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紡ぐ  作者: うえ野そら
再会の日に
7/7

見送る日々

あれから、随分とたって5年が過ぎた

多くの出来事を見送っていきながら、大きな節目に出会う

 僕はなんでここにいるのだろう。

初めて、そう思った日から随分と過ぎた。

随分。

思い返して随分というならば実際は5年がたっている。

 あの頃、と昨日のように言い出したら、10年から20年という事になる。

 学生時代の気分はいつまでも、心のどこかにいて消えない。

 この世界に来て、驚いた事に時間は確実に進んでいる事は、僕の記憶の継続性という一点において間違いはない。

 1日のうちの出来事だけは、その流れで整合性を担保され、傷や病気なども都合よく逆再生ではなく、順序だてて、発症して回復し、おそらくは、(未来において)きちんとした時間通りの流れに再認識されるのだろう。

 過ぎた過去は、現在から離れれば夢と同じ。いくら改変しても誰も答え合わせが出来ない。

 そうやって、1日を正しく生きて昨日に戻れば、1日分細胞が若返っていることがわかる。

 単純に、こちらに来た時に動きの、悪い両肩関節、そして腰の調子が嘘のように痛みをなくし、ソフトボールを軽々と投げられている。

 身に着けた理屈を実践出来て、試合で投げられる喜びを得たのも束の間、結果という信頼は、翌日には残らず、毎回敗戦処理で驚かれるか、ピッチャー不在の日に完投して、『今日は凄い良かったなぁ』と、驚きと称賛を浴びて終わる。

 結局、僕はこの世界のどこにも存在していないことを再認識させられる日々だった。

 チビ達が日々幼くなっていき、手間も再開して、世話が大変ではあるし、思いついて何処かへ連れて行こうにも、予算が増える事はない。

 5年の日々は、自分はその時々にやれる事を精一杯やってきたんだという、答え合わせの連続だった。

 病気になることも、ケガをする事もさせてしまう事も、誰もがケガをさせたいわけではない。

犯罪も防ごうにも、原因が複雑に絡み合い、起こってしまった犯罪は結果として、必然の産物だとしか考えられない類の現象だった。

 

 そして今、僕は隣町の大きなグラウンドで棒切を持って、前走者が車輪を転がして来るのを待っている。車輪転がしリレーという昭和から続くこの競走は、現役陸上部の中学生をして、75歳に近い高齢者の脚元にも及ばせない。

 高齢の人にとって、身近な物が遊び道具だった時代『あの頃はみんなで良くやっていた』と義父も、この競技の話をすると言っていた。おそらく、僕も義父には勝てないだろう。

 隣には元気いっぱいの中学生が並んでいたけれど、それは年の功。僕も子供時代から運動会でこの競技を見続けていたから、初めてするにしても、コツはなんとなくわかっていたから、予想以上に難しかったとはいえ、中学生にはすんなりとリードを広げてバトンを渡せた。アンカーの老人の走りは、ただただ、圧巻で、見ていて気持ち良かった。

 競技を終えると、お弁当が配られて、昼食になった。

午後からは、地域対抗リレーを残すだけになる。

 ちび2人が出場予定だった。

 かほりがPTAの役員の関係で参加している運動会に、かほりの姿はない。孫大好きなかほりの祖父母もいない。

 僕とちび2人が参加している理由がそこにあった。

 間もなく、電話がかかってくるだろう。

 いや、かかっては来ないかもしれない。

 でも、どちらにしても、誰も立ち会う事はないだろう。

 きっとそれを選んだ気がするのだ。

優しくて、気が強くて、心配性で、かほりによく似た、ちび達が大好きな、小柄な大きい婆ちゃんは、もうすぐ極楽への橋を渡る。


 今朝、遅めの競技への参加だった僕たちは、最後になるだろう、大きい婆ちゃんのお見舞い先の病院にいた。

 冷たくなった足首。そこに手を当てていれば、血圧はほんの少し安定する。

 介護の仕事を長くしていれば、結果を知らずとも、最期がすぐそこにある事はわかる。

 小さくなったな、と思うけれど、それ以上に良く、しっかり生き切ったんだな、と威厳すら感じる姿だった。

 看護師が、耳は聞こえているので声をかけてあげてください、とちび達にも伝えている。

 皐月が小さく、ばあちゃん、と声をかけたら、弥生がいつもの調子で元気いっぱいに、ばあちゃんお起きて、と腕をさする。

 本当に、その度に何度も血圧が一時正常に近い範囲にまで戻ってくる。

弥生の事が大好きな、ばあちゃんだから、きっと『よいしょ』と気合いを入れているのだろう。

優しく、腕をさする皐月とは対称的だが、2人の想いが伝わってくる。

 それから、かほりの気持ちも。

『弥生、ちょっとばあちゃん、ゆっくり休ませてあげて』と声をかけている。

 もう十分にがんばったんやから、とお母さんと話していた。

 この後のことを、僕は知っている。

 変わってしまうかもしれないが、みんなが立ち会えなかったという事実だけを知っている。

 もし、その事実を伝えて、ずっと一緒にいてあげて、という事は不可能では無い。

 ただ、その結果が引き起こす事は、良いこととは限らない。

 かほりは、葬儀の日にも繰り返し『誰もいないタイミングをみはかったのかな』

 寝返り処置なかったら、まだもってたと思う、と言いながらも、もう十分がんばってたから、とそう言っていた。

 立ち会うという事は、『余分に苦しませていた』という悩みを一つ増やしてしまっていたのかもしれない。

 今日ほど、必然を感じた事はなかったと思う。

ちび達が、運動場で大きいばあちゃんの死に触れること。

 かほり達が、ばあちゃんの最期に立ち会えなかった事。

 それでも家族がみんな集まれた、と通夜での会話。

 過去に遡って行くことが出来たとして、人の分際で、何かを変えることなんてきっと出来ない。

 この先も。ただ威儀を正して見送るだけなのだろう。

僕がここにいる理由は、そういった厳然とした事実を、ただ見送っていくために、ここにいるのかもしれない。

 幸いな事に、僕の住む地域で人が亡くなるような大きな事故や事件はなかった。

 ただ、もう少しすれば東北で大きな震災が起こってしまう。

 地震被害を防ぐ事も、原子力発電を止める事も僕には出来ないし、地震発生を呼びかけて、多くの人を一時的に助けても、その後多くの人の人生を狂わせてしまう事は想像にかたくない。

 そして、通り過ぎた未来には、過去という一括りで終わってしまう。

 本当に、過ぎてしまった過去には、運命を見出すのではなく、必然の存在だけを意識してしまう。

 神の御業といえば、そうなのだろうと思うくらい。悪く言えば人の努力が儚くも虚しいと感じてしまうくらい。

 だからこそ、その必然をもたらす過程をしっかり見送っていこうと心に誓う。

 この世に存在出来ない僕が僕である事。

 それは本当にただ見送っていくだけなのだ。

 


 

 


これからも多くの出会いがあり

見送っていくことを

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