲームに特化した会社へと作り変えられるでしょう。鷹山専務が描いた通り」  


 明鏡は鷹山に一礼し、続けて敵対的TOBを進めているごらく堂の動向について説明を行い、R産業の未来を語る。

 

「二日前の十五時現在で公開買付の応募数が三十一%付近まで到達していると開示されており、おそらく数日の間に買取最低基準となっている三十四%に到達すると見込まれます。オンライン参加も含め今回の株主総会に出席されている方の中にも、この総会の内容から株式の保持売却を決めようとした方も見えたと思います」

「ハッキリと申し上げます。スマホブランド『Fitz』を展開するJETTYが求めるものはR産業という箱物ではなく、『ZETLINK』や『COCOECO』などの定番化した事業や、『Dライセンス(仮)』という国家プロジェクト独占的事業となるスマホアプリを手に入れることであることは明白であります。

 株主の皆様にはもう想像いただけたかと思いますが、JETTYは事業を吸い上げた後、利益を追求する企業体質を生み出すため、経営陣の刷新や、事業に直接関わらない従業員の多くをリストラや出向させて会社規模を縮小し、どうでしょう、R産業はゲーム業界の知名度を生かして、そうゲームシステム『リアライズ』をブランド化してこれを扱う専門メーカーになるやも知れませんね。

 そんな未来をR産業は望んではいません。

 実は私がアドバイザーとして赴任する前から、社長はR産業を飛躍的に成長させようとある計画を考えて見えました。ホールディングス化であります。赴任した日に私はこの話を受け、既にスキームを完成させています。

 株主の皆様、社長一之瀬総司の経営センスや手腕しゅわんは他の企業経営に比べ数段優れており、これまでの事業の成功が、動かぬ証明であると思います。

 R産業は必ず近い将来、世界をリードする企業になると私は確信しています。だからこの買収は避けなければなりません」

 とこの先のビジョンを語った。

 ファンド系株主でアクティビストの楠木が総司に問う。

「朱鷺谷アドバイザーの話具合では、ホールディングス化を水面下で計画しているとの話だが、いつ始めるつもりなのか?」

「近年の国家プロジェクトのマイナンバー制度導入前に個人情報保護にかかるセキュリティ面での条件が特に厳しかったと分析しており、これをDライセンス(仮)に置き換えた場合に現状の情報管理システムではクリアできないと判断したため、以前承認を得ました新規の完全子会社|DBN《データライセンス ベース ネット》でAIを除くすべてのDライセンス事業(仮)の準備を進めております。

 楠木さまの質問の意図は、Dライセンス(仮)の完全実施前のホールディングス化は、事務量、経費や導入時期を遅らせかねないというものだと理解しました。

 しかし、Dライセンス事業(仮)は、元々セキュリティ専門会社として立ち上げたDBNで開発してきた事業のため、ホールディングス化の影響はないといえ、Dライセンス事業に捉われることなく本日からでも進められます」

「うん、なかなかなものです」

 と楠木はこの先見性せんけんせいに感服した。

 明鏡が視点を変えて株主に向けて話し出した。

「敵対的TOBを仕掛けたごらく堂がホワイトナイトになろうとするJETTYの指示でM&Aを進めていたとしましょう。

 投資家である株主の皆様には、このM&Aにより株価や配当が上がるかが気になるところと存じます。

 答えは、買収したJETTYの株価は上がり、R産業の株価も引き上げられるでしょう。

 しかしこれも束の間で、JETTYはごらく堂の株式を合わせてR産業を子会社にできますので、R産業の事業はJETTYに吸い上げられ、R産業は鷹山専務の話していた『リアライズ』を扱うゲームメーカーになり、単一事業会社に変わり、結果、株価は下がるでしょう。

 つまり、JETTYはホワイトナイトで筆頭株主になるだけでなく、株式の過半数を占める親会社になってしまいます。これでは会社も株主も守ることはできません」 と説明した。

 アクティビスト楠木の発言が、株主全体の意見をまとめた。

「私もR産業の損益計算書や貸借対照表を見て思ったことがあります。それはアプリ開発がメインの会社ならば営業利益が出し易いはずなのに、売上の一割程度であり、売上原価が六割であることから収益構造の見直しの余地があるように見えます。

