夢の始まり
時間が逆行しているというのなら、その世界が、日常過ごしている世界とどこも違っていなくとも
『あの世』だよ。
外国は知らない。日本人のあの世観っていうのはな、いろんな事が逆さまになってるらしいのさ。
時間が逆に進んでるって言うんだろ、それじゃあ、まさに『あの世』じゃないか。違うかい?
夢を見ていたのか。
目を覚ますと、はっきりとは覚えて居ないものの、随分と歳をとった皐月と弥生がベッドの横にいて、そういえば、かほりが車椅子に乗っていたような気がする。
夢なんてものは、思いだそうとしたそばから、記憶が薄れていくものだから、記憶を繋ぎとめておこうとすると、慌ててしまう。
そうだ、皐月にどことなく似た頃に女性に、がっしりした、弥生そっくりな男もそばにいた。
後にいたのはその奥さん達か。。
何か最期の看取りの様な夢だったな、と思う。それでも、ハッと冷や汗をかくような嫌な、悪い夢ではなかった気がする。
しあわせ気配が心の中に残っているような感じを受けるからだ。
そういえばベッドで寝ていたという事は入院していたのかな。やっぱり看取り場面か。
弥生や皐月、かほりらしい人物が登場していた事は覚えているが、そろそろと印象強い部分だけを残して記憶は薄れていった。
布団をめくって時計を見る。5時47分。最近はいつも、だいたいこのくらいの時間に目が覚める。
弥生を起こしに行くにはまだ少し早い。
重たく、ひっついてなかなか離れそうにない瞼を指で押し広げ、眩しいスマートフォンの画面を見る。
9月26日木曜日。今日も晴れ、最高気温33℃。気温の確認はいまや欠かせない。
最近ようやく朝夕が涼しくなってきたとはいえ、今年の気象予測も10月半ばまで熱さが続くといっている。10月半ばまでの熱さなど、昨年の経験がなければ信じられるものではない。
実際に去年は10月末まで、本当に夏のような暑さだったのだ。(その後、気温からいきなり11月らしさになり、体がついていかずに入院した高齢の人も多かったはずだ)
今日のような朝夕の涼しさも、天気の気の迷いだと思って警戒している。この朝の涼しさから、昼には33℃まで気温があがるのだ。
まだ夏の制服を着続けることになるだろう。水筒の水も氷を多めに入れておいた方がいいな、と思いながら布団を出て、そろそろと、皐月を起こしに行く。
皐月は、小学校6年生の夏に、いきなり中学受験を希望した。突然で驚いたものの、理由を聞けば、ものづくり科のある国立中学に行って、おもちゃ作りをしたいらしかった。
それならば、と準備したものの到底間に合うわけもなかったが、今度はかほりの祖父母宅近くのかほりの出身中学校に通いたいと言い出した。
理由がいまの中学校に上がったら、ほとんど友達ばっかりで新しい友達ができひん。というもの。
どうにか役所にお願いして、3年生まで通ったものの、途中からゲームに取り憑かれ、また反抗期も重なった事で、祖父母への負担が大きく成りすぎた為に自宅に連れ戻した。
逆に今は下の皐月が兄の行動を楽しみに祖父母宅で生活している。こちらは時々寂しそうな顔を見せては遊びに帰ってくる。
なかなか起きない皐月は、小学校6年生の夏にいきなり中学受験を希望した。突然で驚いたものの、ものづくり科のある国立中学に行って、おもちゃ作りをしたいらしかった。
それならば、と準備したからと言って、すぐに受験を勝ち抜けるほど、中学受験は甘いものではなく、到底、間に合うわけもなかったが、今度はかほりの祖父母宅近くの彼女の出身中学校に通いたいと言い出した。
いまの中学校に上がったら、ほとんど知っている友達ばっかりで新しい友達ができない、と言う。知り合いが一人もいない中学校に行くことに不安を示すと言うならわかりやすいものの、行きたいという皐月の気持ちが、親としても認めるに値する理由であった為に、どうにか役所にお願いして、祖父母宅から通い始めた。
