第1章 ノイマンブレインズ 後編
AIの特許がない事、そしてR産業とSSEのAIにかかる取り引きの真相に迫るため、浪川経理部長にアポを取り経理部長室に明鏡は赴いた。
「失礼します」
「はい……どうぞ」
「先日は調査協力ありがとうございました。今日お邪魔したのは他でもない、浪川さんから教えて頂いたSSEについてお伺いしたいことがありまして。……慶次副社長の個人の財産管理を行う会社なんですね……。単刀直入にお聞きしますが、SSEは我が社とどんな取り引きしているのか、ご存知ですよね?」
「取り引き……とは?」
「私が、今あなたから聞きたい取り引きですよ」
浪川はひと呼吸してから
「辿り着きましたか……。そうですね、僕なりの恩送りのつもりだったのですがね」
——恩送り? 何の話か? この人の話は、頭出しがいつも意味深すぎるな——
「どういうことか説明いただけますか」
窓の外を覗いていた浪川に明鏡が詰め寄った。
「慶次AIとノイマンブレインはプログラムがほぼ同じと見受けられますが、ここにどんな意味が隠されているのか? 私が知りたいのは、ノイマンブレインのR産業版が慶次AIであるのかどうか? またSSEは、ノイマンブレインの単独使用権をR産業に認める契約をしているかどうか?」
浪川はチェアーを半転させ、明鏡の目を見ながらこう話した。
「その答えは、羽島常務が管理している契約書にあるはずだ。契約書に何が書かれているかは私も知らされていないが、間違いなくそこに慶次AIがR産業で使用されている理由がハッキリと記されているはずだ」
「浪川さん。でも……なぜこの話しを……」
「羽島常務は、これまで私を公私共に育て引き上げてくれた方なんです。羽島常務が財務部長時に先代から預かった極秘案件で、役員会に諮られる事なく常務が当初契約にかかる取り決めを行い、今なお常務が契約書簡を管理している。常務は天涯孤独の独り身だから、会社は常務一人にリスクを背負わしているのではないかと思える程です」
——あなたは育ての親である常務を天涯孤独と突き放してしまいますか——
「いろいろ分かってきました。それでは是非とも、羽島常務に協力頂けなければなりませんね」
「いや、それは無理だと思う。この案件は表沙汰になれば、会社が倒産しかねないレベルの問題のため、羽島常務が自ら開示することは有り得ないでしょう」
——あなたは何を知っているんだ?——
「浪川さんは何故そのように思われるのか? また、何故私にこのことを話したのですか?」
「羽島常務の指示は私にとって絶対であって、この契約案件の真相は知らされていませんが、知ろうとする者がいたら黙らせるのが私が指示されたことでした。
しかし、私の知らないところで誰かが真相を知り、羽島常務の抱えてしまった案件を上手く解決に導いてくれたなら、という思いもありました。そんな時、あなたが知的財産の調査依頼をされた時にピンと来て、SSEをメモしたのです」
「なるほど……」と明鏡は腑に落ちた。
——秘密にしている内容を誰かが知ったらって、どんな薄い期待しているの?——
そして明鏡は少し角が取れたように感じた浪川に対し、今後、力を借り安くするため、ZETLINKのアドレス交換をした。
総司社長から明鏡に進捗を確認する内線電話が入った。
「リミットまで残りあと二日、調査の程は……」
隠しきれない不安な声色に応えるよう、明鏡はこう返した。
「舞台の準備が必要になります。そのため急で申し訳ありませんが、明日、取締役会室に副社長を始めとする関係者を集めて頂きたいのですが。調整をお願いできますか?」
「……集めればいいんだな! 分かった、何とかしよう! それで時間はどうする」
「そうですね……Dライセンス(仮)の資料提出期日まで猶予はないのですが、私なりの準備がギリギリ整うだろう明日午後三時が、R産業にとって最初で最後の勝負になるでしょう」
「それに乗るしかないんだな!」
「そうですね……乗って頂くしかありません」
Dライセンス(仮)のAI特許にかかる書類提出期限二日前の本日午後四時頃、明鏡は漸く特許不明の鍵を握る羽島常務に辿り着き、常務室に赴いていた。
「トントン……ガシャ」「失礼します」
「ああ……どうぞ」
「アドバイザーの朱鷺谷と申します」
「……何か御用ですか?」