 しかし、このような状況で資金調達面では融資割合が多いのですが、それはなぜか……? それは多くの事業が好調で社会構造を創り出し、また期待される新規事業への取り組みがなされて、かつ不安要素が少ないと評価されているからではないかと思います。R産業は資金調達方法を投資に頼らなかったからこそ、株価が高水準を保ち、我々株主の利益が守られていて、多くの株主は一之瀬社長の手腕を認めているからこそ経営に大きな口を挟まなかったのでしょう。この仕組みであるからこそ、R産業の躍進があるのだろう」と。

 明鏡は「その通りである」と答えた。


 そして明鏡は難局を乗り切る算段を次のように発表した。

「現在のR産業の発行株式のうち、TOBを進めているごらく堂の株式取得を抑えるため、経営陣が変わればクラウンジュエルが発動するとごらく堂に警告すれば、JETTYの買収意欲はなくなり、結果、ごらく堂は目的を失いTOBを中止するでしょう。株主様の利益を守るため、理解をお願いしたい」

 と明鏡は株主に伝えた。


 筆頭株主は明鏡にクラウンジュエルについて問う。

「クラウン……ジュエル……っていうのは、昔にIT関連企業が放送局を買収しようとしたあの話か?」

「まぁそんな感じの話でしたかね? 詳しく知らない人はIT企業がテレビを乗っ取るって記憶しているかも知れませんが。あの企業は中身は非上場企業(ベンチャー企業)の株を買い、上場させて株価が上がったら売却するベンチャーキャピタルなのです。ざっくりいえば投資会社ですよ。あの時の防衛策の一つがクラウンジュエルになります」

 と明鏡は話しながら、この防衛策の結末についても言及げんきゅうした。

「あの買収劇は、どういう訳かラジオ局がテレビ局の親会社になっているねじれた関係があることに気付いたIT会社が、株価の安いラジオ局の株を買占め、テレビ局を手に入れる筋書きであったようですが、結果は失敗に終わっています」

 富士男はクラウンジュエルで何をするつもりなのかを明鏡に質問した。

「R産業のすべての事業が買収完了とともに停止することになると警告します」

 会場内が騒つく。

「事業が停止? まったく分からん。皆もそうだと思う。もう少し分かりやすく話して貰えんかね」

 と富士男が問う。

 明鏡はこう答えた。

「分かりました。単刀直入に申し上げると、R産業の『COCOECO』『ZETLINK』など主軸アプリを始め数々のアプリで使用される世界最高峰の呼び声高いAIのノイマンブレインが使用停止となります」 

「ん……小出し過ぎて、勿体振らず分かるように話してくださらんか?」

「そんなつもりはなかったですが、すみません」

 と頭を下げた後、ことの経緯を踏まえて話し出した。

「水面下で用意していた秘策があります。それはM&Aにより一之瀬社長が解任された場合、R産業すべての事業でAIとして使用しているノイマンブレインが使えなくなる付帯条件付知的財産使用契約であります。一之瀬社長が解任された場合に、以前R産業が譲渡を受けたSSEの株のうち三四%は必然的にR産業からSSEに無償返還となる契約があり、その中にこの財産使用契約が含まれており、SSEからの一方的なる契約解除ができる規定が盛り込まれています。

 その契約は株主総会の承認を表面上受けていませんが、株式譲渡契約書の中には別に定める契約を条件とする一文が明記されており、実質的には承認いただいたものとなります。  

 また、R産業の傘下にある非上場子会社のSSEは、先日の子会社化の際に、R産業は六四%の株式を保有していましたので、一之瀬社長が不本意な形でR産業から追い出されれば、R産業はSSEの経営権を失うばかりでなく、この条件からもR産業ではノイマンブレインが使用できなくなり、様々な事業がおそらく窮地に追い込まれる流れとなります。またSSEは非上場であるため、R産業は経営権を取り戻すことができなくなり、恐らく経営破綻の道のりを辿ることとなるでしょう」