1年生の間は、心配を通り越し、サッカー部に所属して真面目に楽しく過ごし、驚くほど新しい環境の中で友人をつくり、そんなコミュニケーション能力があったのかと、驚かされた。それでみも2年生になるとゲームに取り憑かれだし、また反抗期も重なった事で、祖父母への言動や行動に自制心が追いつかなくなる。SNSなどに感化されやすい年代特有の言葉の重さを知らない言動は時に祖父母を傷つけ、逆に孫を思いすぎる気持ちは皐月の負担になり、関係性はギクシャクしたものになっていった。3年生の夏休みを前に、受験勉強の進まない皐月を自宅で見るべく、連れ戻しす事になった。
今、祖父母宅には、皐月の時と同じように中学生になった下の弥生が、兄の生活と同じ事が出来る事を楽しみにとこの春から、一緒に過ごしている。
こちらは、元から一番のじいちゃんばあちゃん子で、その生活を満喫しているようだが、時には寂しそうな顔を見せて、遊びに帰ってくる。
かほりが起こしても全然起きないと言うので、
朝、皐月を叩き起こすのは僕の役目になっている。弥生は声をかければ、低血圧気味を差し置いても、ある程度で起き上がり手間のかからない子だったが、皐月はとにかく起きない。
『あと何分』を繰り返し、休みの日にはそのまま起きないらしい。
自分で行動を起こすように仕向ければ、どうにか起き上がるため、あと何分で起きるかを自分の口から言わせて、その時間になればお風呂に目が覚める為、お風呂に放りこんでいる。
入浴後は用意された服を順番にまとい、順番に鞄に詰め、歯を磨いて出て行くのだが、用意されていないと言動が悪化する。未だに自制の効かない部分と割り切っているものの、将来に対して不安がないわけがない。
ただ、それなりの悪態を散々ついておきなが、玄関前で見送ると『行ってきます』とちゃんと、口にするのだ。本来はこういう人間性なのだと想っている。
ただし、見送っていても振り返る確率は極めて低い。(なぜだか時々振り返ってこちらを見る)それも含めて、かわいいやつだと、思う。
少し浮かれ気分で玄関を開けて入ったら、奥様、事かほりが、寝っ転がった状態で『服持ってきて〜、水持ってきて〜』と叫んでいる。
ハイハイと顔を横に向けて、その辺に落ちている、恐らく洗濯済みの服を渡す。
その後、コップに水と氷を入れて、かほりに手渡す。いつも、起き上がって受け取った後、すぐに飲み干して『ありがと〜片付けといてね〜』とだらけ切った声が返ってくるので、その場で飲み終わるまで待っていないと、後々面倒くさい。
受け取って流しに戻る手前で、棚に目がいく。昨日の夜に届いた皐月の誕生日プレゼント(プロゲーマーのチームユニフォーム)が、『早く渡して』という表情でこっちを見ていた。
弥生のプレゼントは車の中に置いてある。
明日・明後日とふたりの誕生日は続くわけだが、弥生の方が先に誕生日が来るから厄介なのだ。
本人に見つからないようにしておくのはいつも大変なのだ。
弥生は人一倍目敏くて、新しく家に登場したものは、自分で確認しないと気が済まない。
いつもすべてを見つけてきて、勝手に中を確認したりしている。中学生になってもまだ、新しく家に届くものは全て自分の物だと想っている。
それでいて、本当に自分が欲しいものを未だに見つけられていない気がしている。ひとを喜ばせるのが好きなので、貰えば『これが欲しかってん』と喜んで見せるが、すぐに部屋の端に放ったらかしにしている。プレゼントを買いにいけば、兄にあげるものを探していたり、特に興味もないのに、買ってもらいたいが為だけに、あれこれ欲しいと持って来る。本当に欲しいのか?と聞けば、すぐに別の物に取り替えるから、本当に欲しいものではないのだと気付かされる。
幼い頃から、ひとの喜ぶ姿を見るのが好きだった。大人は子供が欲っするものを提供した際に、対価として喜ぶ顔を期待する。期待通りの報酬に満足して見せる大人の笑顔をまた、弥生は欲し続けているのだろう。