羽島はチェアーの背を向けたままそう答えた。
——何か無骨過ぎだし——
「ええ……常務に単刀直入にお聞きします」
「……」
「常務が秘密にしている慶次AIにかかるすべてを開示して頂きたい!」
羽島の顔が曇る。
「藪から棒に何をいうかと思ったら……お前は何様だ! 失敬な!」
——あーあ、この手のタイプまだいたんだ——
「無礼千万、SSEとR産業の契約書を開示下さい」
「……フフッ、あんさんは噂に違わぬ『鬼の明鏡』はんや、ズバーッと切り込んできよるわ。何のことでっしゃろと切り返す間もおまへんな。ところで、どこであんさんはそんな根も葉もあらへん話を吹き付けられたんや? いうてみや!」
「まあ……こちらにもいろいろとありましてね」
「そっ……まあ、かまへんよ」
「では、開示してもらいたい!」
「あーいや、参るね……明鏡はんにお話しできる事は、何にもおまへん。お引き取り下さい」
——話閉じたな、悪代官め!——
「分かりました……では引き取る前にお一つ……」
左手に持っていた封筒を羽島に突き付けた。
「なんやそれ、もったい付けよってからに!」
「では……」
といい、明鏡は事前に取り寄せていた書類を封筒の中から取り出して、羽島に見せつけた。
「ん? こっこれは……、どうしてあんさんが……」
立ち上がった羽島は狼狽しながら、その書類を確認した。
明鏡は羽島から書類を取り上げ、こう切り出した。
「明日午後三時、羽島常務も取締役会室に呼ばれていますね。そこで私がすべてを明らかにします。そして罪には罰を与えます。いいですか! 鬼は情け知らずなため、お気を付けて下さい! それでは失礼します」
残された羽島は、ただ立ち尽くしていた。
総司はR産業の進退がかかった明日の取締役会に向け、最悪のシナリオ進行を避けるための防衛策を独自に準備していた。
その策とは、SSE代表でもある慶次副社長の背任による更迭、並びに発明品横領による刑事告訴及びノイマンブレインの特許無効化であった。
総司の知る限り、慶次AIはSSEのノイマンブレインの後追い発明品ではなく、ノイマンブレインこそが慶次AIの後追い発明でしかないと考えていた。
その根拠は、慶次AIの開発コンセプトはRAIの後継であることを当時の状況から知っていたからだ。
ノイマンブレインが慶次AIの模造品であると立証するため、RAIの生みの親である天才佐久田に依頼して、それぞれのAIの設計について調査をさせていた。
また総司は、今回の特許がない事態を肯定するための道筋も探っていた。慶次AIについては、ある出来事を基に世に公開された発明品であると仮定することで、慶次AIは当然の如く特許を持たないという道理を立てようとしていた。
更に慶次AIが特許を持たざれば、後継であるノイマンブレインは当然特許を登録できない事になるという筋道も用意していた。
一方で慶次は、ノイマンブレインはオリジナルに他ならないAIなのだから、誰にも反論させる余地はないと揺るがぬ自信を持っていた。
また、ノイマンブレインと慶次AIの取り扱いについて、羽島常務との取り引きで秘諾していることは事実であり、万が一表沙汰になれば、R産業が破綻するほどの信用失墜となるため、何が何でも隠し通す必要があるとも、強く認識していた。
羽島常務はノイマンブレインにかかる一切について役員会にかけていない事態を当然のごとく背任と認識している故に、何も語るつもりはなかった。
ただ、明鏡が握るあのことについては気がかりではあった。
浪川は羽島常務に対し感謝の念を持っていたが、一之瀬一族への強い復讐心が優っていた。その結果、一之瀬一族の経営するR産業を崩壊させる舵取りを始めた。
羽島常務が慶次AIの秘密を握っていることを、特許の行方を探っている明鏡に漏らし、SSEという謎解きまがいのヒントを与えたのだ。
今回、羽島常務の秘密案件が表に出れば、R産業の破綻への期待が一気に高まると、浪川は高揚していた。
明鏡は、明日を終着点と見立て、R産業の諸事業の要である慶次AI或いはノイマンブレインを、R産業の知的財産として位置付けることにより、この案件を収束させようと考えていた。
AI特許にかかる真相が究明されても、R産業にとって今後の安泰に繋がるとはいえない状況ではあるが、このままの状態を続けても先はまったく見えてこない。