 と公表した。

 ある株主がこういい放った。

「そのSSE株の取引きはインサイダー取引きでないか! 我々株主が不利になる恐れがあるから、違法取引きだ!」

 これに対し明鏡は、

「今私が皆様に秘策を公表する前にこの事実を知る関係者がR産業の株を売却していれば、その関係者はインサイダー取引きにあたるのでしょう。しかしながら、皆さんにおかれましてもこの情報を持って株を売却すれば、それこそインサイダー取引きにあたるのかも知れません。また、このSSE株の譲渡はM&A始動前にあり、しかも上場株でないためインサイダー取引きにはあたりません。この仕掛けこそがM&A防衛策を撤廃しているR産業の保身策ほしんさくとしてのクラウンジュエルになります」

 と述べた。

 富士男が確認した。

「通常のクラウンジュエルによる事業譲渡であれば、株主総会で三分の二の可決を得なければならないため株主に選択権が担保されるが、今回の場合はM&A予防策は水面下に存在しており、しかも株主に選択権がないクラウンジュエルが用意されていて、ホワイトナイトを選択してもしなくとも経営者が変わればR産業は倒産するものと受け止めればいいのかね。これがあなたのいった『R産業のアドバイザー』ということなんだね」

「そのとおりです。現在、国は『敵対的買収』という表現を『同意なき買収』といい方に変えて来ています。コーポレートガバナンスにある株主の立場を踏まえた透明感のある公正、迅速かつ果断な意思決定を求める上で買収は避けられないものとなり、成長戦略に於いて必要と判断されれば、どんな形でもM&Aを実施することがセオリーになります。買収対象の企業の賛同が得られない場合にこれを『敵対的』と表現されていると、この買収が金にものいわす悪事と世論は受け止めかねず、買収側は企業イメージを落とし、風評ふうひょう被害により業績を落としかねない。

 よって『同意なき買収』という表現は、コーポレートガバナンスにおいて合理的表現であり、国は買収を後押しするものと私は受け止めています。これによっていえることは、買収は株主にとっては肯定されるべきこととなります。

 しかしながら、買収側がだまちのような形で買収を実行している場合に、R産業側にシナジーを求めることは難しいと思います。具体的にいうならば、JETTYはR産業から事業を吸い取るためにM&Aを行うつもりであるのでしょう。ですから、R産業はJETTYを全力で拒絶する必要があるのです」

 と明鏡は己の意思を経営陣や株主に伝えた。

  

 総司からSSEと交した株式譲渡契約書などのデータがモニターに送られた。

「これが朱鷺谷アドバイザーが説明した根拠になります。先月から五年先までノイマンブレインブレインの使用許可はR産業代表取締役が一之瀬総司であることを条件に出され、それ六年目以降はR産業とSSEとの協議により使用延長の期間を定めることになっています。R産業には慶次AIがあるとお思いになられる方も見えるかも知れませんが、慶次AIはノイマンブレインの後継にあたり、若干の違いを除けば同じであるため慶次AIに特許は付きません。

 つまり、ノイマンブレインのR産業仕様が慶次AIと考えてください。この事実は私も先日知りましたが、このR産業の事業の核となる慶次AIが正式に使用できるようするために、SSE代表の一之瀬慶次との協議により、このような使用契約を結ぶ流れとなりました」

 

 総司の説明を受けた明鏡は次に、社長解任案について言及する。

「SSEは、先日R産業の子会社になるとしてR産業に六六・七%の株式を譲渡されましたが、うち三三・四%が社長解任による返還などの条件が付されているため、総司社長が解任されたら、R産業はSSEをコントロールできなく窮地に追い込まれます。非上場ひじょうじょうですから打つ手がなくなります」

 明鏡は鷹山を見やり、

「鷹山専務からJETTY代表秋山氏に今日の結果が報告されれば、また、買収劇をあきらめ、ごらく堂も手を引くでしょう」

 と話した。

 株主らは、なぜそうなっているのかを明鏡に問う。

「これはR産業の経営陣内で戦国乱世のような覇権争いが起こっていたからだと思います。代表はR産業のために力を振るい、周りは自分のために力を振るう。こうして流れ着いた結果が、R産業を窮地に落とし入れるM&Aに繋がったのでしょう」