欲しいものを持たない弥生は心配の種でもある。
ただ、人を喜ばせることが好き。という点を本人が望んでいるのなら、それを受け容れれば良いのではないかと、最近は想うようになった。
台所から戻ってくれば、かほりもゆっくり起き出して仕事の準備をしている。介護の仕事も25年の大ベテランは、パートとはいえ職場では重宝され過ぎているそうだ。時々、『なんでパートのワタシに。』と愚痴をこぼしている。
それはそれで大変なようだ。
それでも、いつも仕事の話をする時には、嬉しそうな良い顔をしている。
かほりとはもうすぐ結婚して丸16年。出会って17年になる。
いまでも、何か気に食わない事があったら、『他の人と結婚した方が良かったんちゃう』と一番腹立たしい事を言ってくる。
僕の人生で間違いなく断トツで僕をイライラさせる達人でもある。穏やか、と言われる事が圧倒的に多いこの僕を、ここまでイライラさせる人を他には知らない。
それでもまあ、一緒にいられて、結婚できてしあわせだと思えるのだから、世の中の若者は結婚を前向きに捉えてほしいと想う。
価値観が違い過ぎたら、新しい世界を切り開けると思え!趣味が合わなければ、共通の趣味を持て!話が合わなくても、成立してしまう空間を作れ!
似たもの夫婦とは、一緒に過ごすうちに、ふたりが似てくる事を云う。決して似た者同士が引っ付いた夫婦を云うのではない。
それから似ていると想っていたら非なるものだったとい事は枚挙に暇がないものだ。などと勢いよく、熱く語る事もあるけれど、『何かとてつもない弱味でも握られてるん』と言われた事は、少なくはない。
そんな事を思いながら、かほりを見送る。
『この自転車邪魔やわ』と2台重なって『出にくくなってて腹立つわ』と、僕の自転車を邪険に扱かったあげく、悪態をついて出ていった。
そんな後ろ姿を、角で曲がって見えなくなるまで見送る。
振り返った事は過去一度もないけれど、らしさだと思えば、かほりらしいと思っている。
『振り向いていなかったらさみしい。それなら振り向かない方がいい』そう言っていた。
ふたりを見送った後、今日は何をしようかと途方に暮れた。
かれこれ半年以上が過ぎた。
かほりと同じく、僕も介護の仕事をしている。ただし現在は休職中の身の上という事になる。
今年の2月、自覚がないままに、かほりや、両親、かほりの両親に至るまで、出勤を止められた。
病院に連れて行ってもらえばすぐに『うつ病』の診断がつけられ、入院する事になった。
それでも、まあ、ゆっくり休めという事かな、と呑気に構えていたら、思ったより業が深く、2ヶ月以上入院した後、退院して自宅療養。改善には波があり、頭がぼんやりと気力を前に向けられないまま、今日に至るも復帰の兆しが見えないでいる。かほりには感謝しかない。
出来る事も、出来ず出来そうなことも出来ずにいる。
せめて明日は弥生の誕生日だから、その準備くらいはしておこうと、手紙を書き始めた。
夜、帰宅したかほりと皐月とご飯を食べて、薬を飲んだ。いつも薬の後はすぐに眠くなるけれど、12時過ぎたら、誕生日メール送ろうか、とかほりと言い合っていたが、どうやら10時半位には、弥生からの返信が途絶え、この日の暑さの中でのクラブ活動で疲れきったんだろうという話になった。
それならと思うと眠気が強くなり、おやすみと2人に伝えて、すぐに眠りに落ちた。
時間は常に不可逆性で
前にしか進まない
タイムマシーンが出来上がった未来があったとして、過去には戻れるかもしれない。
でも、それは未来のタイムマシーンが作った未来にある過去であって、今ここにある世界には
未来から誰も来ることはない。
時間は逆戻りしないのさ。
してるとしたら、やっぱりそこはあの世だって事になると思うよ。