そんな煮え切らない現状で、AI特許の謎解きとその後の展開により、事態が好転するためのシナリオを明鏡は模索していた。
「さっきから悩んでいるよね。どうしたのかい?」
と神楽は心ここに在らずの明鏡に近寄って声をかけた。
「そうだ、神楽はご両親とはいい関係が保てているかい?」
「そうね……離れて生活してると、一緒にいる時よりも心配になるかな。いい関係とかじゃなくて、上手く生活できてるかなとか気になるかしら?」
「そうか、ありがとう」
取締役会当日の午前十時二十分、監査法人室にて明鏡は監査役の明智と小林から報告を受けていた。
明鏡のちょっとした感で、自身が調査した結果が予測と少し違うところを、明智らの情報と擦り合わせようとしたのだ。
何といってもR産業は、最先端のサービスを提供する会社だけあり、組織も職員も斬新過ぎて、従来の会社感覚では理解ができない部分が多い。
食堂で昼食を済まし、監査法人室で待機している、午後三時まであと二時間前のことであった。
明鏡は九階通路の突き当たりに新たに設置されたコーヒーの自動焙煎機に、コーヒーを買いに行った。二三日前に業者が運び込んでいるのを見ていたが、今日が初のご対面。職員証を翳した。
「何にしようか。オッ、マダガスカルとは何だろう。ブラックでポチッ」
八十秒とタイマーが点灯し起動し始めた。
「何か凄いな、この会社の自販機。前回の注文したものが表示されて、更に割引が入るみたいだ。更につまみまで選べるのか」
と呟いた。
「まだ何か書いてあるな。何々、災害時には、無償でアルカリイオン水を予備電源と予備タンクから五百L提供できる」か。
明鏡はR産業のアイデアなのか、他社のアイデアなのかは分からないながらも、災害対策にもなるこの自販機に脱帽した。
明鏡はホットコーヒーを部屋に持ち帰った。そして香りを楽しみながら飲み干した。
午後三時になり取締役会室に関係者が参集した。
そしてこの会合は、秘密裡に始まった。
総司社長席から時計回りに慶次副社長席、羽島常務席と並び、社長席から半時計周りに倉田財務部長席、浪川経理部長席、柳瀬開発事業部長席、そして明鏡席が設けられた。
開発事業部席後の出入口付近には桜田秘書と今回特別参考人として佐久田元開発研究室主任が席を構えた。
招集された面々が揃ったところで、総司社長から挨拶がなされた。
「この度は皆様にはお忙しい中、ご参集いただきありがとうございます。参集理由につきまして倉田財務部長からお話しいただきます」
「では、今回ご参集いただいた理由についてお話し致します。R産業の展開する諸事業にて核となるAIについて、特許登録がなされていないという事態が発覚しました。しかしながら、R産業内では自社の知的財産として何の躊躇もなく利用されているところでございます。少なくとも財務部の立場から申し上げますと、権利登録がされていない資産は管理できない資産であり、仮にも我が社の主力事業の中枢となるAIが、この管理できない資産であるのであれば、社にとって非常に危機的事態と捉えられ、早急なる対策を備える必要があります」
と説明がなされた。
「倉田くん、ありがとう。では本題に入りたいのだが、この会合は非公式で実施するにあたり、粉飾、横領など不正を追求する目的ではなく、あくまで今後の事業を安全かつ円滑に進めていくために対策を立て、更にAI特許登録または使用について、知的財産を管理下におけるよう調整することが目的となります」
と総司は述べ、進行をアドバイザーである明鏡にお願いした。
「ご指名いただきましたアドバイザーの朱鷺谷です。会の進行役というより真相究明への案内人ということになります。あくまで真相究明と対処にこだわる事になりますので、よろしくお願いします」
と明鏡は辛辣に口火を切り、こう続けた。
明鏡は席を立ち、社長席と財務部長席の辺りをゆっくりと歩きながら語り出した。
「慶次副社長、あなたが発明された通称、慶次AIについてはご存知でしょうか?」
「朱鷺谷さん、私を愚弄しているのか? 私が開発したAIだぞ! 知るも何もR産業にとって大切で且つ重要な財産でないか。何を惚けたことを抜かすか!」
「冒頭から暴投で失礼しました。では気を取り直していただいて、改めてお尋ねします。重要な財産がどうして特許で守られず適切な管理下に置かれていないのでしょうか?」
