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紡ぐ  作者: うえ野そら
再会の日に
6/7

2日目の朝

過去に進み出す朝

世界は回っていることを自覚する

迎えてしまった朝

開けない朝はないということだとしても

 トイレに行きたいな、と思いながら微睡みを繰り返していたが、さすがに我慢しきれなくなり、布団から抜け出した。起き上がりに腰が痛む。ここ数ヶ月変わらない、朝の腰の状態だ。

 トイレへと足の踏み場を占拠する、脱ぎ散らかされた服を手にとって、いきがかりの駄賃とばかりに、苛立ちを込めて洗濯機に放り込む。

 まだ少し寝惚けたままの状態で便座に座り込む。昨日飲み過ぎたコーヒーの感覚がある。

 なんで、そんなにコーヒーなんか飲んだんだろう、そう思った瞬間、現状が夢ではないと気づいた。なんで『これが夢ではない』とか不思議に思う前に。夢ではないのだと確信してしまった。

 それはなんでなんだろう。

 『夢であったらいいのに』そう思う事自体が、夢の外にいる時の発想という事だからだろうか。

 手と指と足が、現実感を持って目の前にある。ほっぺたをつねって、痛くなかったとかいうシチュエーションには出会った事はないけれど、夢というものは、ずっと自分勝手に、嫌な気分になると、都合よく場面を変えてくれるが、この世界は、ずっと整然と進んでいる。

 今日は昨日の繰り返しなのか、昨日の朝にはトイレには行っていなかったから。

 あれ、またこんがらかってきた。

 昨日の朝とは、いつの事だ。

 本当なら、今日は28日。弥生の誕生日だ。それはとりも直さず、皐月の誕生日を祝ってあげれなかった、という事になってしまうが、それはさておいてだ。

 いまは、コーヒーの名残だけで十分に、戻ってしまった25日の延長線上にいる。

 昨日が25日であったら今日は26日。25日の繰り返しではないはずだ。

 まったく、頭が混乱する。

 トイレを済ませて、部屋に戻る。いつものように場所を取ろうようにして弥生とかほりが寝ている。

 外は暗くて、時計を見なくても、おそらく5時半からトイレの時間分たったくらいだろう。

 本当なら土曜日だけれど、きっとそうではない。 

 いまは体力が大切だし、起こすにしても後30分、今は、少しもしもを期待して眠ろう。


 『起きや、時間越えてるで、弥生起こしてや』

と、背中から揺さぶられた。

 あの後、すぐに寝たらしい。時計は6時15分だった。弥生の頭をわしわしと、乱暴につかんで、髪の毛をくしゃくしゃにする。『うーん』と背伸びをしても起きないことはいつも通り。『あと何分で起こるんや』と聞けば5分というので、しばらく様子をみつつ、かほりに今日の仕事の有無を聞いた。弥生の誕生日には休みを取った。皐月の誕生日は土曜日なので休みである。

 どちらにしても、出勤の有無だけでは曜日の特定はできないと思いつつ、聞いてしまってから、無意味だと気づいた。

 『仕事やで。1日中やから、しんどいわ〜』と寝返りをうちながら答えてくれた。

 これで、今日が弥生の誕生日でないことだけが確定した。皐月の誕生日を祝ってあげられるかもしれない。

 『ほら、起きろ』と弥生を起こす。むにゃむにゃと眼鏡を探して、起き上がった後、そのまま風呂場に行った。

 いつもの光景だった。

 かほりに、今日は何日で何曜日か聞いてみた。

 めずらしく、余計なセリフ無しに(それは例えば『そんなんもわからんのかいな』とか『自分でカレンダー見てや』とか『弥生に聞き』とか、そういう類いのことだ)『う〜ん、今日は9月24日火曜日です。スターになって稼いで来てください』

 という事で、夢ではない現実は、今日も逆に時間を進めていた。

 夢の中で眠りについて、起きてもまだ夢の中。

そうであったら良いのに、と思う余裕もなくなってくる。

 