 と明鏡は説明した。


 ホワイトナイト案は否決され、次に、R産業の株価暴落を引き起こした責任について一之瀬総司社長解任の議決案が審議される。

「我が社の株価を下げた責任は重く受け止めて頂きたいが、ここまで聞いて見た限り、解任の必要性はないといえるだろう。いや、解任はできない」

 と笑みを浮かべた富士男の発言に周りは賛同した。

「一之瀬社長は、自身の保身ではなく会社のため株主や従業員のために尽力していると認めなければ、我々が悪意を持っているといわざるを得ない状況になってしまうな。皆さんもそう思いませんか?」

 とアクティビストの楠木が発言した。

「それよりも、背任行為という点では、鷹山専務と秋山社外を解任すべきではないか?」

 という意見が株主の中から出て来た。

 これを受けてアクティビスト楠木から

「役員会からの議題にはないが、両名の解任に意義のある者がいるか、挙手を願いたい」

 と投げかけがあり、三分の二を超える株主が挙手をしたのだ。

 筆頭株主の富士男は、

「株主を代表して申し上げます、我々株主は鷹山専務と秋山社外取締役の解任を勧告します」

 と高らかに宣言した。

 会場にいた株主らの賛同の拍手が鳴り響き、モニターを見ていた従業員らは歓喜にいた。

 


 無事、臨時株主総会をやり終え、明鏡がまず先に向かったのは監査室であった。

「先生! いやぁ、お疲れ様でした」

 と明鏡に気づいた小林がねぎらった。

「小林くん。証拠資料ありがとうございました。おかげで思い通りにやり切れました。本当に感謝です」

「まぁ、先生。お茶菓子もありますから」

 見たことのある和菓子が、テーブルに置かれていた。

「会長さん?」

「筆頭株主の一之瀬会長がわざわざ監査法人室を訪ねてみえて、たまたま通路で見かけた私に、『先生に渡してくれ』と羽二重餅はぶたえもちを置いていかれました」

「明智さんは?」

「先程、その一之瀬会長とどこかへ出られましたよ」

「そうなんだ」

「先生、これ美味しいですね」

「美味しいんですよ。たしか国府宮《国府宮》の銘らしいよ……」

——先代と明智さんは繋がっていたんだ——


「先生。先程の臨時株主総会でのことなんですが、お聞きしてもいいですか?」

「ん? どんなことですか?」

「まず、不思議に思ったことは議案の順ですが、これまでの責任を問う新体制にかかる社長の解任・選任案があるにもかかわらず、M&A防衛策の決議案が先になっていたことです。その流れがあったからこそ先生の謎解きにより、社長解任もなく、合理的かつ適切にことが運んだとは思いますが……まさか、これも先生が仕掛けたものだったのですか?」

「おおっ、小林くんは秀逸ですね、と言いたいとこだけど、そうではないだ。高山専務さ」

「ええ、そうなんですか?」

「鷹山専務が決議案の順番を入れ替えるよう周りの取締役をねじ伏せたのさ。不正取引疑惑に端を発する株価の暴落の責任を問うて、新体制で対策を決めると解任選任を先にすると思っていたのが、防衛策を第一議題に指名してきたんだ。アンナチュラルな感じだったが、我々にとってはまさに九死に一生を得た状態だったよ」

「そうだったんですね。そうそう、先生。謎解きの手順についても聞きたかったのですが」

「手順ですか?」

「はい。SSEの譲渡株六六・七%のうち三三・四%が社長解任により無償返還される勝手な取り決めを、株主総会で認めさせた事になってますよね。正直、株主らが会社経営を私物化したようなこの仕組みを認めるなんて、おかしな話になりませんか?」

「そうですね。そういう意味で手順が重要になっていたと思います。普通なら認められない提案も、命綱となって終えば、すがりつくもの。そんな単純な心理を利用して、謎解きを進めていきましたね。SSEを子会社にした時にこっそり仕掛けた非公認ともいえる条件を、公認してもらうことができましたし」

「先生はやはり神職人です」

「まっ、ありがとう」

——筆頭株主が思いの外、私の意見を重要視してもらったり、株主らを私の考えた流れに導いてくれたりされたのは、多分、明智さんの配慮があったからなんですね——

 

 次回は最終章である第4章マジックボックスです。

 明鏡はR産業に潜む本当の敵を仕留めることができるのか?

 乞うご期待!

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