「私が聞きたいくらいだ! R産業の発明品であり、会社が適正な管理を行なって来なかったところに問題があるのではないかね、倉田財務部長!」
と慶次は財務部長に食いついた。
「我々財務部がこの事態に気付くのが遅過ぎたことは認めます。しかしながら、我々が調べた限り、特許申請に係る書類が、財務部内にはまったく残っていない事も事実で、発明品は速やかに特許申請、登録に向けて手続きされるはず。しかし、これだけ重要な発明品であるのにも関わらず、形跡一つないというのもおかしな話。発明者の副社長自身が特許にかかる事情について何ら知らないというのも、随分な話ではないですか?」
と倉田財務部長も抗弁した。
「管理一つもできない愚職なあなたが、財務部長とは聞いて呆れるわ」
と慶次はいい放った。
「まあまあ、慶次副社長、気を取り直して続けましょう」
「やい、朱鷺谷! いちいち気に触る物いいするのやめてもらいたいな!」
と明鏡を牽制した。
「先程、副社長は適正な管理ができていないところに問題があると言われましたが、その適正な管理とはいったい慶次AIをどうしていたら良かったのでしょうか?」
と明鏡は逆質問を行なった。
「それはだな……発明品には確実に特許を受けることだ! 鬼の明鏡がなぜそんな当たり前のことを聞くんや! いい加減にしろ!」
と慶次は苛立ちを隠せない。
「では質問の仕方を変えます。なぜ特許が取れなかったのでしょうか? その訳をお教えて下さい」
と更にせっついた。
「何で私に聞く! 関係ないだろ。会社の発明品なんだから。そんなことも知らずにアドバイザーしとんなよ! 笑わせるな!」
と反撃を開始した。
「では……更にお尋ねいたします。慶次AIは会社の発明品であるとお認められるのですね?」
「当たり前だ! 皆が知っている事実だ!」
「副社長……特許がないということは慶次AIは公表された発明品なのですか? お聞かせください」と詰め寄った。
「公開? どういう意味だ?」
「分かりませんか?」
「だから私でないだろ。聞く先は。社長! 答えてもらえますか」
これを受け、総司社長はこう答えた。
「確かに会社としては、事業の核になる慶次AIについては、特許がある知的財産として認識していたため、諸事業の特集がマスコミで組まれた際に、設計を公表していたから、我が社が特許を取っていなければ、つまり、慶次AIは世に知られた物として、誰が使用しても良いものになりますね。あの公表は特許があることを前提に行った開示のつもりであったが、実際は特許がないまま開示した事になっているので、あの日以降に真似たAIの特許は無効となりますね」
と総司は語った。
明鏡は柳瀬部長に対しこう質問を付け加えた。
「開発事業部では、慶次AIの設計について公表している事実はご存知でしたか?」
「社長が話されたように、慶次AIの設計はメディアに公表していますが、特許あっての話と認識しておりました」
「ありがとうございます」
と明鏡は話を一度閉めた。
「ところで副社長。SSEという会社をご存知でらっしゃいますか? 正式な社名は……」
「桜咲エンジニアリング株式会社だ……私の会社に何かあるのか!」
「ええ、アメリカのある専門誌、えっーとこちらですが、『Neumann’sB』と書かれてますね、特集が組まれてまして、世界最高峰のAIと紹介されています。副社長はご存知でしたか?」
と明鏡は、またも意味あり気に慶次に詰め寄った。
「いちいち気に触る男だ……ああ、よく知ってるさ。我がSSEが誇るスーパーAIノイマンブレインだ。私の知的財産を管理するSSEが特許を持つAIだ」
「ではお聞き致しますが、ノイマンブレインはどのような目的で開発されたAIなのでしょうか?」
「目的? 決まってるじゃないか。IT社会の発展のためさ。AIの進化がより良い生活を創り出せるのだから。IBN時代から研究開発していたノイマンブレインなどを当時私はR産業開発者であったことから、業務発明と区別する意味で、私自身の知的財産を管理運用を目的とする会社SSEを立ち上げたのさ」
と慶次は思いを語った。