 昨日25日がそうであった様に、覚えていると思っていた、24日の事なのに、朝起きてからは、あまりに曖昧模糊とした記憶しかなくなっている。

 まるで、今朝僕が起きてきた段階から新しい1日に変わり始めているということなのだろうか。

 そんなデタラメな。それこそ都合の良い夢の中そのものの考え方であるけれど。

 明日25日の記憶はある。

 今日の記憶はない。

 昨日の23日の記憶はある。

 これも、考えたくはないが、この先毎朝繰り返していくことになるのだろうか。

 体の変化は昨日から続いていた。

 物の変化は、どうなんだろう。今日の記憶は昨日にはあった。今日の記録を書き残しておけば、明日、おそらく23日になってしまうであろう、明日の予定が把握出来るはず。

 ただ、僕だけが過去という未来に進んでいる。予定は未定。その日だけ起こることがわかっても、1回きり予定を言い当てる人がいたとしてもやはり、ただの偶然か、イカサマと思われて終わるのがオチだ。

 僕だって、そう思う。

 何せ、今日の予測の結果は見れても明日(正しい明日)の予測の答え合わせを、僕はできない。

 きっと、明日には僕の知らない僕がいる。

 

 結局できる事といえば、『かもしれない』の積み重ねしかなかった。

 部屋から、国家試験対策で使っていたノートを持ち出して来る。

 社会福祉士受験の専門学校に夜間で通っていたが、もっぱら睡眠学習になっていて、ノートはほとんど、最初の数ページ以降が、きれいなままだった。

 どっちみち反対側の世界だから、と、ノートを逆向きにして、背表紙に『遡り日記』とタイトルをつけておいた。

 スタートは、昨日。25日から。

 『9月25日木曜日晴れ。朝起きたら一昨日担っていた。』

 文字を並べていきながら、言葉に不自然さはないか、出来事に違和感はないか、頭を整理していく。

 かほりは今日を1日中の仕事だと言って、家を出た。

 いつものように玄関から、曲がり角の先、見えなくなるまで見送る。当然、今日も振り向かなかった。

 かほりが今日も仕事で助かった、とも思う。

 こうして日記をつけながら、頭を整理できるから。後、1時間。

 1時間後には僕も家を出なければいけない。

 そうだ、僕のスマートフォンに昨日の記録が何か残っていないか。

 確か、皐月の誕生日プレゼントの写真を撮ったし、そもそも閲覧履歴やら、通話履歴やら、26日の記録がどこかにあるはず。

 慌ててスマートフォンを探す。こないだ皐月の誕生日プレゼントを探しに、ショッピングモールに行った時、かほりが買ってくれたブタの財布(リール紐がついていて、交通系ICなんかを入れれるようだが、僕のことだから落としてしまいそうなので、今ではもっぱら、スマートフォンにつけた、ただの飾りになっている。)を探す。

 僕のスマートフォンに電話をすれば、所在はすぐにわかるはずなのだが、如何せん、マナーモードに変換したままなのでコール音がない。

 まあ、大きなブタが目印になるのだがら、以前と比べると見つけやすく、服の下に半ば埋もれていたが、ブタ鼻がかろうじて見えていてすぐに見つかった。

  服の下から引っ張り出し、スマートフォンに保存してある写真を、まずは確認する。

 半ば予想はしていたが、26日付けの写真撮影の記録はなく、通話履歴にも、26日以降の記録はなかった。

 結果はあまりにも無情で、今より先の時間の記録は一切なく、いまいる世界では、常に現在が最新だった。今後ずっと過去に遡っても、僕のいる時間が現在という事になるわけだ。

