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「厳くん、ちょっといい?」
「何?」
昼休み、花が厳に話しかける。
「ねえ、厳くん、剣道部だったよね? マネージャーって募集してるの?」
花の思いつきとは、同じ部活に入ることだった。
これなら放課後も帰宅時も一緒にいられる。
「……うん。誰もなってくれないから万年募集だよ」
花形のサッカー・野球やバスケ部等とは違い男子剣道部のマネージャーをやろうなどという物好きは滅多にいない。
それには理由がある。
「何で誰もなってくれないの?」
「……臭いから、かな」
特に夏場はひどい。
洗えない防具にぐっしょり汗をかく。
そしてそれは風通しの悪い格技場で陰干しするしかない。
防具の乾燥機は高価なので一台しかない。
他にも色々と工夫はしてみるが、いくぶんマシになる、といった程度の効果しかない。
道着も毎日洗いたいが、厚手の生地は生乾きになりやすく、よけいに臭くなったりする。
「そ、そうなんだ……」
厳から理由を聞き、この案はやっぱり無しかしら? と花が思いかけたとき、
「神前さん、マネージャーやってくれるの!?」
首を突っ込んできたのは同じ剣道部の尾田だった。
「え? ちょっと興味があるから見学でも……」
「やった! 女子マネゲットだ! シンコ先生が聞いたら泣いて喜ぶぜ。俺、知らせてくる」
「ちょっ……」
止めるまもなく尾田は顧問の新子に吉報を届けようと教室を飛び出した。
「……まだやるって決めてないのに〜」
「あはは。あれじゃ、もう断れないね」
え〜、臭過ぎたら無理〜、と顔をしかめる花を厳が笑う。
「まあいいか。とりあえず、どこで練習やるのか見せてよ」
「今?」
「今」
そういう事になり二人も教室を出る。
その後ろ姿を追う視線を感じた花は一人、いたずらっぽく笑うのだった。
(どうしよう? このままじゃ……)
かわいい転入生と連れ立って行ってしまった厳。
彼が消えた開けっ放しの引き戸を見つめ続ける咲。
容姿に自信がないわけではないが、あの転入生には負ける。
(あんなの反則よ。何であんな子が普通の高校生なの? アイドルにだってなれるじゃない)
あんなカワイイ子に言い寄られたらどんな男子だってイチコロに違いない。
いや、田村君は外見なんかに騙されないで中身を見るはずだ、と思ったが、
(……神前さん、性格もよさそう……)
内向的な自分と違い、明るく人当たりのよい花はもうクラスに溶け込んでいる。
自分は入学してから数えるほどしか田村君と話したことがないのに、転入してきたばかりの神前さんはもうあんなに田村君と仲良く……
完全敗北を悟る咲。
もし田村君が神前さんと付き合うことになったら……
そう考えると咲の胸がキュッと締め付けられた。
「どうしたの、咲? お昼たべようよ」
「う、うん……」
友達に誘われるが、それどころではない。
厳に、行かないで、と言えればどんなにいいか。
そんなことが言えるくらいなら普段からもっと積極的になれていただろう。
花が現れるまで遠くから厳を見ているだけで満足していた自分を後悔し、焦って泣きたくなる。
とても昼食をとれるような状態ではない。
「……ごめん、気持ち悪くなっちゃったの。保健室行くね」
「え? 本当だ、顔色悪いよ。一緒に行こうか?」
心配してくれる友達に、大丈夫、一人で行けるから。お昼食べてて。と言い残し咲は保健室に向かった。
(田村君……)
いい考えも浮かばず、フラフラと保健室に向かう咲が、
(……あれって……?)
何かに気づいた。
「やっと二人きりになれたね」
花にそんなことを言われ、そういう意味ではないと分かってるがドキリとしてしまう厳。
「勘違いしないでよ」
花にもからかわれ赤面する。
格技場を見学するのはもちろん二人だけで話をするためだ。
「昨日言いそびれたことを簡単に伝えるね」
時間が惜しいので歩きながら花はこんなことを厳に知らせた。
産休に入った教師の代わりに赴任した田崎という中年男が監視対象であること。
その男が所属する新興宗教団体は、もともと特に怪しいところはなかったが最近急激にカルト化し、公安なども警戒していること。
「公安?」
「そう。公安警察。テロとかスパイ活動を監視して悪いことをさせない組織」
「へえ、そんなのがあるんだ。そんなこと知ってるなんて神前さんは本当に陰陽課の職員なんだね」
などと感心する厳だが、
「何言ってるの、厳くんも陰陽課に入るんだからね」
昨日話さなかったっけ? と花。
「え? 僕も?」
「当然でしょ。一緒に活動するんだから。給料も年金も出るよ」
活動は極秘なので身内にもバレないよう、口座が用意され、そこに積み立てられるらしい。
「え……僕の就職先、もう決まっちゃうの?」
「極秘組織だから表の職業は別に就けるんだよ。あたしは、うちが代々神職だから巫女になって、誰か婿がきてくれたら跡取りになってもらうの」
一人娘だから誰か連れてこないと、人に譲るしかなくなっちゃうんだ、と肩をすくめる花。
親はそれでもいいから好きにしろと言ってくれているらしいが、巫女になるのは花の意思らしい。
大学へ進み、家業に役立ちそうな学問、例えば古文書を読むため国文学だとかを修めるつもりだという。
「へえ……神前さん、そこまで考えているんだ……」
それに引き換え自分は何の目標も夢もない。
まだ高校1年だからよいだろう。そのうち見つかる。くらいに考えているその心のどこかで、いやそれじゃダメだ、と分かってもいて漠然とした焦りに常に付きまとわれている。
それは同級生の友人も同じで、時々そんな話になるが勿論答えなど出ない。
それにこれ以上、結に負担をかけるわけにもゆかないので、大学に行くことは諦めなくてはならないのかもしれない。
となると就職だが今のところ夢も目標もない、といった具合で話が最初に戻ってしまう。
中学の同級生をたまに町で見かけるが、そんなことも考えず遊び回っている者もいる。
ああはなりたくないと思っても、では実際アイツらと自分がどう違うのかと聞かれると将来を考えていないという点では何も違わないのだ。
彼らを見下す資格など自分にないと気付いて愕然としたのはついこの間のことだった。
厳がそんな自分の世界に沈み込みそうになったときだ。
「厳くん!」
花の顔色が変わった。