「私は副社長が、てっきり二十七年に改正された特許法による業務上の発明品が無条件で会社発明となること受け、これを避けるために、つまり従来のように個人発明品として会社との交渉する余地がなくなったことを理由に、先々を考え、知的財産の横領ともいわれないよう個人として特許申請は行わず、R産業とは別会社のSSEで業務開発により生み出された発明品として特許を取得したのだと思っていました」
と明鏡は自身の考えを述べた。
「朱鷺谷! いい方一つで犯人扱いとは、随分ないいようだな」
と慶次は怒りを露わにした。
「次に確認したい事は、副社長が作られたノイマンブレインの設計と慶次AIの設計についての比較、また、慶次AIとRAIとの比較考察であります。これについては開発事業部に事前にお願いしておりました。先程の話の中で慶次AIの設計は既に公表されていると判断される状況下につき、同じ比較考察をサクタプロの佐久田さん、RAIの開発者でもありますが、お願いしておりました。配布しております資料が三AIの設計と比較考察による結論について、開発事業部長と佐久田さんから報告頂きたいのでよろしくお願いします」
柳瀬開発事業部長が先に挨拶し、用意された資料にある慶次AI、ノイマンブレイン及びRAIの設計図の説明を、構成の比較分析を交えながら話し始めた。
その説明に対し、佐久田が補足を行い、結論として両者が導いた考察結果を読み上げた。
「三AIの設計図は基本構造でいえばRAIと慶次AIはまったく別物であり、慶次AIとノイマンブレインはほぼ同一といえます。慶次AIはRAIの後継にあたるもの中身はやはり別物であり、かなり複雑な条件下で稼働し、また新たなタイプのデータ整理用集積エリアを三つ備え、いうなれば情報を貯める三つのエリア毎に判断を加える回路が三つあり、その判断を統括するメイン回路が結論を導く仕組みになっていました。私の作ったRAIの判断力が中学生とするなら、他のAIは高校生以上であると思えるくらい進化した仕組みになっていました」
佐久田は慶次AIの進化についてそんな感じで語った。
「続きまして、ノイマンブレインについて他のAIとの違いは、メイン回路の判断基準が、慶次AIとはアプローチが違うと思われます。慶次AIは三つの回路の判断を多数決で決めているが、少数判断を留置き、一定の条件下においては、メイン回路の結論を少数判断と入れ替える方式を採用していました。一方、ノイマンブレインはメイン回路が常にサブ回路に判断を求めながらリアルタイムに結論を変えて行く仕組みでありました。つまり、言葉では違いが伝わりにくいと思いますが、こういうことです」
と話した後、結論を語り始めた。
「慶次AIは条件付帯型、ノイマンブレインはニーズ呼応型といえます。AIの水準としてはRAIより汎用性が高くなり、事業特性によってAIの能力の発揮度が変わると思います。カッチリとした事業には慶次AI、自由度の高い事業にはノイマンブレインの適性があうといえます。柳瀬開発事業部長。こういったところでよろしいですね」
と合意をもらった。
「ありがとうございました」
と明鏡が御礼を述べた。
明鏡が組み立てた慶次の世界観は次の通りである。
R産業に研究員として入社し、先輩佐久田の発明したRAIの完成を間近で見ていた慶次は、自身が積み上げたキャリアとプライドからまったく別のアプローチにより付加価値のあるAI設計に没頭するようになった。
しかし、二十七年の特許法改正により業務中の発明は会社が権利を取得することに嫌悪感を抱き、R産業でのAI製作に魅力を失った慶次はAI製作を中断したのだ。慶次は知的財産管理会社SSEを設立し、中断していた慶次AIをノイマンブレインとして完成させ、R産業とは関係しないAIとして特許を取得した。R産業開発者としての慶次は、中断した慶次AIの代わりにRAIの改良型AIとして後継機AIの製作に取り組み始めた。しかし、AI完成が予定していた事業開始に間に合わない見込みとなり、慶次の判断で中断した慶次AIを完成させ、これを利用する方向性で方針が定まった。
慶次はこのAIの基本設計をノイマンブレインで使用している設計に組み変え、RAIの後継機AIとしてのアプローチとして条件付帯型回路を搭載したハイブリッド型のAI開発を進めることになったのだろう。
こうやって完成を迎えた慶次AIは基本設計にオリジナル性を欠いた悲運のAIとなってしまったのだろう。