 普通だったら、すでに過ごした過去が、確認する事が出来ない未来になって、消されてしまった。

 この世界から脱せない限り、僕の未来は過去にしかない。

 とりあえず、仕方がない。当面は今の現状を現実として受け止めよう。



 9時が過ぎたので、リハビリがてら、知り合いから頼まれていた、マッサージの手伝いに出かける準備をして家を出る。

 まだまだ夏の気配が強い、とうんざりしていた季節も、これからどんどんと真夏に戻っていくわけだ。

 そういえば、今年の夏の甲子園の優勝校はどこだったか。

 う〜ん、と首を捻った後で苦笑する。現実として、あまりにも物覚えが悪くなっていた。

 どこだろう。ネットを見ればすぐに出てきた。

 いまはこういう時代なのだ。


 それにしても、僕をこういう世界に放り込んだ神様がいると過程したら、どういう理由が考えられるだろうか。

 未来を奪われるという事は、罰にあたるのか。そんな罰当たりな行動をしたということかな。

 それとも、何かの使命を与えられた。なんて、そんな徳はつんではいない。

 大儲けをして子孫を助ける。 

 現状、未来予測は困難だし、1日遅れれば、記憶は途切れる。そもそも、宝くじひとつをとっても、それが手に入る未来には立ち会えない。

 

 なんの為に、ここにいるのだろう。

 帰りたい。


 電車の中で、未来を予測するポスターや吊り広告を眺める。

 この未来に僕が出会うことはおそらくない。

 そんな気がする。


 マッサージ屋さんでは、する事はいつもと変わらない。こうやって調えたお客様の身体は、明日

起きたら元のままなのだろうか。いや、違うか。僕以外のみんなは、きちんとした明日へと時間は続いている。

 『今日はいつもより、お客さんが少ないね』と同僚と会話を交わして、店の前に立って呼び込みをする。

 ビルの中、ターミナルにつながる通路にはひっきりなしに人が通り過ぎていく。

 多くはサラリーマン。後は学生達。女性は少なめ。年配の方も意外と多いのは、リハビリがてらの散歩だったりする。毎朝、同じような時間にご主人が奥さまの肩を支えに歩いている。

 本当に色々な人が通り過ぎていく。中には、不思議な人も結構いたりする。ぐるぐる繰り返し回り歩いている人だったり、傾向として、急に連続して歳の差が大きいカップルが続いたり、身長差の大きいカップルが続いたりする。

 混沌とした世界には、無意味の中にだって、意味がつながるときもあるのだろう。

 僕と同じような人もきっといるに違いない。出会っても気づかないだろうけど。

 SNSで調べてもきっと同じ。僕たちの言動は常に答え合わせが出来ない。

 

 仕事を終えて、あまりに多くの人が行き交う通路を、急流の流れに乗るように目的の方向へと歩く。ここでは、僕も同じ人でしかない。

 りんご飴の店で、3つ。いつの間にか百貨店で販売されるようになっていたんだな、といつものように思いながら購入して、店を出て正面にある本屋さんに入る。

 現実と非現実の狭間にあるような場所だと、改めて思う。フィクションと夢と現実と、同じ質量で詰まった空間。

 見るとはなしに、並べられた背表紙を眺めて歩いては、気になったタイトルを眺めていく。

 歴史もの、ファンタジー。いまの現象は奇怪的になってしまうのかな。

 誰かを助けたら、奇跡になるのかな。

 そういえば、他のアニメでは、助けたら『ありがとう』でまるごとハッピーだったけれど、藤子不二雄のマンガだと、因果応報というか、別のタイミングでかえって悪化した結果が待ってはいなかったか。

 よくよく考えてみても、それが順当と思えて仕方ない。

 でも、そう思わない人がいたとしたら、どうなるのだろう。助けることが出来る命を、それが大切な人だったとして。

 そう、こないだみた、ずいぶんと記憶に残っている夢。ヒトラーのいない世界観のような。

 

 答え合わせの出来ない世界で、おそらく少なからずの人が、過去へと遡る中、目の前に助けられると思える命があったなら、助ける人は、少ないとは思えない。

 そうなれば、どうなるのだろう。

 誰かが、ヒトラーを総統の座に就けないようにした。殺人の必要はない。機会を奪えばいいだけだから。 

 例えば、幼いうちに海外に連れ出すとかでも。

 その結果があの夢なのかも。誰かの世界を覗き見ていたのかもしれない。

 多くのパラレルワールド。

 誰もが行き来出来ない世界でも、いつかは帳尻があう。歴史が埋もれてしまえば、わかる事だけが、過去の出来事となる。

 誰も比較出来ない。 

 

 僕はなんでここにいるんだろう


 

 



 



僕は僕でしかなかった

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