慶次AIは結果的にノイマンブレインをベースとしてしまったため、特許が取れない状態に陥ってしまった。特許が取れないことが発覚したのもおそらく財務部が特許出願をするための決裁が下りた直後と見られる。
慶次AIが特許を取れないからといって、代わりになるAIがある訳でなく、かといって事業を中止することはできるはずもない。
結果、慶次AIにかかる何らかの取り決めを作り、事業が適切に継続させられるように計らいがなされたのだろう。
慶次が先代社長の富士男や当時羽島財務部長らと調整を図り、現在の特許なしの慶次AIでも運用ができるように、何らかの取り決めがなされているんではないかと想像された。
こういった筋書きが、AI分析や関係者の話をまとめると浮かび上がっていたのだ。
まず慶次は佐久田と同じく天才型のプログラマーである。
故に常にオリジナル開発への強い気持ちがあることも、明鏡にとって容易い心理であった。
同時に、心血注いだ発明は自分の分身でもあり、金を積まれても手放すことはない。これが真理であることを明鏡は悟っていた。
そして更なる挑戦を辞めず、本当の自分を見つけるため、日夜研究や開発に取り憑かれたかのように一途であることも理解していた。
明鏡は集めた情報を整理しながらも、感覚判断や心理分析に基づいて冷静に行動を絡め取っていた。
「何らかの取り決め」とは何か? これを引き出すには、羽島常務の管理している慶次AIの利用にかかる契約書の開示を求める必要があった。それは、明鏡がこれまでの調査で証拠が掴めなかったところもであった。
「それでは羽島常務にお尋ねしたいのですが」
「私に……何を?」
「先程の佐久田さんの考察では、慶次AIはノイマンブレインと同じ基本構造を持つAIだそうですが、慶次副社長は冒頭で知的財産である慶次AIの特許についての管理責任は……つまり当時の羽島財務部長にあるといわれてましたが、何か反論はありますか?」
「特許がないのは、出願していないからであり、ノイマンブレインの特許侵害になるため特許を取れなかったのだから、仕方ないのではないか?」
「仕方ない? そうではないでしょう! 今回の懸案は、単純にいえば、R産業とSSEにそれぞれに類似したAIが存在し、SSEのAIが特許を持つことから、特許がない慶次AIでは国から請け負ったDライセンス(仮)事業受託に問題が起こる、つまり会社が危機に直面しているということ何ですよ! この悲劇を招いたのが当時財務部長であった羽島常務であると、R産業に特許の取れないAIを植え付けた副社長がいい放っているんです!」
と明鏡は惚けた回答をした羽島常務を一喝した。
「羽島常務……慶次AIを活用したこれまでの事業は、新規Dライセンス(仮)事業からAI特許がないことを理由に撤退することにでもなれば、間違いなくR産業の未来に大きな影を残すでしょう。会社が経営危機に陥るかも知れません。常務取締役の立場から意見をお聞かせ願いたい」
羽島は神妙な空気感に汗がひかない。そこに明鏡が切り込んだ。
「羽島常務。あなたはこのAIにかかる明かされていない真実をお隠しになられてはいませんか?」と。
周りはざわついた。
「何のことかわからん!」
としらを切った。
「では羽島常務からお話し頂けないのなら、私から先日入手しましたこの資料を基に、問題を抱えた慶次AIが、なぜこれまで問題なく利用できたのか……ご説明いたしましょうか?!」
明鏡は羽島常務を睨みつけた後、左手に持っていた茶封筒を揺らした。
羽島常務は血相を変え、明鏡に大きな声で答えた。
「まっ……待ってください。分かりました……私が話しますから」
慶次は羽島常務を横目で見た後、明鏡を睨み倒すかのような鋭い眼光で、
「羽島常務を脅しているんだな。おい、明鏡! あんたのやり方はヤクザのやり口だ!」
と捲し立てた。
「副社長。脅しかどうか羽島常務に聞いてみたらどうですか?」
と明鏡は投げ返した。
そして、羽島常務は両手を握りしめ、下を向いたまま、真相を語り始めた。
「慶次AIはノイマンブレインの後継機にあたり、構造上、特許は取れません。しかし、R産業では慶次AIを必要とする事業が多く見込まれたため、慶次副社長のR産業への背任を問わないことを条件に、慶次AIの利用に関して委託料として対価を支払うように契約を取り決めました。これに関しては役員会の承諾を得ないまま、極秘に進めました」
と真実をさらけ出し、うなだれ、その場に膝をついた。
「羽島常務! 委託料契約という事ですが、SSEからの請求は経理簿には見当たらなかった。これはどういうカラクリですか?」
「それは……業務システムを委託しているCシステムの関連委託契約が、実質SSEとの委託契約になっています。SSEは元々ノイマンブレインに関してCシステムとAI契約を交わしており、このことを利用する形でR産業はCシステムと関連委託契約を結ぶことで、問題なく慶次AIを使用いることができる仕組みになっています」
「慶次! お前、申し開きはないのか!」
総司社長は声を絞るように慶次に問いかけた。
「俺はただ……俺の発明が俺のものでなくなる何て、あり得ないだろ! なあ分かるだろう? 俺が作った俺のAIなんだぜ」
慶次は自分よがりに語った。
「そもそもR産業の開発者が手かけた事業用AIの情報を、開発者自身が社外に持ち出した時点で立派な横領にあたることぐらいわかるだろ! ノイマンブレインも経緯を辿れば大方R産業の知的財産といっても憚らない……。まどろっこしい話は終わりだ! 慶次! ノイマンブレインの特許権をR産業に無償譲渡すれば、警察送りは見逃してやる」
と総司は慶次に忠告した。
「ところでSSEの正式名称は桜咲エンジニアリングでありますが、この社名と関係する方がもう一人所属されています」
と問いかけると慶次は立ち上がって、明鏡に向かってこういった。
「その話はなしだ。慶次AIの話はすべて羽島常務の話されたとおりと認めよう。だから、朱鷺谷くん。関係ないものまで巻き込む真似はよしたまえ!」
と語るように頼み込んだ。
「私はこう考えたのです。当時、羽島財務部長は慶次AIが特許の取れないAIであることを知った時、この事態の責任をとる立場ではないはずであったが、なぜ他人である慶次副社長をかばったのかと。羽島常務は慶次との取り引きは、横領幇助に当たることは分かっていたはず。ではなぜ取り引きを実行したのか……。R産業を裏切る犯罪を自ら隠蔽することなど常軌を逸した行為だ」
と羽島常務の後ろあたりをゆっくりと歩き回る。
「人が良心に反する行動を取る、おそらく不本意ながらも幇助を行なった因子は、手に入らない金銭が動いた、避けられない圧力がかかった、或いは仲間の窮地を守らねばならなかったのいずれかによるものではないか? そんな風に私は思いました。
更に詰めて行くと、多額の金銭を受け取る流れは共犯になり羽島常務の立場を悪くするだけである。会社での話であれば、何らかの圧力があってもおかしくない。これだけの事情を考慮すれば、上からの指示を仰いだ可能性は充分あるし、仲間というより、もっと関係性が濃いカテゴリーにある、例えば親子のような関係ならば、幇助犯の動機には充分なりうるでしょう」
と語った。
明鏡が握っていた羽島常務の幇助犯に繋がる理由と、関係ないと慶次が主張した人物が繋がる謎解きを始めようとした。
「羽島常務がなぜ幇助……」
と明鏡が語りかけたところを総司が制止した。
「朱鷺谷くん。ここまで分かれば充分だ。冒頭で話したように非公開にして特許がないAIを今後どう対策を講じて活用を進めるかが本旨であり、不正をとことん追求するものでないことを承知いただきたい。よって朱鷺谷くん、AIにかかる状況が明らかになった訳だから、ここで納めていただけないか」
「……分かりました。確かに本旨から逸れてはいましたが、本来、不正は追求すべきもの。それ故にこの不正に対しては今後対処をお願いして、追求は控えさせていただきます」
とすべてを飲み込み席についた。
総司は慶次と羽島常務に向かいこういった。
「これでよかったかな?」
「……ご配慮いただき感謝致します」
と慶次副社長は頭を下げた。また、羽島常務も涙を堪えるように頭を下げた。
「R産業は明日、新規事業のDライセンス(仮)のヒアリングがあるのだが、肝心のエンジン慶次AIは性能には問題がないが、特許に関する知的財産としての管理体制が問われかねず、契約の見送りは避けられなくなる。それだけでなく、この契約が流れることにより、他の事業にも影響が出かねず、会社の信用失墜により経営危機もあり得る状況です」
と面前で総司は危機を訴えた。そして、皆にこの難局を乗り切るための意見を求めた。しかし、誰一人として答えるものはいなかった。
総司は明鏡にアドバイスを求めた。
「そうですね……Dライセンス(仮)は国の事業であり、許可を出すためのシステムであるため、より適正に導入、運用や管理が行えるよう専門のアドバイザーを間に挟み、より厳格な審査を行っているでしょう。AIについてまずヒアリングをクリアするには、AIが適切な管理下に置かれたエンジンであるといえなければならないでしょう。具体的には特許侵害に当たらないこと、ウィルス、ハッキング対策が高水準で備わっていること、スマホ環境にマッチングしているスペックであることなど多岐に渡りますが、おそらくR産業の技術力なれば、特許を除けばすべてクリアしているでしょう」
と取り組む的を絞った。
そして明鏡が切り込む。
「慶次副社長。これは譲歩です。副社長が持つSSEの株の内、六四%をR産業側に譲渡してください。さすればSSEがR産業の事実上子会社となり、慶次AIはノイマンブレインの正式な改良型としての位置付けと認められる事になるでしょう。子会社のSSEのノイマンブレインが特許を持つAIともなれば、慶次AIにおける知的財産の管理体制という問題は解決できます」
と単刀直入に切り込む。
更にこのようにも話した。
「子会社化なしで慶次AIの特許取得をR産業で進める場合、ノイマンブレインのR産業への特許無償譲渡、或いは特許取り下げ、更には慶次AIの特許取得に対するSSEの承諾書を作成するなど方法はあれど、SSE側にはノイマンブレインの価値を損ねるか、経営に悪影響を及ぼすか、といった顛末しか残らないでしょう。R産業側にとっても、資産譲渡や特許取得の承諾書を俄かに揃えたとしても、取って付けたような小手先の対策では、国の厳格審査を乗り切れない。
その点、子会社化はSSEの決定権がR産業側に担保できるため、一之瀬総司体制下では各事業に於けるAIの利用供給とR産業グループとしての知的財産保有を可能とし、更には事業の性質に合わせたノイマンブレインと慶次AIの使い分けにより、R産業は実施する事業に対し、今まで以上の付加価値を得られると思います」
総司はこれを妙案として受け入れた。
会合が終わった後、明鏡は総司と慶次に残ってもらい、先程提案したSSE株式六七%の譲渡における本当の狙いについて説明を始めた。
「R産業側が六七%の非上場の株を譲渡いただくことになりますが、その内の三四%には条件を付けようと考えます。一之瀬総司社長が社長を解任された場合には、その三四%株は原則SSEに返還する事とする。ただし総司社長が必要と認めた場合、引き続き三四%株はR産業が継続保有することができるという契約の形です。また、その解任時にはAI使用契約をSSEが一方的に解除できる条件も付しましょう。現体制では子会社といってもR産業の運命を握る重要な会社です。それ故にSSEの尊厳は護られるべきであり、R産業は今後も飛躍して行く仕組みを担保して行かねばなりません。これこそノイマンブレインの特許にまつわる法に抵触する経緯を、R産業が黙って飲み込むに釣り合う共存の道であるといえましょう」
と総司と慶次に投げかけた。
慶次副社長はSSEの臨時役員会をこの会合直後に開き、形式的にはなるが子会社化について役員らの承諾を得た。R産業においても臨時役員会を設けて、SSEの子会社化の承諾を得た。これによりヒアリング前日の本日午後十一時に契約が交わされた。
ただし、SSEの六七%の譲渡株のうち三四%にあたる株式の返還条件を付した株式譲渡契約は、常識的には会社を私物化することを意味する事になるため、役員会や株主総会の同意を得ない形、つまり、付帯条件の十分な説明のないまま決議され、当事者間において成立する事になった。
明鏡は監査法人の立場からは見ればルールを逸脱する提案を勧めたことは、職務上背任的行為であると分かりながらも、非上場の子会社が巨大企業の社運を握るという特殊な捻れた状況下であることを鑑みれば、ただただR産業とそのパートナーのSSEをアドバイザーの立場から守るために、最善の策を取ったのだと自負して止まないところであった。
そして、翌日迎えたDライセンス(仮)のヒアリングは無事乗り切ることができた。